25. 大荒れの忘年会
登場人物
愛田紗綾 32歳急逝した夫・優弥の跡を継いで建築設計事務所の所長となった明るい性格で、人が良い
上原一誠 24歳設計意匠スタッフ新人密かに彩華と付き合うが秘密にしている
吉田忠司 38歳チーフ事務所の番頭格として、所長のサポート役に徹している
倖田彩華 28歳二番手デザイナー何事も、物怖じしない
河合美穂 31歳 有名アトリエ系事務所から中途採用、才色兼備で性格も明るい
東郷隼人 29歳 元ゼネコンの施管後、入所 一見真面目で固そうだが…
片山 千鶴 37歳 事務担当 しっかり者で抜けが無い
ー 片山 千鶴 ー
今週末は忘年会。
そのことを、私は今週に入ってから何度も皆に確認している。
別に、忘年会が嫌いなわけではない。
むしろ私は好きだ。
ただ、この事務所には、仕事を優先するあまり、忘年会の日程まで忘れる人がいる。
あるいは、
「すみません、現場から電話があって……」
などと言って遅刻してくる。
だから今年は、念を押しておくことにした。
「今週の金曜日、忘年会ですからね。午後六時半、研究学園駅の近くの店ですよ」
「分かってますって」
東郷さんが答える。
「一誠君も、分かってるわよね」
「はい。もうカレンダーに入れてあります」
「よろしい」
私はそう言ってから、隣の彩華さんを見た。
「彩華さんも忘れないでね」
「忘れないわよ」
「去年みたいに、仕事してて遅刻しないでくださいよ」
すると彩華さんは、少し笑って、
「去年遅れたのは、所長とチーフよ」
「え?」
「二人とも来なくて、始まる時間になっても誰も来ないの」
「……そうでしたっけ?」
「そうよ。私たち三十分待ったんだから」
そして、さらっと言った。
「それで二人くらい辞めたかな……」
「え?」
私は思わず彩華さんの顔を見た。
冗談なのか、本気なのか分からない。
彩華さんは時々、こういうことを平気な顔で言う。
「……冗談ですよね?」
「さあ」
そう言って笑った。
やっぱり、この人はよく分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
今年の忘年会の幹事は私。
そして、費用は事務所持ち。
だから、
「大体、費用は事務所持ちなんだから、忘れたり遅刻したりなんて、あり得ないわ」
私はそう言いながら、出欠表を確認した。
*
当日。
今年の忘年会は、研究学園駅近くの居酒屋だった。
私が幹事だったこともあって、皆、珍しく時間通りに席についた。
所長の挨拶から始まり、チーフの乾杯。
「それでは皆さん、今年一年、お疲れ様でした!」
「乾杯!」
グラスが一斉に上がった。
最初の三十分くらいまでは、普通だった。
最初の三十分くらいは。
今回参加しているのは、うちのスタッフだけではない。
構造設計事務所、設備設計事務所。
それに、普段から仕事で付き合いのある建設会社や工務店から、担当者や社長さんたちも来ている。
小鶴工務店の小島専務も来ていた。
全部で十五人。
まあ、よく集まったものだ。
そして、私には一つ気になることがあった。
今年は――。
女性が三人いる。
所長。
彩華さん。
そして、美穂さん。
しかも三人とも、普通に考えれば「美女」と呼んで差し支えない。
それを、施工店の男性陣が見逃すはずがなかった。
気がつけば、三人の周囲に男性が集まり始めている。
「いやあ、愛田さんのところは華やかですね」
「河合さん、東京の事務所ではどんな仕事を?」
「倖田さん、今度ぜひ一緒に……」
などと、あちこちからお世辞が飛んでいる。
三人とも、それを嫌がっている様子はない。
むしろ、それなりに楽しんでいる。
一誠さんと東郷さんと私は、少し離れた席で三人で飲んでいた。
私は、こういう時はあまり前に出ない。
仕事と同じ。
全体を見ている方が楽なのだ。
すると、最初にこちらへやってきたのは所長だった。
もう、かなり出来上がっている。
「三人とも、飲んでる?」
「飲んでますよ」
一誠さんが答える。
「ダメよ。三人でこんな暗い雰囲気で飲んでちゃ」
「暗いですか?」
「暗いわよ」
所長は笑っていた。
まあ、明るい酒だからいいのだけれど。
そして私と一誠さん、東郷さんに一杯ずつ注いだ。
「はい、飲んで」
「ありがとうございます」
「もう一杯」
「え?」
結局、一人二杯ずつ飲まされた。
「じゃあ、またね」
そう言って、所長は別の席へ行ってしまった。
私たちは顔を見合わせた。
「……所長、かなり飲んでますね」
東郷さんが言った。
「まだ序盤ですよ」
私は答えた。
「これからです」
すると、次に来たのが彩華さんだった。
これは少し困る。
事務所では有名なのだ。
彩華さんは、酒癖があまり良くない。
だから酒の席では、なるべく近づかない。
これは暗黙の了解になっている。
しかし、この日はもうかなり出来上がっていた。
「おい、一誠」
「はい?」
「飲んでる?」
「飲んでますよ」
「何飲んでんの?」
「ビールです」
「日本酒飲まないの?」
「まだです」
「日本酒飲みなさいよ」
「いや……」
「上原酒造の酒、あるじゃない」
彩華さんが一誠さんの肩を叩く。
「君の実家の大吟醸。あれはいい」
「ありがとうございます……」
一誠さんは、困ったような顔をしている。
私は笑いをこらえていた。
すると彩華さんが、突然こちらを向いた。
「片山さん」
「はい?」
「一誠君、今日は彩華が送っていきますから」
「え?」
一誠さんを見る。
「……はい」
小さな声で答えた。
私は心の中で、
――ご愁傷様。
と呟いた。
*
そして最後に来たのが、美穂さんだった。
私は、彼女がこんなに酒を飲むところを見るのは初めてだった。
「片山さん……」
「はい」
「ちょっと聞いてください」
声が妙に湿っている。
「どうしました?」
「私……男運が悪いんです」
「……はい?」
「本当に、最悪なんです」
そこから始まった。
過去の恋愛の話。
男を見る目がないという話。
自分では普通にしているつもりなのに、なぜか変な男性ばかり寄ってくるという話。
そして最後には、
「どうして私ばっかり……」
と、泣き始めてしまった。
――泣き上戸だった。
「美穂さん、大丈夫ですよ」
「片山さん……」
「はい」
「私、本当に男運が悪いんです……」
「分かりました。分かりましたから」
私は慰めながら、ふと横を見た。
一誠さんと東郷さんが、黙ってこちらを向いている。
聞いている。
間違いなく聞いている。
二人とも、ものすごく耳が大きくなっている。
――ダンボの耳。
まあ、無理もない。
こんな話を隣でされていたら、聞かない方が難しい。
*
一次会の最後は、チーフの三々一拍子で締めた。
「それでは皆さん、来年もよろしくお願いします!」
パン、パン、パン。
「ありがとうございました!」
そして、
「二次会、カラオケ行きましょう」
ということになった。
所長も行くという。
私も行くことにした。
ところが――。
この時点で、私はあることに気がついた。
所長。
彩華さん。
美穂さん。
三人とも――。
酒癖が悪い。
それに気づいた施工店の男性陣も、さすがに少し疲れたのか、
「今日はここで失礼します」
「また来年お願いします」
と、次々に帰っていった。
結局、二次会へ行ったのは七人。
所長。
チーフ。
彩華さん。
一誠さん。
美穂さん。
私。
そして、小鶴工務店の小島専務。
チーフは自宅が遠いので、すでに近くのビジネスホテルを予約していた。
「さすがチーフ」
私は思った。
こういうところだけは、妙に用意がいい。
残りは市内なので、それぞれ帰れる。
ただ、美穂さんは彩華さんのマンションに泊まることになった。
そして、私たちは近くのカラオケ店へ入った。
そこから先は――。
もう、何が何だか分からない。
所長はシティポップを歌い始める。
彩華さんはデュエットを要求する。
美穂さんは、さっき泣いていたのが嘘のように笑っている。
一誠さんは困った顔をしながら、彩華さんに引っ張られている。
東郷さんはいない。
……そうだった。
帰ったんだった。
小島専務だけが、最後まで比較的まともだった。
そして、気がつけば十二時を過ぎていた。
もちろん終電はない。
「じゃあ、ここで解散ね」
チーフはホテルへ。
彩華さん、一誠さん、美穂さんはタクシーで彩華さんのマンションへ。
小島専務は帰宅。
そして私と所長は、二人で所長のマンションへ向かった。
別に、変な意味ではない。
私たちは――。
飲み直すだけだ。
*
所長のマンションに着くと、所長が冷蔵庫から上原酒造の大吟醸を出してきた。
「片山さん、まだ飲める?これ一誠君ちのお土産」
「もちろんです」
「じゃあ、もう一杯だけ」
「はい」
私はグラスを受け取った。
そういえば、言い忘れていた。
この事務所で飲み比べをしたら――。
所長と私が双璧だと思う。
彩華さん?
あの人は酒量が多いだけ。
私たちは違う。
飲んでも崩れない。
少なくとも、私はそう思っている。
所長がグラスを掲げた。
「じゃあ、今年もお疲れ様」
「お疲れ様でした」
グラスが軽く触れた。
そして私は思った。
――この事務所、来年も大丈夫かしら。
まあ。
たぶん、大丈夫だろう。
この人たちなら。
そう思いながら、私はもう一口、大吟醸を飲んだ。




