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妖怪学園の七不思議① 影拾いの影法師  作者: 磐城 怜
第2章 別の世界に通じる電車
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第10話 傷だらけの通行銭と消えたエレベーター

ガチャンという初めて聞く重い金属音が、奥の方から響いてくる。流生が見ると、エレベーターを降りた人の流れは、その音の方向へと向かっていた。


「こっちだよ。」


慣れた様子で、豆ノ介も、その音の方向へと進んでいく。流生は一瞬進むか悩んだが、ひとりになるのが怖くて、急いで豆ノ介の後を追う。先に進むとそこには、流生が今まで見たことのない古い門のようなものが立っていた。


入り口はひとつしかなく、入り口の左右は、胸までの高さの木枠でしっかりと塞がれている。


扉はなく、その代わりに入り口の真ん中には、地面から突き出した腰ほどの高さの黒い鉄の箱が置いてある。よく見るとその箱には、まるで風車のような三本の太くてつやつやに磨かれた木のバーが刺さっていた。その立派な木のバーを、通る人たちが押しながら中へ入っていく。


ずいぶん古い回転式のドアだな。


流生が回転式ドアを見たのは、茨城県自然博物館の出口以来だった。しっかりしているし立派だが、木が使われているのを見て、流生は不思議な感じがした。時代劇ほどではないけれど、社会の教科書に載っていた戦後の日本の写真を、流生は思い出した。


「ね、あれって改札? 駅に入る時にもう通ったけど、また入るの?」


「うん。駅に入る時の改札は人間界の改札でしょ。」


豆ノ介がまた人間界という言葉を使ったのを聞いて、思わず流生の足が止まる。


「大丈夫。乗り方は見れば分かるよ。」


豆ノ介が、改札の方を見て、というように目配せをした。


流生が見ると、改札の手前では乗客たちが一人ずつ、カードのようなものを手に持って並んでいる。その先には、台の上に木箱がいくつも置いてあった。木箱にはカードを入れるような、平べったい穴が開いている。順番がまわってきた乗客が、そこに手に持っていたものを差し込んだ。


チャリン。


すると木箱の下の受け取り口から、コインのようなものが吐き出される。それを手に取り、木箱から戻ってきたカードのようなものを受け取った乗客は、先にある改札横に置かれた、別の木箱にそのコインを入れた。


カラン、ガチャン!


すると大きな音を立てて、木のバーのロックが外れる。乗客はその木のバーを、重そうに体で押しながら中へ入っていった。


「なに、あれ。」


初めて見る光景に、流生が思わずつぶやく。豆ノ介に視線を戻すと、すでにカードを入れる木箱のひとつに並んでいる。流生は急いで、後を追った。


「まずは札を入れて、通行銭を取らないとね。」


豆ノ介は上手に豆腐の箱を膝に乗せてバランスを保ちながら、空いた片方の手で胸元から何かを出そうとした。流生はあわてて、その箱を支える。


「ありがとう。」


豆ノ介はそう言うと、慣れた手つきでカードのようなものを取り出し、順番のきた木箱の前に立つ。そしてすばやく木箱の細い差し込み口へと、それを入れた。


チャリン。


すぐに機械の下から、コインが出てきた。豆ノ介はそれを手に取り、流生に見せる。白く銀色に光る丸いコインには、「通行銭」という文字が美しくうき彫りになっていた。花と波のような模様が刻まれていて、真ん中には丸い穴が開いている。流生の目には、よく使っている五十円玉と同じように見えた。豆ノ介は木箱から戻ってきた札を胸元にしまうと、コインを握ったまま、豆腐の箱を両手で抱え直した。流生はそっと手を離す。


「これを入れると改札を通れるんだ。君も札、持ってるでしょ?」


「札……。」


流生はポケットに手を入れた。サッカーボールと一緒に入っていた、あの白いカードが手にあたる。駅員に言われてさっき改札で使ったカード。交通系ICカードみたいなものだと思っていたけれど、これはどう考えても、ただのカードではないらしい。


流生はポケットから、白いカードを取り出した。豆ノ介がそれを見た瞬間、ほんの少しだけ目を見開く。


「それ……。」


「え?」


「ううん。入れてみて。」


言われるまま、流生は白いカードを差し込み口に入れた。


カチ。


機械の中で、何かが引っかかったような音がした。


カチ、カチ。


「あ、あれ……? なんか壊しちゃったかな。」


流生は息をのんだ。隣で豆ノ介も、じっと機械を見つめている。周りの人たちは次々と木箱から通行銭を受け取っていくのに、流生の前の機械だけが、妙に長く黙っていた。


やっぱり、何か間違えたのかもしれない。


そう思った瞬間。


カラン。


機械の底から、通行銭が一枚、転がり出てきた。流生はあわてて受け取った。戻ってきた白いカードは、急いでポケットにしまった。


豆ノ介の通行銭と同じくらいの大きさ。けれど、色が違う。表面は火であぶられたように黒く焦げ、刻まれているはずの模様も、ほとんど見えなかった。


何か硬いものに引っかけたのか、表面には大きな傷が走っている。その傷のところだけ、黒い色が削れたように銀色になっていた。手のひらを傾けると、そこがキラリと光った。


「わ、黒っ。コイン切れ直前だったのかな。」


豆ノ介のようなキラキラ光る通行銭を期待していた流生は、少し残念そうに口をとがらせた。しかし、流生の手のひらを見た瞬間、豆ノ介の顔から笑みが消えた。


「君、その通行銭……。」


「なに?」


「ねえ、お母さん。あの子のコイン、すごい汚いよ。」


隣の列から、ひそひそと話す声が聞こえた。学生帽をかぶった子が、一緒にいた着物の女性の袖を引っ張っている。母親へ顔を寄せ、流生の手元を見ながら続けた。


「ほら、すごい傷もついてる。」


思わず流生も、自分の通行銭を見直した。


やっぱり、俺のだけ古いやつなのかな。


女性がこちらを見た。その目が通行銭の上で止まる。すぐにたもとで口元を覆い、子どもの腕をつかんで、自分の方へ引き寄せた。


「こっちへ来なさい。」


子どもを流生から離すように背中へ回し、女性は一歩下がった。


「何だ?」


「どうした。」


近くにいた人たちが振り向いた。一人が流生の手元をのぞき込み、ぴたりと足を止める。その肩越しに見ていた人も、顔をこわばらせた。


流生のそばに並んでいた子が、連れの子の袖を引いた。二人が脇へずれ、さっきまで詰まっていた列に、不自然な隙間ができる。


何だよ。俺、何かした?


流生が周りを見回すと、豆ノ介が箱を抱えたまま、通行銭を遮るように前へ入った。


「それ、早く隠して。」


「え?」


「手、閉じて。」


声は小さかったが、強い言い方だった。流生はあわてて通行銭を握り込んだ。


銀色の傷が見えなくなっても、こちらをうかがう視線は消えなかった。着物の女性は、子どもの肩をつかんだまま、まだ流生を見ている。


「早く行った方がいい。」


豆ノ介が声を低くして言った。


「え?」


「ここで止まってると目立つから。」


流生は訳が分からず、通行銭を握ったまま、豆ノ介にたずねた。


「どういうこと?」


この通行銭が何なのか。どうして、みんなそんな顔をするのか。今すぐ聞きたかった。


豆ノ介は答えかけて、周りへ目を走らせた。


「……とにかく。今は、行こう。」


そう言うと、スタスタと改札の方へ向かっていく。背後で誰かが声をひそめた。その言葉は聞き取れなかったが、また別の人がこちらを振り向いた。


流生は通行銭を握った手を体へ引き寄せ、不安になって、来た方向を振り返った。


すると先ほど乗ってきたエレベーターが、なかった。


さっきまで確かにエレベーターの扉があったはずの場所が、今はただの壁になっている。壁の模様も、周りの壁とまったく同じだ。継ぎ目すら見えない。まるで最初からそこには何もなかったみたいに、壁はのっぺりと続いていた。


「え? 嘘だろ。」


「あ、ちょっと!」


流生は走って壁に近づき、手のひらで触れてみた。先ほどまでエレベーターの扉だったはずの場所は冷たくて、硬い。ただの壁だった。


「エレベーター、なくなってる……」


急に走り出した流生の後を、豆ノ介が改札から追っかけて来る。


「ちょっと、君。大丈夫?」


「ね、どうして? さっきまで、ここにエレベーターあったよね?」


「0番線行きのエレベーターって、そういうもんなんだよ。来る時間も、止まる場所も、毎回違うから。次いつ来るかは、誰にもわからない。」


「誰にも、って……。」


「0番線の駅員さんでも知らないって、聞いてるよ。呼んで来るものじゃなくて、来る時に来るものだからって。」


流生は壁から手を離した。


「そんな……。」


戻れない。


その事実がじわじわと、流生の体の中に広がっていく。スマホも動かない。エレベーターも消えた。しかも、流生が周りを見渡しても、そのことに驚いている様子の人はいない。


改札に向かう人の流れだけが、一方向に続いていた。


帰らなきゃ。……でも、どうやって?


膝の力が抜けて、流生はさっきまでエレベーターだった場所にしゃがみ込んだ。


「……戻りたいなら、今のうちだと思うけど。」


横に立っていた豆ノ介が、迷子の子どもを諭すように困ったような顔で言った。


「戻れるの!?」


「でもたぶん、一人じゃ戻れないよ。僕は見つけたことがないけど、0番線の駅員さんを探して、頼んでみることはできる……と思う。時間がかかるし、うまくいくかどうかもわからないけれど。」


そして小声で言った。


「それに、ここで止まってると目立つから。」


流生はしゃがみ込んだまま、黙っていた。目の前の床は、深いチョコレート色をしていた。お化け電球たちの光を浴びて、今にも溶けそうなくらい、足元でぬらりと光っている。その怪しく光る床を見ていると、そのまま吸い込まれてしまいそうな気持ちになった。


帰りたい。本当に帰りたい。おじさんとおばさんに謝って、結人と笑って、いつもの茨城の家に戻りたい。


心の底から、流生はそう思った。目に涙が浮かぶ。それがこぼれないように、必死に目をつぶった。


……でも、このカードの先にしか、父さんと母さんの手がかりはない。


帰りたいと思う反面、両親に会いたいという気持ちが流生の心の中に、川の水がどっと流れ込むように一気に広がる。


ポケットの中の白いカード。段ボールの荷札に書いてあった「摩周湖一ノ一」という住所。駅員が口にした「南番地」という言葉。それに——豆ノ介の先ほどの言葉が、流生の頭の中にずっと引っかかっていた。


「誰も説明してくれなかったんだね」


俺にとっての「誰も」は

「誰」のこと?


0番線のことも、お化け電球のことも、このカードのことも。


最初から全部知っていて、普通ならここへ来る前に教えてくれるはずの「誰か」。その誰かが、俺には何も教えてくれなかった。


……誰かって「親」か。


流生は苦しくなって、眉間にシワを寄せた。目はもうつぶっているから、これ以上閉じるものがない。それなのに苦しい。自分の思考も、心さえも全て閉じてしまいたかった。


そのとき、ズボンのポケットの中で、あの白いカードがひんやりと冷たくなったような気がした。病気の時におでこに貼ってもらったアイスノンのような、心地良い冷たさ。


流生はそっと目を開けて、溶けかけたチョコレートのようにツヤツヤの床を見つめ直した。天井からお化け電球が心配そうに流生を照らしているのが、反射した光で床に映し出されている。


……でも、ここのことを当然教えてくれるのが親なのだったら、父さんと母さんはここのことを知っているはずだ。このカードを送ってきたのだって、ここに来いということだったのかもしれない。


そこまで考えて流生は、ゆっくりと息を吐いて、起き上がった。


「……行く。」


「え?」


「このまま行く。」


豆ノ介が驚いて、目を見開いた。流生は、先ほどまでエレベーターだった壁を見つめたまま続けた。


「帰り方がわからなくなったのもあるけど、それだけじゃないんだ。俺、ここに来なきゃいけなかった気がするんだ。ずっと前から。」


豆ノ介はただ、小さくうなずいて、優しく言った。


「じゃあ、一緒に行こう。」


「……あ、ありがとう。」


落ち着いて答えた豆ノ介を見て、流生は我にかえる。


急に語り出した変なヤツ……って、思われてないかな。


恥ずかしくなって豆ノ介をチラリと見たが、特にさっきまでと変わった様子はなかった。二人で並んで、先ほど走った道を改札に向かって、また戻っていく。


いい奴なんだな。


流生は歩きながら豆ノ介の横顔を見て、そう思った。しかし、先ほどの改札の前での豆ノ介のあせった様子が頭をよぎる。あの時、豆ノ介は異常に周りを気にしていた。


やっぱり、このコインのせいなんだ。


流生は握りしめていた手を少しゆるめて、真っ黒のコインをそっと見つめた。先ほどと変わらず、銀色の一筋の線がキラキラ光っている。


流生はコインを隠すように、また手を閉じて、豆ノ介と先ほど見た改札へと戻った。人の流れにのって、豆ノ介が先に通行銭を投入口に入れる。


カラン、ガチャン。


通行銭が落ちる音と共に、バーのロックが外れる音がする。豆ノ介は前に抱えている豆腐の箱が当たらないよう、器用にバーを背中で押しながら通り抜けた。流生も今度は黙ったまま、そっと手の中の通行銭を投入口に落とした。


カラン……


お願い、開いて。


開くことがいいことなのか、悪いことなのか分からないまま、それでも前に進みたいと流生は祈った。


ガチャン!


ロックが外れる音と共に、流生の目の前にある木のバーが、スッと音も立てずに動き出す。他の人たちのように力を加えなくても、バーはするすると勝手に開いた。


何かが、おかしい。この場所自体も、そして、ここに歓迎されているような自分自身の存在も。


そう思いながら流生は恐る恐るバーに手を添えて、一歩を踏み出した。改札の向こう側には、先に入っていた豆ノ介が待っているのが見える。


不安もあるが、大丈夫だ。


流生はそう思った。確信に近いようなその気持ちが、胸に広がっていく。


「あのさ、ひとつ言っておくことがあって。」


流生が追いつくやいなや、豆ノ介が言いにくそうに口を開いた。


「なに?」


「改札を通ったら、もう勝手には人間界に戻れないんだ。」


流生の動きが止まる。


「……え?」


流生は目を大きく見開き、豆ノ介の顔に自分の顔を近づけた。豆ノ介は、困ったように眉を下げて続ける。


「0番線の内側に入ったら、人間界に戻るには、学園長の許可が必要なんだ。もしも……君が純粋な人間の場合は特に、難しくなるかもしれない。僕もよく知らないけど。」


「うそ。」


「ほんと。」


「そ、それ……先に知りたかったかも。」


流生は言葉を失った。


「そうだよね。ごめん。」


豆ノ介は素直に頭を下げた。


「さっき、エレベーターがあった場所で言おうとしたんだけど……君が『行く』って言ったから。」


流生は返す言葉がなかった。怒る気にも、なれなかった。というか、そもそも豆ノ介に怒るなんて、お門違いだ。結局は自分で決めたのだ。そこに行くと。行かなければならないと。


ふと、流生の視界に、壁の案内板に書かれた文字が映る。つるりと光る白地に、黒い筆文字で「0番線」とあった。


そして、その下のアルファベットREIBANSENの右下に、小さな矢印とともに、こう書かれている。


「→ 南番地・妖怪学園方面」


妖怪。


その文字を見た瞬間、流生の背中がぞくりとした。


やっぱり……そういうことだったのか。


流生は唇を固く噛み締めた。

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