12-5 脱出(5)
「ひとまず暴れていらしたご主人様のいいお人は、ほらそれ、ご主人様も頭の上がらないお先生様とお悪友様がお諫めになりまして」
「……」
固有名詞が微妙に分かりにくいというか気にかかるというか。いや、まぁいい。今は説教をするのも煩わしい。どうやら本当に、ケーリックも知らない今の状況をご存じのようだ。
「あの丸々なさった王様の件は、先に何かありやしたかね? あちらこちらと揉めているようですが、あっしにはよく。ただ一部の方はそれで大公様方の所へ。若旦那様の方にはあっしからご主人様のご無事を伝えておきやした。公子様方にもじきに伝わるんでないかと」
よし。では一先ずマクシミリアンは大丈夫で……。
「ただ先程こちらに来る途中にチラと見たんですがね。なにやら裏にも表にも、随分と騎士さん達がお集まりで、なにやら他にも侵入した人がいるとかどうとか、お偉いさま方も集まって騒ぎがおきていたようですぜ?」
「ッ、そういうことは早く言いなさい!」
まだ一番下の階段までは段差が残っていたけれど、一気にどうでもよくなった。急ぎククに向かって飛び降りたリディアーヌに、「わわっ!」と慌てたククが受け止め、ケーリックが駆け下りて来る。
「だ、駄目ですよっ、姫様! フィリック様からは、姫様を見つけたらすぐにお部屋に確保してじっとさせておくようにと!」
「こんなところまで連れてきておいてそれを言う? 大体、ペンより重たいものを持てない、私より役に立たないフィリックにだけは言われたくないわよ」
「……」
これにはケーリックも反論できなかったのか、すぐに押し黙った。
「クク、ここから外へのルートは?!」
「えーっと……地階まで下りればすぐ向かいの階段で一階に上がって、食堂の近くの方には出られるんでは……」
「行くわよ」
マクシミリアンやフィリックの居場所が分かったなら、もうコソコソとする必要もない。残りの地階までの階段を一気にすっ飛ばしたリディアーヌに、わっと声をあげたケーリックもこれを慌てて追いかけてきた。
地階などというものに公女が足を踏み入れることはまずない。同じ窓の空間でも地階はどんよりと空気が重たい気がするのは気のせいだろうか。それにただでさえ薄暗い禁事棟の上の階が、それでも十分に明るかったのだと思わせるほどに暗い。今にも何かがゆらゆら出てきそうな薄気味の悪さである。
あまりの暗さに少し目がくらんだけれど、ククが「こちらで」と迷わず道を教えてくれるので、小さな部屋を飛び出し、向かいの、これもまた小さくて上り辛そうな階段に足をかけた。ただククはその階段の下で足を止める。
「あっしはさすがに表には出られませんで。あぁ、ご安心を。裏からしっかり見ておりやすよ」
ここまですっかりガランとした雰囲気だったけれど、この階段の向こうはここからでもわかるほどにざわついている。さすがに人が多いところに、禁事棟にいてはならないククを堂々と連れてゆくわけにはいくまい。
「見てなんていなくていいから、それよりもクク、貴方に預けたその荷物、そこにヘイツブルグ大公家が外部とやり取りしていた手紙類を盗み出してあるわ」
「へっ?!」
後ろでケーリックが何やら素っ頓狂な声を挙げたが、気にしない。
「貴重なものだから、先に預けた貴重な書類と一緒に隠しておいて。ついでに、鍵のかかった箱があるから、その鍵を開錠しておいてちょうだい」
「こりゃまた責任重大で。かしこまりやした」
「それからクク、貴方、いつもの“赤いの”やら“白いの”やら持っているのでしょう? 全部出しなさい」
「赤いのって……ひひっ。これですかい?」
苦笑しながらもびらびらと上着の裏にびっしり収まった試験管を見せたククに、「ケーリック、全部没収よ」と声をかける。もれなくケーリックが、その“危険物”に、「私がですか?!」と声を挙げたが、聞く気はない。とっとと表に通じる扉を開け放ったものだから、ケーリックも大慌てで「待ってくださいよぉ!」と情けない声を出しながら、がちゃがちゃとククの差し出す危険物を受け取り始めたようだった。
勿論、待ってなんてあげない。ぐずぐずしているのが悪いのだ。
いざ外に飛び出してみると、食堂前の廊下からホールにかけて、思いのほか大勢が走り回っていた。ただ最後に見た時のように病人が並んで寝かされている様子はなく、代わりに騎士達が行き交い、それに窓が開け放たれ、バタバタと仰いでいる聖職者の姿もあった。どうやらあの後、この食堂辺りでもう一度リゼット系の薬が蔓延する事件があったのは確かなようだ。
リディアーヌも念のために布で口元を覆いながら、騎士が固めているホールの玄関ではなく、食堂の方へと飛び込んだ。こちらにまだ誰かしらいるかと思ったのだが、しかし治療の痕跡が残るばかりで、まったく人気はまったくない。
そういえば先程、こちらの灰落としの煙を止められなかったとか言っていた。なので噴煙口のあるここを人が避けているのかもしれない。
ひとまずリディアーヌもできるだけ空気の流れがある窓際へと飛びつく。
そうしたところでようやく通りがかった騎士がリディアーヌの姿に気が付いたようで、「こ、公女殿下ッ?!」と素っ頓狂な声をあげた。行方不明と騒がれている渦中の人物であったから、余計に驚いたのだろう。
ただそれが騎士の姿をしているとなると、果たして敵か味方か、判断が付かない。
だがすぐに「公女殿下ですって?!」と後ろから飛び込んできた薬師に、「ア、アルセール司教! 司教様を呼んでください!」と声を張り上げたので、一先ず警戒を解いた。リディアーヌと既知であり縁戚であるアルセールに知らせねばと思ったのであれば、敵ということはあるまい。
なので無視して窓辺に飛びつくと、ククが言っていた通り、いつの間にか庭に煌々と松明が灯り、何人かの騎士やわぁわぁと騒ぐ連中を騎士が取り囲んでいた。あれはどういう状況だろうか。
「説明を! どうなっているのっ?!」
食堂内に向けて声をかけたところで、いつの間にか集まっていた数人がちらちらと顔を見合わせる。中々答えが返ってこないものだから、先程最初に声をあげた騎士をギラリと睨むと、肩を跳ね上げた騎士が「も、申し上げますッ!」と声を張った。
「き、禁事棟内に先程撒かれたものと同種の薬物を携帯している者が複数名見つかりまして、逃亡を図りましたのでその追捕を行っておりますっ。また外門に事情を問う者があり、そちらは枢機卿猊下が聖騎士を連れて立ち入りを拒んでいますっ」
道理で。この東棟が一部以外ガランとしている理由が分かった。
今この禁事棟内は、一部東棟に残って単独行動をとっている人達、北棟で病人の看護と北棟内の差配を行っている人達、クロイツェンやザクセオン系の関係者を外部との窓口から締め出すために外壁を固めている人達、内部での問題の対処に当たるべく今まさに庭になだれ込んでいる人達、そして動静をまったく知らせることもなく中央棟に閉じこもっている大公達と、分散しているわけだ。
こういう散開状態が一番状況をややこしくする。だからこそ先程まである程度主要な人達を一所にまとめて行動を監視、かつ制限していたのだ。なのにこの状況というのは、およそひとところにまとめてしまうには問題が起こりすぎているのだろう。
「この東棟とは別にも侵入者があったと聞いたけれど、そっちは?!」
「は? 侵入者、ですか?」
知らないと? ククが誤情報を掴むとも思えないし、情報が錯綜しているのだろうか。
次に差配を取るべきは公子であるマクシミリアンかウィクトルだっただろうが、マクシミリアンはちゃんと差配を執ってくれただろうか。ラルカンジュ侯と拗れていなければいいが。アルトゥールとの関係の方も心配だ。
ウィクトル公子がこの場の助けになったとも思えないが、果たしてマクシミリアンを助けられる人材がちゃんといるのか。リュシアンはちゃんと、マクシミリアンに従ってくれているだろうか。
こんな状況で、アルトゥールやリュシアといった皇帝候補がどう動いたのか想像も出来ない。
ただ分かるのは、北棟に閉じこもっているはずの皇帝候補アルトゥールが、なぜかヒラヒラした女装(?)した誰とも知らない人を追いかけながら、今そこでマクシミリアンと共に北棟から庭へと駆け出してきていることだけだ。
あのバサバサとドレスをはためかせている人は誰だろう。まさかコランティーヌ夫人やカーシアン女伯だなんてことは無いと思う……思う、が。
しかもあの二人も、明らかな騒ぎの中心に向かって何をしているのか。
「ミリム! トゥーリ!」
遠くから声を張り上げるだなんてはしたない真似、したことない。それでも精一杯に声を張ったが、さすがに遠すぎるようで届かない。意外と庭で騒いでいる連中の声もうるさいのかもしれない。
ただ思いがけず、その声は予想だにしていなかったこの食堂のすぐ下、東棟の前を通過中だったらしいうちの文官達に聞こえたらしい。
「姫様ッ?! 何をしているんですか?!」
「姫様だと?!」
ぱっとこちらを振り仰いだのは、何故か微妙に着衣が乱れているパトリックと、いつもゆるゆるとまとめている髪を乱したフィリックだ。
まだ一人一人の動きが掴みきれないのだが、何故兄弟そろってこんな場所を走っているのだろうか。
「姫様ッ。あぁ、よかったっ、まだいてくだった!」
さらに食堂の方にも、先程放置してきたケーリックが追い付いてきた。随分と遅かったが、なるほど、上着の内側がククの“危険物”のせいでパンパンになっている。出来る事ならあまり近づきたくない……。
「ちょっ、なんで避けるんですかっ、姫様! 押し付けたのは姫様ですからね?!」
気のせいである。
「それよりもケーリック、支えてちょうだい!」
「はい。へ? はい?」
「早く!」
「はいぃっ!」
よじよじと窓枠に上ろうとするリディアーヌに、おろおろと大の大人たちが戸惑っている。
臣下たるもの、黙って主君の言うことを聞いておけば良いものを、困ったように手を差し出しては引っ込め、戸惑っているばかりのケーリックにしびれを切らせると、その手に握られていたククの試験管を一本引き抜き、代わりに「椅子!」と求める。危険物片手にリディアーヌに触れる事すら恐れるケーリックより、ただの椅子の方がずっと便利である。
ケーリックが飛ぶように駆けて持って来た椅子に足を乗せ、ぐっと窓から外に身を乗り出す。下でおろおろと慌てふためいているアセルマン家の兄弟が滑稽である。
だが待ってはいられない。
「フィリック、パトリックっ、ちゃんと受け止めなさいよ!」
「え……」
「ちょっ……」
恐怖心? そんなもの屋根の上をひぃこら歩いた時点で失った。たかだか一階分。大した高さじゃない。たとえ下にいる二人がペンより重たいものも持てないお坊ちゃん達だったとしても、今は緊急事態なのである。
そう。リディアーヌはついに窓からの飛び降り……急降下を実現したのである。
「ッッッっっ!!」
自分でやっておいてなんだが、さすがに体を包んだ浮遊感と舞い上がったドレスに、声にならない悲鳴が飛び出した。だが下で慌てふためく二人ほどではなかったと思う。
「ッッ、なッ」
「死ぬ気で受け止めろ! 落とすな!」
「当たり前ですっ!」
なんか変な言葉が聞こえた気がしないでもないが、それを理解するよりも早く、ドスンと落下した体が抱き留め……いや、ちっとも柔らかくない骨と皮みたいな華奢な二人を地面に押しつぶしながら、何とか無事にリディアーヌの体は地面に着地した。
贅肉の一つも付けておいてくれたなら良かったものの、ちっともクッション代わりにはならず、全身がジンと痛んだ。
ただ幸い怪我はなく……こほんっ。リディアーヌには、怪我はなかった。
「ひっ、姫様ぁぁっ?!」
上でケーリックが何やら騒いでいるが……まぁ、結果オーライである。
「よくやったわ、二人とも!」
「……」
「……」
べっしょりと地面に倒れている使えない文官達はそこに置いておいて、そそくさと立ち上がり血濡れのドレスの裾を整えたリディアーヌは、さっそく騒ぎの起きている方へと駆けだす。
「まっ、まち……っ」
なんかうちのフィリックさんが一生懸命呻きながら手を伸ばしていたが、知らない。私は何も見ていないのである。
「ひーめーさーまぁぁぁーーー!!」
夜の闇にこだました情けない叫び声を聞きながら、ふと手に握りしめたククの危険薬がいつもの赤でも白でもない見たことのない色をしていることに気が付いたが……こちらについても、見なかったふりをしておいた。




