後神(うしろがみ)
「とまあ、こんな関係だったの。彼は私にとって指導者――教師のような存在だったし、他の人にとっては完璧な王子様だった。だから、そういった自分勝手なことをする人じゃなかったよ」
間違っても、人の生活の流れを乱すような人間じゃなかった。そんな反抗期の中学生のような人間では。
「優しかったのですか、あのマコトが」
「誰に対しても、等しく優しかったわ。むしろこっちの彼の方が刺々しさを感じるほど」
ここは平和な学校とは違うのだから、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが。
「そう、ですか」
低い声でそう言うと、なぜかナディア神官は俯いてしまう。釦は不思議に思いながら、鶏肉をフォークで刺した。最後の一口だ。
「恐らく」
「?」
「恐らく、それは私の、私たちのせいなのです」
私たちのせい、とはどういうことなのか。
「私たちは、マコトに対して本当に申し訳ないことをしたのです。それがどういうものなのかは、今は言えません。ですが、彼が私たちを嫌うのは至極当然のことなのです」
「申し訳ないこと?」
「いつかお話しします。今はまだ」
この白いローブを着た女性は、一体彼に何をしたのだろう。あの優美だった彼が傲慢な態度をとるようなことを、その名の通り正しさの象徴ともいえる彼を怒らせるようなことを、彼女たちはしたというのか。
想像がつかない。
けれど、今はまだ話せないというのなら、きっとどんなに問い続けても真相を聞くことはできないのだろう。釦はそう悟って、小さく頷いた。
「それにしても、遅いですね」
気を取り直して釦が言うと、ナディアもフォークを置いて「そうですね」と同意した。
「時間が定まっていないとはいえ、いつもはもう少し早く帰っているのですが」
そしてその言葉に釦はじわじわと不安になってくる。思い出話をしながら食事をしていた身で今更という感はあるが、そんな中で釦の級友は妖怪退治に出ているのだ。なにかあったのかも、という考えが彼女の脳内に侵食する。
「及川くんの部屋ってどこですか?」
「マコトのですか? それならここの2階に……」
「案内してくれますか? もしかしたら部屋にはいるかもしれないし」
「それはできますが、でも」
本人がこちらに来るまでは待っているのがいいのでは、と当然のごとくナディアは渋る。しかし、釦はなおも食い下がった。
「彼がいるかいないか、確認するだけでいいから。だって、怪我とかしてたら大変でしょう」
そう言うと、ナディアにも不安が伝播したらしく確かに、という呟きが返ってきた。
「少しだけ、彼の部屋をのぞいてみましょうか」
ごちそうさまでした、と二人で挨拶をして、居心地のいい部屋を後にした。
「ここ?」
「はい、ここが誠の部屋です」
ついた場所は釦に宛がわれた部屋のさらに奥の奥、薄暗くひんやりとした部屋だった。
「なんていうか……殺風景な場所だね」
釦の部屋とは大違いだ。日中でさえ日の光が当たっていないことを裏付けるかのように、冷たい空気が釦の肌を包む。清潔にされてはいるが、客人を通すような部屋とは思えなかった。
「……少し、事情がありまして」
と、ナディアは申し訳なさそうに言うが、だからといってその「事情」を教える気はないのが明らかだ。これも「今はまだ」の範疇なのだろう。釦は諦めて、目の前の扉を数度ノックした。
「及川くん? 帰ってる?」
しかし、大方の予想通り返事は返ってこず、虚しい沈黙だけが落ちる。
「入るよ」
「ボタン、それは」
ナディアの静止を気にも留めず、彼女はそのドアノブを掴みゆっくりと開け――。
「長谷川!」
部屋の中身がちらりと目に入ったと思ったら、凛とした涼やかな声に割って入られた。とっさに扉を閉める。釦のことを名字で呼ぶ人間なんて、この世界では一人しかいない。
「……及川くん」
心拍数が上昇する。
いたずらがばれてしまった子供のような様子で釦が肩をすくめると、誠は「どうしてここに」と問うてきた。
「帰りが遅いから、あの、ちょっと様子を……」
しどろもどろに説明を始める釦を、誠はどう思ったのか。突然彼女の頭を両腕で包み込んだ。
「心配してくれたのか。でも大丈夫」
そうして腕の力を強くする。そのせいで、彼が今どんな顔をしているのか、釦にはわからない。
「もう部屋に戻った方がいい。夜は危険だから」
拘束が解かれ、ゆるゆると顔を上げると、いつもの優しげな彼の微笑みにかち合った。王子様のような、あるいは保護者のような。けれど釦の心臓はいまだ警報を鳴らせ続けている。
おかしい、おかしい、なにかがおかしい。少ししか見えていないが、誠の部屋には、明らかに――。
どのような会話をしたのか記憶も曖昧なまま部屋に戻ったが、結局、釦はその夜、眠りにつくことができなかった。
「おはよう」
「おはようございます」
次の日の朝。朝食を一緒にとるために誠とナディアが釦の部屋を訪れた。ちなみに昨日は釦と誠だけで食べたのだが、今日からは彼女も参加するらしい。
「おはようございます」
「長谷川、顔色が悪いけど、昨日は眠れなかったのか?」
誠が釦の顔を覗き込みながら、頭を触ろうとする。が、釦はサッと一歩下がり、彼の白い手を避けた。
「ちょっと考え事をしてたの。ねぇ、及川くん」
「何?」
「朝食の後、少し時間あるかな」
「ある、けど」
「ちょっと聞きたいことがあるの」
そう釦が言うと、わかった、という短い答えが返ってくる。目線でナディアのことを指し、言外に彼女はどうするか、と聞かれるが、それには首を振っておいた。できれば二人だけで話がしたかった。
朝食はクロワッサンとコーンスープに、寝不足の目には少し色が痛い、青々としたサラダだった。正直食欲が湧かなかった釦は、半分ほど残して食器を置いてしまう。ナディアが口に合わなかったのかと心配そうに窺ってきたが、別にそういうわけではなかったので否定しておく。とてもおいしいのだが、彼女の意識はこの後話すことに向けられていた。
ナディアは神殿関係の用事で少し席を外すらしい。彼女が部屋を出て行ってから、誠が口火を切った。
「それで、話したいことって」
「及川くん、私ね」
と、そこまで言って、言葉が迷子になってしまう。見かねた誠が飲み物でも持ってきてもらおうか、と助け船を出すが、やんわりと断る。
「ううん、大丈夫」
もし、釦がこれから話すことが真実なのだとしたら。誠ばかりを頼っているわけにはいかないのだ。
「及川くん、私ね、17歳なの」
「?」
唐突に自己紹介始める釦を、誠は胡乱な目で見てくる。
「私は地元のS高校に通って、それなりに順調な生活していたの。中学生の時よりも、たぶん友達はできたと思うし、自分のものさしは大切にしていたわ」
「うん」
「うまく言えなくってごめんね。
それでね、誕生日に初めて友達からプレゼントをもらったりして、すごく嬉しかった。私は6月生まれだから、傘を貰って。ピンクのストライプで、大切に使っていたの。及川くんは何月生まれ?」
「4月だよ」
「そっか。じゃあ、私より早く17歳になったんだ」
そうだよ、と返す誠の目は、いまだ不思議そうな色を宿している。釦が何を言わんとしているのか、よくわからないといった目だ。
だったら。
「私、元の世界だと、17歳の高校2年生だったの。ねぇ、及川くん。
及川くんは、今、何年生なの?」
その釦の問いかけに、誠ははっと息をのむ。
そして、クスクスと笑い始めた。
「長谷川、どうしてわかったの?」
「ごめんね。昨日、扉の隙間から、元の世界の洋服が見えたの」
そう。昨日誠の部屋に行ったとき、一部だが見覚えのある洋服が見えたのだ。黒い洋服。あれは
「中学の時の制服、だよね」
釦がはっきりと断定すると、彼はそれこそいたずらがばれた子供の様に、曖昧な笑みを浮かべる。
「そうだよ。俺は、中学の卒業式の後、この世界に連れてこられた。だから、学歴を言うとしたら中卒だ。高校には通えなかったから」
ああ、としか思えなかった。ああ、やっぱり。彼は中学生でこの世界に連れてこられて、そして
「2年間も、一人で」
戦っていたのだ。
「そう。でも、その頃の俺は安直にも、こっちの時間軸は、元の世界の時間軸とはかけ離れてると信じてたんだ。無事に妖怪退治が終わったら、俺が中学3年生の現代に戻してもらえる、って。でも」
「違った。私が召喚されたからよね」
釦は高校の制服を身に着けて、こちらの世界にやってきた。ということは、二つの世界の時間の流れは同一で、何も変わらないということだ。1日こちらにいれば、現代でも時間がきっちりと進んでいる。
「長谷川に言おうと思ったけど、やめた。かえって不安を感じさせるだけだしね。やるべきことは他にある」
釦も、どこか甘く考えている節があった。その気になれば元の世界にひょいと戻してもらえて、周囲に何の違和感も感じさせずに、いつも通りの生活を続けることができると。けれど、それは違った。
今、自分の身の不幸さや彼を不憫に思うこと自由だ。その権利も時間も、二人にはあるだろう。それでも、現実はどうにもならない。変わってはくれないのだ。だから
「私たちが今やるべきことは、早く妖怪退治を終わらせるってことなのね」
誠が深く頷いた。
頼ってばかりでは、いけないのだ。
今回は少し早めに投稿できました。わーい。




