影女(かげおんな)2
今回は過去編です。
及川誠は、学校の王子様だった。
誰に対しても優しく、公平。盛り上がるけれど、騒がない。私情を挟まずに何に対しても真摯に取り組む姿は、中学生という自我と反発心の強い子供たちから見ると、ともすれば嫌味に映るかもしれない。しかし、彼は持ち前の美貌と不可侵の雰囲気で、そういった気持ちをことごとく奪っていった。誰かに取り繕うことをしない姿が、いっそう彼の正しさを強調しているように思えたのだ。生徒からも教師からも一目置かれる生徒。
及川誠は、強くて完璧な、学校の王子様だった。
「あ、長谷川さん。久しぶりだね」
文化祭から幾日か経ったある日のこと。釦が図書室で本を借りようと順番待ちしていると、背後から急に声を掛けられた。振り向くと美しい男が笑顔を向けていて、一瞬身動きが取れなくなる。
「あ……及川くん。本を借りに来たの?」
「いや、なんとなく暇つぶしに。長谷川さんは何か借りるの?」
「うん。これ」
そう言って表紙を見せると、「名前だけ知ってるよ」という返事がされる。映画化もされているイギリスのファンタジー小説は、釦がずっと読みたいと思っていたものだ。いつかいつかと思っているうちに、結局完結してしまった。
「これから家に帰って読むの?」
「ううん、家は……」
言葉を濁す釦に、賢い彼は何か気付いたらしい。「今日は生徒会がないもんね」と言い、続けて
「じゃあ、図書館で読むの?」
と聞いてきた。
今日は生徒会がない――つまり、あの美しい姉が家に帰っているということである。釦が家にいては不愉快だろうし、無意味に怒鳴り散らされるのも御免だ。そう思って、言葉を返す。
「そのつもりだよ」
「一緒にいてもいい? 俺も何か読んで帰りたいな」
まさか、大して仲良くもない(というより知り合ったばかりである)男子生徒にそのような誘いをされるとは思ってもみなかった釦は、眉根に皺を寄せる。そんな彼女を見て、誠は嫌がられたと思ったようだ。
「ごめん。急に、迷惑だったよね」
「いや、それは……でも、どうして?」
彼なら釦よりも仲の良い友達がたくさんいるだろうし、色々な生徒から人気だ。学内ヒエラルキーでも、最下層に位置する少女とわざわざ一緒にいる理由がわからなかった。
そんな釦の問いに、誠は笑顔で返した。
「俺は、できるなら誰かと一緒にいたくないんだよ」
「?」
それなら、釦はどうなのか。そう問いたかったが、ちょうど図書カウンターが空いたため、結局はうやむやになってしまった。
釦たちの中学校の図書館は、部屋が無駄に広く書籍数は一般的。とすれば読書スペースで場所を埋めるしかなく、椅子や机がいたるところに置かれていた。その中でも特に人目につかず、図書委員でさえも忘れてしまっているのではないかというスペースに、放課後になると釦は常駐していた。
「へぇ、こんなところがあったんだ」
釦がいつも使っているテーブルに荷物を置くと、隣から感嘆の声がもれた。
「よくこんなところ見つけたね」
「うん、偶々なんだけどね。ここ、辞書のコーナーの真後ろでしょう。あんまり辞書を借りに来る人もいないから、知られてないみたい。あんまり広めないでくれると嬉しいんだけど」
「誰にも言わないよ、約束する」
誠がこくりと頷いた。釦は安堵の息をつき、椅子に腰かける。
「ここはね、秘密の場所で……避難場所なの」
「避難場所?」
「うん。今日みたいに生徒会がない日は、家にお姉ちゃんがいるから。あの人は、なんていうか……私が部活にも入らないで、誰とも遊ばないで、家で本を読んでるのがすごく嫌みたい」
釦の姉、花純は、とても優秀な人間だ。誰とでも仲良くなれるし、運動をやらせれば、どんな競技でも他の人より頭一つ分優れた結果を残す。自分の意見をはっきり持っていて、それを従わせる統率力も備えていた。
彼女からすれば、友達も片手で数える人ほどしかおらず、運動もできない、決断力もない釦は見ていて歯がゆいのだろう。それなのに努力もせずに、毎日空想の世界にふけっている、と。どうして自分の妹がこんなに出来損ないなのよ、と言われたことも、何度もある。
だから、釦は姉には極力会わないようにしていた。その方がお互いの精神衛生上いいことはわかっていたし、両親もそれを勧めていたから。
「自分の好きなことをやるのが、そんなにいけないことなの?」
「いけない、とかそういうのじゃなくて、ただただ相容れないだけなんだと思うよ」
そう。恐らく釦たちが姉妹じゃなかったとしても、お互いに忌み嫌う仲だったのだろう。むしろ、姉妹だからこそ苛められることもなくすんでいるのかもしれない。
いわゆる「価値観の違い」。
「俺、長谷川……さんが」
「呼び捨てでいいよ」
「長谷川が、先輩と姉妹だったなんて知らなかった」
「長谷川っていう名字は割といるからね。それに、私もあの人もお互いに学校では口を利いてなかったし」
正確には学校でも、だが。
「そうなんだ」
「リーダーシップのあるあの人と、優柔不断な私に血のつながりがあるなんて、自分でも信じられないときがあるもん」
「よく見れば顔のパーツは似ているけど」
「それがわからないくらい、雰囲気に違いがあるってことなんだと思う。及川くんにはきょうだいはいるの?」
そう話題を変えると、妙な間があいた。不思議に思って目の前に座る少年を見遣る。すると、黒真珠のような瞳が零れんばかりに見開かれていた。が、すぐに普段の様子に戻って「下に妹が一人いるよ」と返される。
今のは、何?
見間違いだったのだろうか。疑問を口に出そうにも、彼の優しげな微笑みがそれを拒んでいるように感じてならず、結局口からは違う質問が出た。
「そうなんだ。いくつ?」
「3歳。結構年が離れてるんだ」
「及川くんに似てる? 名前は?」
「樹里。似てるかどうかは……わからないな。父親に似てるとは思うけど」
「及川くんはお母さん似なの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
「?」
そういう兄妹もいないことはないだろう。まして、性別が違い、年が離れているのならなおさらだ。そう勝手に自己解釈した釦は、話題が尽きたのを感じて手元の本に視線を落とす。
「そういえば長谷川はどんな本が好きなの?」
「ファンタジーが一番好きかな。今いる世界とは全く違う場所が舞台なの。及川くんは?」
「あんまり読まないからなあ。ミステリとかは割と好きなんだけど」
残念ながら、釦はミステリが好きじゃない。なぜなら
「人が死んじゃったら悲しくない?」
「推理が楽しいから、あんまり気にならないかな。長谷川は嫌い?」
「ハッピーエンドが好きなの。ご都合主義でも何でもいい。最後に登場人物が笑いあって、幸せな未来が想像できるような話が。だから、悲劇的な最期を遂げる主人公が出てくる物語は、いくらファンタジーでも読まない」
釦が今日借りた本だって、きちんと事前にあらすじは調べてある。額に稲妻型の傷を持った少年の話。ネタバレもあまり好きではないが、本を読んで不快な気分になるよりはずっといい。
「そういう考え方は面白いね」
「変?」
「ううん、そんなことはないよ。俺はあんまり想像力がないから、ファンタジーは苦手なんだ。はっきりとした描写がされてないとイメージが全く湧かない。そうじゃなくても、自分の考えていた情景と、本の中に書いてある背景描写が一致しなくて嫌になるし」
確かに、そういうことはままある。けれど
「それが楽しいんじゃない? たとえ間違ったまま読み進めていても、自分の作り出した世界に浸れるのがいい」
そう熱弁をふるうと、目の前の美少年はくすりと笑った。釦は、自分がいかに青臭いことを言っていたかに気付き、頬に熱がたまるのを感じる。
「あ……子供っぽい、よね」
恥ずかしさに俯くと、思ってもみなかった返事がかえってきた。
「いいんじゃない」
「え?」
「ファンタジーが子供向けとか、そういうのは別にして。一つのものさしをもって何かを選ぶのって、すごく難しいから。それが本に対してだったとしても」
そう言われてはっとする。
「ねぇ、長谷川。俺は、長谷川が優柔不断だなんて思わないよ。ちゃんと自分の価値観で判断してる」
まっすぐに見つめられて、釦は再び下を向いた。
「……それは、嬉しいと思うべきなのかな」
「少なくとも、自分を卑下する必要はないんじゃない」
でも、と誠は続ける。
「自分のものさしにそぐわないからって、排除してはだめだよ。先輩とは違う自分を大切にしているならね」
及川誠は、強くて優しい王子様だと、そう思っていた。けれど、この日を境に、釦は違う見解に辿り着いた。
及川誠は、誰にも与することのない、裁判官のようだった。
こうして少しずつ話をするようになった二人は、時々会って話をするようになった。けれど、それは図書室の中だけのこと。あの秘密の空間だけでのこと。だから、釦と誠がそこそこ話をする仲だったと知っている人は恐らく誰もいないだろうし、彼女としてもそれは好都合だった。無益な争いに巻き込まれるほど下らないことはない。
固定された場所で時々会話をするだけで、お互いに異性としての感情は全くなかったのだから。
誠が釦に魔法習得を勧めた理由が↑でした。
次回はすこーしだけ伏線回収をする……予定。予定だけはいつも立派。




