第14話 妖怪からしたら、ふつうの電車
ごとん。ごとん。
ごとん。ごとん。
暗闇のトンネルの中、列車の揺れが規則正しく続いている。流生の体はいつの間にか、えんじ色の座席に深くしずみ込んでいた。
太陽が出る前から動き出し、真っ暗な霧の中を自転車で飛ばし、生まれて初めて飛行機に乗って、北海道に来た。知らない空港をさまよって、妖怪の駅を通り、変な電球が暴れてスマホが使えなくなり、謎の改札を通り、火の玉コロッケを食べた。
今日、家を出てから、それだけたくさんの出来事が目まぐるしく起きたのだ。
俺、今、何してるんだろ……。
座り心地の良い椅子に身を預け、食欲も満たされて、そんなことをぼんやりと考えていると、流生のまぶたがどんどん重くなっていく。眠いというより、体の奥から少しずつ力が抜けていくような感覚だ。椅子のスプリングがゆっくりときしみ、流生の体をやさしく沈めていく。寄りかかった流生の頬を、えんじ色のビロードが、ほんのり暖かく、やわらかな感触で包み込む。
「……流生、寝ちゃったの?」
豆ノ介が何か言っていた気がしたが、流生にはよく聞こえなかった。
「流生。」
どれくらい経ったのか、分からない。しかし、豆ノ介に肩をツンツンとつつかれて、流生はハッと目を覚ました。
「流生、起きて。トンネル、抜けたよ。」
「うぅ、え……俺、寝てた?」
「うん、めっちゃいびきかいてたよ。」
「え、マジ? やば……。」
頬に垂れたヨダレをそそくさと拭きながら、流生は顔を真っ赤にした。
「ほんと、ほんと。あまりにもよく寝てるから、人間がいるって聞いて探しに来た子たちも、グーグー寝てる流生見て、『人間がこんなところで平気で寝るわけない』って帰ってった。アハハ。」
豆ノ介が楽しそうに笑う。その顔には、目も鼻も口も、ちゃんとある。流生は、こっそりほっとした。目が覚めたら全部、夢だった……みたいなことがあるかと思っていたが、眠る前と何も変わっていない。
やっぱり現実なんだな。
まだ眠くて流生は半分目を閉じたまま、そんなことを考えていた。窓の外から差し込む明るい日差しが、閉じかけたまぶたの裏でチカチカとちらつく。さっきまで暗いトンネルが続いていたはずなのに、いつの間にか窓の外には森が広がっていた。
針葉樹と広葉樹が入り混じった木々が目の前の景色を覆っている。流生は座席から立ち上がり、ガタゴトと振動する木製の床を踏みしめた。五円玉みたいな色につやりと光る金具をつかみ、窓を少しだけ押し上げる。
窓を開けた瞬間、すうっと車内へ新鮮な空気が吹き込んでくる。ひんやりと澄んだ冷気と、枯れ葉の香ばしい匂い。窓の外には、流生が今まで見たこともない、息をのむほど深い森がどこまでも広がっていた。
「森、すごいね! ここ、どの辺なの?」
迫力のある木々の並びに興奮した流生は、豆ノ介にたずねた。
「たぶん、摩周湖のあたりだと思うよ。」
流生とは反対に、豆ノ介は外の景色には興味を見せずに答えた。それよりも、木箱の豆腐の様子を心配そうに確認している。
流生の目には、十月の摩周湖周辺の森が、色と光のパッチワークのようにカラフルに輝いて見えた。ツンツンと尖ったトドマツの深い暗緑色と、黄金色に染まったダケカンバの眩しい黄色、そして燃えるようなカエデの赤。
木々の隙間から、シラカンバの真っ白な幹がまるで骨のようにハッとするほど鮮やかに浮かび上がっては、あっという間に後ろへ流れ去っていく。
流生は、茨城でも毎年、みんなで筑波山へ紅葉を見に行っていたことを思い出した。山全体が赤く染まった筑波山も十分すごかった。でも、目の前の景色は、その何十倍も広く感じる。まるで地球中が森になったかのように、目の前に広がる全ての景色が、秋の色に輝く木々で埋め尽くされている。
ガコン。
立ったまま窓の外の景色に釘付けだった流生は、列車が大きく横に揺れた拍子に、その反動で深いえんじ色のビロード座席へとドスンと腰を下ろした。四角い窓枠に切り取られた景色が、次々に入れ替わっていく。木々の間から差し込む秋の陽光と濃い影が、交互に車内を横切った。座席も床も、黄金色に輝いては、また暗い木陰に沈んでいく。流生の乗るレモンイエローの電車は、その秋の景色の中を泳ぐように、するすると森の奥へすべり込んでいく。
チカチカと遠くに何か輝く光が、流生の目の端に映った。流生が通路をはさんだ反対側の窓を見ると、青とも灰色ともつかない、静かな光が湖面に輝いている。湖の向こう側には、山の輪郭がうっすらと見えた。
「ねぇ、豆ノ介。この電車って、人間と同じ路線を走ってるのかな?」
「違うと思うよ。人間にはこの電車は見えないし、気づいたとしても、風が吹いて木が揺れたくらいにしか感じられないって、母ちゃんに聞いたことある。」
「そうなの?」
「たまに、キツネでもいたのかな、って思う人はいるらしいけど。」
じゃあ、この景色が見られて、俺はラッキーだな。
流生はニンマリしながら、しばらく黙って、流れていく森を見ていた。太陽の光に照らされて、木の間を白い霧がゆっくりと動いているのが見える。ごとん、ごとんという規則的な列車の音が車内に響く。人間の道路はどこにも見えず、人の気配は全く感じられなかった。
しかし、流生は全然怖く感じなかった。むしろ、ここにしかない静けさが、流生の胸の中の何かをゆるやかに落ち着かせていた。
「……そういえば今、何時なんだろう?」
流生はふと思い出して、スマホをポケットから取り出したが、画面は暗いままだった。
「多分、お昼前くらいだと思うよ。学園に着いたら、ちゃんとしたごはん食べたいなー。」
豆ノ介がお腹をさすりながら答える。
「俺、何時間くらい寝てた?」
「そんなに寝てないよ。何時間もは。」
流生は不思議に感じた。豆ノ介は昼前だというが、森の向こうの空が、赤く染まりはじめている。
「もう夕焼けが見えるよ。おかしくない? まだ昼なら。」
「んー。でも南番地は、いつもこの色だよ。」
豆ノ介は当たり前みたいに言った。
「朝に着いても、夜に着いても。だいたい、夕方。」
「なんで?」
「『帰ってきた感じがするから』だって。」
「え? まぁ、確かに夕方のほうが帰ってきた気はするけど……え? 何で?」
聞いたところで、まともな答えなんて返ってこない。流生もそろそろ分かっていた。それでも、目の前で起きていることを認めきれず、もう一度聞き返した。
「うーん、知らない。たぶん、すごく昔の先生とかが、そうしたんじゃないかな?」
豆ノ介が答えながら「なんで、そんなことが気になるんだ?」と言わんばかりの表情で、流生を見つめる。
だよね。
心の中で、流生はつぶやいた。あきらめて豆ノ介にお礼を言い、もう一度、窓の外に視線を戻す。森の向こうに広がる夕焼けが、木々のてっぺんを徐々にオレンジ色に染めていく。遠くでカラスが一声鳴き、黒い影が夕焼けの空を横切った。
「北海道にもカラスっているんだな。」
流生がポツリとつぶやく。何だかこの景色を見ていると、無性に家が恋しくなる気持ちがした。
今、茨城はどうなっているだろう。また連絡すると約束したのに、スマホは使えない。おじさんとおばさんは、きっとすごく心配している。おばさんは「流生が帰ってこなかったらどうしよう」とボロボロ泣いているかもしれない。
結人は……そんなおじさんとおばさんをなだめるのに必死だろう。流生が帰ってくることは信じてくれていても、きっと「この面倒な二人を、俺に押しつけやがって」とブツブツ文句を言っているに違いない。お土産いっぱい買って帰らなきゃ。
でも、どうやって? 俺って……帰れるのか?
帰り道のことを考えた瞬間、流生の足元が真っ暗になったような気がした。すると向かいで、外を見ていた豆ノ介が口を開いた。
「あ、あれカラスじゃないよ。」
「え?」
「カラス天狗の駅員さんだよ。」
そんな流生の感傷をばっさり切るように、豆ノ介が明るく言った。
「……駅員さん?」
流生が聞き返したその時、ヒュッと大きな黒い影が、列車の横をすべるように飛び抜けていく。その影は、人間と同じくらいの大きさだった。流生にも、さすがにカラスではないと分かった。流生はその影を追い、窓に顔を寄せて、電車の上の空を見上げる。
濃紺の制服。黒い制帽。背中から伸びた、大きな黒い翼。
夕焼けを受けた羽の端が、書道の時間にすずりにたっぷりと注いだ墨みたいに、深く漆黒の光を放っている。人間の形をしているように見えるのに、飛んでいる姿は鳥そのものだった。
「きゃー!」
急に車内から、黄色い悲鳴が響いた。
窓の外には、二人のカラス天狗が前後に間隔を空けて飛んでいた。車内のあちこちで、子どもたちが窓に集まり、ワイワイと騒ぎ出す。
「ね、見えた!?」
「カラス天狗だ! すげー!」
「こっちにも二人いる!」
通路の反対側からも声が上がった。
「前と後ろにもいるよ。今日、六人もいるよ!!」
まるでレモンイエローの電車を守るように、カラス天狗の駅員たちは隊列を組んで飛んでいる。
「新入生がいるから、手厚くしてるんじゃない? ラッキー!」
キャアキャアと騒ぐ声が響く中、誰かの尾が、興奮したように座席の下でぱたぱた揺れた。別の子がかぶっている帽子の下では、小さな角がもぞもぞ動く。さらに別の窓では、張りついた女の子の影だけが、首を長く伸ばして、ゆらゆら揺れていた。
流生はその様子を見て、ゴクリと生唾を飲み込む。その瞬間、カラス天狗の一人が、電車の窓の高さまでふっと下りてきた。
「きゃー! かっこいい!!」
女子生徒の黄色い悲鳴が、より強く車内に響く。
……アイドルみたいなものなのだろうか。
妖怪の子たちがまるで人間がするのと同じように興奮する様子を見て、流生の中に残っていた怖さが、氷みたいにすっと溶けていく。
妖怪のことを怖がってる俺って、何なんだろ……。
流生は、何だか急に自分がバカバカしく感じられた。嬉しそうに窓へ集まる妖怪の子たちを見て、流生も自分の席の窓から、そっと電車に並走するカラス天狗を眺めた。
カラス天狗の顔は、思っていたより人間に近い。けれど鼻筋が鋭く、口元にはくちばしを思わせる硬さがあった。頬から首にかけて、短い黒羽がうっすら生えている。背中からは黒い大きな羽が生えていて、それとは別に、白い手袋をした人間のような手が制服の袖口から見える。
カラス天狗の駅員は、窓に群がる子どもたちをちらりと見て、制帽のつばに二本の指を添えた。笑ったわけではない。手を振ったわけでもない。でも車内の子どもたちは、それだけでワッと喜ぶ。
「いま、こっち見た!」
「見た? 帽子のつば、さわって私に合図してくれた!」
「俺、大きくなったらカラス天狗になるんだ!」
「いや、お前はなれないだろ。岩男の子なんだから。」
「あ、そうだった! アハハ。」
子どもたちの話を聞く限り、どうやらカラス天狗というのは、妖怪の世界では人気があるようだ。流生は小さな声で、豆ノ介にたずねた。
「……駅員っていうか、警備員さんなの?」
豆ノ介は、少し得意そうにうなずいた。
「うん。電車を守ってくれてるんだよ。ふつうの駅員さんみたいな仕事もするけど、飛ぶのが得意な人たちは、外も見るんだ。」
「外って?」
「線路の周り。霧とか、風とか、線路の流れとか。あと、変なものがついてきてないか、とか。」
「変なものってなに?」
「知らない。僕も見たことないけど、そう親が言ってたよ。」
知らないのかよ。
流生は心の中でつっこみ、その直後に反省した。「親が言ってた」という言葉に、過敏に反応してしまう自分がいた。自分の心がものすごく汚いもののように思えて恥ずかしくなる。
流生は、チラリと豆ノ介を見た。しかし豆ノ介は変わらずに、キラキラした瞳でカラス天狗を目で追っている。流生はホッとした。
その時、天井の古いスピーカーが、ざらっざらっ、と音を立て始め、アナウンスが流れた。
『まもなく、南番地、南番地でございます。妖怪学園へお越しの新入生は、係の案内にしたがってお降りください。』
声は社会の授業で紹介された、古いラジオ放送みたいにかすれていた。
『えー、お忘れ物にご注意ください。特に、長く使われた筆箱、傘、手袋、下駄、弁当箱など、付喪神になっているお手荷物は、持ち主を探して歩き出し、駅構内で迷子になる場合がございます。』
アナウンスを聞いて車内のあちこちで、子どもたちがあわてて荷物を抱え始める。
「おれの水筒、昨日しゃべったから危ない!」
「うちの傘、電車に乗っている間に足生えてるんだけど!」
「やだ、その動いてる下駄、忘れ物じゃなくて、家出じゃない?」
その様子を見て、流生は自分のリュックを思わず抱えた。中にはあのサッカーボールが入っている。歩き出したら、嫌すぎる。忘れ物がないか座席を見回すと、先ほど買った百鬼印の妖力ドロップスとカッパ印の冷やしラムネが、手つかずのまま出しっぱなしだったので、それを急いでリュックにしまった。
『なお、噛みつく系の手荷物は、口輪や封印紐などを用い、持ち主の責任において管理をお願いいたします。』
アナウンスと同時に車内から、ガウ、と小さな声がした。
「うわっ、やめろって。」
誰かの叫び声が聞こえ、流生と豆ノ介が椅子の背から頭を出してのぞく。すると床の辺りで誰かのカバンが、持ち主の足に噛みつこうとして、押さえつけられているのが見えた。
「ふつうの電車じゃないんだな……。」
流生がため息混じりに言うと、豆ノ介はまじめな顔で答えた。
「ふつうだよ。妖怪学園では。」
豆ノ介の返事とともに、列車が駅に向かって、ゆっくり速度を落とし始めた。
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