第1話 大嫌いな誕生日
十月にやってくる誕生日は、流生にとって一年で一番、ゆううつな日だった。
おばさんは知っている。流生の両親が誕生日に帰ってこないことも、流生がそれをずっと寂しがっていることも。だから流生は、自分の誕生日が大嫌いだった。
誕生日を覚えてもいない両親なんて嫌いだ。それを寂しいと思ってしまう自分も嫌いだ。
そして、そう思っている自分のせいで、一緒に住んでいるおじさんとおばさん、そして年下の結人に気を使わせてしまうことも、たまらなく嫌だった。
今年も、家に帰る足取りが重い。明るく振る舞うのがツラい。喜んでいるふりをするのがツラい。
どうせ両親は会いに来ない。もう誕生日も覚えていないかもしれない。毎月届く仕送りだって、銀行から自動で送られてくるだけかもしれない。
そう思えば思うほど、こぼれそうな涙を必死にこらえなければならなかった。
今日はいつも一緒に帰っている結人が図書委員だったので、一人で帰れる。それだけが、救いだった。
流生はかぶっていた帽子を鼻の下まで引き下げる。こうすると自分の足先くらいしか見えないけれど、今の顔を誰かに見られるよりマシだった。
家の前で、少し気持ちを落ち着かせてから、玄関のドアを開ける。いつも通り「ただいま」と言おうとすると、おばさんが今まで見たことのないくらい嬉しそうな顔で、中くらいの段ボールを抱えて飛び出してきた。
「流生、おかえり! これ、なんだと思う?」
「……わかんない。またおばさん、携帯で何かポチったの?」
おばさんはすぐSNSを見て、痩せて見える服とか、お腹がスッキリするお茶とか買ってしまうのだ。
「違う違う! 流生のお父さんとお母さんから届いたんだよ!」
「え? ウソ!?」
「ホントだよ! やったね、よかったじゃん! きっと誕生日プレゼントよ。」
流生は言葉を失った。呆然とする流生をよそに、おばさんは段ボールを抱えたまま廊下を「やったー!!」とくるくる回って踊っている。自分のことのように嬉しそうだ。
「流生はいつもお父さんとお母さんは俺のことなんか忘れてるよって言うけど、ちゃんと覚えてるのよ! 今までは、本当に仕事が忙しかっただけだよ!!」
「あ……うん。」
流生はうまく言葉が出なかった。今まで期待しても期待しても、親からは誕生日プレゼントどころか、手紙も電話も、メッセージの一文すらきたことがなかった。ずっと堪えてきた寂しさが、一気に溢れそうになる。
おばさんの前で泣き出すのが恥ずかしくて、流生はできるだけそっけない仕草で「ありがとう」と言い、段ボールを受け取った。
「どうする? 今開ける? カッター持ってこようか?」
「いや、いいよ。後で開ける。」
段ボールを持つ手が、震えていた。おばさんに気づかれないよう、なるべくいつもと同じペースで階段を上がり、自分の部屋に向かう。
本当は駆け出したかった。早く部屋に飛び込んで、両親が何を送ってきたのか見てみたかった。生まれて初めて、本当の両親からもらう誕生日プレゼント。胸がドキドキして、気づくと口元がニヤついている。
階段を上りながらも、おばさんの嬉しそうな視線を背中に感じる。おばさんは泣き虫だから、きっともう目に涙を浮かべているのだろう。
「箱を開けるときに、中のもの、傷つけないようにね!!」
一緒に開けたいだろうおばさんが、我慢しながら一階から叫んだ。
自分の部屋の扉を閉めて、段ボールをそっと床に置く。流生はペン立てからカッターを取り出して、慎重にガムテープを切った。
十二歳になって、やっと両親に会えるんだ。
もちろん箱の中に両親が入っているわけではないのは分かっている。けれど、流生にはそう思えた。
流生は、今まで両親と一度も会ったことも話したこともない。物心がついた時から、遠い親戚のおじさんとおばさん、そしておじさんとおばさんの子供の結人と、この茨城の家で暮らしてきた。だから、両親がどんな人物なのか、ほんの少しでも分かるかもしれないと思うと飛び上がりたいくらい流生にとっては嬉しかったのだ。
息をゆっくり吸って吐き、少し落ち着いてから、段ボールをそっと開けてみる。期待で自分の指が震えているのを見て、流生はため息をつく。それから意を決して、箱の中をのぞいた。するとそこには、包装紙に包まれた丸いものが一つ入っていた。包装紙を外すと、サッカーボールが現れた。
「……サッカーボール?」
一瞬、流生の思考が止まる。
なんでサッカーボールなんだ?
体中の力が抜けて、流生はしばらく箱の中を見つめていた。体が重い。このまま地面の中に埋もれてしまいそうだった。
父さんがサッカーが好きだったのだろうか。それとも母さんがサッカー選手だったのだろうか。
そんなことを考えていると、流生の目から涙がこぼれて、ボタッと音を立てて段ボールに落ちた。明るい茶色の段ボールに、黒い大きなシミがどんどんついていく。
「父さん、母さん……俺。」
つい涙と一緒に、感情があふれた。
「サッカーなんてやってねえよ。」
俺がやってるのは空手だ。幼稚園からずっと続けてる。週二回、おばさんが仕事を早退して、わざわざ車で送り迎えしてくれる。けっこう有名な道場に通ってるんだ。小さい頃から結人と一緒に毎週見てたスーパー戦隊みたいなヒーローになりたくて。みんなを守れるように、強くなりたくて始めた。がんばって茶帯まで取った。小学六年で茶帯って優秀なんだよ、うちの道場じゃ。中学生になったら黒帯の試験も受けさせてもらえる約束だって、ちゃんと師範としてるんだ。
心の中のつぶやきがあふれ出すかのように、流生の涙がボロボロとこぼれ続けた。肩が、我慢しきれずに大きく上下する。力を込めて握りしめた手のひらが燃えるように熱い。
俺の両親はそんなことも知らないのか。
連絡もくれない両親を責めるようなことを、今まで流生はしないようにずっと我慢してきた。そうすれば、もしかしたら両親がある日、急に帰ってきて、空手を頑張っている自分を「すごいね!」そう褒めてくれると信じていたのだ。
「頑張ったな」「大きくなったな」って。
ドカン!!!
流生はサッカーボールの入った段ボールを、思いっきり蹴った。段ボールとサッカーボールが本棚に激突して、本棚がぐらりと揺れ、ノートがバラバラと音を立てて床に散らばる。
「大丈夫!? 流生、どうしたの?」
おばさんが心配して、勢いよく部屋のドアを開けた。
「入ってこないで!!」
思ったより大きな声が出て、おばさんがびくっと体をこわばらせる気配が流生には分かった。おばさんを怖がらせたことが申し訳なかったけれど、流生は悔しくて涙を止めることができない。
ノートや段ボールと包装紙が散らばった部屋。床に転がる見慣れないサッカーボール。
両親が送ってきたプレゼントの中身がこれだということに、きっとおばさんも気づいただろう。両親が、自分のことを、何も知らないということにも。
流生はおばさんに知られた恥ずかしさと、親への悔しさで頭がグチャグチャだった。
「流生……。」
おばさんが流生の肩に優しく触れた。
「……触らないで。」
聞き取れないくらい小さな声で流生は答えた。おばさんが悪いわけじゃないと分かっている。ただ今は、誰の優しさも受け入れることができなかった。恥ずかしいから涙を止めたいのに、うまく止まらない。流生は唇をグッと噛み締め、肩を震わせ、床にポタポタ涙を落としながら、下を向くのが精一杯だった。
「大丈夫だよ。」
おばさんがそっと流生に声をかける。先ほどの衝撃で本棚から床に落ちたティッシュ箱を拾うと、そっと机の上に置いて言った。
「誕生日パーティーの用意ができたら呼ぶから、少し休んだら?」
「……うん。」
流生が返事をすると、おばさんはそっとドアを閉めて、出て行った。
おばさんはいつも優しい。両親とは大違いだ。
流生はベッドの上に倒れ込み、布団に顔をうずめる。
いっそ両親なんて、いなければよかった。どこかの細胞のように、分裂して生まれたかった。誕生日プレゼントなんて送られてこなければよかった。
流生がそう思えば思うほど悔しくて、自分が両親に期待していたことが、みじめに思えた。しばらくすると涙も鼻水も出つくして、目の周りだけがジンジンと熱い。あとでおばさんに怒られることは分かっていたけれど、流生は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を洋服の袖で無理やりふいて、ベッドに潜り込んだ。喉が渇いて、口の中に血の味がする。
ひとりになりたい。誰の声も、誰の優しさも、今は届かない場所にいたい。
そう思いながら、真っ暗な布団の中にいるうちに、流生はいつの間にか、うとうとしていた。
***
流生が目を覚ますと、眠る前には夕焼けに染まっていた窓の外が、すっかり暗くなっていた。いつものように階段の下からテレビの音が聞こえ、少し開いた流生のドアの隙間から、一階のリビングにある食事の美味しそうな匂いが入ってくる。いつの間にか、おじさんと結人も帰ってきたようだった。
頭が重い。目の周りは泣いたせいでヒリヒリして、枕カバーが冷たく湿っている。口の中には、まだ血の味が残っていた。
「お父さん、Amezonから届いた流生の誕生日プレゼント、どこに隠してたか覚えてる?」
トントンと何かを切る音と、おばさんの声。
「いつもの押し入れの、上の段でしょ〜?」
おじさんは電子タバコを吸いながら答えたのだろう。語尾にフゥッと息をのばす音が二階にいる流生にも聞こえた気がした。
「違うでしょ。毎年同じ場所だとバレちゃうから、今年はお父さんの車のダッシュボードの中って言ったじゃない。」
おばさんが、ちょっと不機嫌そうに答える。おじさんはすぐにおばさんの話を忘れるので、よく注意されるのだ。
「え、あそこに隠してたんだ。俺、聞いちゃったー!ヒヒッ。」
嬉しそうな結人の声。流生へのプレゼントの隠し場所を聞いて、にやにやしながらチェックする結人の姿が、流生の目に浮かぶ。結人は、こういう隙を見つけて人をからかうのが大好きなのだ。それでよく、おじさんを怒らせている。
「あ、そうだった! 結人がいたんだ。しまった!」
毎回、律儀にひっかかるおじさんもおじさんだよな、と思いながら、流生はリビングの会話に耳をすませた。
「お前の誕生日も、渡す前にプレゼントを見つけたら、プレゼントなしだからな。」
からかわれるのが大嫌いなおじさんが、本気でムッとしているのが流生には分かる。結人も結人で、おじさんにも、先生や友達にも何度も怒られているのに、同じことを繰り返し続けてケロッとしているから、流生には不思議でしょうがない。
「……それにしても流生の好きなゲームソフト、ちょうど発売日が近くてタイミング良かったね。」
結人が話をそらすように言った。
「結人、そういえば、学校帰りにケーキ受け取ってきてくれた?」
おばさんが思い出したように結人にたずねる。
「もちろーん。冷蔵庫の奥に隠してあるよ。ちなみに流生には図書委員会の集まりって言っといたから、サプライズバッチリ〜!」
ヒッヒッヒッと笑いながら答える結人の声が、今日いちばん大きな声で二階まで響いた。
聞こえてるって。
二階の部屋の中で、流生はつい突っ込んでほほえむ。この家はドアが開けてあることが多く、家中の会話が大体、つつ抜けなのだ。流生の部屋も眠る前は、おばさんが扉を閉めて出て行ったが、今は少し開いている。
誰か、寝てる間に心配して様子を見に来てくれたんだな。
心配性の三人を思うと、流生は嬉しさが込み上げてクスリと笑った。しかし、笑っているはずなのに、気づくとまた、涙が流生の頬を伝って落ちる。ずっと口に出してはいけない、考えてもいけないと思っていた気持ちがあふれ出す。
この家に生まれたかった。本当のこの家の子になりたかった。
顔も知らない、連絡もくれない父さんと母さんの子じゃなくて、結人と同じ、この家の子になりたかった。
おじさんに
「うちの息子は空手頑張ってるんだぞ!」
そう自慢してもらいたかった。
おばさんの
「流生はすぐ我慢しちゃうから、もっと甘えていいのよ。」
その言葉を、素直に受け取って甘えたかった。
人をすぐからかってトラブルを起こしがちな結人に
「兄ちゃん、助けて!」
そう言われたら一目散に助けに行くような、かっこいい兄貴になりたかった。
ただ、そう思うたびに、流生の胸はチクリと痛む。両親にされた扱いに怒りを覚えながらも、本心では、誰よりも父さんと母さんに会って、そして甘えてみたかったから。この家の子になりたいと本心から願ったら、両親が傷つくのではないかと思ってしまうから。
なんで一緒にいてくれないんだよ。
また流生の目から自然と涙がこぼれる。泣いてるつもりがなくても、本当に悲しいと涙って勝手に目から出るということに、この夜、流生は初めて気がついた。
「しょっぺ。」
もう涙なのか、鼻水なのか、分からないものが口に入ってくるのを、流生は止める気にもならない。そのままぼんやりとうす暗い部屋の中を見ていると、だんだん目が慣れて、部屋の中がクリアに見えるようになってきた。
本棚から落ちたノート、後で拾わなくちゃ。
そう思いながら部屋を見渡すと、不思議と流生には、床に転がったサッカーボールがやけに光って見えた。
連絡も取れない両親が俺のこと、知ってるわけがなかったんだ。期待した自分が馬鹿だった。
ため息をつきながら重い体を起こして、流生は足音を消して、ゆっくりと一階に降りていった。
リビングからは、三人の楽しそうな声が聞こえてくる。この顔のまま入っていったら、また心配をかけてしまう。流生はそっと廊下の奥の洗面所に入り、鏡を見つめる。洗面台の鏡に映った目は、まぶたがぷっくりと腫れて、真っ赤だった。冷たい水で顔を洗ってみたけれど、あまり変わらない。
やるだけ無駄か。
あきらめて洗面所を出ようとしたとき、ふいにトイレに行きたくなった。
こんな時でもトイレに行きたくなるんだな。
そんな自分を流生はおかしく思いながら、トイレに入って鍵を閉めた。
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