24. 梅林のアトリエは三人の共作
ー 一誠 ー
十二月になった。
梅林のアトリエの現場は、順調に進んでいた。
梅雨の時期とは違って、この頃になると雨の日も少なく、現場にとってはありがたい季節だ。
RC造の躯体工事はほぼ終わり、いよいよ二層目の木造架構に入っていた。
この建物は混構造になっている。
一階から二階にかけてはRC造の壁を立ち上げ、その上に片流れ屋根を持つ木造架構を載せる。
今日は、その木造部分の建て方の日だった。
現場にはクレーン車が入り、大工さんも十人ほど集まっている。
最近の木造住宅は、工場でプレカットされた部材を現場で組み立てることが多い。
けれど、今回の建物については、所長がどうしても譲らなかった。
「丸太梁を使いたい」
その一言で、手加工のできる大工さんを探してもらった。
そして、棟梁が自ら丸太梁を加工してくれた。
機械加工された均一な部材とは違い、丸太には一本一本違った表情がある。
それをどう見せるかも、今回の設計の重要なところだった。
朝から、棟梁の指揮で建て方は順調に進んでいた。
先ほどまで所長も現場に来ていた。
しかし、
「ちょっと別の用事があるから、先に戻るわね」
と言って、事務所へ戻っていった。
その後、僕は現場に残っていた。
そして――。
所長と一緒に来た河合美穂さんは、そのまま見学すると言い残った。
二人で、クレーンが丸太梁を吊り上げる様子を、下から見上げていた。
「……あの2階のスラブから見る景色は、さぞ素敵なんでしょうね」
美穂さんが、独り言のように言った。
僕も上を見上げた。
まだ完成していない二階のスラブ。
その先には、筑波山系の山並みが広がっている。
「ええ」
僕は答えた。
「特に夕方が綺麗ですよ。筑波山系の尾根に夕日が沈むんです」
「今日、見られるかしら?」
「この分なら、日没までには終わると思います」
少し考えてから、僕は言った。
「工事が終わったら、上に上がって見てみますか?」
「ええ」
美穂さんは笑った。
「楽しみだわ」
その笑顔を見ていると、何となく胸がドキドキした。
最近、美穂さんと一緒にいると、どうも落ち着かない。
いや――。
正確に言えば、落ち着かないというより、妙に意識してしまう。
彩華と一緒にいる時とは違う。
彩華とは、長く一緒に仕事をしているし、言いたいことも言える。
時には喧嘩もする。
でも、美穂さんといる時は、なぜか少し緊張する。
自分でも、その理由がよく分からなかった。
先月の会津若松では、彩華の酒乱に付き合わされて、かなり参った。
そのこともあって、僕は最近、美穂さんとは少し距離を取るようにしていた。
ところが昨日のことだった。
美穂さんから、
「私も梅林のアトリエの現場、見てみたい」
と言われた。
僕は、ほとんど考えずに、
「いいですよ。明日ちょうど建て方ですし、僕も所長も行くので一緒に行きましょう」
と答えてしまった。
その瞬間だった。
向こうから、ものすごく怖い顔をした彩華がこちらを睨んでいた。
しまった。
そう思った僕は、慌てて、
「彩華さんも、どうですか?」
と声を掛けた。
すると、
「明日は上原酒造の建て方検査なの!」
「……はい」
「私が行けるわけないでしょ!」
「……ですよね」
彩華は、それ以上何も言わなかった。
吉田さんと東郷さんは、何も見なかったような顔をして仕事をしていた。
あの二人、絶対に気づいている。
*
夕方。
建て方が終わった。
クレーン車が引き上げ、大工さんたちも道具をまとめて帰っていく。
現場が急に静かになった。
僕と美穂さんは、二階のスラブへ上がった。
「階段やスラブは、まだ打ち放しのままなので、足元に気をつけてください」
「はい」
美穂さんは慎重に階段を上がった。
そして二階へ出ると、しばらく周囲を見渡した。
「……久しぶりに現場に来たわ」
「そうなんですか?」
「ええ。やっぱり現場はいいわね」
「そうですか」
「何だか、気が晴れる」
「それなら、良かったです」
僕たちは、出来上がったばかりのスラブの先へ歩いていった。
さっきまで大工さんたちが組んでいた木材から、独特の香りが漂っている。
新しい木の匂い。
「何の木なの?」
美穂さんが梁を見ながら聞いた。
「柱はヒノキです。丸太梁は地松。平角はベイマツの集成材です」
「丸太梁なんて、新築では珍しいわね」
「最近は、あまり見ないですね」
僕は丸太梁を見上げた。
「今回は手加工なので、棟梁にお願いしたんです」
「なるほど」
美穂さんは丸太梁をしばらく見つめていた。
「丸太の皮を剥いただけの表情がいいわね」
「ええ。僕も好きです」
そして、美穂さんは周囲を見渡した。
「それに、この両側のRC壁と木造架構の対比がいいわ」
「そうですか?」
「ええ」
僕を見る。
「これ、一誠さんのデザインでしょう?」
「……まあ」
「凄いわ」
そう言われると、悪い気はしない。
むしろ――。
かなり嬉しい。
美人の設計者から、自分の設計を褒められる。
設計者として、これほど嬉しいことはない。
「いや、それほどでも……」
と謙遜した、その時だった。
下から、
「ゴホン」
と、わざとらしい咳払いが聞こえた。
僕は振り返った。
誰かが階段を上がってくる。
そして、その姿を見て――。
「あっ……」
思わず声が出た。
彩華だった。
しかも、ものすごく厳しい顔をしている。
「……どうして?」
「どんな感じかなと思って」
彩華は階段を上がりながら言った。
「会津の帰りに寄ってみたけど……」
そして、僕と美穂さんを交互に見る。
「なんか、お邪魔だったかしら?」
嫌な予感しかしなかった。
「あら、彩華さん」
美穂さんは、そんなことには気づかない様子で笑った。
「お疲れ様です」
「どうも」
「今、一誠さんにデザインのコツを聞いていたんですよ」
「……そう」
彩華の声が、少し低くなった。
「いや、デザインというか……」
僕が慌てて説明しようとすると、
「そうだよ。今、木材のことを――」
と言いかけた。
しかし、最後まで言わせてもらえなかった。
「ふん」
彩華が鼻を鳴らした。
「どうせ自分だけでデザインしたみたいに話したんでしょう」
「えっ?」
美穂さんが僕を見る。
「これって、一誠さんのデザインじゃないんですか?」
「いや……」
僕は言葉に詰まった。
すると彩華が、少し意地悪そうに笑った。
「まあ、そういうことになってるけど」
「彩華さん……」
「所長も私も、いろいろヒントを出したし、手も入れてるのよ」
そして、ツインのRC壁を見渡した。
「だから、正確には三人の共作ね」
「三人の……」
美穂さんが驚いた顔をした。
「そうだったんですか?」
「ええ」
彩華は、少し得意そうだった。
「一誠一人で全部考えたわけじゃないのよ」
僕は、何とも言えない顔で二人を見た。
確かに、彩華の言う通りだった。
梅林のアトリエは、僕が最初に案を出した。
でも、そこから所長と彩華との打ち合わせを何度も重ねた。
ツインのRC壁をどう立ち上げるか。
木造部分をどう載せるか。
光をどう取り込むか。
屋根をどう見せるか。
そして、所長の自邸として、どんな空間にするか。
その過程で、二人から何度もアドバイスや意見をもらった。
だから、「僕のデザイン」と言い切るのは、確かに違う。
ただ――。
美穂さんに褒められて、少し調子に乗っていたのも事実だった。
「……そうですね」
僕は苦笑した。
「三人の共作です」
彩華は、それを聞いて少しだけ満足そうな顔をした。
美穂さんは大切なものを見るように、もう一度建物を見渡した。
「なるほど……」
そして、ぽつりと言った。
「だから、こんなにバランスがいいんですね」
「……え?」
僕と彩華が同時に美穂さんを見る。
美穂さんは、二人の顔を見て笑った。
「一人だけのデザインじゃなくて、三人の考えが入っているから」
そう言われると、彩華は少し照れたように視線を逸らした。
僕は何となく、夕方の山並みを見た。
もうすぐ日が沈む。
山の向こうへ沈みかけた太陽が、出来上がったばかりの木造架構を赤く照らしていた。
三人の設計。
そう言われて、僕は改めてこの建物を見た。
最初は自分の作品だと思っていた。
でも、こうして出来上がってくると――。
確かに、この建物には僕だけでは作れなかったものが、いくつもある。
僕は、少しだけ誇らしい気持ちになった。
そしてその横で、彩華が小さく呟いた。
「……まあ、悪くないけどね」
その言葉とは裏腹に、彩華の顔は少し嬉しそうだった。




