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16. 会津若松からの依頼

登場人物 

愛田 紗綾 32歳 急逝した夫・優弥の跡を継いで建築設計事務所の所長となった 明るい性格で、人が良い

上原 一誠 24歳 設計意匠スタッフ 新人 密かに彩華と付き合うが秘密にしている

倖田 彩華 28歳 二番手デザイナー 何事も、物怖じしない

吉田 忠司 38歳 チーフ 事務所の番頭格として、所長のサポート役に徹している

東郷 隼人 29歳 元ゼネコンの施管後、入所 一見真面目で固そうだが…

片山 千鶴 37歳 事務担当 しっかり者で抜けが無い

ー 一誠 ー


四月も中旬を過ぎたというのに、彩華の態度は相変わらず冷たかった。


よそよそしい。


休日にLINEで誘っても、既読がつくだけで返事がない。


一誠には、その理由が何となく分かっていた。


あの「後継者」の話だ。


もっとも、あれから所長と何かあったわけではない。


何もない。


本当に何もない。


だが、彩華にはそれが信じられないらしい。


一方、僕は梅林のアトリエの案を進めていた。


二ヶ月近く中断していたので、以前の案を思い出すところから始めた。


それでも、ようやくエンジンが掛かってきた。


これまでに五案を作った。


分散型配置。


敷地の高低差を利用して階段状にステージを作る案。


列柱を建て、その上にスラブを載せる案。


その他にも、構造や動線を変えた案をいくつか試している。


それぞれスタディ模型も作った。


ミーティングルームの大テーブルは、今や模型で三分の二ほど占領されている。


誰かが打ち合わせをしようとすると、まず模型をどかさなければならない。


「一誠、これ邪魔」


彩華に何度も言われているが、片付ける気にはなれなかった。


そんなある夜だった。


会津若松の実家から、母親の電話が掛かってきた。


「今年のゴールデンウィークは帰ってくんの?」


「うん、たぶん」


「正月も帰って来なかったべ」


「仕事だったから」


「仕事、仕事って……」


いつもの繰り言が始まった。


しばらく聞いていると、母親が突然、


「ああ、そうそう」


と言った。


嫌な予感がした。


「今度、醸造所にショールーム兼事務所を新築することになってな」


「へえ」


「お前の事務所で設計できねえか?」


「……」


「お前、建築の仕事してんだべ?」


「してるけど……」


「なら頼めねえか?」


電話を切ったあと、僕はしばらく考えた。


翌朝、所長に相談した。


「分かりました」


所長はあっさり言った。


「ご依頼をお受けしますと、お母様に伝えて」


「あ、はい」


「で、一誠が担当する?」


「いえいえ!」


僕は慌てた。


「梅林で一杯一杯です」


「そう」


所長は少し考えた。


「じゃあ、彩華を呼んで」


「え?」


ほどなくして、彩華が所長室へ入ってきた。


「何ですか?」


所長は僕と彩華を交互に見た。


「彩華さん、一誠君の実家の案件を担当してくれる?」


「……はぁ?」


明らかに嫌そうな顔だった。


「どうもショールームと事務所の新築みたい」


「……」


「来週……ああ、もうゴールデンウィークね」


所長はカレンダーを見る。


「じゃあ、一誠君は帰省するの?」


「はい。帰ってこいと言われてますので」


「じゃあ、その時彼と一緒に行って、挨拶とヒアリングをしてきてくれる? 私は予定があるので」


所長は何の悪びれもなく言った。


「……はい」


「あと、代休はちゃんと取ってね」


「……はい」


いつもながら、スタッフの都合などお構いなしに、所長は物事を決めていく。


製図室へ戻ると、彩華が僕を問い詰めた。


「何なの。一誠の実家の仕事って」


「だから、今説明したじゃないですか」


「どうしてあなたの実家から仕事が来るのよ」


「知らないですよ」


「本当に仕事?」


「本当です」


「女の人からじゃないでしょうね」


「母親ですよ!」


結局、彩華に納得してもらうまで二十分掛かった。


その夜。


帰宅した僕のスマホに、彩華からLINEが来た。


〈あなたの実家に一緒に行くのは仕事で行くので、恋人とか、そういうのじゃないからね〉


僕は少し考えて、


〈了解〉


とだけ返した。


すると、すぐ電話が掛かってきた。


「もしもし」


「あれから、所長とはどうなっているのよ」


「別に」


「何にもないの?」


「ないよ」


「ふぅーん……」


それだけ言って、電話は切れた。


何だったんだろう。


ゴールデンウィーク。


僕のB4は、磐越道を西へ向かって順調に走っていた。


天気は良かった。


高速道路を走る車の流れも、それほど悪くない。


ただ、車内の会話は弾まなかった。


彩華が窓の外を見ながら言った。


「打ち合わせが終わったら、私は市内のビジネスホテルに泊まるから」


「うちに泊まればいいじゃない」


「嫌よ」


「宿泊代も浮くし」


「領収書どうするのよ」


「友達にホテル勤めてる奴がいるから、領収書貰うよ」


彩華が呆れた顔をする。


「馬鹿じゃない?」


「何で?」


「それ、横領じゃない」


「……そうかな」


「そうよ」


会話は、それで終わった。


やがて会津若松市内に入り、僕の実家の前に車を止めた。


彩華が車から降り、建物を見上げた。


漆喰と黒い下見張りの外壁。


赤瓦の切妻屋根。凍結を防ぐために、この地方では良く赤瓦を葺くのが伝統でもある。


軒下には杉玉が下がっている。


「ねえ」


「はい?」


「建物、古くない?」


「古いよ」


「どのくらい?」


「棟札には嘉永三年ってあった」


「嘉永三年……何年前よ?」


「一八五〇年かな」


彩華がすぐに暗算した。


「百六十七年前じゃない」


「計算、速いですね」


「建築士ですから」


僕は玄関を開けた。


「ただいまー」


「倖田さん、つっちきたー!」(倖田さんを連れてきた。)


奥から母親の声がする。


彩華が慌てて僕の後ろから入ってきた。


そこからが大変だった。


両親。


兄弟。


親戚まで顔を出した。


「彩華さんっていうの?」


「一誠とはどこで知り合ったの?」


「同じ事務所?」


「いつから付き合ってんの?」


「結婚は?」


次々と質問が飛んでくる。


しかも、会津弁だ。


彩華は途中から、何を聞かれているのかさえ分からなくなっていた。


肝心の新築の話を切り出す隙など、どこにもなかった。


そのうち料理が運ばれ、酒が出てきた。


「彩華さん、飲まんしょ」


「いえ、私は……」


「まあまあ」


「どうぞどうぞ」


結局、彩華は勧められるまま杯を重ねた。


気がつけば夜の九時を過ぎていた。


「じゃあ彩華さんは、奥の座敷で寝てがんしょ」


母親が言う。


「もう布団さ、敷いてありまっしょ」


「え……」


彩華は僕を見る。


僕は肩をすくめるしかなかった。


「すみません」


「いいのよ」


そう言って、彩華は奥の座敷へ消えていった。


翌朝。


「今日は会津を案内するよ」


僕が言うと、彩華は怪訝そうな顔をした。


「仕事の打ち合わせは?」


「大丈夫」


「何が?」


「僕が訊いておくから」


「……」


結局、僕は彩華を会津若松城へ連れて行った。


さらに飯盛山。


そして、少し足を延ばして大内宿まで行った。


帰り道、彩華がとうとう我慢できなくなった。


「あのさ、一誠」


「はい?」


「私、観光見物に来たんじゃないんだけど」


「はい」


「打ち合わせ、どうするのよ」


「大丈夫だって」


「そんなわけないでしょう」


彩華は怒っている。


「担当者は私よ」


「うちの親父がね、お前たちに任せるって言うんだよ」


「なら、あんたが担当すればいいじゃない」


「いや、それは困る」


「何で?」


「僕、自分の家から設計料もらえないじゃない」


「……設計料」


彩華が何か言おうとした。


僕は話をそらした。


「明日、裏磐梯に行かない」


「……いいけど」


翌日。


僕たちは喜多方の煉瓦建築を見て、ラーメンを食べ、そのまま裏磐梯へ向かった。


五色沼を歩いた。


湖畔の道を、二人でゆっくり歩く。


新緑が始まったばかりの木々。


水面の色。


遠くの山。


さっきまであった彩華の刺々しさが、少しずつ消えていくのが分かった。


僕の隣を歩いている。


それだけだった。


でも、なぜか僕も落ち着いた。


彩華は時々、僕の横顔を見ていた。


そして、ふっと思った。


――やっぱり。


私は、この人が好きなんだ。


そんな気持ちが、素直に戻ってきた。


夕方。


僕が言った。


「今晩は、そこのロイヤルホテルに泊まろう」


彩華は少しだけ僕を見た。


「……うん」


今度は、素直に頷いた。


結局、実家の計画は新築ではなく、母屋の敷地から少し離れた、今は使われていない煉瓦造りの倉庫を改修することになった。


一階にショールームと試飲室、販売所。


二階を事務所にする。


歴史のある旧煉瓦倉庫に、新しい機能をどう付け加えるか。


これは意外に面白い仕事になりそうだった。


ゴールデンウィークが明けた。


所長に彩華が「上原酒造ショールーム・事務所」の要望事項の打ち合わせ記録と煉瓦造り倉庫の調査メモとして提出した。


ただし、その中身の大半は――。


一誠が実家で聞いた話を口述し、それを彩華が整理したものだった。

紗彩は、それを読み始めた。


上原酒造・旧煉瓦倉庫の調査メモ 倖田 彩華 


建築年:1892年(明治25年)頃

上原酒造が清酒の生産量を増やした時期に、酒瓶・樽・米などを保管するため建てられた倉庫。江戸時代からある母屋や仕込蔵とは少し離れた、敷地東側の道路沿いに建つ。


規模は間口約9m×奥行18m、2階建て、延床約300㎡。現在の上原酒造では「赤蔵」と呼ばれている。


外観


外壁は地元で焼かれた暗赤色から黒褐色の煉瓦。長年の煤や風雪で黒ずみ、部分的に赤茶色が残る。


屋根は大きな切妻屋根で、会津らしい釉薬を掛けた赤瓦。雪国なので軒は深め。赤瓦は会津で耐凍害性を考慮して用いられてきた歴史がある。


妻面には小さな半円アーチ窓。


正面には両開きの木製大扉。


煉瓦の開口上部には緩いアーチを組む。


派手な洋風建築ではなく、


「日本の酒蔵が明治になって少しだけ西洋建築を取り入れた会津らしい倉庫建築」


構造

木骨煉瓦造


内部に、

* 240角程度の栗または欅の柱

* 大断面の松梁

* 洋小屋の木造トラス

* 外周に煉瓦壁

という構成。

屋根裏を見上げると、煤けた木造トラスが連続している。



内部


1階は天井高約4.2m。


元々は酒樽や瓶詰め製品の保管庫。


床は土間コンクリートへ昭和期に改修済み。


柱には、


* 樽をぶつけた傷

* 荷札の跡

* 墨書き

* 昭和30年代の釘


などが残っている。


2階は米・包装材・酒造道具の保管場所。


床は厚い杉板。


階段は急。


設備らしい設備は裸電球程度。


上原酒造・旧煉瓦倉庫の調査メモ 倖田 彩華 

追記

一誠さん談

「これ、明治のままなんだよ。親父は古い倉庫って言うけど、俺は結構好きなんだ」


紗綾は資料を読み終えると、


「分かったわ」


と言った。


「じゃあ、担当者は正式に彩華さんということで進めるわね」


「はい」


「図書館の監理業務と兼務できるわよね?」


「はい、大丈夫です」


彩華は答えた。


そして少し間を置いて、


「でも、打ち合わせには一誠さんも同行してもらえれば……」


「それは大丈夫よね、一誠?」


「はい」


「ところで、図書館の来月着工は予定通り?」


「はい。毎週火曜日の午後が定例会議になりました」


「分かりました」


紗綾は資料を閉じた。


「二人とも、ご苦労様でした」


二人が所長室を出て行く。


並んで歩く二人の背中を、紗綾はしばらく見送っていた。


彩華が何か言い、一誠が笑う。


彩華も笑っている。


何となく、楽しそうだ。


紗綾は一人、机の前に残った。


胸の奥に、妙な感情が湧いてくる。


――嫉妬?


自分でも驚いた。


私は何を考えているのだろう。


紗綾は小さく息を吐いた。


そして、誰もいなくなった所長室で、困ったように笑った。


「……まいったわね」


自分の気持ちを、どう扱えばいいのか分からなかった。

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