第9話 0番線はお化け電球の生息地
ぽん、と聞き慣れた軽い音がして、エレベーターの扉が開いた。
ゴーッという低い地響きのような音とともに、ひんやりとした空気が足元へ流れ込んでくる。流生と豆ノ介は、前の人たちに続いてエレベーターを降りた。
さっきの三人組と顔を合わせたら嫌だな。
そう心配していたが、人混みの中にその姿は見えなかった。流生は、ほっと息をつく。顔を上げると、目の前には0番線のホームが広がっていた。ただ、流生が知っている駅のホームとは、どこか雰囲気が違う。
まず目に飛び込んできたのは、見たこともない照明だった。
ホームの壁には、青白い光がゆらめいている。光の筋が水の流れのように壁を伝い、ゆっくりと形を変えていた。まるで壁に水面が映っているかのような、幻想的な明るさだった。
そして天井からは、透明なガラスの電球がいくつもぶら下がっていた。一斉にジジジと音を鳴らし、細かく震えながらホームを照らしている。ガラスの中では、オレンジ色のくるくるとした細い線がまぶしい光を放っていた。
「何? この電気?」
「見たことない?」
「うん。北海道って、みんなこの電気なの?」
豆ノ介は一瞬きょとんと目を見開いたあと、アハハと大きく笑った。出会ってから初めて、豆ノ介が本当に素のまま笑った気がして、流生はなんだかうれしくなった。
「いや、北海道でも普通は蛍光灯とか、今はLEDじゃない? だってこれ、まぶしいし、音うるさいし。」
「そ、そうだよな。」
見当違いのことを言ってしまったと気づいて、流生は頬が少し熱くなった。
「電気代が安いし、交換の手間が減るから、うちのお店も全部LEDにしてるよ。これが今でもこんなに生息してるのは、0番線くらいじゃないかな。」
「そうか、って……え?」
あまりにも自然に話が進むので、流生はそのまま同意してしまうところだった。
生息って何だ? 今、電球の話をしてたよな。
戸惑う流生を見て、豆ノ介も不思議そうに首をかしげた。
「あれ、聞いたことない? 0番線は、お化け電球の有名な生息スポットなんだよ。ほら、ここは地下で日の光が当たらないし、駆除されることもないし。仲間がたくさんいるから、繁殖しやすいんだって。」
「な、何の話してるの……?」
流生は怖くなって、豆ノ介の顔を見つめた。天井から降り注ぐ光が、その瞳の奥に映っている。オレンジ色の小さな光が、どこまでも続くように連なっていた。
背筋を、ぞくりと寒気が駆け上がる。なのに、おでこにはじわりと汗がにじんだ。
隣でさも普通に話しているこの少年は、いったい何者なのか。そして、たくさんの人が行き交うここは、どこなのか。
「か、帰らなきゃ……。」
からからに乾いた喉で唾を飲み込み、かすれた声でそう口にした瞬間。
ホームの低い天井を埋め尽くす、無数の電球たちが、一斉に身震いし始めた。
ガラスの奥の細い金属線が、ジジジジと大きな音を上げる。そして生き物のようにうごめき、目の形を結んだ。ホームじゅうの電球たちがくるりと向きを変え、一斉に流生を見下ろす。
やばい!
流生は無意識に、ポケットのスマホを握りしめた。
キィィィィィィン!
鼓膜を刺すような高い音が、駅じゅうに響き渡る。それと同時にポケットの中のスマホが、急に熱くなった。思わず手をゆるめると、天井の電球たちが激しく点滅し、目を開けていられないほど強烈な光を放った。
あまりのまぶしさに、流生が腕で目をおおった、その瞬間。
――フッと、電球の光が消えた。
壁を伝っていた青白い光まで消え、ホームが闇に沈む。周囲から驚いた声や、ため息が聞こえた。
「な、何!?」
一瞬のことで、流生は何が起きたのか分からなかった。とにかく明かりが欲しくて、ポケットからスマホを取り出す。ライトをつけようと画面を押し、続けて電源ボタンも押した。しかし、画面は真っ暗なままだった。
「どうしよう……。スマホの電源もつかない。」
暗闇の中でつぶやくと、すぐ隣から豆ノ介の声がした。
「あ……携帯の電源、切ってなかったんだ。」
「え?」
いくら操作しても画面が明るくならないスマホを手に持ったまま、流生は頭が真っ白になった。
「0番線に入る前には、切っておかないといけないんだよ。お化け電球は、人間界の携帯の電波にびっくりして、暴れ出しちゃうから。」
「でも、機内モードにしてたよ?」
飛行機を降りる前、結人との電話を切ってから、また連絡が来るのが怖くて機内モードに戻したのだ。
「電波を止めても、電源が入ってると気づかれちゃうのかな? ここでは必ず電源ごと切るように言われてるんだ。」
「そうなの? どうしよう。俺、駅のライト壊しちゃったかも。」
「壊れたんじゃないよ。びっくりして、光るのを止めちゃっただけだから大丈夫。電源を切ったか、先に聞けばよかったね。」
「……スマホも壊れたみたい。」
これからスマホなしで、どうやって摩周湖まで行けばいいのか。流生の全身から、力が抜けていく。
「そっちは、また人間界に戻れば使えるようになるから、大丈夫だよ。こっちの妖力のせいで、一時的に動かなくなってるだけだから。学園にいる間はもちろん使えないけど、人間界に……。」
「妖力? 人間界? ねえ、何言ってるの!?」
流生は思わず大きな声で、豆ノ介の話をさえぎった。スマホを握る手が、カタカタと震える。
落ち着け、落ち着け。
もう片方の手で震える手を押さえ、自分に言い聞かせた。
そのときだった。
キュッキュッと金属がこすれる音が、流生の頭の上で響いた。顔を上げて目をこらすと、ひとつの電球の中に、ぼんやりと赤い光がともっている。
その電球が、くるくると自ら回転しながら、天井からぽろんと外れた。根元から伸びる電線のようなものを揺らし、蝶のようにふわふわと降りてくる。そして、流生の目の前でぴたりと止まった。
額から、冷たい汗が流れ落ちた。息をのんだまま、吐くことができない。
今、自分の目の前で、謎の何かが浮いている。
身動きできずにいると、電球は警戒するように近づいたり離れたりしながら、流生が持っているスマホへ寄ってきた。その様子は、近所の公園で見かけた野良猫によく似ている。
電球はスマホへそっと先端を寄せ、フンフンとにおいをかぐような仕草をした。
「俺のスマホ……もしかしてクサい?」
プッと隣で豆ノ介が吹き出す声が聞こえた。流生は怖いのに、何だか恥ずかしくなった。
電球はしばらくスマホの周りを漂ったあと、何かを確かめ終えたように、するりと離れていく。そして、流生の顔の前へ戻ってきた。
目の前で、電球のガラスの奥から、ジジ……と小さな火花が散った。赤く光っていた金属線が、柔らかなオレンジ色へと落ち着いていく。さらに、ぐにゃりと曲がって、にっこり笑う口のような三日月形になった。
ち、ちょっと可愛いかも……。
思わず流生の頬がゆるむ。すると電球はうれしそうにチカチカと点滅し、ふわりと天井へ戻っていった。
それが元の場所に収まると、周りの電球たちにも、次々と明かりがともった。ガラスの中の細い線が、同じように笑った口の形へ曲がっていく。
柔らかなオレンジ色の光がポッポッと咲くかのようにホームの奥へ、さらにその奥へと広がった。壁の青白い光も、水面のようにゆらめきながら戻ってきた。まるで蛍の群れのような明かりが、駅全体を優しく照らし始める。
「うわあ……きれい。」
流生から、感動の声がこぼれた。
さっきまであんなに怖かったのに、今は目の前に広がる光から目を離せない。その愛らしく、どこか一生懸命なお化け電球の光に、自然と口元がほころんだ。
「本当にきれいだね! 僕も初めて見たよ。君、お化け電球にずいぶん歓迎されてるね。」
隣で豆ノ介も興奮した声で言った。ホームにいるほかの子たちも、天井を見上げ、感嘆の声を上げている。
「普段は電源を切り忘れている人がいたら、不機嫌になって、なかなか明かりをつけてくれないのに。こんなに優しく光ることもあるんだね。……もしかして君、提灯お化けの家系なの?」
豆ノ介が真面目な顔で聞いた。
流生の顔から、笑みが消えた。
返事ができない。聞きたいことが、喉の奥にいくつも詰まっている。
ここはどこなのか。お化け電球って何なのか。人間界って、どういう意味なのか。それに、豆ノ介はどうしてそんなことを当たり前みたいに知っているのか。
けれど、聞いてしまったら、もう戻れなくなるような気がした。
今ならまだ、知らないふりができる。ただ変な駅に迷い込んだだけだと、自分に言い聞かせて戻ることもできる。
流生は、動かなくなったスマホを握ったまま、黙っていた。
そのとき、豆ノ介が流生の顔をのぞき込んだ。
「……もしかして君、何も知らないの?」
「え?」
流生の心臓が、ドクンと跳ね上がった。
「0番線のこと。お化け電球のこと。あと、携帯の電源を切っておくこととか。」
本当のことを言ってもいいのだろうか。言った途端に、急に冷たくされるんじゃないか。
不安になったが、嘘をついてごまかす勇気も知恵も、流生にはなかった。
「……知らない。」
覚悟を決めて、流生は正直に答えた。すると豆ノ介は、少し困ったように眉を下げた。
「そっか。じゃあ、誰も説明してくれなかったんだね。」
その言い方が、妙に流生の心に引っかかった。まるで、ここへ来る前に、誰かが説明しておくのが当たり前みたいだ。
誰から、どんな説明を受けるのがふつうなんだろう?
流生が口を開きかけたとき、ホームの奥から、今までに聞いたことのない重い金属音が、ガチャンと響いてきた。
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