12-9 外訪者(1)
side マクシミリアン
北棟の裏庭へと下りると、さすがに煌々と明るい塀の外の騒動が一目瞭然となった。
まったく、こういう時のために外には姉やら大公妃やらがいるのではないのか。役に立ちやしないのだから。
「ご苦労。簡潔に状況を説明してもらえるかね?」
北庭から東棟裏手の庭まで暗い中を歩いてゆくと、慌ただしく行き交う聖騎士達に遭遇した。
あまりの薄暗さに一瞬訝しむそぶりを見せたようだったが、手持ちのランプを掲げてやると声をかけたのがエティエンヌ猊下と分かったらしく、たちまち安堵したように息を吐いた。
「猊下、どうかお助けを願いますっ」
「わかっています。だから落ち着いて話しなさい」
「っ……はい。あの、外の騒ぎは近衛でございます。三侯が……少なくともオランジェル内務相閣下が、異様な騒ぎに対する説明を求めております。しかし選帝議会においてはいかなる場合においても固く閉門するのが掟。幸い初めに取り次いだ者が理非を弁えている者であったようで、すぐに聖騎士が取り次ぎを引き受け、要求をお断りしました。しかし禁事棟の騎士の方に可否も分からぬ者がいたようで……」
「ちっ……先帝の子飼か。あとでトゥーリにはお説教だな」
思わず舌打ちをしてぼやいたら、教会純粋培養の聖騎士さんにビクリと身をすくめられてしまった。騎士というより、ただちょっと武装しただけの修道士のようで頼りない。
だがつまり今そこで固く重たい門を隔てて集まっている松明は、理非を弁えた聖騎士ではなく、こちら側の意に反する禁事棟の騎士共だということだ。こういう時、リディアーヌなら何のためらいもなく突っ込んでいって説教ができるのだろうが……ふふっ。やはりうちのリディアーヌ公女は最高だな。
「公子殿下?」
「こほんっ。まぁ得意分野とは言いませんが、主のいない騎士相手に臆するほどの腑抜けでもありませんよ。ただ私はリディよりは慎重な性質なので、猊下、そこらに散っている聖騎士達を集めてそれっぽく背中を守っていただいても?」
「くくっ。何を仰いますやら。公子殿下の場合は慎重ではなく、用意周到というのですよ。人を脅すすべというのをちゃんとご存じだ」
「さぁ、どうでしょう。用意不周到でどうにかこうにかしてしまう友人ばかりが傍にいるせいで、常識が分からなくなりつつあります」
うん、そうだ。自分はおかしくない。自分の言葉に大人しく屈しない人なんているはずないじゃないなどと思っているリディアーヌ様とかアルトゥール様の方がおかしいのだ。
そうしてある程度聖騎士を従えたところで、騒がしい門の方へと近づいて行く。ちっとも近づきたくないが、ちゃんと近づく。
「酷い騒ぎだね。一体どこの誰が、外部と接触する許可を?」
思いのほか自分でもひんやりとした声色がした。人当たりよく懐柔して懐に入り込むのが自分のスタイルなのだが、さすがにこの状況に苛立ちが勝っているのかもしれない。ちっとも取り繕う気もしないし、反省もない。
すぐにぱっと割れた人垣の中に、見知った顔をいくつか見つけた。ザクセオンやクロイツェンに縁のある騎士がいるようだ。
「公子殿下っ……何故こちらに……」
「何故も何も、これだけ騒いでおいてどういうつもり? 猊下、聖騎士を門の周りに。お前達は不必要に集まらずに散開しろ。もっとやることは沢山あるはずでしょう?」
ひらひらとあしらいながら騎士達の中にズケズケ入っていけば、自然と貴人に触れる事が罪だと知る騎士達は、ぶちまけられた水から逃げる蟻のように距離を取っていった。そこにすかさずエティエンヌ猊下が手を挙げ、聖騎士達を流し込んで行く。
一人一人では頼りなく見えた聖騎士も、その恰好が整っているせいか群れると迫力がある。それにエティエンヌ猊下の姿を見たせいか、やはり騎士達も口が挟めないようだ。教会は彼らの管轄とはまったく別の所にあるせいで、慎重にならざるを得ないのだろう。猊下をお連れしたのは正解だった。
「それで? 事情の説明をしてくれる人はいないの?」
「……」
皆が顔を見合わせるばかりで口を開かないのを見ると、責任の追及を恐れているのだろう。代わりに進み出てきたのは、騎士達の中で小さくなっていた一人の聖騎士だった。おそらく最初に取り次いだ人物だろう。
「申し上げます。外門より、中での騒動は何事かと問う呼びかけがありました。始めは決まり通りに不干渉を貫いておりましたが、皇宮の騎士方の一人が返事をしてしまいまして」
先程までの委縮とは打って変わり、猊下を味方に得て安堵したのか、聖騎士は気まずそうに眼を逸らす騎士達の集団をひと睨みした。後でじっくり、どこの誰が何をしたのか、聴取もさせていただくとしよう。
「こちらの情報については取り次ぐべきではないと制したものの、フォンクラーク王陛下の逃走のこと、禁事棟内にて毒を散布する事件があったことなどが伝わってしまっております。それを聞き、外も益々騒がしくなりまして、先程、外の七王家ご歴々様方も事情の説明を求めていると、オランジェル閣下が自ら声をかけてまいりました」
やはりオランジェル侯か。すぐに禁事棟の騎士達がチラチラと顔を見合わせて何か物言いたそうにしたが、少しとして視線は向けてやらず、聖騎士にのみ話の続きを求めた。禁事棟の騎士達も、あるいはマクシミリアンならザクセオンの公子だから何とか言い繕ってもらえるのではなどと甘い期待をしているのかもしれない。
お生憎様、そんなつもりは毛頭ない。当然、この場にいる全員にしかるべき処分を科すよう新たな皇帝陛下に進言する所存である。
「ただ事情を聞いてからか、少々外が静かになっておりまして」
「静かにって?」
どういうことなのか詳しく聞こうとしたところで、ドンドンドンッ! と重たい扉を叩く音に、皆の視線が集まった。どうやらその沈黙が開けるタイミングに居合わせたようだ。
「選帝伯が命じる。禁事棟の騎士達は全員塀から十歩離れ、決してこちらに近づくことはならない。禁を犯した自覚があるのであれば、黙って従うことを勧める」
さすがに甘さなど窺わせない口調で命じれば、彼らも事の不味さをようやく理解したのか、青褪めた様子で「しかし」「その、我々は」などと見苦しい言い訳をしようとした。だがそれにまともに答える事さえ煩わしい。ギロリとひと睨みした視線に、ほどなく肩を跳ね上げた騎士達が大人しく引き下がり、脅えたように列をなして離れた場所で縮こまる。
ただでさえ足りない戦力と人手だというのに、役立たずにもほどがある。どうしてこういう使えない連中が中毒にかからず、自由に歩き回っているのだろう。
「猊下、私が応対します。禁事棟の掟に背くものになりますが、まずは事態の収拾を優先します。とりあえず私が禁忌に当たる発言をしないかの監視役をお願いします」
「ええ、承知いたしました。もっとも、殿下が何を仰ろうとも、すでに禁忌を犯しこのような事態を引き起こしている彼らほどの罪は存在しませんが」
「まったくですね」
もとより同じ陣営のエティエンヌ猊下はマクシミリアンの発言にとやかく口を挟んだりはすまい。ただの表向きの確認である。現に禁事棟の騎士達は遠ざけてあるし、周りを囲んだ聖騎士達は皆、エティエンヌ猊下派のようである。
そんな中で再びゴンゴンと扉を叩いている傍に歩み寄り、扉横の壁にある確認用の開口扉を開けさせた。精々レンガ一つ分の小さな開口部だが、こちら側からしか開けられないように閂がかかっており、本来はすべての選挙が終わった後で、その旨を伝えるためだけに存在しているものだ。
錆ついてでもいるかのような硬い鉄窓がきしむ音をたてながら開くと、すぐにぱっとあちらから見知った顔が覗き込んできた。たちまち「遅いではないか!」と叫んだけれど、それを涼しい顔でニコニコと見てやれば、すぐにもギョッとその男が飛び下がった。
禁事棟の塀は高く分厚く、門扉も重たい。どうやら外に、中で起きた変化はまだ伝わっていなかったようだ。
「酷い挨拶だな、オランジェル侯。どうやら私がいては大層不都合だったようだ。あぁ、それとも猊下を見て飛びさがったんですかね」
「私はそんなに怖い顔をしておりますかな?」
猊下も悪乗りしたところで、しばらく外がざわついたかと思うと、開口部ではない場所から「誤解でございます、公子殿下、枢機卿猊下」とオランジェル侯の声がした。
顔も出せないとは情けない。まぁ、見せたなら見せたでどの面下げてと思うけれど。
「何が誤解だと? どうやら随分とそちらに都合のいい騎士が紛れ込んでいるようじゃないか。この禁事棟の絶対の禁を犯し、情報を抜き出そうなど、恐れ知らずにもほどがある。貴殿はいつからそれほどの権限を?」
「ッ、とんでもございません。我々はただ、夜も更けたというのに灯りが消えず、慌ただしいご様子に心配をなされた七王家の皆々様に変わり……」
「選帝議会において、何人たりともその干渉を禁じる――七王家ともあろうものがそんなことも知らないとは呆れる。あぁ、いや、違った。六王家、だな。ベルテセーヌ王陛下は中にいらっしゃるから。弁えていないのは他の皆様方ということか」
「……」
さすがに挑発に乗って下手を重ねる愚行はしないか。
「お使いはもういいだろう? 分かったならとっとと軍を解散して、大人しくしておいてくれ。もう分かっていると思うが、この事態を耳にした皇帝候補達はひどい怒り様だ。当然、“君達の皇子様”もね」
「っ……誤解でございます、公子殿下。我々はただ、必要があって……」
「へぇ。掟を失するほどの必要か。どんな理由があればそんなことが豪語できるのか、是非とも聞いてみたいものだね」
聞いたところで覆るものもない。もう半ば面倒臭くなりつつあしらう様に言ったのだが、次の瞬間、バッ! と開口窓に飛び込んできた顔に、マクシミリアンも言葉を失う破目になってしまった。
「何を……しているのかな? 君」
「あ! ご、ごめんなさいっ、急にっ。驚かせましたよね? あの、でもオランジェル侯を責めないでください。私がお願いしたんです!」
あぁ……なんか今この瞬間、ものすごく、リディアーヌが“彼女”を異様に毛嫌いしている理由が分かった気がする。
そこの騎士から剣を取り上げて、あの小窓に投げつけたい。そんな衝動に駆られる利き手で目を覆い、ぐっと空を仰いで感情に耐える。
生来、一人に対して以外はあまり我慢強い方ではないのだ。こういう徴発はプツッといってしまいかねないので、本当にやめてほしい。
「……ふぅぅ……ヴィオレット妃……何故ここに?」
何とか感情を落ち着けて声を絞り出す。
そう。この面倒臭い状況に、もっと面倒くさい相手、皇帝候補アルトゥール皇太子の妃ヴィオレットがそこにいる。くしくも、本来ならばこの禁事棟の中に入る資格を持った、“次期皇后候補”である。
すでにアルトゥールはそうはならないことを明言しており、それは周知の事実となっているが、だが彼女が皇太子妃であることに変わりはない。その資格がまったく無くなったわけではない以上、皇帝候補の正妃は禁事棟内に入る資格を持っているのだ。
だが過去一度として、“途中で入って来た妃”なんてものは存在しないわけで、むしろそんな非常識を犯そうと考えた人すらいなかったはずだ。これはさすがに対処に困る。
「姉上は一体何をしているんだ……あぁ、いや、今の管理責任者はナディか?」
どうにもフォンクラークはこの一日でかなりきな臭いことになっているようだから、ナディアも監視の目が緩んでしまったのだろうか。
この状況にエティエンヌ猊下も「皇太子殿下をお呼びした方が宜しいでしょうかね」と呟いたので、大急ぎで、という意味を込めて深く頷いた。それを見た聖騎士の一人がすぐに頷いて引き返してゆく。いっそ走ってくれたらいいと思う。
「皇太子妃、君も皇帝候補の妃なら、選帝議会の掟は重々承知しているはずですよね? それがこのような禁を犯し、外苑を騒がせる理由は何?」
「お、お待ちください、公子様っ。確かに選帝議会の途中でというのは無作法でしたが、私には中で何が起きたのか……その……夫が、無事なのかを確認する権利があります!」
うべぇぇと砂でも吐きそうな心地である。よくもまぁあのアルトゥールがこんな女に何ヶ月も絶えられたものである。自分なら三日……いや、一日だって持たない。
あぁ、リディアーヌに会いたいな。彼女が今この場所にいたなら、問答無用にあの扉をバシンと締めて、『はい、おしまい』とばかりに何事もなかったかのように踵を返すことだろう。うん、うちのお姫様はやはりいい。全力で推せる。
「こほんっ。公子殿下、また何やら公女殿下の事をお考えでは?」
「何で分かったの?」
「顔がにやけておいでです」
あ、あれ? そう? なんて頬をムニムニしている間も、外でヴィオレットが何かを必死に訴えている。まったく頭に入ってこないのだが、つまるところ、中での騒動に心当たりがあって、もしかしたら自分が原因かもしれなくて、何としても皆を守らないといけないから中に入りたいのだそうだ。
(はっ? 何様だ?)
自分のせい、自分だから、自分であれば……ヴィオレットなどという存在が無くともすでになるように動いている状況の中で、一体彼女は何を勘違いしているのだろう。むしろここで煩わされていることの方が時間の無駄だというのに。
だが心当たりというのは確かに。リディアーヌを害したあの男はスパイを兼ねていたとはいえ一応ヴィオレットの臣下としてクロイツェン籍にあるはずだ。そういう意味では確かに、重たい責任がある。
あぁ、つまり自分はあの男、そして次にこの女を厳罰に処せばいいわけか?
散々リディアーヌを煩わせた女だ。そして今も、害にしかならない存在だ。一体どれほどの重たい刑罰を科せばいいだろう。ただ楽に死なせるのは勿体ない。広間につるし上げて三日三晩さらし、爪と皮をはいで獣にでも食わせれば十分だろうか。いや、獣がお腹を壊しては困るな。それにそんな汚いものをリディアーヌの目に晒すのも忍びない。いっそ彼女の目を汚さない遠い場所の地下深くに埋めてしまうのはどうだろう。あぁ、それがいい。姿もなく声も聞こえず、ただ忘れたように何もかも消えてしまえば、少しは彼女の愁えも晴れてくれるのでは……。
「おい、ミリム。今お前、相当やばいこと考えてるだろう?」
突如かけられた悪友の声にはっと我に返ったのは、果たしていい事だったのか悪い事だったのか。「失礼だなぁ。そんなわけないじゃない」だなんて振り返っては見せたけれど、はて、アルトゥールが遠い北棟から報告を受けてのろのろここへやってくるほどの時間が流れていただろうか? ほんのひと時だったような気がするのだが。
「……はぁ。くそっ、こういう時に限って“精神安定剤”が不在とはな」
「リディを物みたいに言うの、やめてくれない?」
「あっ。あのっ、アル?」
早速アルトゥールの声を拾ったらしいヴィオレット妃の声が弾む。一体この穏やかなフリをしただけの皇子様に何を期待しているのだろうか。
「君の奥さんが中に入りたいそうなんだけど、どうする? 私は別にどっちでもいいんだよね。放っておいていいならそうするし、そうでないならないで……」
口に出しかけた先程の妄想の産物は流石におっとっと噤んでおいたが、もれなくアルトゥールには深いため息を吐かれた。
どのみち、答えは最初から分かっている。




