第21話 動き出した靴
「おーい。俺たちの番だぞー。」
風下の声が聞こえ、流生は自分たちが受付に来たことをハッと思い出した。受付の方を見ると、すでに風下が受付の机の前に立っている。
「すみませーん。」
豆ノ介が流生を引っぱるように先に立ち、受付の妖怪たちの前へ進んだ。
「豆ノ屋 豆ノ介です。奉納用の荷物は、駅前で荷車に預けました。」
受付の妖怪が、名簿に目を通す。その妖怪は黒々とした泥の体の上に、ふかふかの青緑色の苔が広がっていて、まるで『苔玉』に一つ目がちょこんと乗ったような姿をしていた。
ポタポタと机に泥の雫を垂らすので、名簿がぬれないのかと流生はヒヤヒヤした。藍色の着物に、同じような色の袴をはいている。着物からのぞく体は、抹茶パウダーをまぶしたお団子のように、どこか温かみがあって、もこもこしていた。
「はい、豆ノ屋さんですね。荷物も届いております。いつもありがとうございます。」
「泥田坊さん、ありがとうございます。」
豆ノ介が少しだけ胸を張って、嬉しそうにお礼を言う。受付の泥田坊もにこやかな表情を浮かべた。その様子を見て、流生までなんだか心がポカポカする。
ここでは、豆ノ介はバカにされない。豆腐小僧とからかわれたりしない。豆ノ屋の仕事を任された相手として、ちゃんと扱われている。
もっとみんなに褒められたらいいのに、と流生は思った。豆ノ介がまた少し、大人びた遠い存在に見えた。
「次の方、お名前と札をお願いします。」
泥田坊がにこやかな表情のまま、流生に向かって言った。新入生でもないのにここで受付をするべきなのか、分からない。チラリと風下を見たが何も言わないので、言われるがまま、白札を見せながら答えた。
「流生です。」
名簿を確認していた泥田坊の、筆を持つ手が止まる。先ほどまでにこやかだった表情が、流生の札を見てそのまま固まった。
「……白札。」
小さな声だったが、隣で名簿をめくっていた妖怪も手を止め、流生の白札へ目を向けた。受付の向こうから、次々と視線が集まってくる。流生は、周りの空気が急に冷たくなったように感じた。
すると、受付にいた泥田坊の後ろから、シワが深く刻まれた別の泥田坊が、スッと流生の前に現れて言った。
「伺っております。」
その妖怪は、白札を見ても顔色を変えなかった。声は静かで、驚いているのか、迷惑がっているのかも分からない。流生は、どう返事をしたらいいのか迷った。
「あ、はい。」
「南番地駅務より連絡済みです。白札一名、職員室対応。こちらで承っております。」
目を開いているのか、開いていないのか分からないほど、シワが多く刻まれた泥田坊が淡々と答える。すると風下が割り込んで、会話を進めた。
「そうそう。駅で確認済み。続きは先生方へお願いしまーす。」
最初に応対した泥田坊が、少し戸惑いながらも筆を持ち直した。
「し、失礼いたしました。では、職員室へ。案内記録だけ残します。」
流生は見せていた白札を、さっとポケットにしまった。
受付の列に並ぶ妖怪たちの、ヒソヒソと話す声が流生の耳につく。騒がれないのに、普通でもない。そんな対応にソワソワして、落ち着かなかった。
年配の泥田坊が、スーッと滑るように受付から進み出た。足元は藍色の袴のすそに隠れ、どうやって歩いているのか分からない。見た目からは想像できないほど進むのが速く、三人は早歩きでついて行く。
向かう先には、山の斜面にそびえ立つ巨大な本校舎があった。
玄関に入ると、壁際には大きな靴箱が並び、その先には磨かれて黒く光る廊下が奥へ続いていた。夜なのに、廊下の奥までランプのような黄色い灯りがともっていて、流生はホッとした。しかし予想通り、その廊下の先は見えず、まるで永遠に続いているかのようだった。
玄関で上を見上げると、頭上には塔のてっぺんまで続く大きな吹き抜けがあった。校舎の中に、こんな塔があったのか。
塔の上部には、展望台のようにぐるりと窓が並んでいた。どの窓も大きく開かれ、その向こうに夜空の星が見えた。
塔の中央には、流生が見たこともないほど巨大な時計が、太い白い縄のようなもので吊るされていた。風もないのに、時計全体がギィ、ギィと音を立て、振り子のようにゆっくり、わずかに揺れている。
「何、あれ。あんなところに、あんな大きな時計を吊るしたら危なくない?」
驚いて、流生がたずねる。しかし風下はきょとんとした。豆ノ介も不思議そうな顔をしている。
風下が首をかしげた。
「何が危ないんだ?」
「え、ほら、強い風が吹いたりとか……古くなって縄が切れたり、落ちたりするかも。そうしたら、靴箱にみんながいた時に危なくないですか。」
豆ノ介が笑って答えた。
「大丈夫だよ。あれは女郎蜘蛛さんの糸を重ねてあるから。」
豆ノ介の説明を聞いても、何が大丈夫なのか、安心の理由が流生にはまったく分からない。
「あの糸、俺たちが束になって引っぱっても切れないから。」
風下が手を顔の前で振りながら、同意した。すると泥田坊が、玄関に敷かれたすのこの前で立ち止まる。
「みなさま、こちらでお履物をお脱ぎください。脱いだ履物は、そちらの靴箱へ。」
シワだらけの泥田坊に促され、三人は履物を脱ぎ、おのおの空いているところにしまった。すると、三人の様子を見ていた泥田坊が説明を加えた。
「お履物は三人分、なるべくそばに置いてください。初めての場所で迷ってしまうと、なかなか靴箱に戻って来られませんから。」
「……?」
そう言われて流生は、二人とは少し離れた靴箱にしまった自分の靴をまじまじと見た。
「今のところ、大丈夫そうですけど。」
しかし答えた直後、流生の履き慣れた靴はひとりでにガタガタと動き出し、靴箱から落ちた。
「わっ!」
落ちた反動でひっくり返った靴は、靴ひもを上手に使い、ゆっくりと起き上がる。そして、びっくりしたままの流生の足元に、まるで出かけてしまう飼い主に甘える子犬のようにすり寄ってきた。
「ちゃんとここで待つように、声をかけてあげて。」
流生の靴にやさしく触れながら、風下が流生に言った。
「え? どうやるんですか?」
「ここで、俺たちの履物と一緒に待ってるんだよって、分からせてやればいい。人間界ではやらないのか?」
「やらないですよ! そもそも、靴は勝手に動いたりしません。」
「え? 声をかけなくても、迷子になったり、機嫌をそこねたりしないの?」
風下が心底びっくりしたように聞いた。何だか、こちらが間違っているような感覚になってくる。流生はドギマギした。
「揃えたりはしますけど、声をかけたことはないです。迷子にもならないですよ。」
「えっ???」
二人は驚いた顔で流生を見つめる。それまで目を開いているのか分からなかった泥田坊まで、かすかにまぶたを持ち上げた。
「そうなんだー。人間界に住んでたけど、靴が動かないのは、言いつけをちゃんと守ってるからだと思ってた。人間界の靴って、みんなエライなって。」
豆ノ介が少し恥ずかしそうに、笑いながら言った。
「どうりで、学校でもみんなの靴が動き出さないわけだ。ちゃんと靴、揃えてない子もいるのに、動き出さないから……ちょっと不思議だったんだよね。」
豆ノ介は、今までの疑問が解消されたような、スッキリした顔をしていた。風下の靴のそばへ自分の草履を移すと、流生も足元の靴を拾い上げた。
靴箱へ入れようとすると、靴が今度は猫のように流生の指へスリスリと甘える。流生は戸惑いながらも、「ここで待ってろよ」と声をかけた。すると靴は、しぶしぶ指から離れ、二人の履物の隣に収まった。
「こちらへどうぞ。」
靴箱から一段上がった先に案内される。流生たちは、黒光りする木の廊下を進み出した。歩くたびにぎしり、ぎしりと木が音を立てる。しかし、案内の泥田坊が廊下を進む時には、相変わらず足音ひとつしないのだった。
進んで行くと廊下に、流生の小学校にあるような掲示板があった。懐かしい気持ちで、流生がその掲示板を見ていると、紙がぺらりと自分で貼り替わる。流生はまばたきをした。
古い紙はひとりでに掲示板から落ち、廊下の奥のほうに向かって、風に流されるようにスッと飛んでいく。新しく掲示板に貼りついた紙には、こう書いてあった。
職員室に呼び出されている者は、廊下を走らないこと
影を落とした者は、職員室へ
落ちた影は、勝手に踏まないこと
新入生はなるべく一人で学園内を歩き回らないこと
「影って落とすものなの?」
流生が聞いた。今までに影を落とした子なんて、見たことも聞いたこともない。風下は帽子のつばを軽く直しながら答えた。
「たまにね。何かの拍子で、落ちちゃうことがあるんだよ。特に今頃は多いから、落ちてる影を勝手に踏まないように注意ね。」
「新入生は、よくやるらしいよ。」
豆ノ介も風下に同意する。
「何が?」
流生はわけが分からなかった。
「影を落とすこと。ほかにも、気をつけなきゃいけないことがいろいろあるんだって。」
「……そうなんだ。」
新入生が気をつけることなら、自分には関係ないのかもしれない。それでも、いろいろ注意しなくてはいけないことがあると聞いて、足取りが重くなる。
なんか……守らなきゃいけないルールとか決まりがあったら、親に会うのも大変そうだな。
流生の頭に不安がよぎった。ただ親に会いに来ただけなんだから大丈夫だと、胸の中で流生は繰り返す。しかしその思いとは裏腹に、口の中は緊張でカラカラに乾いていった。
落ち着こうと深呼吸をすると、窓から先ほどの食堂のよい香りが漂ってきた。耳を澄ますと、包丁の音に混じって、誰かの笑い声も聞こえる。
遠く離れても、誰かがふつうに生活している音がする。流生は聞いているうちに、少しずつ落ち着いてきた。
「あっちは夕灯通り。学園生活で必要なものとか、お菓子とかが買えるよ。学園生は休みの日に、よく買い物に行くんだって。新入生は許可が出るまで行っちゃダメらしいけど。」
豆ノ介が、廊下の窓の向こうを指さした。流生が指さされた方向を見ると、霧の奥に、商店街のような温かい色の灯りがちらちらと光っている。目をこらすと提灯と、空に上がる湯気も見えた。
「おお! 楽しそうだね。豆ノ介、あの湯気は何?」
「あの湯気は温泉だよ。あそこは温泉街にもなってるから、けっこう観光に来る妖怪もいるんだ。」
「あ〜。俺も温泉に浸かって、ゆっくりしたいなあ。でもさ、嫁や子ども連れてくとなるとけっこうかかるんだよね。」
風下が親指と人差し指で丸を作りながら、不満そうにつぶやく。
「……風下さんって若そうだけど、家族いるんだね。」
豆ノ介がこっそり流生にささやいた。
「それよりもさ、あの指の形、見た? 今どき、指でお金のマーク作る大人。俺、初めて見たよ。見た目だけ若いけど、実はめっちゃ年取ってる妖怪なんじゃ……」
流生はヒソヒソと豆ノ介に耳打ちし、前を歩く泥田坊をちらりと見た。
「……でも、あの案内してる人ほど年寄りには見えないよな。あっちはシワだらけだし。」
「いやいや、あの妖怪さんは泥田坊だから……」
ドスン。
「わっ!」
二人は会話に夢中になるあまり、前を見ておらず、立ち止まっていた泥田坊の背中にぶつかった。驚いて見上げると、振り返った泥田坊の、モコモコした苔の生えたシワシワの顔が目の前にあった。
「ギャアーーーー!」
「ご、ごめんなさい!!」
その迫力に思わず、二人とも手で顔をおおい、後ずさりする。横では風下が笑いをこらえていた。しかし泥田坊は眉ひとつ動かさず、扉を指さす。
「こちらが職員室です。」
流生が見ると『職員室』と書道のお手本のような筆文字で書かれた木札が、扉にかかっている。すると小さな貼り紙がふよふよと飛んできて、ペタッと扉にくっついた。
白札・通行銭異常・入学手続きをしていない来訪者は、まずこちらへ。
また、俺のことだ。ただ親に会いたいだけなのに。
流生は小さくため息をついた。横で風下が気にする様子もなく、コンコンと扉を軽くノックした。
「南番地駅務、風下です。白札の子、連れてきました。」
カサカサと中で紙が動く音。ギシギシ椅子がきしむ音。誰かがボソボソと低く話す声。気配はするものの、返事がくるまでに少し間があった。
「入りなさい。」
年配の男性の感情の読めない声が返ってくる。
流生はまた、ポケットに入れていた白札をギュッと握りしめた。
この先に、父さんと母さんがいるかもしれない。
そう思った瞬間、胸が、怖いくらい強くドクドクと鳴った。
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