第25話「稽古の木曜日」
今回は澪の一日を、じっくり追いかけてみました。
朝食から、仕事、そして……稽古。
澪にも、澪の世界があるんですよね。
それでは、第25話、どうぞ。
木曜日の朝。私は、いつもより少し早く目が覚めた。
キッチンに立って、朝食の準備をする。
トーストを焼いて、卵を茹でる。
コーヒーを淹れる。
いつもは一人分だけど、今朝は二人分。
リビングのソファでは、ひよりがまだ眠っている。
昨夜、たくさん泣いた彼女は、ようやく穏やかな顔で眠っていた。
トーストが焼けた頃、ひよりが起きてきた。
「おはよう……」
「おはよう。よく眠れた?」
「うん……」
ひよりの目は、まだ少し赤かった。
でも、表情は、とても晴れ晴れとしていた。
もう、大丈夫だ。
そう感じた。
「朝ごはん、食べましょう」
「ありがとう、澪さん」
二人で、テーブルに座った。
トーストとゆで卵、サラダ。
シンプルだけど、温かい朝食。
「澪さん、昨日は本当にありがとう」
「気にしなくていいわよ」
「でも……」
「ひより、あなたはもう大丈夫。ちゃんと前を向いてる」
私は、微笑んだ。
「今日から、また進んでいけるわ」
「うん!」
ひよりは、力強く頷いた。
朝食を食べ終わって、二人で身支度をした。
ひよりは、昨日の服を着た。
少ししわになっているけど、気にしない。
「じゃあ、行きましょうか」
「うん!」
二人で、マンションを出た。
駅まで一緒に歩いて、電車に乗る。
会社に着いて、エレベーターに乗った。
ひよりは、私より先に降りる。
営業部のフロア。
ドアが開いて、ひよりが降りようとした時。
「澪さん!」
ひよりが振り返って、親指を立ててグーのポーズをした。
私は、にっこりと笑った。
ドアが閉まる。
私は、一人でエレベーターに乗って、事務部のフロアに向かった。
デスクに座って、いつものように仕事を始める。
伝票の処理。データの入力。
静かで、落ち着いた時間。
昼休みは、近くのコンビニでサンドイッチを買って、公園で食べた。
秋の風が、心地いい。
午後も、淡々と仕事をこなした。
定時になって、私は会社を出た。
でも、今日はまっすぐ家に帰らない。
向かった先は、駅から二駅先にある合気道の道場。
久しぶりだ。
最後に来たのは、三ヶ月前。
仕事が忙しくて、なかなか来られなかった。
道場の扉を開けると、見慣れた光景が広がっていた。
畳の香り。
稽古着を着た人たち。
「おやおや! 澪ちゃん! 久しぶりじゃないか!」
師匠が、満面の笑みで近づいてきた。
七十歳を過ぎているはずだけど、背筋はピンと伸びている。
でも、その目は相変わらずギラギラしている。
「ご無沙汰しております、師匠」
「いやいや、来てくれて嬉しいよ、澪ちゃん!ありゃりゃ?また胸が大きくなったんじゃないか?」
師匠は、ニヤニヤしながら私を見ている。
「師匠、セクハラですよ」
「はっはっは! 褒めてるんだよ、褒めてる!」
師匠は、豪快に笑った。
スケベジジイだけど、憎めない。
それが、この師匠だ。
「今日は稽古していくのかい?」
「はい。お願いします」
「よし! じゃあ、後で俺が相手してやるよ。澪ちゃんの身体、しっかり見させてもらうからな!」
「技を!ですよね?師匠」
「当たり前だろ! 何を期待してるんだ、澪ちゃんは!」
師匠は、またニヤニヤしている。
私は、呆れながら更衣室に向かった。
私は、更衣室で稽古着に着替えた。
久しぶりの感覚。
道着を着ると、気持ちが引き締まる。
道場に戻って、準備運動を始めた。
身体を動かすのは、気持ちいい。
稽古が始まった。
基本の動き。受け身。投げ技。
身体が、技を覚えている。
相手の力を利用して、投げる。
無駄な力を使わない。
それが、合気道の基本。
稽古の途中、師匠が組手の相手をしてくれた。
「よっしゃ、澪ちゃん! 俺が相手だ!」
師匠は、構えた。
七十過ぎとは思えない、鋭い目つき。
私も、構える。
師匠の動きは、速い。
瞬間、私の手を取って、投げにかかる。
でも、私も負けていない。
師匠の力を利用して、逆に崩す。
「おっと! やるねぇ、澪ちゃん!」
師匠は、嬉しそうに笑った。
「でもな、まだまだ甘いぞ!」
今度は、私が投げられた。
受け身を取って、すぐに立ち上がる。
「師匠、最近いいことあったんですか? やけに元気ですね」
「俺は毎日元気だよ! 澪ちゃんみたいな美人と稽古できるんだからな!」
「もう、師匠ったら」
「はっはっは! でもな、澪ちゃん」
師匠は、急に真面目な顔になった。
「お前、顔つきが変わったな」
「え?」
「ああ。前より、柔らかくなった」
師匠は、私を投げながら言った。
「人はな、誰かと繋がることで強くなるんだ。一人で強くなろうとするより、誰かと支え合う方が、ずっと強くなれる」
「……そうですね」
「澪ちゃん、いい仲間に恵まれたんだろう?」
「はい。そうかもしれません」
「よしよし! じゃあ、その仲間のためにも、もっと強くなれ!」
師匠は、またニヤニヤしながら言った。
「あの、師匠…良いこと言ってる様ですけど、肘で胸をグリグリするのやめてもらえますか…」
「うひょひょひょひょ!これが俺の元気の源なんだ!」
「まったく…」
でも今日は私も元気をもらえた。
稽古が終わって、私は更衣室で着替えた。
汗をかいて、身体がスッキリしている。
心も、軽くなった気がする。
「また来いよ!」
「はい。また来ます」
師匠に挨拶をして、道場を出た。
帰り道、私はふと思った。
ひよりと出会って、私は変わった。
一人の時間を大切にしていた私が、誰かと過ごす時間も大切にするようになった。
閉じこもっていた私を、ひよりが外に連れ出してくれた。
そして、私もひよりを支えている。
お互いに、支え合っている。
それが、私たちの関係。
家に帰って、シャワーを浴びた。
それから、夕飯を作る。
今日は、シンプルに焼き魚。
一人分だけど、丁寧に作る。
テーブルに座って、食べる。
静かで、穏やかな時間。
でも、満たされている。
一人の時間も、誰かと過ごす時間も、どちらも大切。
そのバランスが、今の私にはちょうどいい。
食事を終えて、皿を洗った。
リビングに戻って、ソファに座る。
読みかけの本を開いた。
推理小説。
犯人が、ようやく分かりそうなところ。
でも、今日はあまり頭に入ってこない。
色々なことを、考えてしまう。
仕事のこと。
自分のこと。
でも、悪い気持ちじゃない。
むしろ、充実している。
毎日が、少しずつ変化している。
それが、面白い。
私は、本を閉じて、目を閉じた。
明日も、また頑張ろう。
金曜日。
また、ひよりが来る日。
何を作ろうかな。
そんなことを考えながら、私は静かな夜を過ごした。
お読みいただき、ありがとうございました。
師匠、登場しましたね。
セクハラスケベジジイですが、良い人です(たぶん)。
澪の合気道シーン、書いていて楽しかったです。
そして、師匠の言葉。
「人は誰かと繋がることで強くなる」
澪も、少しずつ変わっているんですよね。
次回は金曜日。
またひよりが澪の家に来る日です。
何を作るんでしょうね。
それでは、また次回お会いしましょう。




