三猿 その5 二つの人格
捜査本部管理官の遠藤警視は、当初から猟奇的連続殺人事件だと主張していた。細川を殺害した風間の逮捕後も、「奴は他の二件もやった」と自説を曲げず、送致済みの風間の再聴取を強引に進めようとしていた。
しかし、川谷の事件について、康太が捜査会議で意見を述べた。
「三つの事件は、背景こそ不明だが、三猿を模した遺体の損壊は事実だ」
「細川は嘘をつき、風間に舌を切り取られた。川谷は見て見ぬ振りをし、ホシに目玉をえぐられた」
「ホシは何らかの事案を無視され、川谷に怨恨を持つ人物だろう」
この意見に多くの捜査員が賛同。捜査一課長も承認し、捜査方針が修正された。
以後、川谷周辺の人物、教師・学校関係者・卒業生・父兄など、この観点から重点的に洗い直すことになった。
由衣と大樹が塩谷千佳に会った翌日の月曜日、康太は、埼玉県立医療大学で名和健志郎と由衣と大樹に合流し、刈谷英真君の事件で、世話になった脳神経内科医学博士武藤教授の研究室を訪問した。
大樹は、塩谷千佳が由衣のフェイク動画の元になった女性だと明かした。気になった千佳の様子を描いたイラストを示しながら、昨日の会話を寸分違わず再現した。
何度も頷きながら聞き終えた武藤教授が口を開く。
「間違いない。彼女はDID、解離性同一性障害だ」
言い切ったあと、由衣の表情を一度確かめるように見てから、続ける。
「彼女が語る彼氏は、恐怖を感じたときに現れる人格で、現実に存在してない。それを本人は認識していない。トラウマ体験への適応として形成された別人格だろう。さらに、彼氏の妹も、彼氏の支配下にある別人格で、実在しない」
「えっ! でも千佳、彼氏のこと楽しそうに話してました」
反射的に言い返した由衣の声は強い。だが、その語尾は少々揺れていた。
「そんなの……信じられません」
由衣は否定しながらも、胸の奥では納得し始めている。
それを見透かしたように、武藤教授は淡々と根拠を示した。
「福光君が彼氏に関する具体的な質問をしても、彼女は答えられなかった。手を繋いだ感触や臭いといった、身体的な記憶が欠落している。また、彼女以外にその存在を認識している者はいない。彼氏が現れている間の記憶が曖昧で、別れたときの記憶も残っていない」
「そんな…… トラウマって、男から暴行されたとか……」
「その可能性は高いだろう。ただし彼女は、その記憶を封じている」
武藤教授の声が、一段強くなる。
「念のため言っておくが、無理に引き出そうとすれば、彼女は壊れる。絶対にやってはいけない」
由衣は両手で顔を覆い、康太が短く舌打ちした。
「塩谷千佳に関する記録はない。即ち警察は事件として把握していないってことか……」
言葉が切れ、康太は顎に手をやった。
「DIDが形成されるほどのトラウマ……となると、関係者は絞れる」
場は緊張を帯び、重い沈黙に支配された。
かき消すかのように武藤教授は大樹に、穏やかな笑みを見せる。
「君は凄いねー! 彼女に何か違和感を覚えて質問したんだろう?」
「千佳さんがフェイク動画の元になった女性か確かめるために会いました。仕草や表情から間違いないと判断しました」
「相変わらずの観察眼だなー!」
「でも、清楚な印象と動画の内容が結びつきませんでした。ちょうど、彼氏の話になったので、別人格の存在を疑い、いくつか質問しました」
「なるほど……面白い。将来、僕の研究室に来ないかい?」
「彼は外科志望なんです」
間髪を入れず由衣が割り込み、大樹は不思議そうに首を傾げた。
「塩谷千佳が、彼氏がいると思い込んでるなら、フェイク動画を牧本に送った理由がわからん。胸元をギリギリまで開いた動画もあったし……イテッ」
康太の脛に、速やかに由衣の蹴りが入った。
「エッチ!」
小さな笑いが漏れ、その場の緊張が少々ほどけた。
由衣が、ふと顔を上げる。
「あっ! フェイク動画を送ったのは、妹!」
「そうですね。彼氏の妹の人格でしょう。支配的な彼氏の人格に、何か魂胆があると思われますね」
武藤教授がゆっくりと縦に首を振り、康太が膝を叩いた。
「その魂胆は、牧本に向いていた。……奴は塩谷千佳のトラウマの原因に関わっている可能性が高い。過去を徹底的に洗う必要がある」
由衣は康太を見据えた。
「よろしい。さっそく取りかかれ!」
康太は、由衣を一拍睨み付け、向き直して武藤教授に頭を下げた。
「武藤先生、ありがとうございました」
「お役に立てれば何よりです」
康太に礼を返した武藤教授は、名刺に目を落としながら健志郎に視線を移した。
「弁護士の先生がお見えになるってことは、彼女の弁護をお考えですか?」
「はい、フェイク動画の件で」
健志郎は自信ありげに大きく頷いた。その実、
(厄介なことを持ち込んで来たわい)
とばかりに大樹を一瞥し、「フッ」と軽くため息を吐いた。
康太は帰署後、捜査一課長に報告し、捜査会議が開かれた。結果、牧本吉弘と塩谷千佳との間に、過去の接点があった可能性が高いとし、裏付け捜査が開始された。
週末になっても、川谷博之に強い怨恨を持つと推察される人物は浮上しなかった。一方、川谷の教師としての適性を疑わせる証言は、主に当時の生徒から数多く集まった。
「苛めを黙認していた」
「授業で間違いを指摘しても誤魔化した」
「スカートが短い女子生徒にイヤらしい目を向けていた」
「ガラス戸をわざと壊した生徒に目をつぶった。親はPTA会長だった」
「可愛い女子には、決まってえこひいきした」
「カンニングをした生徒を見逃した。親はモンスターペアレントだった」
枚挙にいとまがない。だが、何れも深い恨みを持つに至るほどではなかった。
多くの捜査員が「黙認による怨恨の線は薄い」と判断する中、康太だけは違った。判断材料に”現在の境遇”を加えた。
康太が目をつけたのは、卒業生の一人、岡安遥人・二十三歳だった。中学三年時の学級担任が川谷である。岡安はこの春、大学を卒業した。しかし、現在は無職。
同級生からは、こんな証言があった。
「『成績表が異常に低かった』『苛められている自分を見で顔をニヤつかせた』と本人から聞いた」
岡安は中学卒業後、私立進学高へ進み、名の知れた大学を卒業。成績は常に上位で同期生や教授の評判もいい。何事もそつなくこなし、言葉使いも丁寧で滑らか。それなのに、なぜか就職先が決まらない。
岡安を不採用にした会社の採用責任者を質せば、理由が分かる。拒絶されたら令状を取ればよい。
だが、康太はそれを胸に収め、より迅速な手段を選択する。
(岡安に任意で検査を受けさせよう。拒否すれば確定だ)
その日、捜査本部は川谷博之殺害事件の容疑者として、さいたま市西区在住の岡安遥人に任意同行を求めた。血液検査、尿検査、脚の診断を任意で要求すると、岡安はあっけなく川谷の殺害を自白した。
岡安は現在、公務員を目指して就職浪人中の身である。不採用の理由について、持病が影響したと疑ったが、確かめる術はなかった。
動機の核は、中学時代に受けた苛めと、それを黙認されたこと。それらが糖尿病発症の原因と考えたことにあった。
校舎裏で同級生四人に囲まれ、殴られ、蹴られていた岡安は、ふと顔を上げた。窓越しに川谷がニヤついた顔で見下ろしていた。目が合うとサッと身を引いたとのこと。
また、テストの点数に対し、成績表はあまりにもかけ離れた評価だった。
同級生によると、岡安は授業中、ときどき誤りを指摘していたという。恐らく川谷は、恥をかかされたと根に持ち、そのような扱いをしたのだろう。何とも道理に合わない。
その後まもなく、岡安は慢性的な疲労感、多食、体重減少、視力低下、多尿・頻尿、強い口渇などの症状に見舞われる。自身で調べ、一型糖尿病の発症を疑った。家族歴はない。ストレスが発症要因になり得ると知った岡安は、苛めと差別が原因だと考えるに至った。無論、医学的な因果関係は立証されていない。
中学卒業後、岡安は当時は理解できなかった川谷の不審な行動に気づく。体育の授業でサポーターを忘れ、教室に戻ったとき、川谷が本棚から黒く小さな物体を取り出すところを目撃した。教室は直前まで女子生徒が着替えをしていた。
大学入学後、症状は治まった。だが健康診断で、医師から「糖尿病の疑いがある。指定病院で検査を受けるように」と告げられた。岡安は”精神的なものだから自然に治る”と高を括り、検査を受けなかった。しかし、就職失敗が確定した頃、症状がぶり返す。そして、川谷が教頭になったことを知った。
――なぜ、あんな奴が出世し、自分は足踏みしているのか。
当時の理不尽な扱いによる精神的打撃が、現在の自分の境遇と重なった。それはやがて、増悪に変容した。
岡安は、帰宅する川谷に尾行した。金曜の夜は必ず飲み屋に立ち寄り、その後、人気の無い鴻沼川仁妙橋付近で一服することを突き止めた。
犯行当日、川谷は、火がついたままの吸い殻を川に投げ捨てた。
その下劣な所作が、最後の引き金となった。
(あれでも教師か! 納得できる答えがなければ、やるしかない)
岡安は川谷に声をかけた。そして、自分への苛めを無視したこと、教室に盗撮カメラを仕掛けたこと、成績を不当に評価したこと、以上を追究した。
「君への苛めの証拠を得る為にカメラを仕掛けた」「試験の点数だけでなく、人間性も考慮した」と、川谷は愚にもつかない言い訳をした。
岡安は、「どの口が言うか!」と吐き捨て、湿ったタオルを巻いた鉄パイプで頭部を殴打して昏倒させ、もう一撃加えて殺害した。殺害後に目玉を抉り取った。「奴に相応しい最後を演出した」と語った。
岡安は、現場から立ち去ろうしたとき、強いめまいを覚えて飴を口にした。我慢できずに小便をしたら寝ていた狸にかかった。左足首を噛まれ、さらに急所を狙ってきたので蹴飛ばした。
なんと、一から十まで大樹が推測した通りだった。
翌日、岡安に全身の震えと発熱の自覚症状が現れる。解熱剤を服用し、四日でほぼ回復した。
岡安は、牧本吉弘殺害については否認した。
残るは牧本吉弘の事件だ。康太は、ある一点に引っかかっていた。
それは、”相応しい最後を演出する”という岡安と風間の共通する発想である。
康太は送致済みの岡安の担当検事に掛け合い、再捜査の指示を取り付けた。
青山刑事が同席の上、康太は岡安遥人に再聴取を実施した。
「お前が、牧本もやったんだろ?」
「いや、絶対やってないです」
「なら、これからの質問に全て正直に答えるなら、信じてやる。二人以上やれば死刑か無期の可能性が高いからな。では、川谷に相応しい最後を演出するというのは、お前自身の発想か?」
「違います。SNSで知り合ったコトハさんの言葉です」
「どんな言葉だ?」
「人の最後は、生前の行いに相応しい姿にするべき、って」
「なるほど。コトハの素性は?」
「知らない。ネットだけの仲です」
「いつからだ?」
「半年ぐらい前」
「コトハの写真は見たか?」
「はい」
青山刑事が二枚の写真を出した。由衣に似せたフェイク動画の一場面と、塩谷千佳の写真だ。
「両方ともコトハではないです。スマホに動画を保存してある」
青山刑事は、押収済みの岡安のスマホを取り寄せ、手渡した。
岡安は動画を再生した。
「この人です」
康太は違和感を覚えた。
(輪郭が変だ。これはフェイク動画だろう)
「コトハとはどんなやり取りをした?」
「殺したいほど憎い奴がいると伝えたら、殺害方法を教えてくれた」
「具体的には?」
「捕まらないようにナイロン製の手袋、足袋と上下。フードを着け、濡れタオルを巻いた鈍器で頭を殴って昏倒させ、とどめを刺せ、とかいろいろ」
同様の再聴取は風間智也にも行われた。
供述内容はほぼ一致した。接触時期が異なり、約一年前だった。
さらに、岡安と風間のスマホには、特定のダークウェブに接続履歴が確認された。しかし、接続先は既に消失していた。細川と川谷の殺害が成就した時点で消去されたと見るのが自然である。
康太は思考を巡らす。
岡安と風間に接触したコトハは、殺害方法を伝授し、死体の演出へと誘導した。その事実から、牧本氏は恨みの対象に違いない。ならば、恨みを晴らした者は、塩谷千佳の"彼氏の人格"と”彼氏の妹の人格”、二人が現時点では最も近い。アイラとコトハは両者とも、目的が異なる”妹の人格”だ。
塩谷千佳の男性人格を合法的に引き出す方法について、康太は武藤教授に相談した結果、次のような回答を得た。
「威圧的な取り調べをすれば出現するだろう。だが、ご承知だと思うが、これは故意に再トラウマ化を促す非人道的行為で違法捜査になる。精神科医と弁護士が同席し、あくまでも医療的・倫理的枠組みの中で慎重かつ、本人の保護を最優先にする面接を行い、特定の刺激や言葉への反応を共有し、気長にやるしかない」




