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11. ブリザードの約束

明後日は大晦日。


彩華は、さっきからスマホの画面を眺めている。


メッセージはもう書いてある。


〈グランデコに滑りに行こうか〉


あとは送信ボタンを押すだけなのだが、その指が動かない。


たぶん一誠も、久しぶりに会津若松の実家へ帰ろうと、帰省の準備をしている頃だ。


送れば、


〈行きます、行きます。というか実家のそばなんですけど〉


そんな返事が、すぐ返ってくるに違いない。


〈じゃー、乗せてって〉

〈いいですけど、自宅に寄りますよ〉

〈会津の造り酒屋か……〉

〈飲み放題ですよ、あはは〉

〈行く、行く〉

〈じゃー、あとでマンションに寄りますね〉


きっと、そんなふうに話は進む。


問題は、その先だった。


一誠の会津若松の実家に、不用意について行っていいものなのか。


今の自分なら、一誠の恋人にはなれる。


だが、彼の将来の嫁として彼の家族の前に立つ準備など、まるで出来ていない。


――嫁、か。


自分で考えておいて、その言葉が妙に重かった。


彩華が送信ボタンの上で指を止めたまま逡巡していると、突然スマホが震えた。


一誠からだった。


〈グランデコに滑りに行きませんか。新雪降ってるみたいですよ〉


彩華は思わず笑った。


〈デコは良いけど、会津若松には寄らないよ〉


返事はすぐに来た。


〈良いです。今回はスノボだけ〉


〈なら行く。迎えに来て。もう用意してる〉


送ってから彩華は、さっきまで散々悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。


グランデコの雪質はパウダースノーで最高だった。


前夜から降り続いた新雪がゲレンデを覆い、板を踏み込めば柔らかな雪が左右に舞った。


ターンするたび、身体が雪の中へ吸い込まれていく。


「最高!」


珍しく彩華が声を上げる。


朝から夕方まで、二人はほとんど休まず滑った。


どちらが速いとか、どちらのターンがきれいだとか、そんな子供じみたことで張り合いながら。


そしてスキー場のホテルに泊まってからは――。


二人とも、ほとんど部屋から出なかった。


正月三日の朝。


いよいよ、つくばへ帰る日だった。


彩華が目を覚ますと、窓の外は真っ白だった。


まだ薄暗い空の下、水銀灯の光の中を雪が横殴りに走っている。


吹雪だった。


隣のベッドでは一誠がまだ眠っている。


結局、会津若松の実家には行かなかった。


それで良かったはずなのに、彩華の胸には、かえって妙な不安が残っていた。


このままでいいんだろうか。


職場の年下の同僚と、こんな関係になって。


しかも、スタッフが四、五人しかいない、あの小さな設計事務所で。


それだけではない。


年末に見せられた、一誠の梅林のアトリエ案。


あれには少なからずショックを受けた。


認めるのは悔しい。


だが、良い案だった。


かなり良かった。


あと一年もすれば、あのアトリエが本当に建って、その中で一誠が仕事を始める。


そう思うと、なぜか腹が立つ。


どうして腹が立つんだろう。


そこまで考えて、彩華はようやく気づいた。


自分は一誠を、単なる年下の同僚とも、恋人とも思っていない。


設計者として。


同じ場所を走る、競争相手として見ている。


そのことが妙に悔しくて、彩華は向こうのベッドで呑気に眠っている一誠の寝顔を睨んだ。


「……何であんたなのよ」


一誠は知らずに寝返りを打った。


朝食を済ませるころには、雪はさらに激しくなっていた。


帰る前にもう一本だけ滑ろうという話になったが、ゲレンデに出ると一誠が空を見上げた。


「かなり吹雪いてますよ。大丈夫かな……」


「ゴンドラで上まで行って、ロングコースを一本。それで終わり」


「本当に一本だけですよ」


「分かってるって」


ゴンドラでデコ平頂上まで上がる。


風が強い。


視界も悪い。


二人で雪の上に座り込み、ビンディングを嵌めていると、突然彩華が言った。


「ねえ」


「はい?」


「どっちが先に下まで滑れるか、競争しない?」


一誠が顔を上げる。


「この天気で?」


「勝った方が今年一年間、ご主人様」


「は?」


「負けた方は召使い」


一誠が笑った。


「いいんですか。僕、マジ滑りしますよ」


「ええ。本気滑りよ」


そう言うなり、彩華は立ち上がった。


「じゃ!」


「あっ!」


そのまま滑り出す。


「ずるい!」


彩華の姿は、たちまち白い吹雪の中へ消えた。


一誠も慌ててスタートする。


しかし数十メートル滑ったところで速度を落とした。


見えない。


吹きつける雪で、数十メートル先さえ真っ白だ。


これは危ない。


一誠はスピードを落とし競争を諦めた。


視界の中に現れるコース脇のポールを確認しながら、一つ一つのコーナーを慎重に曲がっていった。


麓まで降りた。


一誠は板を止め、後ろを振り返った。


彩華がいない。


――先に着いてるのか?


周囲を見回す。


いない。


嫌な感じがした。


一分。


二分。


五分。


一誠は何度もゲレンデを見上げた。


吹雪の向こうから次々に人影が現れる。


だが、彩華ではない。


さっきまでの競争など、どうでもよくなった。


コースを外れたのか。


転倒したのか。


一誠が板を外しかけた、そのときだった。


白い幕の向こうに、一人のボーダーが現れた。


彩華だった。


いつもの滑り方ではない。


ゆっくりと、恐る恐る降りてくる。


一誠の前まで来ると、彩華は乱暴に板を止めた。


ゴーグルを上げた顔は、半べそだった。


「途中で……コースから外れたみたいで」


「え?」


「どっち行けばいいか分かんなくなって。一誠は来ないし……」


彩華は一誠を睨んだ。


「怖かった……」


そして次の瞬間、一誠の胸に抱きついた。


一誠は一瞬、何も言えなかった。


いつもなら、人前でこんなことをする女ではない。


強気で。


負けず嫌いで。


何でも自分で決めてしまう人なのに。


一誠は黙って、その肩を抱いた。


吹雪は相変わらず二人の周囲を吹き荒れていた。


腕の中の彩華だけが、驚くほど小さく感じられた。


――この人、こんな顔もするんだ。


一誠はそう思った。


そして少しだけ、嬉しかった。


一誠のレガシーは磐越道をいわき方面に向かっている。


東北道とのICを過ぎてからは、道の積雪も少なくなった。


それにしてもと彩華は思う。このクルマはどう見ても古い、かと言ってクラシックカー的なものでもないだろう。


「ねー、一誠の車って、なんて言うクルマなの…」


「スバル、レガシーB4…中古ですよ。大学の先輩が要らないかというので、10万で買いました..」


「ああそう…そうよね、大分くたびれているわよね..」


「クルマなんて、走れば良いんですよ..」


「確かに…そうだけど、じゃー、建築は住めれば良いわけ…」


「ええ、なんで建築…」


「例えばだから…」


「ところで、スキー場での約束は守って貰えますよね」


「えっ、何の約束…」


「またー、とぼけて…先に下まで着いた方が、今年1年間ご主人様という約束したでしょ…」


「ああ、あれね…」


「ああ、じゃないですよ..」


「あれは、忘れて、恥ずかしいわ…」


「うそー、約束破るんですか…」


「だから、忘れてって言っているだけど…」


「今年1年は、僕がご主人様ですよね」


「…..」


つくばに着くまで、それ以上の会話は無かった..。



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