第2話 名前を間違えられた誕生日ケーキ
「まだ入っちゃダメ!」
流生が赤い目をこすりながら、トイレから出てリビングに向かおうとすると、中から廊下に向かって、三人の大きな声が響いた。
「お父さん、早くそのメガネかけて!」
「クラッカーどこ??」
「どうしよう、まだケーキ冷蔵庫に入れたままだ!!」
サプライズどころじゃない。廊下に締め出されたままリビングに入ることができず、流生はつい笑ってしまった。
しばらく廊下で立ったまま待っていると、
「どうぞー。ヒヒッ。」
笑いをこらえきれない結人の声が聞こえた。流生は、廊下からリビングの中に入る。
「サプライズー!!」
三人の明るい声がリビング中にこだまする。流生は今初めて知りました、というように目を見開いて、笑いながらリアクションした。しかし、さっきまで泣いていた目がパンパンに腫れている。流生の顔を見て、おじさんと結人が一瞬、固まった。おばさんがすかさず二人に目線を送った。お前ら余計なこと言うなよ、という強い目線だ。
リビングは風船や旗で、華やかにハッピーバースデーの飾り付けがされていた。テーブルの上にはたくさんのご馳走もある。ポテトフライに唐揚げ。ミニトマトとレタスは邪魔だけれど、流生の大好きなおばさん特製の照り焼きチキンと、おいなりさんもあった。
嬉しい。本当に、この家の人たちは優しい。
先ほどまで凍え切ったように冷たかった流生の顔に、じんわりと血の気がさしていく。
「流生、お誕生日おめでとう!」
「今日は特別にコーラで乾杯しよう!」
おじさんが言うと、流生より先に結人が
「やった〜!」
と声を上げた。みんなが百均で買ったテンションの高いピエロのような帽子と、「HAPPY BIRTHDAY」と書かれた謎のメガネをかけている。おじさんは間に合わなかったのか、片方のメガネのつるが外れていて、なんだか酔っ払いみたいに流生の目に映った。
「そうそう、ケーキ! 急いでろうそく立てなくちゃ。」
おばさんと結人が楽しそうに冷蔵庫に向かう。
「流生! 実は俺、今日委員会じゃなかったんだ! このケーキ取りに行ったんだよ。気づかなかっただろ??」
結人が台所から、ものすごく嬉しそうな大きい声で流生に声をかける。
「結人が斜めにしてないか心配だよ。」
心配性のおじさんがリビングでポツリと言う。
「絶対、大丈夫だよ。俺、両手で持って帰ってきたもん。」
すると、結人が頬をふくらませて対抗した。この二人はすぐ言い合いになるから流生はいつもヒヤヒヤしてしまう。
「どんな形になってても嬉しいよ。」
流生が場をつくろって言うと、結人がおじさんに「ほら見ろ」と言わんばかりにドヤ顔を返した。
「あれっ?」
台所からおばさんの声がする。
「どうした? やっぱりケーキがぐちゃぐちゃになってたんじゃ……」
おじさんが心配そうに台所に向かう。結人がまたかよ、と言うような目でおじさんを睨むので、流生も二人が心配になって、一緒にリビングの横にある台所に向かった。
「違うの。お店の人がプレートの漢字、間違えちゃったみたい。」
台所でつやつやとしたイチゴのショートケーキを持って、その場に立ち尽くすおばさんをみんなで囲む。ケーキの真ん中にあるチョコレートのプレートには
「流星⭐︎お誕生日おめでとう」
と書いてあった。
「ちゃんと漢字も指定したのに……。」
おばさんが残念そうにつぶやいた。
「車で交換しに行ってこようか? 結人、ちゃんと確認しなかったのか?」
「え、ただ受け取るだけだと思ってたから、中身までチェックしてないよ。だって取りに行ったら、もうきれいに袋に入ってたんだもん。」
何を言われても大して気にしない結人が、めずらしく悲しそうに反論する。
「でも、ちゃんと確認しないから……。」
「大丈夫!!」
おじさんと結人がまた言い合いを始めそうなところを、流生がさえぎった。
「俺の漢字は珍しいから、間違えることよくあるじゃん。このままで充分だよ。みんなありがとう!」
流生はにっこり笑って、台所中に聞こえるような大きな声で言った。
「……流生、ごめん。」
結人が下を向いて、謝った。
「まじで全然、大丈夫!取りに行ってくれてありがとう、結人。本当に嬉しいよ。プレートなんて、どうせ食べちゃえば一緒なんだし。」
結人が落ち込んでないか心配になり、流生はわざと明るく声をかける。
「じゃあ、そのプレート俺ちょうだい。」
「やるか!」
ようやく結人のいつもの調子が戻り、流生のツッコミが普段通りに決まる。その瞬間、プッとみんなが吹き出した。みんなの顔に笑顔が見えて、流生は心からほっとする。
俺のためにケンカしてほしくない。だって、三人は本当の家族なんだから。
そう思った瞬間、今、頭をよぎった考えさえ、自分が悲劇の主人公ぶってるような気がした。流生は恥ずかしさのあまり、自分の部屋に戻りたい衝動にかられる。三人にそんな自分を見透かされるのが嫌で、流生は結人を茶化しながら、みんながつけているヤケに明るいバースディ眼鏡をかけた。
おばさんがショートケーキを食卓の真ん中に置く。ケーキに色とりどりのろうそくを十二本立てると、おじさんがライターで火をつけた。
「結人、電気消して。」
「あいあいさー。」
電気が消えたのを合図にして、リビングの中に、みんなのハッピーバースデーの歌が響き渡る。嬉しくて、少し照れくさい時間。そんな一年で一番の嬉しい瞬間に、流生は胸の中で言葉にならない気持ちが、ぐるぐると渦を巻き始めるのを止めることができなかった。
自分の誕生日に、本当の両親はここにいない。
それどころか、的外れなプレゼントを送ってきた。
親の顔なんて見たことがない。
今、街ですれ違ったってお互いに気づけないだろう。
そんな考えに飲み込まれているうちに、目の前にいるおじさんとおばさんと結人が、流生のために用意してくれた赤いイチゴのショートケーキが、流生には段々とにじんで見えてきた。ろうそくのオレンジ色の光がやけにまぶしく、遠いもののように流生は感じた。気を使いながら、明るくハッピーバースデーを歌ってくれる三人にバレないように、流生は必死で涙をこらえる。
「ハッピバァーすデェ、でぇあ〜、リューセぃい♪」
一番大きな声で歌ってくれているおじさんは、ちょっと音痴だ。でも流生が少しでも元気になるようにと、一生懸命、わざと大きな声で歌ってくれていることに流生は気づいていた。おばさんがいつも通り、るんるんで歌っているのは変わらないけれど、今日は結人まで、声を出して歌っていた。
前回のおじさんの誕生日には「嫌だよ、恥ずいし」とか言って、全く歌わず、おじさんをまたムッとさせていたのに。
流生は立派なショートケーキの上に乗った茶色のチョコレートプレートを見る。
「流星⭐︎お誕生日おめでとう」の文字。
流星って誰だよ。俺は流生だよ。
流生が見たこともない両親がつけた名前。もしも俺がこの家の子だったら、名前はここに書いてある流星だったのかもしれない。
「お前はこの家の子になれないよ、だって名前が違うじゃん。」
このチョコレートプレートを見ていると、流生はそう言われているような気がしてならなかった。涙を必死で引っ込めた後、流生は笑ってろうそくの火を吹き消す。嬉しそうに笑い返してくれるみんなの笑顔が眩しくて、ここにいる自分が流星ではなくて、流生であることを、後ろめたく感じた。
流生はチョコレートプレートをこれ以上見ていたくなくて、はしゃいだフリをして、一番最初に口に入れた。
証拠隠滅だ。見えなくしてしまえばいい。気づかないふりをして、忘れてしまえばいいんだ。名前の違うチョコレートプレートも、親から届いた的外れなプレゼントも、両親が自分のことを全く知らないという事実も。
流生は胸が苦しくなった。いつもなら秒で食べ切るショートケーキも、今日は食べきれそうになかった。
***
「流生、大丈夫?」
パーティーの後、流生はおじさんとおばさんからもらった新作のゲームソフトで遊ぶこともせずに、布団に入ってしまった。心配して、電気を消した流生の部屋を結人が、そっとのぞいてきた。
サッカーボールのこと、おばさんから聞いたのかもしれない。
少し身構えながらも布団に入ったまま
「大丈夫だよ、どうした?」
一応、年上らしく流生はたずねた。
結人は背が高いため、よく流生と同級生に間違えられるが、実は一つ年下の五年生だ。すらっとしていて、スポーツ用のメガネをかけている。一見、スポーツも勉強もできそうに見えるようだが、実際のところはどうなのか、皆よくわかっていない。
「地頭はいいと思うんだけど、勉強やる気がないんだよな……。」
「運動できないわけじゃなさそうだけど、すぐサボるから……。」
おじさんが、流生にそうぼやくことは一度や二度ではなかった。つまり、何でもそれなりにできるのだけれど、本気を出すことがなく、しかも飽きやすい、と今のところなっている。
実は流生が幼稚園の頃から続けている空手も、最初は結人も一緒にやっていた。しかし、結人はすぐにやめてしまい、その後も両親が色々な習い事をすすめたが、長続きしないまま現在、五年生になっている。途中から学習塾にも通い始めたが、それもサボりがちだ。
そんな中、結人が自分からやりたいと言い出し、唯一長く続いている習い事が、プログラミングだった。近視が強くなり、五年生にしてメガネがどんどん分厚くなりつつある結人が、画面を長時間見る習い事を始めることは、おばさんにとって、あまり嬉しくないことだったようだ。しかしめずらしく本人がサボらず、文句も言わず、楽しそうに通っているので、しぶしぶ通わせ続けている。
「流生みたいに、運動系の習い事に通ってくれたらよかったのに、ね。」
結人の母が茶化しながらそう同意を求めるたびに、流生は誇らしいような、結人に謝りたくなるような、複雑な気持ちになるのだった。
「用があるわけじゃないんだけど……。」
結人が床に転がったサッカーボールと、散らばったノートを気まずそうにチラッと見た。
「久しぶりに、一緒に寝てもいい?」
「……いいけど。結人、オナラすんなよ。」
「ブッー。」
結人が流生の顔に尻を近づけて、オナラのふりをする。
「やめろって。」
流生が結人の尻をふざけて叩くと、振り向いた結人が急に真面目な顔で、パジャマ代わりのジャージのポケットから、そっと半分溶けたアイスノンを差し出した。
「これで冷やしたら?」
いつからポケットに入れていたのだろう。冷たくなかったのだろうか?
昼間はまだ暑いとはいえ、茨城の夜は最近、ずいぶん寒くなってきた。アイスノンが半分溶けかかっているということは、結人が冷凍庫から取り出して、時間が経っているということだ。その間、結人は冷たいアイスノンをポケットに入れたまま、流生の様子を部屋の外からうかがい、入るタイミングを見計らっていたのだろうか。
アイスノンを受け取りながら、流生は胸が熱くなった。
「もうちょっと奥いって。」
「うわ、痛って。 結人、踏むなよ。」
感動した気持ちも一瞬、結人に流生はベッドの端に追いやられる。
「狭いんだけど。」
不満そうに流生が言うと
「ま、いいじゃん。誕生日なんだしさ。」
結人がヘラヘラ笑いながら、なあなあにした。
流生が六年生になってから、二人の部屋は別々になったので、一緒に寝るのは約半年ぶりだった。流生も結人もクラスの中で背が高い方だったので、普段寝ている子ども用のベッドに二人で横になると、お互いにかなり狭く感じる。普段でも、たまにこうして部屋を行き来することはあった。しかし大抵の場合ふざけすぎて、横になる前におじさんとおばさんにそれぞれの部屋に戻されるので、こうして同じベッドに静かに横になるのは、久しぶりのことだった。
「なあ、流生。」
「なに。」
天井を見ながら、流生が答える。
「サッカーボール、蹴っとばしたろ。」
結人がいつもの調子で、からかうように流生に言った。
「……うるさい。」
つぶやくように流生が答える。
「ムカついた?」
「別に。」
しばらく沈黙が続く。暗闇の中で、結人の息の音だけが流生には聞こえた。すると思い切ったように、結人が言う。
「俺さ、ケーキの名前、間違ってるの気づかなくて……本当にごめん。」
結人があやまる必要ないと流生は思った。しかし、あまりにも結人が真剣に謝るので、大丈夫という前に、自分を心配してくれるのが嬉しくて不思議と頬がゆるんだ。
でも。
あの漢字の違うバースデープレートを見た瞬間のことを、流生は思い出す。なぜそう思ったのかは、わからない。しかし、どうあがいたって、自分はこの家の本当の家族にはなれないのだと、あのとき理解してしまった気がしたのだ。
誰も悪くない。誰のせいでもない。
流生は頭の中で、繰り返す。なのに、あのケーキに書かれた自分の名前じゃない名前が、消えては浮かんでくる。
結人に今の気持ちを話して、なぐさめてもらいたい気持ちが顔をのぞく。しかし、床に転がっているサッカーボールのように、期待してがっかりさせられる恐怖に、流生は口にするのを思いとどまった。
「……いいよ。悪いのはケーキ屋だろ。」
「そっか。」
また沈黙が訪れる。
二人で寝る時はいつもふざけ合っていたから、こんなに静かなのは初めてだった。流生も結人も、ただ真上の天井を静かに見つめていた。
「流生、つらかった?」
結人がぽつりと聞く。その言葉が暗闇の中に、異様な存在感を持って現れたように流生には思えた。
答えたくない。答えたら負けな気がする。つらかったと言ったら、本当につらくなってしまう。
流生は余計な本音を吐かないよう、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「全然。」
感情を込めずに、ぼそりとつぶやく。
「そっか。」
結人はそれ以上何も言わなかった。これ以上聞いても無駄だと、わかっているのだろう。それが流生には寂しいけれど、ありがたかった。
それから二人の会話はほとんどなく、お互いに独り言のように今日あったことをボソボソと話した。気まずい沈黙の後、しばらくして、すうすうと結人の寝息が規則正しく、暗闇に響き出す。
流生だけが、まだ起きていた。
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