12-8 北棟にて(2)
side マクシミリアン
「……あの、公子殿下。おそれながら、私は尋問は専門外です」
「……ふぅん、そう」
「本当です。テッサーリ修道士は、その……つまり。その道に長けた方に……その」
その道に長けた方? はて。ヴァレンティンが禁事棟に連れてきている騎士は、あとはあの精錬実直そうな副騎士団長だけだったはずだが。もしや大公の侍従? いやいや。それともまさかあの侍女だとか。
「……」
うん、わかっている。あえて考えないようにしただけで、何となく想像は付いている。
やはり、リディアーヌ最側近のあの文官は、そういうのが得意な性質だったか。考えないようにしていたのに。
「こほんっ。えっと、それで?」
「まず、直接的なギュスターブ王との繋がり、ヘイツブルグ大公との関わりなどは見受けられませんでした。中央棟に忍び込んだ件についてはアンジェッロ司教の指示でおよそ間違いないようですが、選議卿としてというよりは教会聖職者としての立場で、なにかしらうちの姫様に関する情報を手に入れることを目的としていたと」
「トゥーリの陣営に取り入るための情報にするもよし。何かと動静が聞こえてこない教皇聖下に売るもよし、ってところかな。元々アンジェッロ司教は教皇派だったしね」
「俺の指示じゃないぞ」
すかさずアルトゥールがムスリとしてそう言ったが、そんなことは分かっている。だがそれでもアンジェッロ司教はアルトゥールの支持勢力に属しているのだから、このくらいチクリとは言わせていただきたいものである。
「なお塔からの脱出経路ですが……誰、とは口を割りませんでしたが、誰かしらの聖職者の手引きにより解放されたようです。その時点でギュスターブ王はすでに塔にいなかったとの証言もありました」
「だったらギュスターブを逃がした犯人は分からずじまいか」
そうため息を吐くアルトゥールに、「お役に立てずに申し訳ありません」と粛々と頭を垂れて見せるエリオット卿に、「まぁいい」とアルトゥールも軽く手を振って体を起こさせた。
ふむ。エリオット卿は一介の騎士であり、元より政治に口を挟む性質ではなく、自身の職務に忠実な、リディアーヌも深い信頼を置いている存在である。日頃から護衛にのみ徹して口を挟んできたりすることもない。ただそれは話を聞いていないというわけではないことは、時折、うっかりと感想が口を吐いて出てしまう様子などを見かけていることからも間違いない。
リディアーヌの優秀な側近達からの信頼も厚いようであるし、リディアーヌもなんだかんだと大事な案件はまずフィリック卿かエリオット卿に投げる。決して何も考えないだけの脳筋とは違うことは確かだ。
そんなエリオット卿が、対抗派閥であるアルトゥールもいるこの場所で、あれもこれもと情報を開示するだろうか。
マクシミリアンが求めたのは、誰と誰が繋がっているのかを把握するための情報だ。なので答えるべきは、ギュスターブやヘイツブルグ大公との関係だけで良かったはずである。だがその指示系統がどこなのかをはっきりさせることでにわかにアルトゥールを牽制する隙を与え、さらにどうやって塔から抜け出したのかという点にまで触れてきた。それは必要のなかった報告だ。
だとしたら……わざと、か? あるいはあの何を考えているのかよく分からないあの筆頭文官に、何かを指示されているのかもしれない。
「エリオット卿、他に報告すべきことはあるか?」
「いえ。お伝えするべきことは以上です」
ヘイツブルグ大公とは関係のない単独犯。だが聖職者の手引きで塔を抜け出したこと。そしてその時すでにギュスターブがいなかったこと……いや。違和感がある。
手引きをした者は、そもそもどうしてこのタイミングでテッサーリ修道士を逃がしたのだろう? そんなことをしても罪が重くなるだけで、下手をすればアンジェッロ司教がそれを疑われて立場を悪くするのではなかろうか。だがそれでもテッサーリはぬけぬけと逃亡し、しかもそのまま真っ直ぐとギュスターブを追うようにこの東棟に姿を現した。
リディアーヌを突き飛ばしたのが衝動であったのか計画であったのかは分からないが、姿を見られれば自分が一層の咎めを被ることくらい分かっただろうに、それでも彼を突き動かした何かがあったはずだ。それは何なのか。
あるいはそれは……すでに、リディアーヌの優秀な右腕が掴んでいるのではなかろうか。
「なるほど……分かった。いずれにせよ信頼のおけない聖職者との接触がないよう、警戒を強めさせておこう」
「可能であれば、禁事棟内の騎士にもアンジェッロ司教の動きを監視させておいていただけましたら」
その言葉は明らかに、禁事棟内に融通の利く騎士を多く配置させているであろうクロイツェンの皇太子に向けての言葉だった。アルトゥールもそれは察したようで、「こっちで手をまわそう」と言う。
あまりにもあっけなく引き受けてくれたことにはエリオット卿も小首を傾げていたが、もとよりアルトゥールはあまりがつがつと派閥を争う姿勢を表に見せることが無い。どういう心境かは知らないが、プライドだろうか。あるいは幼い頃からの自負のせいだろうか。
それに涼しい顔をして見せているものの、度々リディアーヌが巻き込まれている事件に対して思う所がないということもないのだろう。
この男の執着が、そんなに簡単に吹っ切れて消えるはずもない。それは幼馴染の自分が一番よく知っている。
「ひとまず急いで片付けるべきことは以上でいい? もう大事な用が無いなら、とっととリディを探しに行きたいんだけど」
「……ハァァ」
この面子で取り繕う必要もなかろうと発した言葉には、あからさまに悪友がため息を吐いた。だが気になんてしない。むしろ今の今までよく耐えた方だと誉めてもらいたいくらいである。
「お前は一体どこに公子としてのプライドを捨てて来たんだ。今お前がすべきことは、選帝伯としてこの場を取り仕切る姿勢を示し、安心と監視の目があることを周知することじゃないのか?」
「そんなものはとっくの昔に捨てたよ。それに家からは破門されたも同然なのに何を慮る必要があるのさ。むしろ今の私にはリディが目の届く場所にいないことの方が死活問題だよ」
「よくもまぁそんな重たい執着を何年も隠し通したものだな。いや、通せていたのかは疑問だが」
「君にだけは言われたくないね。あの手この手で嘯くふりをしながらリディを誘惑し続けたのに、そのたびに“悪戯”だと思われてろくに相手にされなかったトゥーリさん」
「……」
あからさまに悪友の眉間に深いしわが寄ったが、気にしない。昔からこれについても一言物申したかったのだ。だがザクセオンの公子という立場がそれを許さなかった。今となってはどうでもいい立場である。
「……うちのディーは、どうやら男関係では随分と数奇な運命をたどってきたようだ」
「「うちの?」」
リュシアン王の呟きに思わず突っ込んだ言葉が、アルトゥールと被ってしまった。しかもその反射神経にも近しい返答には、リディアーヌの“兄”のような存在であるらしいリュシアン王に、ひどく呆れた顔をされてしまった。
だって仕方がないではないか。この人は兄の皮を被った、彼女の“最初の夫”なのだ。今なおそれについては認めざるしこりである。過去が消せない以上致し方ないが、それでも許せないものは許せない。それがたとえ十歳の頃の、児戯に等しいものであったとしてもだ。
「とにかく、大公達が中央棟に籠もりきりである以上、ある程度の全体の差配は君に取っておいてもらいたい。他に、そこの皇太子を大人しくさせておいてくれる選議卿にも心当たりがないのでな」
コンと杖で一つ床を鳴らしながらゆっくりと諭すように言葉を続けるリュシアン王に、むっとマクシミリアンも口を噤む。ちっとも外見も口調も似ていないのに、リディアーヌにいい諭されているような気分になるのは何故だろうか。気に入らない。
だが言わんとしていることは分かる。本当なら理性的な皇帝候補である二人にとっとと全部預けてしまいたいのだが、本来皇帝候補達が選帝議会中に利害や政治活動にあたる行動はとってはならない規則がある。それを理由に、この場を取り仕切る責任者としての行動を問題視してしゃしゃり出て来る選議卿がいるのは、彼ら皇帝候補にとっても煩わしい問題なのだろう。
候補に挙がりそうな義兄はすでに三階に閉じ込めたが、頼りになりそうなコランティーヌ夫人は流石に表立ってウィクトル公子を無視してしゃしゃり出るわけにはいかないだろうし、選帝伯であるサンチェーリ司教はこの中毒患者にあふれる現場の指揮に追われていてそれどころではない。となると、残る選帝伯はダグナブリク枠のカーシアン女伯だけだが……あの強烈なキャラクターに辟易しているらしいアルトゥールすら、「それは俺も困る」と顔色を濁すほどである。
「じゃあほかにどうしろと? クラウスに紫紺でも着せて私の代わりに置いておこうか?」
「どうして自分の代わりに公女殿下を探してこいという命令をする、という発想にならないんですか?」
すかさず返って来た反論はそのクラウスからで、日頃滅多に口なんて挟まない腹心の呟きには思わず視線が集まってしまった。
「あ、じゃあ探してきてくれる? 見つかるまで帰ってこなくていいから」
「……」
「まて、今のはなしだ、クラウス卿。この鹿の皮を被った狼を野放しにするのは駄目だ。クロイツェン皇太子として正式に要請する。絶対に目を放すな」
「ちょっと、酷くない? トゥーリ」
「まったく酷くない」
そんなことをあーだこうだと言っている内に、コホンと一つ咳払いをしたエリオット卿が、「口を挟んでも宜しいでしょうか」と律儀に声をかけた。こういう所、リディアーヌの臣下は本当に行き届いている。
「うちの……こほんっ。いえ。その。姫さ……公女殿下……につきましては、すでにヴァレンティンの方で探しております。この禁事棟内にいらっしゃるのであれば、そうかからずに見つかるかと」
「ほぉう?」
アルトゥールが何やら訝しそうに視線を寄越したが、どうやらリディアーヌが妙なものを“飼っている”ことを知っているマクシミリアンは、「まぁ、そうかもしれないけど」と軽く流しておいた。
エリオットがまったく焦っていないのだから、きっと何かそういう確信があるのだ。それについては後でじっくりと聞かせてもらうことにしよう。
「公子殿下におかれましては、皆様が仰られます通り、状況への対応を差配をしていただいておいた方が公女殿下の意にも適う事かと……と。その……」
「フィリック卿が、そう言って私をここから動かすなとでも指示したと?」
「……」
精錬実直なのはこの男のいいところだが、腹芸が苦手であるのは欠点のようだ。日頃はあまり感情を表に出さないよくできた騎士なのだが、こと、主と筆頭文官殿のこととなると中々表情が豊かなのである。
「ふぅ……まぁ、あの人がそう言うなら、リディが絶対に大丈夫だという確信があるんだろうけど。でももうすることはやったよ。何もせずにじっと待つだなんて到底……」
そう説得を続けようと思った矢先、ゴンゴンゴンと慌ただしく扉を叩いた固い手甲の音に、たちまちマクシミリアンの眉根が深い深い谷間を刻んだ。ニヤニヤとして侍従に扉を開けるよう指示するアルトゥールの顔が妙に腹立たしい。
「失礼いたします! 急ぎのご報告にてっ……そのっ」
入ってきたのは禁事棟付の恰好をした若い騎士だ。特に見知った顔でもないが、一体この貴顕が集まる部屋で誰に向かって報告をしたらいいのかと困ったように見回しているのを見ると、どうやらクロイツェンの子飼というわけではなさそうだ。
「報告ならそこの公子にしろ。この場の責任者だ」
傍観をしていたら、すぐにアルトゥールにそんな風にふられてしまった。
くそっ、面倒事を押し付けられた。身分でいうなら現国王であるベルテセーヌ王にこそ報告させるべきであろうに。
「はっ、では公子殿下。只今西門にて、外部より騒ぎの事情を問う使者がございまして」
「そんなもの、規定通りに追い返しておいてよ。選帝議会中はいかなる事情があろうとも、外部が干渉することは許されない。そう神にも誓約しているでしょ?」
「そ、そうではあるのですがっ……」
さすがにギュスターブが血みどろの危篤状態と知ってはそうもいかないのでは、とでも思っているのだろうか。まぁ分からないではないが。
「塔屋の物見から確認しましたところ、皇帝旗を掲げた騎士団が外堀に列をなしておりまして……その……」
「なんだと?」
思わず低く唸ったリュシアン王に、その騎士もビクリと肩をすくめた。
皇帝旗を掲げた騎士団という事は、いわゆる親衛隊というやつだ。直轄の近衛の中でも精鋭からなる隊であり、それを動かせるのは皇帝だけである。つまり皇帝不在の今、それを動かせる人はいないはずなのだ。なのに動いているのは、これが次期皇帝の安否に関わるなどというこじつけた誰かがそう扇動したからに他ならない。
騎士団を率いるセナンゼル侯に、そこまでの度胸はないだろう。だとしたらオランジェル侯か、エッフェル侯か。ヴァレンティン家の気質をよく知っているエッフェル家がそんなで過ぎた真似をして自ら選帝侯家からの怒りを買う真似をするはずはない。だとしたら、七王家の中でも栄えあるクロイツェンの後ろ楯を持つオランジェル侯か。
「だってよ、トゥーリ」
「俺に言うなよ」
アルトゥールはそう言ったが、その憮然とした顔もいつまでもは持たず、深いため息とともにガシガシと頭を掻いた。
「俺が出てったら本末転倒だろ。ミリム、お前が対処したらどうだ?」
あの老獪が若輩の言う事なんて聞くものか。だがだからといって放置するわけにもいかない……はぁ、何故誰も彼も、大人しくしておいてくれないのだろうか。あとたったの一日、いや、半日でいいというのに。
「……分かったよ。クラウス、エティエンヌ猊下に声をかけてきてくれ。忙しそうでも、一応緊急事態と伝えてくれ。それとラモーディオ猊下かテスティーノ猊下のどちらかにもこちらをお任せしたいことを伝えてくるように。猊下と、それからリュシアン陛下に北棟の差配はお願いする。トゥーリは待機ね。手に負えないようなら呼び出すから、そのつもりで」
「ちっ」
「それで構いませんか? 陛下」
「致し方ない」
クラウスは一瞬でも主から目を放すことを躊躇するそぶりを見せたが、リュシアン王が首肯したものだからそれ以上文句は言えなかったのか、同じく了承してくれた。
ひとまず国王陛下と皇太子殿下からたっぷりと訪問者宛の遺憾のお言葉をいただいてから重たい腰を上げたところ、早速テスティーノ猊下がこちらにいらしているところに遭遇した。どうやら薬の管理に当たっているラモーディオ猊下よりは手が離せる状況になっていたらしい。見たところ、北棟に移管した病人たちの様子も随分と落ち着いてきたようだ。
「そちらは問題ありませんでしたか? 猊下」
「ええ、大分落ち着きました。しかしやはりまだ薬草不足は深刻ですね。先程、皇帝候補様方からご提供いただいた分でひとまず全員への投薬は叶いましたが、明日の朝までとなるとまだまだ足りません。“外の方々”から、薬草だけでも引き取れると有難いのですが」
なるほど、難しい注文だ。それは本人も分かっているようで、苦々しい苦笑を浮かべている。
薬草だけ寄越せと言ったところで、何があったのかと聞かれ情報が洩れても困るし、かといってただ薬草を寄越してもらうにも余計な密書やさらなる面倒を引き起こしそうな異物を混ぜられては困る。そんなリスクは冒せない。少なくとも今程度の状況では、まだ。
「薬草に関しては難しいですが、リディさえ戻ってくれたなら、どうにかなったりしませんか? 確か聖女は、万能……いや、えっと、聖水作りが得意だとかなんだとか……」
「ッ……」
おっと。さすがに聖職者には衝撃が強すぎる内容だっただろうか。パクパクと空気を食んで困惑の様子を見せたテスティーノ猊下は、ほどなく深いため息を吐きながら腰を折り、「まったく、貴方方は……」と乾笑を浮かべた。はて、アナタガタとは何のことだろうか?
「聖女様の奇蹟を無遠慮に求めるなど、論外でございますよ。まぁしかし……そうですね。公女殿下が何か妙案を考えて下さらないか、私も強くお帰りを望み、お待ちしましょう」
「是非そうして、中の気ぃきかずさんに説法の一つでもしておいてください」
「聞こえてるぞ、ミリム」
中から何やら皇子様の声がした気がしたが聞かなかったふりをして、遅れてエティエンヌ猊下が手を拭いながらやって来たのを見ると、「ではお願いします」とこの場をテスティーノ猊下に任せ、マクシミリアンは応接間を離れた。
はぁ、気が重い。外に構っている暇なんてないというのに。
「どうやらまた厄介ごとが増えたようですな、公子様」
「いっそ次の皇帝陛下には、ご崩御と同時に三侯も解体して全権限を凍結するよう、仕組みを変えてもらうのはどうですかね」
「さて、我ら聖職者は政治には関与しない存在ですから。ただその審議をするのは結局のところ選帝侯家の皆々様では?」
「つまり私ではなくうちの親父殿やヴァレンティン大公閣下ということですよね?」
「そのヴァレンティン閣下に命じられ、聖女様があくせく働きまわる未来が目に見えるようですな」
くっ……痛いところをつかれた。さすがに説法を生業とする聖職者、それも次期教皇に最も近いなどと言われる枢機卿猊下相手に口で敵うはずはなかったか。
もとより勝とうと思って始めた会話ではなく、ただの気を紛らわせるための雑談に過ぎない。それは猊下も分かっているようで、「お悩みは尽きませんね」と笑って見せる含みのある聖職者スマイルにため息を吐いている内にも、北棟の裏から裏の庭へと下りた。




