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15/22

15 後を継ぐ者 

今週から、ようやく本格的に梅林のアトリエの案を進めることになった。


U図書館の実施設計に掛かりきりになって、ほぼ二ヶ月も間が空いている。


以前あれこれ考えていたことを、もう一度頭の中から引っ張り出すだけでも時間が掛かった。


それにしても、この案件はありがたい。


何しろ施主は所長自身だ。


工期に追い立てられることもない。


予算だって、所長の胸先三寸。


実質的に締め切りはない。


こんな仕事は新人の僕には、ありがたいを通り越して、少し怖いくらいだった。


今考えているのは、以前のB案にA案を融合させたプランだった。


二枚のRC壁を南北に平行に配置する。


その二枚の壁で、一層目のアトリエ空間を覆う水平スラブ――つまり二階住居部分の床――と、二層目の木造屋根の架構を支える。


片流れの屋根は、敷地の傾斜と同じ勾配にする。


二層目の奥には主寝室群。


そこは木造の平屋として、母屋とは反対方向に屋根を流す。


屋根の先端は、そのまま斜面に刺さるように納める。


一層目は、中央をアトリエの製図室。


西側にミーティングルーム兼応接室。


東側に所長室。


北側には水回り、資料室、模型室などをまとめる。


二層目へは、奥の中庭側に設けた階段から上がる。


二枚のRC壁に挟まれた大空間に、LDを配置する。


東壁の中央にアイランドキッチン。


その東側にはモーニングティーコーナー。


さらにK、ユーティリティが南から北へ並ぶ。


西側にはサンセットルーム、バーカウンター、ピアノコーナー。


そして二枚の壁の間、西側中央には暖炉を置く。


さらに斜面の中央には、梅林の一部を残した中庭。


その東側、水回りをまとめた廊下を奥へ進むと、パウダールーム、ワードローブ、書斎、客間兼予備室。


そして一番奥にバスルーム付きメインベッドルーム。


そこだけは木造平屋だ。


問題は、やっぱり構造かもしれない。


今度、構造事務所の山本さんが来たときに相談してみよう。


そんなことをあれこれ考えていると、時計は十一時四十分を指していた。


「……一誠」


背後から声がした。


振り向くより先に、視界に細長いものが入り込んできた。


彩華の首だった。


文字通り、斜め後ろから細長い首が伸びてきて、僕の身体とトレーシングペーパーの間に割り込んでくる。


「わっ!」


僕は思わず声を上げた。


「ちょっと、何ですか。びっくりするな……」


「どれどれ」


まったく意に介さない。


彩華は僕を椅子から押し退けるようにして、平面プランを覗き込んだ。


「ふむ……ふむ……」


しばらく黙っている。


その目が、図面の上を舐めるように動いていく。


やがて――。


「いいじゃん、これ」


突然、大声で言った。


その声を聞いて、東郷さんがやって来た。


「何ですか?」


吉田さんまで来る。


「どれどれ……」


気がつけば、僕の机の周りをみんなが囲んでいた。


「なるほど……」


「これ、構造はどうするんだ?」


「ミーティングルーム、ちょっと狭くねー?」


「これが所長のベッドルームか……」


みんな好き勝手なことを言っている。


僕も説明しようとした、そのときだった。


「ゴホン」


わざとらしい咳が聞こえた。


全員が一斉に振り向く。


そこに所長が腕を組んで立っていた。


「……」


誰も何も言わない。


慌てて道を空ける。


所長は何事もなかったかのように、僕の机まで歩いてきた。


そして、平面図を見た。


黙っている。


隅から隅まで。


まるで図面を睨みつけるように見ている。


僕は息を殺して待った。


やがて所長が顔を上げた。


「午後一で打ち合わせするわよ」


「え?」


「清書して持ってきてね」


僕は時計を見た。


十一時四十五分。


午後一って……。


あと一時間ちょっとしかない。


しかも、これはまだ4B鉛筆で描いた手書きのラフプランだ。


「昼飯は……」


思わず呟いた。


すると彩華が、にんまり笑った。


「一誠、セブンでサンドイッチ買ってこようか?」


「ああ、はい。お願いします……」


僕は慌てて、CADの新規作成ファイルを開いた。


午後一。


所長室での打ち合わせが終わった。


僕は少し疲れていた。


所長は、僕が描いたプランを否定したわけではない。


むしろ逆だった。


ただし――。


「この案で決めつけないで」


「え?」


「まだ他にも可能性があるでしょう」


「……はい」


「プランなんて無限にあるのよ。自分で選択肢を狭めないこと」


そう言われた。


その後も、設計についていろいろな話をされた。


僕には分かるような、分からないような話も多かった。


ただ、一つだけ強く残った。


――もっと考えろ。


それだけだった。


夕方七時を過ぎると、スタッフが一人ずつ帰っていった。


「お先、失礼しまーす」


「お疲れさまでした」


やがて、設計室には僕と彩華だけになった。


僕はモニターから顔を上げた。


「そんなに忙しくないんでしょ」


彩華を見る。


「帰ったらいいんじゃないですか」


すると彩華が、こちらへ近づいてきた。


「午後の打ち合わせで、何言われたの?」


「いや、別に……」


「別に?」


彩華が僕のモニターを見る。


「あれ?」


「何ですか」


「別なプラン作ってんの?」


「別に、いいじゃないですか」


「何、あれ。ボツ?」


「だから……」


僕は観念した。


そして、午後に所長室で言われたことを話した。


所長室へ呼ばれた僕は、応接セットの椅子を勧められた。


その時点で、僕には分かった。


――これは話が長くなる。


普段なら所長のデスクの前で話が終わる。


わざわざ応接セットへ座らせるということは、そういうことだ。


僕が椅子に座る。


斜め向かいの椅子に所長が腰を下ろした。


タイトスカートから伸びた脚が、すっと組み替えられる。


「一誠君」


「はい」


「今回、梅林のアトリエの担当を君にしたのは、何でだと思う?」


いきなり謎かけだった。


「はぁ……新人だから?」


「……そうね。それもあるわ」


所長は少し笑った。


「でも、理由はいくつかあるの」


僕は黙って、次の言葉を待った。


「一つ目」


所長が指を一本立てる。


「君が言ったように、新人の君のトレーニング」


僕は頷いた。


「二つ目」


もう一本、指が立つ。


「アトリエの施主は私だから、納期はない」


「はい」


「つまり、私が納得することが唯一の納期」


なるほど。


確かに、それはその通りだ。


「そして三つ目」


所長の声が少しだけ低くなった。


「これは、君には迷惑かもしれないけど……お願いなの」


僕は黙った。


「私には子供がいないわ」


「……」


「将来も、たぶん出来ないと思う」


そこで一度、所長は言葉を止めた。


「だから――」


僕は次の言葉を待った。


「君には、ここの後継者として、これから仕事に取り組んでもらいたいの」


「……後継者?」


「そう。後を継ぐ人」


「僕が?」


「そうよ」


僕には、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。


「これは私から君へのお願い」


所長は静かに言った。


「だから、もちろん君は嫌だと言っていいわ」


「……」


嫌だと言っていい。


その言葉も、妙に引っかかった。


それから所長は、設計についていろいろなことを話してくれた。


プランは無限にある。


最初から自分で可能性を決めつけてはいけない。


一つの案を思いついたら、それを正解だと思い込まず、別の可能性を試してみる。


設計とは、そういうことだ。


そんな話だったと思う。


でも、その時の僕には、話の半分も頭に入っていなかった。


斜め向かいに座っている所長の、すらりとした脚をぼんやり眺めながら、


――そうなんだ。


と、どこか遠くで聞いているような気分だった。


「……そうなんだ」


話を聞き終えた彩華が呟いた。


「後継者ね」


「うん」


「それで、一誠は何て返事したの?」


「何も」


「何も?」


「そんなこと、いきなり言われても。返事なんかできないよ」


「そりゃそうよね」


彩華はそう言った。


しばらく沈黙する。


そして、突然こちらを見た。


「……どう思う?」


「え?」


「何で一誠が後継者なの?」


「さあ……」


「それって……」


彩華が少し言い淀んだ。


「所長と結婚するとか、そういうこと?」


「はぁ?」


思わず声が裏返った。


「そんなこと……」


言いかけて、言葉が止まった。


何だ、それ。


所長と結婚して、後継者?


そんな発想は、僕の中にはなかった。


なのに彩華に言われた瞬間、妙に意識してしまった。


「それは……」


自分でも分かる。


顔が熱い。


「あっ」


彩華が目を細めた。


「顔、赤くなってる」


「ば、馬鹿な……」


「ふーん」


彩華は何とも言えない顔で僕を見る。


それ以上、何も言わなかった。


机の上の書類をまとめる。


バッグを手に取る。


「じゃ、帰る」


「え?」


「お先」


「彩華……」


返事はなかった。


そのまま彩華は事務所を出て行った。


ドアが閉まる。


僕は一人、取り残された。


パソコンの画面には、梅林のアトリエの平面図が表示されている。


さっきまであれほど夢中になって考えていたプランなのに、今はどうにも集中できない。


――後継者。


所長が言った言葉が、頭の中で何度も繰り返された。


そしてもう一つ。


彩華が最後に言った、


――所長と結婚するとか、そういうこと?


という言葉も。


なぜだか、こちらの方が気になって仕方がなかった。



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