第18話 南番地の極楽橋
「あれ? 橋なんてあったっけ?」
三人が駅からほんの少し歩くと、その先には、夕焼けに色濃く染まった朱色の橋があった。前を向いて歩いていたはずなのに、急に現れた橋に流生は戸惑う。しかし、若い駅員も豆ノ介も、何の驚きも見せない。
……こういう道が、この世界の当然なんだろう。
そう思って、流生は質問するのをあきらめた。
目の前に現れたように思えるその橋は、欄干も、柱も、すべてが赤とオレンジが混ざったような朱色だった。真ん中が山のように盛り上がった太鼓橋で、夕焼けの赤と橋の朱色が重なり、橋全体が静かに燃えているように見える。
橋の手前まで進むと古い木札が立っていて、黒い筆文字で「極楽橋」と書かれていた。
チョロ、チョロ。
チョロ、チョロン。
流生が耳を澄ますと、橋の下から、かすかに水の流れるような音が聞こえる。しかし水の音のはずなのに、なぜか誰かが小声でささやきあっているようにも聞こえる。
橋は、夕焼けを受けているにしても、あまりに鮮やかだった。人が作った橋に似ているのに、人が作ったものではない気がして、流生は不気味さを覚えた。
「極楽橋って……名前、ちょっと怖くない?」
口ごもりながら流生が言うと、豆ノ介が少し首をかしげる。
「そう? よく人間界の神社とか、お寺とかにもある名前だよ。」
若い駅員が帽子のつばに指を添えた。
「三途の川にかかる橋とも言われてるけど、たぶん、そうじゃないから安心して。まあ、似たようなものって言う年寄りもいるけど。」
安心できるような答えを期待していたのに、流生の不安はますます増した。
「また、たぶんって。なんか安心できない説明なんですけど……。」
今度は流生が口をとがらせた。
「大丈夫。渡った子は、だいたい学園に着いてるから。」
「えっ、だいたい?」
来たばかりなのに帰りたくなってきた。
不安そうな流生の顔を見て、若いカラス天狗の駅員は笑いながら言った。
「子どもなのに細かいこと気にするなぁ。橋がすねるから、もうこの話は終わり。」
「大丈夫だよ、流生。僕、お母さんと何度も通ってるから。」
「えっ、そうなの?」
豆ノ介の話を聞いて、流生は自分が若いカラス天狗の駅員にからかわれたような気がした。すると橋の手前で、若い駅員が動きを止める。
「はい、ここで一回止まりまーす。」
「なんで?」
「橋に挨拶するから。」
駅員は制帽のつばに指を添え、橋の方へ軽く頭を下げた。
「南番地駅務員、黒羽一枚が一羽。新入生二名を、学園まで案内します。うち白札一名。……通行、お願いします。」
新入生二名。その言葉が、流生の胸にひっかかった。
俺は新入生じゃない。親に会いに来ただけだ。妖怪学園に入るなんて、一言も言ってない。
その言葉が喉元まで込み上げたが、口に出せなかった。周りの空気に飲まれて、言葉が喉の奥に引っかかったまま動かない。すると隣で豆ノ介が質問した。
「あの、カラス天狗さんって、一羽って自分のこと報告するんですか?」
少し驚いた表情をした後、若い駅員は少し笑いながら答えた。
「自分でも無意識に使ってたから、気が付かなかったな。駅務上だと、役職とほぼセットになっているようなもんだからな。個人的に通る時は一名でもいいけど。」
黒羽一枚が役職のようだ。豆ノ介は少し考えた顔になった。
「じゃあ、僕が案内役のときは……江戸より続く、創業二百余年の伝統の味、豆ノ屋の後継が一丁か?」
「豆腐じゃないんだから。」
若いカラス天狗は真面目そうに話す豆ノ介の顔を見て、楽しそうに笑う。
「ですよね。」
豆ノ介も照れながら、満更でもなさそうに笑った。
その瞬間、橋がギシと鳴った。ただの木のきしみのようにも聞こえる。でも流生には、まるで橋が「通っていい」と言ったように聞こえた。流生と豆ノ介に続いて、若い駅員も橋へ足を踏み入れた。
極楽橋は、橋とは思えないほど急な上り坂から始まっていた。
どうなってるんだろう?
流生が確かめようと橋の下をのぞき込むと、下に流れている川が見えた。夕焼け色と青い光が混ざる水面の上を、白い霧がゆっくりと動いている。
しかし耳を澄ますと、川の水音のはずなのに、誰かが小声でクスクス笑っているような音にも聞こえる。そのうちに白い霧がふわりと動き、水面がふと見えた。
流生は水面を見て、思わず息をのむ。なんとそこには、なつかしい茨城の家の玄関が映っていた。
きちんと玄関に向かってそろえられた、おじさんの靴。家の中の方向に向いている、おばさんのサンダル。片方が裏返しになった、結人の脱ぎっぱなしの靴。そんな、みんなの靴を照らす玄関の明かり。
そして、玄関横にある開けっぱなしにされたリビングのドアから、おばさんの小さな泣き声が聞こえた気がした。
帰れるなら、今すぐ帰りたい。
流生の胸がギュッと締めつけられる。
泣いてるおばさんに怒られて、おじさんに心配されて、結人に文句を言われて。それで全部、いつも通りに戻れたらいい。
でも、流生はここまで来た意味も捨てられなかった。
せめて……一目でもいいから自分の両親を見てみたい。
流生は水面に映っている景色を真っ直ぐに見つめながら、口を一文字に結んだ。ふと気づくと、いつの間にか横に、若い駅員が立っている。
「見えたもの、全部本物とは限らないよ。」
そう静かにつぶやいた。
「じゃあ、ウソなんですか?」
「……ウソとも限らない。そういうのが一番面倒なんだよ、このへん。」
「はぁ、はぁ。二人とも早いよ。豆腐の箱はなくても、これじゃ疲れちゃう。」
遅れて息を切らしながら豆ノ介が二人に追いついた。
「……? 何見てるの?」
豆ノ介も橋から顔を出し、二人が見ている水面を見た。するとまるで劇場のカーテンのように白い霧がスルスルと水面を覆い、流生が見ていた茨城の家は見えなくなった。
「あれ? うちだ。」
「え?」
流生は驚いて、豆ノ介の顔を見た。そして再び水面を見ると先ほどまでの白い霧が一瞬で晴れて水面が見えている。今、水面に映っているのは、『豆ノ屋』という看板のかかった店先だった。
湯気の上がる大きな釜。白い布をきゅっと絞る豆ノ介のお父さんらしき人。大きな水槽のような場所に規則正しく並ぶ、白い豆腐たち。
店先には、エプロンをかけてお客さんに笑いかける、豆ノ介のお母さんらしき人もいた。
「豆ノ介、そっちの箱お願い!」と呼ぶ声が店内に響き渡るのが、流生にも聞こえた。お客さんが「小さい後継さん、手際いいね」と嬉しそうに言う声も聞こえる。
お店の中には、木綿豆腐や絹ごし豆腐、カラフルな豆腐まで、パックに入れられて綺麗に並んでいた。店内にとても活気があるのが、水面越しでも分かる。水面に映る豆ノ介は、列車で抱えていた奉納用の大きな木箱を小さな体で支え、真剣な顔で運んでいる。
豆ノ介は橋の手すりに手をかけたまま、静かに言った。
「午前中はすごい忙しいんだ。水替えて、型出して、店頭用の商品を並べて……僕もけっこう手伝ってるんだよ。」
豆ノ介はちょっと照れくさそうに笑った。
「妖怪の世界だとさ、豆腐小僧って笑われるけど。うちでは、豆腐を一つでも落としたら大事件なんだ。人間界の神社にも、お寺にも、この学園にも、待ってるお客さんがたくさんいるからって。」
流生は、誇らしそうに自分の家の話をする豆ノ介の横顔を見つめた。
豆ノ介が運んでいたのは、家の人が作って、誰かが待っている豆腐だった。だから、あんなに大事そうに抱えていたのか。
隣にいる自分と同じ歳の男の子が、流生にはうらやましく、そして自分とは違う少し遠い存在のように感じた。
「……かっこいいね。」
豆ノ介が振り返った。
「え、豆腐が?」
「なんで豆腐なんだよ。豆ノ介が、だろ。」
「えっ。」
豆ノ介の顔が、夕焼けよりも少し赤くなった。
「あっ、そうかな。あはは、別にそんなことないけど。」
ぎこちない空気が、二人の間を流れる。照れくさいことを言ってしまったと流生は思った。その場を逃げるように離れ、さっさと橋を登り始める。
「あれ? もういいの?」
「あ、はい。」
若い駅員の問いかけにも、ぶっきらぼうに返事をして、もくもくと登っていく。極楽橋は真ん中が山のように盛り上がっている。流生はつま先に力を入れながら慎重に橋を登った。
流生は極楽橋の登り坂の真ん中あたりまできたところで、後ろを振り向く。豆ノ介は木箱を持っていない分、手持ちぶさたなのか、朱色の橋の手すりを撫でるように渡っていた。
若い駅員は、豆ノ介の後ろを歩いている。欄干側の黒い翼を少し広げ、二人の足元を見ている。橋から落ちないように気を配ってくれているのだと、流生には思えた。
この人、ふざけてるみたいだけど、ちゃんとした人なのか。
「落ちても拾うけど、できれば落ちないでね。報告書が増えるから。」
流生が見ていることに本人も気づいたのか、若い駅員が笑いながら言った。
三人が橋の一番高いところに到着する。橋を渡るのはこんなに一苦労なことだったかと疑問に思うくらい、三人とも息切れをしていた。
「振り返るなら、今だけね。」
そう言い、若い駅員が駅の方を振り向く。流生も振り返った。
南番地駅が、夕焼けと霧の中に溶けていくのが見える。木造の駅舎が薄くなり、ホームのざわめきが遠ざかり、駅前に並んでいた牛車の車輪の音はすっかり消えている。
流生が一瞬、まばたきをする。次に目を開けると、来た道は霧のようなものにおおわれて、もう何も見えなかった。
……本当に、戻る道が消えてしまった。
流生はそう思ったが、不思議と怖くはなかった。
橋の向こうからは、砂糖と醤油が少し焦げたような、ほんのり甘い匂いが漂ってくる。楽しそうに笑う子どもたちの声も、かすかに聞こえてきた。
帰れなくなったというより、みんなが本来いるべき場所へ帰っていくような感じがした。
「行こうか。」
若い駅員が流生の背中をポンと押した。三人は今度は、橋を下り始める。橋のてっぺんから向こう側へ続く下り坂も、上りと同じくらい急だった。
流生と豆ノ介は前に倒れないように後ろに重心をかけながら、なるべくゆっくり進む。
「えぇー! 何これ? こっわ!」
思わず流生は声を上げた。
「気をつけろよー! こんなところで転んだら、崖から落ちるようなもんだ。」
若いカラス天狗の駅員の声が聞こえた。どんなふうに降りるのが正解なのかと、流生が駅員の方を見ると、彼は黒い翼を出して、ふわふわと浮いていた。
「あー! ずるっ! 豆ノ介、見てよ、駅員さん。」
「あ、ほんとだ! 駅員さん、ずるい!」
「いやいや、ずるくないよ。だって俺、カラス天狗だよ? 飛ぶのが仕事みたいなもんだ。ほら、さっさと渡りな。」
「ちぇー!」
二人が唇を尖らせながら言う。
「それに、駅を離れたら、俺のことは風下って呼んで。……なんか駅から離れてまで駅員さんって言われてると、恥ずかしいじゃん。」
若いカラス天狗の駅員は、ポッと頬を染めながら言った。
「……でも、制服着てるし、明らかに駅員さんだけどね。」
豆ノ介がやさしい目で駅員さんを見ていた。
「……だな。大人って、たまにワケわかんないとこにこだわるよな。」
流生もよく分からなかったが、どちらでも良かったので、とりあえず同意した。
それまで慎重に橋を渡っていた流生と豆ノ介だったが、橋を渡る最後の三歩だけは、二人で、重心を前にかけて思いっきり駆け降りることにした。
「せーのっ!」
二人で同時に足を前に出す。ダダダダとすごい音が橋に響き渡った。思った通りスピードがかなり出て、橋から地面に着地した流生は止まりきれず、さらに二、三歩走った。足の裏がジンジンと熱い。隣では豆ノ介も、つんのめりながら足を止めている。顔を見合わせると、二人とも笑ってしまった。
「いやぁ、青春だねぇ。」
若く見えるのにおじさんのようなことを言いながら、風下は黒い翼を動かし、二人のそばへ軽々と降り立った。
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