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17. 所長としての立場 

ー  紗綾 ー



一誠の実家である上原酒造との設計契約を正式に交わすため、私は彼と二人で会津若松へ日帰り出張することになった。


本当は彩華に行ってもらってもよかったのだが、今回は契約書への署名もあるので私が行くことに。


所長として、私自身が行くべきだと思ったし、一度現場を見たり彼のご両親に会う良い機会だと思ったからでもある。


朝、事務所へ行き、一誠を拾う。


私の好きなラッキーカラーのディープブルーのBMW M5に乗り込み、常磐道を北へ向かった。


運転は私。


一誠は助手席で、少し緊張しているようだった。


日立PAで休憩したとき、


「一誠、ここからはあなたが運転して」


と言った。


「えっ、はっ…はい」


そこから運転を交代した。


ハンドルを握る一誠は、妙に真面目な顔をしていた。


私は助手席で、ぼんやり外を眺めていた。


しばらくして、ふと思った。


今日は一誠の実家へ行く。


そう考えると、何となく不思議な気持ちになった。


「ねえ、一誠のお父さんって、どんな方なの?」


「どんなって……」


一誠は少し考えた。


「どこにでもいる頑固者です」


「ふふ」


「特に酒造りでは、一切妥協しません。命かけてますね、あれは」


「そう……素敵な方ね」


「いや、単なる頑固もんです」


「そうかしら」


私は笑った。


一誠は、父親のことを話すときだけ、少し子供っぽくなる。


そんなことを思った。


そして、つい聞いてしまった。


「ところで……彩華とはどうなっているの?」


「え?」


一誠の声が裏返った。


「もう、寝てるの?」


「……え?」


一誠が動揺した。


そして、ハンドルが左右に揺れた。


M5が蛇行しライン上を左右に移動した。


身体も左右に振られた。


「きゃー!」


思わず私は叫んだ。


「す、すいません!」


一誠が慌てて頭を下げる。


「いいから、前見て!」


「はい!」


「気をつけて運転して」


「……はい」


私は少し黙った。


「悪かったわ。私も変なこと聞いて……」


一誠はそれ以上何も言わなかった。


会津若松には午前十時半頃に着いた。


上原酒造へ入り、社長に挨拶をする。


建物を一通り見せてもらった。


煉瓦造りの倉庫。


丸太梁の架構が7,8段はある母屋。


麹の香りがする大きな樽が並ぶ醸造所。


長い時間を積み重ねてきた建物だった。


新築ではなく、この古い倉庫・建築群をどう生かすか。


設計者としても興味深い仕事だと思った。


その後、設計契約を正式に交わした。


夕方になると、


「今日は一席設けておりますから」


と誘われた。


地元の料亭だった。


「帰りは一誠が運転するんでしょう?」


彼の父親はそう言うので、素直に酒を受けた。


そして――。


出てくる。


出てくる。


上原酒造、自慢の酒が次々に出てくる。


大吟醸。


純米。


山廃。


さらに、新しく造ったという麦焼酎まで。


「これは自信作なんですよ」


「そうなの?」


私は杯を受けた。


私は酒には強い方だ。


事務所でも、酒豪だと言われる。


だから、最初は何も考えていなかった。


一杯。


二杯。


三杯。


気がつけば、かなり飲んでいた。


それでも勧められれば断らない。


そして二次会。


さらに三次会。


会津の夜は、長かった。


気がついたときには、もう11時を過ぎていた。


「今日は市内のホテルに泊まりましょう」


一誠がそう言った。


私は反論しなかった。


ホテルに着く。


一誠がフロントでカードキーを受け取る。


私は歩いているつもりだった。


でも、どうやらまともに歩けていなかったらしい。


「所長、大丈夫ですか?」


「…大丈夫よ…」


「大丈夫じゃないですよ」


一誠が私の肩を支える。


そのまま部屋まで連れて行かれた。


ベッドに腰を下ろした。


頭がぼんやりする。


こんなに酔ったのは、いつ以来だろう。


たぶん初めてだった。


私は一誠を見上げた。


「ねえ、一誠」


「はい」


「こんな私のこと見て、どう思ってる?」


一誠は黙っている。


「女一人で生きるって、大変なのよ」


「……」


「分かる?」


「……はい」


本当に分かっているのかしら。


私は笑った。


「いやいや、そういう意味じゃなくて」


「え?」


「女として、どうかって聞いてるのよ」


「……」


一誠は困った顔をした。


そして、少し考えてから言った。


「だから……素敵な人だと」


「……ふっ」


何だか可笑しかった。


「そう」


自分でも、何を言っているのか分からない。


私は一誠に絡んでいた。


――私は、絡み上戸だったのか。


そんなこと、自分でも知らなかった。


「ねえ」


「はい」


「このキツいブラウス……脱がしてくれる?」


「所長」


一誠の顔が固まった。


「今日は悪酔いしてますよ」


「何言ってるのよ……」


立ち上がろうとした。


「うっ……」


急に気持ち悪くなった。


「ト、ト、トイレ……」


「えっ?」


一誠が慌てて私の身体を支えた。


何とかトイレまで連れて行ってもらった。


しばらくして、一誠に肩を支えられながらベッドへ戻った。


倒れるように横になる。


その後のことは、あまり覚えていない。多分そのまま眠った。


翌朝。


目が覚めた。


頭が重い。


天井を見て、しばらく考えた。


――会津。


――契約。


――料亭。


――酒。


そこまでは覚えている。


その先が、ところどころ抜けている。


私はゆっくり起き上がった。


わたしを見ている一誠がいる。


彼は何も言わない。


私は聞くのが怖かった。


「……昨日、私、何か変なこと言った?」


「……」


「言った?」


「まあ……少し」


「どんな?」


一誠は困った顔をした。


「忘れてください」


「……」


それ以上、私は聞かなかった。


昼過ぎにつくばへ戻った。


事務所へ入る。


何となく、空気が変だった。


よそよそしい。


私はそのまま所長室へ入った。


片山が一誠に小声で聞いた。


「昨夜は、大変だったの?」


一誠は苦笑いをした。


「とても……」


声には出さず、口だけを動かした。


「所長の悪い癖ね」


皆が一誠と片山を見る。


「一年に一度くらい、やるのよ」


彼女は笑った。


「気にしないで」


すると、設計室に漂っていた妙な緊張が、一気にほどけた。


「なんだ、そういうことか」


「よかった……」


「所長、またやったんですか」


そんな声が聞こえる。


彩華も向こうで下を向いて、苦笑いしていた。


私は所長室へ入り、ドアを閉める。


一人になったところで、ようやく息を吐いた。


昨日のことを思い出そうとする。


一誠に何を言ったのか。


どこまで覚えているのか。


……考えたくない。


私は机の上の契約書を見た。


今日から、上原酒造の仕事も正式に始まる。


所長として。


設計事務所の責任者として。


やるべきことは、いくらでもある。


私は背筋を伸ばした。


そして、いつものように仕事を始めた。



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