12-7 北棟にて(1)
side マクシミリアン
北棟に場を移したところで、しかし分かっていた通り、こちらは随分と手狭である。先程薬が焚かれた食堂の灰落としはすでに木片に煉瓦が積まれ塞がれていたけれど、好んで集まりたい場所ではなくなっている。
ひとまずすぐに庭に出られる玄関のホールから広々とした廊下沿い、応接間、比較的被害のなかった西側の地階などに東棟にいた病人らを安置した。かろうじて歩ける程度に回復をしている者は、禁事棟付の騎士の助言に従い、外壁沿いにある騎士らの宿所に移ってもらうことになった。いても役に立ちはしないのであればここに置いておく必要もない。
選議卿らは各々派閥の皇帝候補の区域にいればいいだろうと勝手に移動を始めてしまい、いっそ彼らより信頼できる皇帝候補のリヴァイアン王子やアブラーン王子が、「私共がしっかりと見ておきます」とお守りをかってくれた。
勿論、アルトゥールはズケズケとクロイツェンの区域に向かう選議卿らを軽くあしらってついては行かなかったし、支持者らが慌ただしく分散しているリュシアン王も一階に残った。いや、むしろ後者については、アルトゥールだけ残らせて差配を執らせようものならリディアーヌが頬を膨らませるだろうなと思い、マクシミリアンが引き止めたと言ってもいい。
そんな二人の皇帝候補と、唯一外に面する窓のある応接間に入ったところで、義兄もこの部屋に入れられた。
「公子殿下、宜しいですか?」
ある程度、この場の状況の差配をアルトゥールやリュシアン王の協力の元取りまとめたところで、コンコンと扉を叩いて顔を出したのは、先程までとは打って変わって白の医療着に深紅を散らしたアルセール先生だった。
しばらくそのまま東棟の衝立の奥でギュスターブへの応急処置が続いていたようだが、どうやらひと段落着いたらしい。
「あんな男、放っておけばよかったものを」
先生の随分と疲れた様子とその有り様にアルトゥールが思わず呟いたけれど、それにはすかさずリュシアン王が、「それは困る」と返した。
「誰とどう繋がって、何をもってあのような事件を犯したのかを聞かねばならない。それに公女であれば、皇帝候補の名を冠したまま楽に死ぬなど許しがたいと、蹴り飛ばしてでも生き返らせるはずだ。少なくとも、明日の昼までは」
確かにそうだ。リディアーヌならそう言う。マクシミリアンとしてはアルトゥールに同意見で、あのまま血に溺れながら息絶えてしまえばいいとさえ思ったが、そんなことになっていたら、リディアーヌにため息を吐かれていたかもしれない。
そんなマクシミリアンとアルトゥールの気まずそうな顔にほっと安堵の息を吐いたアルセール先生は、「ひとまず、治療と高価な薬が無駄にならなくて良かったです」と仰った。
「国王陛下が仰られた通り、このまま安穏と死なせては私もおさまりが尽きません」
「……あぁ。悪かったよ、先生。それで? ギュスターブは?」
「幸い、無駄に分厚い贅肉が……コホン。まぁ、つまり致命傷は免れていました。それでも急所は急所なので、応急処置程度ではたしてどれほど持つかという所ですが、ひとまず出来得る治療は施しました。存分にリゼットを吸っていたことは幸いでした」
そういえばリゼットには弛緩作用だけでなく麻酔薬としての用法もあるのだったか。不幸中の幸いというのか、薬をいいことに荒療治を施したようである。
「それで、今はどこに?」
「人通りのある東棟のホールには安置して置けませんし、傍の応接間は地階や裏道にも通じています。どこに安置すればいいかに困り、こうしてお尋ねに来た次第です」
どこって、そこらへんのホールに放っておいたらいいんじゃないかな……とか思ったのが本音だが、部屋隅で監視されながらじっとしている義兄の視線がもの言いたげにこちらを見ているのを感じると、今にも出かかっていたその言葉を噤んだ。あまり適当にして口を挟まれるのも煩わしい。
「裏道の類が少ないこっちの方がいいかな? さすがに塔にまでは運べないよね?」
「私は別に塔に放り込んでもいいと思いますけれど」
「ますけれど?」
「ただギュスターブ王の居住空間として整えていたとはいえ、石造りで寒々しいあの場所に放置して、明日まで命永らえる保証はできませんね」
あぁ、あそこまで運ぶという点については別にいいのか。どうやらアルセール先生も先生なりに、薬師として救うべきか否かの葛藤があったようである。
「公子、だったらここの三階はどうだ? 本来、フォンクラークが使うはずだった皇帝候補としての居室が空室のままになっている。荷物も運び入れられていない寒々しい部屋だが、かえって余計なものもなく監視はしやすいだろう」
そこに有難い提案をしてくれたのはリュシアン王だ。なるほど、確かにそれなら隔離をして人目から離しておくにも、あるいは黙って安静にさせておくにもちょうどいい。
「フォンクラークに宛てがわれていた部屋ってどこです?」
「三階の上がってすぐ、西側だ。東側はうちとクロイツェンで、幸い人の出入りは少ない」
それは好都合だ。いっそのこと義兄も、一緒に放りこんでおきたい。さすがに選議卿を勝手に塔に幽閉するわけにはいかないが、仮に拠点を置いた北棟の一室なら文句も出まい。
あとはテッサーリ修道士なのだが……これはどうしたことか。先程北棟に移動を始めた際、パトリック卿が何やら『ついでに少々お借りしたく』などと言ってエリオット卿ごとどこかに連れて行ってしまった。
今どこでどうなっているのか不明なのだが……なんて思っていたら、そのエリオット卿が、表向きの変化はないけれど妙に血の気が引いて抜け殻みたくなっているテッサーリ修道士を引きずってやってきた。何があったのか気になるところではあるが、ちょうどいい。
「エリオット卿、その人もギュスターブと一緒に、ここの三階に放り込んで置いてくれる? 監視は……“信頼のおける義兄上”にお願いしたいのですが」
あきらかに警戒しての事であるのは一目瞭然だっただろうが、義兄もマクシミリアンが言わんとしていることは理解しているのか、一つ息を吐くと、「引き受けましょう」と大人しく首肯した。
あまり素直なのも気持ちが悪いが、この様子だと、先程リディアーヌを突き飛ばしたのはあくまでも衝動であり、最初からギュスターブと通じていたなどというわけではないのだろうか。
いや、だが油断はできない。
そんなマクシミリアンの剣呑な視線を見て取ったのか、アルトゥールが「うちの騎士も一人付ける」といった。しかし義兄はアルトゥールの推戴側の有力者だ。アルトゥールの申し出は本来なら到底許容しかねるものではあるが、果たして信じてもいいものだろうか。
その懸念は、察してくれたらしいリュシアン王が、「うちの騎士も付けておこう」と言ってくれたので、頷いておいた。怪我人と修道士に過剰ではあるが、治療に当たる薬師達の安全も考慮してのこととしておこう。
「レアンドロ、トリスタンと一緒に三階に上がって、奥の部屋の薬草類を司教様に渡してくれ。余計に残しておく必要はない。それから捕虜用の寝具くらいは提供しよう」
「かしこまりました」
ベルテセーヌの侍従が首肯して、「では先に三階に上がります」という騎士と共に部屋を出るのに合わせて、アルトゥールも「うちの薬草も提供しよう」と声をかけ、騎士達を外に出した。
これに合わせて義兄も去ったので、少し窮屈なくらいだった部屋の中が随分と空いた。思わずふぅと息を吐きたくなるほどだ。
「やっぱりこういうのは私には向かない。リディがいてくれないと」
「お前、最近怠け過ぎなんじゃないか? 軍令学のAA評価はどうした」
「あれは一度きりの屋外研修以外実技がいらない教室授業、かつレポート試験だったから取ったんだよ。実際に指揮しないといけない用兵学なんてまったく柄じゃなかったから」
「そういう問題か?」
気の置ける相手ばかりになったおかげで少し気が抜けた。だがまだリディアーヌの行方も分かっていないし、聞きたいことも山ほどある。いつまでも雑談にかまけてはいられない。
「それで、ユリウス陛下。先程のキリアンの件、もう少し詳しく聞きたいのですが。リディからは、確かに昔馴染みの相手で、亡命時に一緒に連れ出した相手であるとは聞いていますが、詳しいことは聞いていません」
「あぁ、キリアン……マグキリアン・ペステロープのことだな」
悲劇のペステロープ……その名前は他国にまで聞こえた名だ。
悲劇と冠するか、あるいは大罪と冠するのかは人によっても違うが、少なくとも最初にマクシミリアンが耳にしたのは、ベルテセーヌで皇帝候補であった国王の暗殺に加担したとして一族郎党、関係があるのかないのか分からないような身内から幼い子供に至るまで、悉く斬首に処されたというニュースであった。その見出しは、“大罪のペステロープ”だった。
だがヴァレンティンの人々やリディアーヌはそれを“悲劇のペステロープ”だと言った。その理由はリディアーヌ本人に聞いた。国王暗殺などとんでもない。それは陰謀であり冤罪であったのだと。
マグキリアン・ペステロープは、そんな残酷な処分を受けた一族の生き残りであるという。
リディアーヌの実の兄であるエドゥアール殿下に命を救われた存在でもある。そのせいか、リディアーヌは妙にこのマグキリアンに甘いところがあり、それに対してフィリック卿がいつもピリピリと苦言をこぼしていた印象が残っている。
おかげでマクシミリアンにとってもマグキリアンというのは、よく知らないがいけ好かないという印象の男なのだ。
聞いた話ではフォンクラークでヴィオレットに拾われ、以後アルトゥールの子飼いであった時期もあったという。アルトゥールは彼の本名を聞いても驚いている様子はないから、すでにそのことは知っていたのだろう。
果たしてその後ヴィオレットのもとに舞い戻って来たマグキリアンが、リディアーヌの息のかかった存在であったことまで知っていたかは分からないが……いや、アルトゥールの事だ。当然、分かっていて受け入れたのだろう。それを今はどう思っているのか。
「ペステロープ家は忠義の一族だ。クリストフ二世陛下暗殺などという馬鹿馬鹿しい嫌疑にも誰もが鼻で笑って一蹴するほどに。それゆえ先代王は……私の父は、反感を口に出せぬほどの残酷な処罰を行ったのだろう。そのペステロープの子であれば、幼い頃から仕えていた先々代の血筋への忠義も、そして私への恨みもひとしおであろう」
そうか。彼の一族を冤罪のもと斬首に処したのは、この王の実の父なのだ。その実の父に自らも酷刑を課されていた人なだけにピンとこないが、一応そういうことになる。
「その上で繰り返すが、ペステロープがリディアーヌを傷つけることは絶対にない。たとえその意が思うが儘にならなかったとしても、傷つけることはできまい。ディーはペステロープにとって……いや、マグキリアン個人にとって、名誉にかけて守らねばならない存在だ」
「ですが……」
「あぁ、先程の事件のことは不可解だ。だがそれは容易に説明し得る。マグキリアンは私を殺したいと思ってやまないだろうが、リディアーヌはそれを許さない。その矛盾を理解しているが、それが障害であるとも思っていないのだろう」
「……つまり陛下を弑したとしても、リディを説得できると思っている?」
「あぁ。一応気にはしていたようだが、元より、私の存在はペステロープには断じて許せないものだろうからな。あぁ、それと皇太子、君も標的だ。昔は存じていなかったようだが、今はペステロープ家の破滅にクロイツェン七世が関わっていたことをすでに奴は知っている」
「……ふぅ。お互いに、身内のせいでとんだ濡れ衣だな」
「私はそうは思わない。父を制止し、あるべき場所に皇統をお返しすることが私の役目だった。だがそれさえ叶わず、ましてやディーの兄を……エドゥアール殿下を私の宮で、私の目の前で、私のせいで死なせた。これは間違いなく私の罪だ。むしろいつリディアーヌ王女に命で償えと言われるのか、日を数えて待っていたくらいだ」
「……」
アルトゥールの歪んだ表情からは『悲観的すぎやしないか? リディアーヌはそんなヤワな人間じゃないぞ』とでも聞こえてきそうだったが、この王の生い立ちと王となった経緯を考えれば、あながち分からないでもないのかもしれない。まぁ、リディアーヌはずるずると引きずって追い詰めるような陰気な性質はしていないので、アルトゥールの表情にも同意はするところだが。
ただこの違和感は何だろう? マグキリアンのリディアーヌに対する心酔はともかく、なのに間違いなく自分は命を狙われると考えていることには、ただの悲観だけではない確信めいたものを感じる。
「陛下、なんか随分と確信的ですけど。もしかして、感情論とかだけではない、何かはっきりとした根拠でもあるんですか?」
「……」
リュシアン王は口を噤んだが、それはむしろ明確な肯定でもあった。やはり、何か理由があるのだ。
「つまり彼は、誰も彼も皇帝の資格などはないと放言してリディを担ぎ上げようとしていたヘイツブルグ大公と、利害が一致している可能性がある?」
「……そこまでは」
断言しない、とリュシアン王は言ったが、マクシミリアンの面差しは一気に険しくなった。
よりにもよってリディアーヌが心を許している人物が、ヘイツブルグ大公と繋がっている可能性があると? しかもギュスターブに面識があり、仲間のふりをして近づいて……けれど結局、その首を切り裂いた。おそらく最初から、いつかはギュスターブを殺すことも目算に入れていた。
それがあのタイミングであったことは少々違和感を覚えないでもないが。それにギュスターブを擁立したヘイツブルグ大公自身もまた、いずれはそのギュスターブに相応の制裁を科すつもりだったのではと思える節がある。
「一体誰と誰が繋がっていて、どういう構造になっているのやら……テッサーリ修道士はなんなの?」
「それについては私が」
これには、先程そのテッサーリをどこかへ連れて行って抜け殻にして返却してきたエリオット卿が手をあげた。
なんか、聞きたいような、聞きたくないような……。




