第20話 煙々羅の迎え庭
「お、もうすぐ広場に着くぞ。」
風下がいつの間にか流生の横にいて、軽く背中をポンと叩いた。背の高い木々に囲まれた道をゆるく曲がった先で、急に視界が開ける。
広場というより、大きな庭だった。夜の中に、白砂利が全面に敷かれた広い空間が、ぼうっと浮かび上がっている。
何台もの牛車や荷車がどこからともなく到着し、たくさんの妖怪たちでにぎわっている。みんなが牛車から降りたり、荷物を下ろしたり、ここからどこに行こうかとワイワイ話をしていた。
中央には大きな老松が枝を広げ、その下に背の高い鉄の台がいくつも立てられていた。台に吊るされた鉄のかごの中では、薪がパチパチと音を立てて燃え、夜の広場をやさしく照らしている。
「新入生が多いと、かがり火も気を遣うな。」
風下が灯りを見上げながら言った。
「かがり火って、この火のことですか?」
流生が、鉄かごの中で燃える火を指さしながらたずねる。先ほどの夕焼けとはまた違う、暖かそうなオレンジ色の光がゆらめいていた。風下はうなずき、答える。
「そう。広場を照らしている、あの灯りがかがり火だよ。他にも、学園の門から中の灯りは、みんな煙々羅という古株の妖怪が担当してるんだ。俺が学生の頃からいるんだよ。」
風下が懐かしそうに目を細めながら、炎を見つめた。流生と豆ノ介が広場を見ると、風が吹くたびに、かがり火の炎が大きく揺れ、妖怪たちの影がゆらゆらと伸び縮みしている。
牛車の横には明るく松明が燃え、駕籠のそばにやわらかな灯りの提灯がぶら下がり、荷車の付喪神には寄り添うように、小さなろうそくが灯っている。
「これ、全部担当してるなんて大変だなぁ。」
豆ノ介が感心するようにつぶやいた。
「まあ、煙々羅にはすぐ会えると思うよ。」
風下の言葉を聞き、流生は煙々羅という妖怪が一体どんな風に、このたくさんの灯りを管理するのか、知りたいと思った。
しかし風下は流生が質問する前に、広場の端に妖怪たちが集まっているのを見て、そちらへスタスタと歩き出す。流生と豆ノ介は、はぐれないように急いで後を追いかける。
風下が向かったその先には、受付と書かれた木札が立ててあった。そこには長机が並び、足の部分には、藍色と白の幕が張られている。
長机の向こうでは、藍色の着物に濃紺の袴をはいた妖怪たちが、行灯の灯りの下で名簿を広げ、筆を動かしていた。そこに並ぶ妖怪たちの行列。
「ここは俺が並んでおくから、お前たちはその辺で待ってな。あんまり遠くへは行くなよ。」
風下はそう言って、列の最後尾に並んだ。
「あれ……名前はどこだ?」
「あ、これ。これです。」
「新入生はこちらにお並びくださーい!」
「札の色はここでは関係ありませんので、ハイ。」
受付の中と外で、あわただしく声が飛び交っている。
まるでお祭りみたいだ、と流生は思った。
今までに見たことがない景色だった。でも、なぜか期待で胸がざわざわする。楽しい思い出を振り返った時のような懐かしい気持ちで、流生の胸がいっぱいになった。
流生は周りをキョロキョロ見渡す。集まっている者のほとんどが、人間とはどこか違う姿をしていた。
でも……怖くない。怖くてもいいはずなのに、怖くない。……なんだろう、コレ。
自分でも自分の気持ちが分からず、流生は戸惑った。よくよく広場を見ると、あちこちに、流生と豆ノ介と同じくらいの年の子どもたちが集まっている。
友達と「寮どこかな」とはしゃいでいる子。
降りる前に、到着した牛車の窓から首を伸ばして乗り出し、怒られている子。
帰りの牛車に乗ろうとする親の足に巻きついて、ボロボロ泣く子。
緊張で身体がどんどん大きくなってしまい、周りに押さえられている子。
尻尾を踏まれて、しょんぼりしている子。
それ以外にも、目をきらきらさせて、広場の向こうを見上げる子や、反対に不安なのか、地面の闇の中から顔だけ出している子、運ぼうとした荷物にかみつかれ、叫んでいる子もいた。
……見た目は違うけど、あんまり人間と変わらないな。
広場の端にある受付から見渡すと、反対側の奥は大きく開けていた。正面奥の石段の上には、立派な屋根つきの建物が目につく。
その立派な建物は、流生がテレビの教育番組で見たことがある、昔の舞台に少し似ていた。淡い金色の木肌の、野外ステージのような建物だった。風がやんでも、天井から垂れかかった五色の布だけは泳ぐように揺れている。
よく見ると奥の壁には、大きな松が描かれていた。その松は絵のはずなのに、布の動きに応えるように、枝先だけがほんの少し震えて見える。そこだけがワイワイとにぎやかな広場とは対照的に、物々しくシンと静まり返っているように流生は感じた。
その舞台の向こうに白いものが見えていたので、流生は壁でもあるのかと思っていた。しかし、ジッと見ているとかがり火の光に照らされて、キラキラと細かい粒子が動いているのが見える。
それは、霧だった。さらに注目して見ていると、霧の奥に黒い山の影が重なっていた。下の方には霧のすき間から、湖らしい青い水面が月の光に照らされて、かすかに輝いている。
ふと見上げると空には、流生が今まで見たこともないほど大きな満月が浮かんでいた。足元の白い砂利と、遠くに見える青い光が宇宙のかけらみたいに淡く光っている。
「……えっと、校舎はどこ?」
流生がここが学校であることを思い出して、つぶやくと、豆ノ介が左奥を指さした。
「あっちだよ。」
流生は豆ノ介の指の先を追って、息をのんだ。受付から見て広場の左奥にある山の斜面に、巨大な木造の建物がそびえていた。
黒っぽい石垣の上に、焦げ茶の木で組まれた棟が何段にも重なっている。青黒い瓦屋根は、まるで大きな鳥が翼を広げたみたいに、でこぼことあちこちへせり出していた。
屋根と屋根のあいだには、橋のような細い渡り廊下が空中に架かり、霧の中へ消えている。
暗闇の中では、最初は三階建てくらいに見えた。しかし、まじまじとその建物を観察していると、一番上の窓だと思っていた場所のさらに上にも窓がある。
さらにその奥にも、灯りのついた格子窓がある。数えようとすると、さっきまでなかったはずの窓が、また一つ増えていく。
「……何階建て?」
「知らない。その日によって変わるから。」
豆ノ介は、わりと普通のことみたいに言った。流生は、ポカンと口を開けたまま、その建物を見上げる。
学校なのに、城みたいだ。
けれど格子窓からは、障子を通して、ほのかな灯りがにじんでいる。そこにいくつもの動く人影が映り、どこかで誰かが楽しそうに笑う声が聞こえる。
大きくて、少し怖いけど……でも、なんか楽しそうだな。
ここは勉強して遊んで、眠って、ご飯を食べて、みんなでにぎやかに過ごす場所だと、妖怪の世界を初めて見た流生にも分かるような気がした。
本校舎の窓は、まるで大きな生き物についた、たくさんの目みたいに夜の中で光っている。
校舎の向かい側、受付から見て広場右手には、大きな木造平屋の建物があった。窓の隙間からは、ホワホワと湯気が上がっている。さらにトントン、と規則正しい包丁の音と、ジュウッと何かを炒める音と香ばしい匂いが広場に流れ込んでいる。
流生は思わず、クンクンと鼻を鳴らした。大きな鍋で何かを煮ているようなあたたかい湯気が誘うかのように、二人の周りに漂う。
「くぅー! お世話になった食堂さま! 腹減ったなぁ。」
受付の列に並んだまま、風下がヨダレを垂らしながら、食堂の建物を見つめる。窓は曇りガラスになっていて、中を見ることはできない。流生は思わず受付のあたりから、その建物の方へと近づいた。
広場の地面に敷き詰められた白い石が、曇りガラス越しの食堂のオレンジ色の光に染まって、美味しそうに輝く。
食堂に近づくにつれて、味噌汁と炊きたての米と、油と甘しょっぱい醤油の香りがドンドン強くなる。中ではわいわいと楽しそうな子供たちの声と、威勢の良い食堂のおばちゃんたちの笑い声が混ざって聞こえてくる。
「新入生の分、味噌汁あと二十杯!」
「舌が長い子は、やけどに気をつけて飲んでね!」
「夜になると爪が伸びちゃう子は、無理せずスプーン使っていいよ!」
なつかしい夕飯の音がする。流生は家に帰ったみたいだと思った。
でも、ここは家じゃない。おばさんの台所じゃない。結人が勝手につまみ食いして怒られる場所でもない。
心細さと同時に、両親に会えるという期待もまた、大きくふくらむ。
父さんと母さんは、この匂いを知っているのだろうか。ここで、ご飯を食べたことがあるのだろうか。
流生はこれ以上考えるのを止めるために、頭を大きく左右に振った。
「……あっちが寮だよ。どこに入るかは、まだ決まってないけど。」
いつの間にか横に来ていた豆ノ介が、心配そうに流生の顔を見てから、校舎と古い舞台のような建物の奥にある山の方を指さす。山の斜面には、暗闇の中にいくつかの建物の影が段々に並んでいるのがうっすらと見えた。
その建物では、色とりどりの光が、夜の闇の中でまるで宝石のように輝いている。
「寮って……みんな、泊まるの?」
「うん。学園に入ったら基本は寮生活だよ。」
「ふうん、なんか大変なんだね。」
自分には関係ないと思いながらも、流生はさっき広場で親と離れるのを寂しがってた妖怪の子を思い出した。
「ね、豆ノ介は小学生のうちから親と離れるなんて、寂しくないの?」
流生はたずねてみた。
……まあ、俺は親なんて会ったことないし。どうせ今の自分の気持ちなんて、誰にも分からない。それがたとえ人間だろうと妖怪だろうと同じだ。
そんな意地の悪い気持ちを豆ノ介に見透かされていないか、自分で聞いておきながら、少し胸が痛んだ。
しかしそんな流生をよそに、豆ノ介は少し考えてから答えた。
「……うーん。寂しいっちゃ寂しいけど。ま、長期休みには帰れるし。それに僕の場合、学園に来てた方が家の仕事手伝わない分、ラクになると思うんだよねー。朝、早いし。小学校に行く前に五時から手伝わされるんだもん。父さん、豆腐のこととなると、めっちゃ厳しいから。学校から帰ってきてからも、宿題が終わったら、『明日の仕込みを手伝え! それが家業だ!』って言うんだよ。僕にだって、動画見る時間くらいくれよって感じ。」
一気にまくし立てた豆ノ介を見て、流生は目を丸くした。
「あ、ごめん。みんな大変なのに、僕、文句言い過ぎだね。」
豆ノ介が恥ずかしそうに笑う。その様子を見ていて、流生はすごく自分が恥ずかしくなった。
「豆ノ介って……小学校行ってたの?」
「もちろん。僕、人間とのハーフだし。今までは人間界で暮らしてたから。店も継がなきゃいけないからね。急に現れて、豆腐買ってくださーいって言っても、今の世の中、誰も買ってくれないよ。こういうのは地元の人に信頼されて、商売が成り立つから。」
細っこくて白いし、妖怪だし、正直ちょっと頼りないと思っていた豆ノ介が、背筋を伸ばして話す姿に流生は圧倒された。
それと同時にレモンを食べた時のような、酸っぱい感覚が全身に駆けめぐり、思わず手をギュッと握りしめる。
あれ? 俺ってもしかして、めちゃめちゃ子どもっぽい……?
「じゃあ……豆ノ介は、妖怪学園にとっては転校生みたいな感じ?」
流生はその気まずさをごまかすように質問を続けた。
「あ、そうそう。普通に人間だけの小学校から転校して、妖怪学園に入学するんだ。妖怪学園の入学は十二歳の十月って決まってるから、僕はちょっと早めに中学に入るような感じだよね。」
妖怪と人間のハーフ。
豆ノ介は、そして他の子たちは、いつそれを知ったのだろうか。誰から? 親から? もしかしたら、俺もそうなのか?
流生は自分の親が妖怪である可能性を、今までまったく考えていなかった。
で、でも駅では人間って言われたし……どういうこと?
指先がひんやりと冷たくなっていく感触がした。先ほど電車の中で見えた、豆ノ介の真っ白な顔が頭をよぎる。目も鼻も口もなく、豆腐のようにつるりとした顔だった。
……自分も妖怪だったら、なんかショックだ。
流生はそう思った。でも、そう思ってることが、豆ノ介や風下を傷つけるような気がする。これ以上、何も考えたくなくて、視線を横にいる豆ノ介から思いっきりそらした。
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