EX5 日本の隣の大陸編③
香港。
かつて英国領だった都市だ。
二十世紀末に返還されたこの街は、中国の他都市に比べてダンジョン攻略に消極的だった。そんなものに頼らずとも都市経済は順調だったし、中国政府の視線が厳しい状況下で派手な真似を避けたいと言う思惑もあったと聞く。
結果として英国外交官の口車に乗せられることなく核ドラゴンの出現を未然に防ぐことが出来たのだから、当時の統治者は相当優秀だったに違いない。北京や上海をはじめ主要都市が核ドラゴンによって消滅し、事実上無政府状態となった中国のなかでいち早く秩序を取り戻したというのも大きい。皮肉なことに英国の統治を再度受け容れることで香港は旧中国圏で最も安全と見做されている。
というのが日本で聞いた最新情報。
元中国圏で最も文化的な街であると。自称だけど。
美食の街でもある。
横浜の貿易会社から聞いた話では、日本から買い付けた食材は相当数この香港……しかも英国総領事邸、現在は英国亡命政府総督府に流れ込んでいるという。
『中国大陸ではダンジョンのモンスターに木火土金水の五行に陰陽を組み合わせた十干と十二支、すなわち干支の要素を見出した者が多くいる』
中国ダンジョンの傾向について林甫真人はそんな風に説明してくれた。
妖怪変化や神話伝承生物に関して言えば、それこそ日本の比ではない土地柄である。日本の場合はテレビゲームの影響なのか無国籍寄りのやや西洋風ダンジョンが多かったため、五行思想的な捉え方は主流ではない。
『最初のダンジョン挑戦に参加した者が武術の達人だったことも幸いした。日本のように探索者が自動的に魔法やスキルを獲得できる訳ではないが、後天的に魔法やスキルを取得できるようになった』
妾達はそれを「仙骨を得た」と表現している、と林甫真人は語る。
『今はまだ限られた者だけの領域であるが、ダンジョンを正しく運用できれば中華の民は人類として新しいステージに立てると信じている。故に妾達は崑崙に集い真人を名乗った』
中国人全体が生物として一段上の存在になれば、それだけで解決できる問題が沢山ある。林甫真人はそう信じている。正気かと思う。十五億人が毎朝の食卓に卵をひとつ追加するなんてレベルじゃない事を、見た目だけはえっちなサキュバス委員長みたいな性別不祥の自称仙人は言った訳だ。
『真人、超人、新人類。言い方は様々だが指すことは同じ。妾達のような存在が当たり前となる時代を作ることが崑崙真人国の最終目標である。もっとも国家として認定される前に、もっともっと怖い存在から睨まれて絶賛滅亡の危機だけど』
ちら、と。自分とその後ろに控えている偶蹄目とか幕末御一行に視線を向ける林甫真人。
『共同で作戦に臨むにあたって話しておくべきだと思った。日本で活躍している諸君らがダンジョンに何を望んでいるのかは不明だが、来る超人社会において主導的な立場に就くことは想像に難くな――』
いや、日本じゃダンジョンに潜るのは落伍者ってイメージが固定化してるからなあ。
長袍の男が苦々しく睨んでいるのは同行した日本の役人さんで、役人さんは役人さんで申し訳なさそうに、日本の探索者が置かれた状況を簡潔に説明する。意図して作られた底辺。そのうち選挙権も被選挙権も剥奪されそうな動きもある感じ。雑な言い方をすれば、旧人類は自分達の進化種を使い潰して現行社会の延命を図っているとも言える。
「ちなみにだが」同行していた米国関係者が重い口を開く「肉屋が合衆国に国籍を移した場合、いかなる困難を乗り越えてでも次期大統領候補に名を連ねると我々は考えている」
『崑崙でも似たような回答を出すわ』
はっはっは、合衆国ジョークですか。
いや真顔で言われても。皆も笑いましょうよ。
「しか」
海外移住するにしても君ら置いていくのはちょっとね。
◇◇◇
香港の探索者は体術の達人が多い。
ダンジョンにより強化された身体能力は伝統武術に新たな境地をもたらし、新しい流派を名乗る者もいるという。日本でも武術の心得ある人たちが似たような取り組みをしている。ビキニ姐さん? あの人は直感と経験とその場のノリが極まった、対モンスター相手に実戦の場で磨き上げた究極の我流剣術です。たまに弟子入り志願が現れるけど童貞食い散らかされて終わるし。
体術というか拳法の達人てのは香港の街によく似合う。
対人武術とは異なる身体の運用、魔力や気といった不可思議な力の術理を取り込んで再構築されるダンジョン武術は無限の可能性がある。事前に聞いていた香港に屯する複数の武装勢力というのも、よくよく聞いてみれば武術の流派や道場単位で技を競い合っている状況なのだとか。そのためなのかダンジョンに挑むのは若者だけの特権ではなく、むしろ白髪の老人達の活躍こそが目立っているとか。
『日本でも還暦過ぎた者がダンジョンにて竜種を屠るなど大活躍していると聞くが』
現地合流したセンゴク商事の案内でダンジョンに向かう途中、道服の女にそんなことを言われる。
うん。
貴女を再起不能にしかけた人がソレですよと素直に言えれば良いんだけど。事情を知る人全員視線逸らしてるし。エゾオオツノシカ君をガチで怖がらせる人だからねアレは。
色々と言葉を濁しながら郊外にあるというダンジョンを目指す。
元は農地だったというエリアは即席の屋台が軒を連ねており探索者相手に食料や怪しげな道具を売りつけたり、あるいはダンジョン産と思しき様々な物を買い取っていた。そこには中国全土どころか明らかに外国人と分かる客もいるし、人間かどうか怪しい存在も紛れている。センゴク商事もここに出入りして仕入れたり販売しているそうな。
良くも悪くも混沌。
ギリギリのところで保たれた秩序は薄氷に等しく、それを承知で集まっているのだ。日本のダンジョンはこれに比べると静謐とすら言えるかもしれない。
と。
「不」
「わおん」
ヒコ様とわんこが同時に唸り、前方数十メートル分の屋台が吹き飛んだ。
乾いた破裂音。
爆薬の類ではなく、空気そのものが爆ぜたように屋台と人を吹き飛ばす。探索者と思しき人たちは自力で着地し、そうでない人は周りが受け止める。身体欠損したものは無く打撲の痕が痛々しい。人や建物がインド映画みたいに宙を舞ったのだ。誰もが唖然とし、破裂音の発生源へと意識を向ける。
それは前方に突き出された掌だった。
掌打と呼ばれる技法。
それが衝撃波を伴う程の突風を生み出し、人と屋台を吹き飛ばしたように見える。ダンジョン攻略で向上した身体能力でも果たしてそのような芸当が可能なのか首を傾げたくなる現象である。視線は掌を突き出した人物へと移る。
人物。
少なくとも人類に見える。
時代がかった軍帽軍服に革脚絆。軍刀拵えのサーベルを佩き、骨董物の自動拳銃を腰に下げている。詳しい訳ではないけれど、それは大日本帝国時代の陸軍制服というものに似ている。いや、それはいい。
コスプレか別物なのかはさておき、そういうヒトが吹き飛ばした訳だ。
掌打一発で。
なんで?
『いや、旧日本軍の軍人ならそれくらい余裕では?』
林甫真人は真顔で小首をかしげ。
『旧日本軍なら不思議ではない』『抗日映画の旧日本軍はほんと人外のバケモノ揃いですよね』
弟子二人も納得している。
なんなら屋台の住人や探索者達も「旧日本軍ならやりかねん」という表情で逃げ出している。困惑するのは自分だけでなく日米の関係者達もだ。
とりあえず。
そう、とりあえず。
素手で千人斬りくらいやってのけそうなフィジカルモンスター軍人さんを放置してはいけないね。
それが終わったら、こっちの国の人達の意識調査をしないといけない。彼らは旧日本軍をなんだと思っているのだろうか?
+登場人物紹介+
●仙骨
魔法やスキルを得る素養に対する概念的なもの。モンスターにある魔石こそ仙骨ではという解釈もある。
●香港に多数ある武装勢力
主に武術流派や道場ごとに「我こそは香港の守護者」みたいなノリで競い合っている。アジアンマフィア系のグループもいる。日本のような探索者互助会のようなものもある。総じて「英国はクソ」という認識で一致しているが、それぞれ我が強く一つにまとまる気配はない。
●屋台街
ダンジョン周辺ではいつモンスターや探索者が暴れても不思議ではないので、ぶっ壊れてもすぐ元通りにしやすい簡易屋台が重宝されている。そのためこのエリアだけ1990年代の香港のノリが色濃く残っている。
●謎の旧日本軍人
抗日映画に出てくる謎の悪役最強日本軍人をそのまま現実にしたようなアレ。あまりにもそのまますぎて現地民は不思議に思っていない。
●肉屋
別に海外に移り住もうとか考えていないが、エゾオオツノシカ君たちモンスター仲間が今後増えるなら日本に住み続けるのは確かに難しいかもとかは考えている。




