第31話「師走の挨拶回り」
十二月最初の月曜日。
師走の忙しさが、始まりました。
今日のひよりは、年末の挨拶回り。
たくさんのお客様を訪ねて、たくさんの笑顔に出会って。
そして、ある場所で――
それでは、第31話、どうぞ。
十二月最初の月曜日。
朝、目が覚めると、六時四十分。
やばい、寝坊した!
私は、急いでベッドから飛び起きた。
顔を洗って、歯を磨いて、化粧をして。
スーツに着替えて、バッグを持って、部屋を飛び出した。
駅まで走る。
息が上がる。
でも、止まれない。
電車に飛び乗って、なんとか間に合った。
会社に着いたのは、七時五十五分。
ギリギリだった。
デスクに座って、深呼吸をした。
「おはよう、朝比奈」
席につくと課長が、声をかけてきた。
「おはようございます!」
「今日から、年末の挨拶回りだな」
「はい!」
私は、元気よく答えた。
十二月。
食品メーカーの営業にとって、一年で一番忙しい時期だ。
年末年始の商戦。
お歳暮、クリスマス、お正月。
どれも大事な時期。
そして、今年お世話になったお客様への挨拶回りも欠かせない。
私は、パソコンを開いて、今日回る予定のリストを確認した。
既存のお客様、十二件。
全部、今日中に回る予定。
大変だけど、頑張らないと。
「よし!」
私は、気合を入れて立ち上がった。
午前中。
最初のお客様は、駅前のスーパー。
いつもお世話になっている、店長さんに挨拶をした。
「今年も一年、ありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ。朝比奈さんには、いつも助けられてるよ」
店長さんは、優しく笑った。
「来年も、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
次は、商店街の精肉店。
次は、駅の反対側のコンビニ。
次は、少し離れた場所の飲食店。
一軒ずつ、丁寧に挨拶をして回った。
みんな、忙しそうだった。
でも、ちゃんと時間を作ってくれて、話を聞いてくれた。
「朝比奈さん、いつも元気だね」
「ありがとうございます!」
「来年も、その元気で頑張ってね」
「はい!」
お昼休みも、ほとんど取れなかった。
コンビニでおにぎりを買って、移動中に食べた。
午後も、続けた。
五件目、六件目、七件目。
足が痛くなってきた。
でも、まだ半分以上残ってる。
頑張らないと。
八件目。
小さな居酒屋の店主さんが、お茶を出してくれた。
「朝比奈さん、疲れてない?」
「大丈夫です!」
「無理しないでね。まだ若いんだから」
「はい、ありがとうございます」
優しい言葉が、身に染みた。
九件目、十件目。
もう夕方になっていた。
空が、少しずつ暗くなってきた。
あと二件。
頑張ろう。
十一件目の会社に向かう途中、ふと、ある建物の前を通りかかった。
見覚えのある建物。
ここは……。
私は、立ち止まった。
そうだ。
ここは、以前飛び込み営業に来た会社だ。
あの時、私は……。
心に余裕がなくて、がむしゃらだった。
そして、あの男性に言われたんだ。
「何かから逃げてるの?」って。
あの時は、何も言えなかった。
でも、今は違う。
澪さんがいてくれて、私は前を向けるようになった。
あの時とは、違う。
私は、少し考えた。
もう一度、訪ねてみようかな。
挨拶だけでも。
いや、でも迷惑かな。
あの時、断られたし。
でも……。
私は、深呼吸をした。
よし、行ってみよう。
勇気を出して、ドアを開けた。
「すみません、ナチュラルキッチンの朝比奈と申します。」
受付の女性が、顔を上げた。
「あ、はい」
「以前、一度お伺いしたことがありまして……今日は、年末のご挨拶に参りました」
「年末のご挨拶……ですか」
女性は、少し困った顔をした。
「少々お待ちください」
女性は、奥に向かった。
私は、ドキドキしながら待った。
しばらくして、奥から男性が出てきた。
あの時の人だ。
五十代くらいの、落ち着いた雰囲気の人。
「おや……」
男性は、私を見て、少し驚いた顔をした。
「あなたは、確か……」
「はい、以前一度お伺いしました。ナチュラルキッチンの朝比奈と申します」
私は、深く頭を下げた。
「その節は、失礼いたしました」
「いやいや、そんなことないですよ」
男性は、優しく笑った。
「でも……いい顔になりましたね」
「え?」
「あの時と、全然違う。目が生き生きしてる」
男性は、私をじっと見た。
「あなた、良い友人がいるんでしょう?」
私は、驚いた。
どうして、分かるんだろう。
でも、確かに。
澪さんがいる。
澪さんがいてくれたから、私は前を向けた。
「はい」
私は、素直に答えた。
「とても、大切な友人がいます」
「そうですか。それは良かった」
男性は、嬉しそうに笑った。
「人は、一人では生きていけない。支えてくれる人がいることは、とても大切です」
「はい」
「あなた、これからも大丈夫ですよ」
男性は、優しい声で言った。
「その友人を、大切にしてくださいね」
「はい、もちろんです」
私は、胸が温かくなった。
男性は、少し考えるような顔をして、言った。
「あのね、年が明けたら、また来てください」
「え?」
「実は、ちょうど仕入先を増やそうと思っていたところなんです」
私は、思わず目を見開いた。
「本当ですか!?」
「ええ。もう少し整理しないといけないので、年明けにね。」
「ありがとうございます!」
私は、深く頭を下げた。
「必ず、伺います!」
「楽しみにしてますよ」
男性は、にっこり笑った。
私は、会社を出た。
既に日が落ちかけている。
でも、心は明るかった。
やった。
やったよ、私。
あの時、断られた会社。
でも、今日また訪ねてみて、良かった。
あの時とは違う、私。
前を向いた、私。
それを、あの人は見てくれた。
そして、チャンスをくれた。
嬉しい。
本当に、嬉しい。
私は心も軽やかになり、残り二件の訪問を急いで済ませた。
最後の十二件目は、駅の近くの小さな八百屋さん。
いつも野菜を仕入れてくれている、おばあちゃんが店主だ。
「こんばんは!」
「あら、ひよりちゃん!」
おばあちゃんは、私の顔を見て、嬉しそうに笑った。
「今年も、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうね。ひよりちゃんが来てくれると、お店も明るくなるわ」
「そんな、照れちゃいます」
「来年も、よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
おばあちゃんは、リンゴを一つ、私に渡してくれた。
「はい、これ。頑張ってるご褒美」
「え、いいんですか?」
「いいのよ。持っていきなさい」
「ありがとうございます!」
私は、リンゴを受け取って、深く頭を下げた。
温かい。
みんな、優しい。
私は、こんなに素敵なお客様に囲まれて、仕事ができている。
幸せだな。
八百屋さんを出て、駅に向かった。
今日の挨拶回り、全部終わった。
十二件。
全部、無事に回れた。
疲れたけど、充実してる。
電車に乗って、家に帰った。
部屋に着いて、ソファに座った。
ふう。
疲れた。
でも、いい疲れだ。
私は、おばあちゃんにもらったリンゴを見た。
綺麗なリンゴ。
齧ってみると、甘くて、シャキシャキしてる。
美味しい。
窓の外を見ると、夜空に星が見えた。
十二月。
今年も、あと一ヶ月。
早いな。
でも、いい一年だった。
辛いこともあったけど、楽しいこともたくさんあった。
そして、今日。
あの会社に、また訪ねることができた。
前を向いた私を見てもらえた。
それが、嬉しい。
私は、リンゴを食べ終わって、お風呂に入った。
温かいお湯に浸かって、深呼吸をした。
ああ、気持ちいい。
今日も、よく頑張った、私!
明日も、頑張ろう。
お風呂から上がって、ベッドに入った。
布団に包まれて、目を閉じる。
師走の忙しさに目を瞑ると、すぐに眠くなる。
走り回って、疲れて、でも充実してる。
そんな日々が、私は好きだ。
私は、そう思いながら、眠りについた。
お読みいただき、ありがとうございました。
あの会社、覚えていますか?
以前、ひよりが飛び込み営業に行って、断られた会社。
「何かから逃げてるの?」と言われた、あの場所。
今回、ひよりはもう一度訪ねました。
そして、前を向いた彼女を見てもらえた。
人は、変われるんですよね。
誰かの支えがあれば。
澪の存在が、ひよりを変えたんだと思います。
次回は火曜日。
師走の忙しさは、まだまだ続きます。
それでは、また次回お会いしましょう。




