↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/28

23. 彩華の悪酔い

ー 紗綾 ー


十一月になった。


河合美穂さんの一件も、ようやく落ち着きを取り戻していた。


あれ以来、事務所の周辺で不審な男を見かけることもなくなったし、無言電話も掛かってこない。


美穂さん自身も、少しずつ事務所の雰囲気に馴染んできていた。


そして、何より驚いたのは、彼女の仕事の速さだった。


所長である私の知人から紹介された、古河市の幼稚園の新築工事。


美穂さんに担当してもらったのだが、なんと二週間ほどで基本計画と基本設計をまとめてしまった。


最初は、


「まあ、最初だから少し頑張ったのね」


くらいに思っていた。


ところが、上がってきた図面を見て、私もチーフの吉田さんも、そして他のスタッフも驚いた。


早いだけではない。


内容が面白いのだ。


斬新で、しかも幼稚園という用途をよく考えている。


平面は、二つのドーナツ状の園舎をつないだような構成。


そして、その屋上にも園庭を設ける。


地上から緩やかなスロープで上がっていき、そのまま屋上園庭へつながる。


子供たちが走り回る姿が、図面を見ているだけでも想像できる。


「これ、いいわね」


私は素直にそう言った。


美穂さんは少し照れながら、


「ありがとうございます」


と笑った。


プレゼン用の模型を作ることになった。


当然、一誠も駆り出された。


私も所長室から時々様子を見ていた。


ある時、模型を作っている二人のところへ行くと、一誠が美穂さんに聞いていた。


「美穂さん、幼稚園って設計したことあるんですか?」


「いえ、初めてよ」


「えっ、初めて?」


「うん。だから、気に入ってもらえるか少し心配なの」


そう言って笑う。


長い髪を後ろでまとめ、薄化粧をした美穂さんは、仕事中でもやはり綺麗だった。


そして一誠も、何となく楽しそうにしている。


その二人を見ていたら――。


背後から、何となく冷たい空気が流れてきた。


振り返ると、彩華だった。


「この模型、楽しそうね……」


「彩華さん?」


「私も手伝っていいかしら?」


もちろん、断る理由などない。


「はい、お願いします」


美穂さんが、彩華に丁寧に答えた。


それがまた、少し新鮮だった。


彩華より三つ年上なのだから、当然と言えば当然なのだけれど。


彩華は、模型の一部を見ながら、


「このカーブ、難しそうね。私がやる」


と言って、スチレンボードを切り始めた。


ところが――。


「あれ?」


どうもうまくいかない。


「ちょっと貸して」


一誠も横から手を出した。


「こうかな……」


しかし、こちらも上手くいかない。


「うーん……」


二人で悪戦苦闘していると、美穂さんが、


「私、やってみます」


と言った。


スチレンボードを受け取り、カッターを滑らせる。


すると――。


綺麗な曲線が、すっと現れた。


「おお……」


一誠が感心したように声を上げた。


「いや、どうも。模型も綺麗にできますね」


その言葉は、本人には単なる感想だったのだろう。


でも、私には、ほんの少しだけお世辞にも聞こえた。


そして――。


「あっ!」


一誠が突然、声を上げた。


見ると、彩華が一誠の足を蹴っていた。


「何するんだよ!」


「知らない」


彩華は、何食わぬ顔をして模型を見ていた。


私は思わず笑いそうになった。


ああ、なるほど。


そういうことなのね。


*


週末。


私と美穂さんは、古河の幼稚園の施主へのプレゼンに出掛けた。


結果は――。


一発で決まった。


施主は模型を見た瞬間から興味を示し、計画の説明にも熱心に耳を傾けてくれた。


最後には、


「ぜひ、この案でお願いします」


と言ってくれた。


プレゼンが終わると、施主のご厚意で食事までご馳走になった。


事務所へ戻って、その話をスタッフにすると、


「おお!」


「やったじゃないですか」


と、皆が喜んだ。


ただ、一人だけ。


彩華の表情が、どうも冴えない。


私は何も言わなかった。


たぶん、今まで事務所の中では、自分が一番若い女性スタッフで、ある意味「事務所の華」のような立場だった。


そこへ、三十一歳の美人で、しかも仕事ができる女性が入ってきた。


そして、その美穂さんの隣に一誠が行くと、何となく嬉しそうに話している。


彩華にとって、面白くないのだろう。


私は、そんなふうに思った。


そして、その予想は外れていなかった。


数日後の夜。


一誠と彩華がLINEでやり取りしていたらしい。


後から一誠に聞いた話だが、こんな会話だったそうだ。


<最近、一誠さ、美穂さんとよくしゃべってない?>


<ええ、そんなことないよ>


<今日も嬉しそうに何話してたの?>


<何話してたかな>


<二人で笑ってたよ>


<ああ、梅林のキッチンの周りの納まり、聞いてね>


<納まり、それであんなに笑うの?>


<美穂さんが自分の失敗談を話してくれたんだ>


そして彩華が、


<聞く>


一誠が、


<聞かない>


そこで、LINEは終わったらしい。


どうやら一誠は、梅林のアトリエの実施設計で、細かな納まりについて美穂さんに聞きに行くことがあるらしい。


それ自体は何も悪いことではない。


むしろ、美穂さんは経験豊富なのだから、分からないことを聞くのは当然だ。


ただ――。


彩華や東郷さんがいる時には聞かず、二人が席を外している時に美穂さんのところへ行くらしい。


それが、どうにも彩華には気に入らないようだった。


私は、少し心配になった。


吉田さんも同じだったと思う。


あの事件があっただけに、美穂さんには余計なトラブルを起こしてほしくない。


ただ、今のところは何も問題はない。


他のスタッフとも仲良くやっている。


仕事は早い。


設計のセンスもある。


何より施主の受けがいい。


だからこそ、


「このまま何事もなく、うまくやっていってくれればいいのだけれど」


私は、そう思っていた。


*


十一月も半ばになり、彩華が担当していた上原酒造の実施設計が、ようやくまとまった。


施工は地元の建設会社による相見積もりで決めることになった。


そして今日は地鎮祭。


私と彩華、それから施主の息子ということで一誠の三人で、会津若松へ向かうことになった。


行きは私のM5。


帰りは彩華が運転することになった。


つまり、彩華は飲まない。


そういう約束だった。


ところが――。


結果から言うと、一番飲んだのは彩華だった。


*


地鎮祭が終わり、上原酒造の皆さんと食事をしている時だった。


私は最初から少しだけ酒を口にしていた。


一誠も飲んでいる。


そして、彩華は運転手だから飲まない。


そのつもりだった。


ところが、一誠の父親の穣さんが彩華に酒を勧め始めた。


「彩華さん、まあまあ、少しだけならいいでしょう」


「いえ、私、帰り運転するので……」


「まあ、まあ。一杯くらい」


「でも……」


「せっかく会津まで来たんだから」


一誠が慌てて、


「父さん、彩華は運転だから飲ませないでよ」


と言った。


しかし、


「少しくらいなら大丈夫だろう」


と穣さん。


そして彩華も、


「……じゃあ、少しだけ」


と受けてしまった。


私は一誠と顔を見合わせた。


「まずいわね」


「はい」


そう言っているうちに、私たちもすでに酒を口にしている。


これでは、帰れない。


急遽、ホテルを取ることになった。


一誠は実家に泊まる。


私と彩華はホテル。


そういうことになった。


ところが一誠に送られてホテルに着いてみると、彩華が、


「所長……」


と言った。


「何?」


「もう少し……飲みません?」


「まだ飲むの?」


「はい」


私は彩華の顔を見た。


目が、少し据わっている。


これは相当溜まっているな。


そう思った。


結局、私たちはホテルのバーへ行くことになった。


そして、そこで――。


彩華の堰が切れた。


「所長……」


「はい」


「私、最近ですね……」


すでに、所長と部下という立場をかなり忘れている。


「少し、溜まってるみたいで……」


私はグラスを置いた。


「そうみたいね」


そして笑った。


「今日は聞いてあげるわよ」


「いいでしょ。話しましょう」


彩華は、完全に普段の彩華ではなくなっていた。


そして、いきなり本題に入った。


「あのバカが、最近、美穂さんにいろいろちょっかい出してるんです」


「おいおい」


一誠が抗議する。


「僕は何もしてないよ。納まりを聞いただけですよ」


「それも、私や東郷さんがいない時に、わざわざ聞きに行くんですよ!」


「だって……」


「どう思います、所長?」


私は少し考えた。


「そうね……」


そして一誠を見る。


「知らなかったわ」


「ほら!」


彩華が嬉しそうに言った。


「それはいけないわね」


「ですよね!」


「ちゃんと彩華に聞かないとね」


「そうですよ!」


彩華は満足そうだった。


「さすが所長、分かってる!」


そして一誠を振り返る。


「おい、お前。聞いたか? そうなんだぞ」


「はい、はい……」


一誠は諦めたように答えた。


「分かりました。これから先輩に聞きに行きます」


「そう、それでいいの!」


彩華は、満足そうに酒を飲んだ。


私は思わず笑ってしまった。


彩華は、仕事ではあれほど強気なのに、酔うと実に分かりやすい。


そして――。


それからも、彩華の愚痴は延々と続いた。


美穂さんのこと。


一誠のこと。


最近の仕事のこと。


自分の設計のこと。


気がつけば、話題は次から次へと飛んでいく。


「所長、私だって頑張ってるんですよ……」


「うん、知ってるわ」


「なのに、あいつは……」


「うんうん」


「それで、美穂さんが……」


「はいはい」


一誠と私は、もう途中から相槌を打つだけになっていた。


やがて彩華は、グラスを握ったまま、テーブルに突っ伏した。


「……もう、知らない」


「寝た?」


一誠が小声で聞いた。


「たぶんね」


私は笑いながら答えた。


「彩華、相当溜めてたのね」


「みたいですね」


一誠は苦笑した。


私は、眠ってしまった彩華の顔を見ながら思った。


この子は、強そうに見えて、案外繊細なのだ。


そして、一誠のことになると、どうしてこうも分かりやすくなるのだろう。


私はグラスに残った酒を一口飲んだ。


会津の夜は、思ったより長くなりそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。