第15話 前例のない来訪者
電車が速度を落とすにつれて、窓の外に、木造の駅舎が見えてきた。
夕焼けに溶けてしまいそうな、赤ともオレンジともつかない小さな瓦屋根。古びた木の柱。周りにほかの建物は見えず、駅舎だけがぽつんと立っていた。ホーム全体も夕陽で赤く染まっていた。駅名標には、黒い文字でこう書かれている。
『南番地駅』
その下に、小さく読み仮名があった。
なんばんち。
電車が止まる直前、外を飛んでいたカラス天狗たちが、すっと高度を下げ、ホームの端に音もなく降り立つ。ばさり、と黒い翼が一度だけ広がった後に、まるで何事もなかったみたいに、翼を背中に畳む。制服の乱れを直し、制帽の位置を確かめ、駅の壁に掛けてあった切符鋏のようなものを取り、腰へ下げる。
飛んでいた時は、大きな鳥のように見えたが、ホームに立つと、その動きだけはふつうの駅員さんそのものだった。プシューと空気の抜けるような音と同時に、電車のドアがバタンと勢いよく開いた。
「足元にお気をつけくださーい。」
ホームから若い男性の声が、車内まで届く。流生が窓の外に目をやると、さっき窓のそばまで来て、制帽のつばに二本の指を添えていたカラス天狗の男性がいた。その制帽の横には、黒羽が一枚だけ差してある。少しやる気がなさそうだけれど、大きな声で子どもたちに声を掛ける。ほかの駅員より少し若いように見えるが、背中の翼は周りよりも大きい。
「新入生はこっちですよー。泣いてる子、荷物に食われてる子、親と間違えて駅長の足につかまってる子も、まとめてこっちでーす。」
「ぎゃっ。」
ホームのどこかから、子どもの叫び声が聞こえた。
誰かがまた、カバンに足でもかじられたのかな?
ふと、流生は自然にそう思った。そして、すぐ後に気づく。
いやいや、ふつうはカバンに足なんて、かじられないだろ。どうした俺!?
「ね、豆ノ介。俺、自分が怖い。」
「何が?」
豆ノ介が降りる用意をしながら、返事をする。
「この世界に馴染みすぎてて……。」
豆ノ介はパチクリとまばたきをした後、アハハと大きく笑う。
「たしかに! さっきはグーグー寝てたもんね。特に0番線電車は、昔の妖怪がその頃の日本の文化をマネして作ったらしいから、馴染みやすいのかもしれない。」
「へえ、そうなんだ。」
妖怪にマネされるなんて、人間もなかなかやるじゃん、と思いながら窓の外を見ると、ホームに、子どもたちがわらわらと降りていくのが見えた。
額に小さな角のある子。耳が少し長く尖っている子。首に蛇を巻いた、人間とほとんど変わらないように見える子。背中のあたりに小さな羽が見えている子。影だけが、やけに大きな獣になっている子。
「僕たちも、降りよう。」
たくさんの妖怪の子どもたちの中に、流生もまじって、豆ノ介と一緒にホームへ降りた。その瞬間、足元の床がぎしりと鳴る。驚いて流生が下を見ると、ホームは本物の木で建てられていた。木がすのこ状になっていて、隙間から少し下の地面が見える。
「うっ、なんか、スースーする。」
「え、そう? こんなもんじゃない?」
そう言って豆ノ介は、慣れた足取りで進んでいく。重そうな豆腐の木箱を持って歩く豆ノ介の足元の木は、ギシギシと大きな音を立ててゆがんで見えた。
「見てるこっちが怖いよ……。」
まだ馴染みきっていない自分に何だかホッとしながら、豆ノ介の後に続いた。ホームの向こうでは、改札の前で駅員さんが新入生に説明をしている。
「改札を出たら赤札の子は、右の列。青札の子はその隣。黄札、黒札は案内板を見てください。札が見つからない子は、まず鞄の中を探して。それでもなければ、カバンに聞いてみてください。」
「すいませーん! カバンが寝てたら、どうしたらいいですかぁ。」
「起こして。」
「起こすと怒ります。」
「じゃあ、怒られながら探して。」
その周りにいた子どもたちが、ケタケタと笑う。流生も通りすがりに、つられて笑いそうになってしまった。
子どもたちが説明を聞いている先に、改札を出るための列ができていた。豆ノ介と流生は、その最後尾に並ぶ。流生は思いっきり背伸びをして、列の先にある改札に目をこらした。
列の先に見える南番地駅の改札は、地下0番線の回転式改札とは違い、木と黒く光る頑丈そうな金属でできた低い門のように見えた。門の上に小さな鈴がついていて、子どもたちが改札の脇に付いた、インターホンのような木箱に札をかざすと、音が鳴る。
あれ、さっきと音が違う。
流生は背伸びをしたまま、次の子の手元を見た。かざしている札の色が、さっきの子とは違う。その次の子も見ていると、同じ色の札では、同じ音が鳴っていた。
赤い札の子が通ると、鈴が金属で叩かれたかのようなカンッという高い音。青い札の子が通ると、リーンと風鈴のような涼しい音がした。黄札の子は、チャリンとお賽銭を落としたかのような軽やかな音。黒札の子が通ると、ガランと神社の鈴を揺らしたみたいな深くて太い音がした。
流生と豆ノ介の番がきた。豆ノ介は片ひざに器用に豆腐の箱を乗せて、空いた方の手で首から下げていたひもを服の中からたぐり寄せる。緊張した面持ちで、豆ノ介は流生にも声をかけた。
「流生も、札出して。」
「わかった……。」
豆ノ介に言われて、流生は急いでポケットから白いカードを取り出した。
「お次の方、どうぞ。」
駅員さんから声を掛けられた流生は、みんなと同じように改札についているインターホンのような木箱に白札をかざした。その瞬間、改札の門の横に立っていた年配の駅員さんが、動きを止めた。
「……白札。」
年配の駅員さんはポツリとつぶやいた。
小さな声だったが、妙によく通る声。鳴るはずだった改札の鈴が、鳴らない。かわりに、ホームの空気だけが、すっと冷えた。改札の近くにいた子どもたちが、いっせいに振り返る。
「白札?」
「白なんて、本当にあるの?」
「さっきの子じゃない? 0番線で、黒くて銀の傷が入った通行銭を持ってたっていう……。」
「に、人間なの?」
「人間なのに入学するってことは……龍付き?」
「でも白札だよ?」
「人間がなんで、学園に来てるの?」
まるで池に小石を投げたときのように、ざわざわ、ざわざわと声が広がっていく。さっきまで新入生に説明をしていた駅員や、ホームで案内をしていた駅員たちまで、動きを止めて、流生の方を見る。豆ノ介が、木箱を抱えたまま流生を隠すように、前に半歩出た。
「ち、違うよ。流生は、その、えっと……。」
自分でも説明できないらしく、豆ノ介の声は途中で小さくなった。流生は豆ノ介の後ろで白札を持ったまま、どうしていいか分からなかった。何か悪いことをしたわけじゃない。ただ改札を通ろうとしただけだ。なのに、みんなが自分を見ている。
人間。白札。龍付き。
聞きなれない言葉が、針みたいに飛んでくる。そばにいた年配の駅員さんが、近寄ってきた別の駅員さんに低い声で言った。
「駅長を呼べ。」
その言葉で、周りの空気がさらに硬直する。駅員さんたちが、ホームの奥へ視線を向ける。
「駅長……?」
ゴクリと唾を飲み込み、豆ノ介と流生も、駅員さんたちの視線の先へ目を向ける。
するとホームの奥にいた、赤くて大きく長い鼻をした天狗面をかぶった制服姿のカラス天狗が、ゆっくり流生と豆ノ介に近づいてくるのが見えた。黒羽が三枚、制帽の横に差してある。背丈は二メートルを超えているのか、近づくたびにどんどん大きくなっていくように二人には感じられた。
赤い天狗面の奥に光る金色の瞳が、ギラリと光る。天狗面を被っているので、表情は全く読み取れない。その迫力に圧倒された流生と豆ノ介は、思わず後ずさりした。
「あの人が駅長? ヤバイよ、豆ノ介。どうしよう。」
「いざとなったら……逃げる?」
「その箱持って?」
「……うん。」
豆ノ介は半べそになりながら、木箱を抱え直した。逃げるときにも、置いていく気はないらしい。
その時だった。
「はいはい、先輩たーち。落ち着いてくださいって。」
先ほど聞いた軽い声が、硬直した空気をほぐした。さっきホームでだるそうに声を掛けていた、黒羽一枚の若い駅員が、流生たちと年配の駅員の間にすっと入る。すると流生たちに近づいてきていた駅長も、天狗面の奥の金色の目だけを光らせたまま、ぴたりと動きを止めた。
「新入生の初日ですよ。大人がこんなホームの真ん中で騒ぎを起こしたら、みんなびっくりしちゃうじゃないっすかー。」
「し、しかし! ……白札だぞ。」
「だからこそでしょ。ほらほら、みんなも、改札通る時は静かにねー。ごめんね、なんの面白みもないカラス天狗のおっちゃんが騒ぎ出しちゃって。」
「こ、コラー! なんの面白みもないとは、どういうことかっ、ぐふ!」
「あ、意外と面白いことできるじゃないすか。先輩。」
「バカもん! 今のはくちばしで舌をかんでしまっただけだ!」
周りにいた子どもたちがクスクスと笑い出す。若い駅員は笑いながら、帽子のつばに軽く指を添えた。しかし、チラリと流生の白札を確認すると、その笑顔が消えた。けれど次の瞬間には、また先ほどの調子に戻っていた。
「君たち、名前は?」
少ししゃがみ込み、豆腐箱の後ろに隠れた流生と豆ノ介に優しく声を掛ける。
「……流生です。」
「豆ノ介です。」
「はい、流生くんと豆ノ介くんね。じゃ、こっち来て。ちょっと駅務室で話そうか。」
「あっ、はい。」
「駅ちょー! 駅務室に案内しときますねー!」
天狗面の駅長は、赤い天狗面の下で、その金色の目だけを細めると、何も言わずに小さくうなずいた。
若い駅員が手招きしながら、改札横の駅務室の方へ二人を案内し始める。
「怖がらなくても大丈夫、怒られる部屋じゃないから。たぶん。」
「たぶんって……みんな、たぶんばっかり。」
こっちに来てから、たぶんという言葉を何回聞いただろうか。つい心の声がもれてしまった流生に、若い駅員はニッと笑って言った。
「怒られる時もあるから、俺みたいな下っ端はね。」
「えっ……」
それを聞いて、豆ノ介が青ざめた。
「あれは、たぶんじゃない。事実だよ。僕たち、怒られるんだよ。」
「さっきのデカい人が来るのかな。あの人のお面、めっちゃ怖いんだけど。」
若い駅員についていきながら、二人でヒソヒソと話す。
「はいはーい。みんなはちゃんと並んで、改札通ってねー。」
まだざわついている駅内をすり抜けながら、帽子に黒羽を一枚つけた若い駅員は、周りに向かってヒラヒラと手を振った。
「新入生のみなさーん、ほらほら見学終了。白札観察会じゃありません。黄札の子は前の子に続いて並んで、青札の子はその隣。そこの黒札の子、出した闇に落書きしない。あっ、赤札の子、火ぃこぼれてる。しまって。」
「やだっ! 私のクツこげてる!」
「お前、背中だよ、ランドセルから火が垂れてるって。燃えてる、燃えてる!」
「あっ、鬼火しまってたの忘れてた。ごめーん!」
焦げ臭さのおかげで、みんなの視線が流生と豆ノ介からそれる。けれど、ひそひそ声は流生が歩くたびに左右から聞こえていた。
俺からしたら、こんなカードより、ランドセルから火が垂れてるほうが気になるけどな。
そう思いながらも騒動に紛れて、若い駅員の案内する改札わきの小さな扉に、到着する。その扉には「駅務室」と書かれていた。その文字の下には、もっと小さな字で「迷子・勝手に歩き出す忘れ物は、迷子センターにお問い合わせください」と書いてあった。
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