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ザマァ後のこの国をどうしてくれる―亡き王女の悔恨―  作者: 灯月 更夜
第十二章 <帝暦732年春―後半Ⅱ>
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12-4 脱出(4)

 もはや猶予もない。フットベンチ(バンクェット)に置かれていた装飾用の懸け布を拝借し、持ち出した小さな木箱と手紙、腰に下げていると邪魔な革袋を包み込んでぎゅっと縛る。それを手に窓から身を乗り出してみると、吹き抜けには月明かりが注ぎ込んでいるものの、この階の周囲に他に明かりが入っている部屋は見当たらなかった。ひとまずそこは安心だ。

 それから下を覗き込んでみる。上階から地階の窓の外が見えてしまわないようにとの配慮で、一階部分にはせり出したバルコニーがある。外側と違い、ここからだと下までの高さはこの一階分でいいようだ。

 だがバルコニーは大きなものではないし、下に降りたところでどの部屋なのかもわからない。それにすぐ脇の窓には明かりが入っている気もする。そこから中に入れるとも限らない。そしてやはり、降りる方法が思い当たらない。


「……裂いたシーツを持って来ておくんだった」


 さすがに大公閣下のお部屋のシーツを裂かせていただくのは不味いだろうか。

 そんなことを思いながら窓の外を見つめていたら、突如、「ありゃりゃっ?」と、空から声が降って来た。

 もう二度目なので、驚きはしない。ただ今度は下ではなく上、それも向かいの方の屋根の上に、ひょっこりとうちの鳥男、ククが生えて出た。まったく、なんといういいタイミングだろうか。


 ただ口を開きかけたククには、急いで指を立てて静粛を促した。こちらは暗いので見えるかどうか不安だったが、ククはチラリと辺りを見回すと、一つ頷いてから、ひょいひょい身軽に屋根の上を歩きまわり、リディアーヌのいる部屋の上の方まで回り込むと、屋根の装飾の突起に縄をひっかけ、まるでなんてことないかのようにすいすいとこの窓の近くまで降りてきた。

 少々悔しいが、ここにククがいるというだけで安心感がまるで違う。


「どこに行ったのかと思いきや。ご主人様、やっぱりどうしても窓から飛び降りたいんで?」

「うるさい。いいから黙ってどうにかしなさい」


 小声で囁いたところでついにガタゴトと近くの書斎で音が響いたものだから、ひやっとして身をすくめた。その様子にククも猶予が無いのを見て取ったのか、「こりゃお急ぎのようで」とリディアーヌにもう一つの縄を差し出した。

 まさかのまさかだが……やはり、このロープで下まで降りるのだろうか。


「クク……私、その……壁を這って下りた経験は、無いわ」

「くくくっ。そりゃそうですぜ。どこぞの公子様じゃあるまいし」


 うん……どこぞの公子様については、どうやらククも存じているらしい。何故だろう。


「念のためにと用意してきてよかったですぜ。これ、わっかを作ってあるんで。足と、手をかけて、しっかり体を固定してくだせぇ。で、あっしが支えますんで安心して“(のぼ)って”くだせぇ」

「……(のぼ)って?」

「へい? あぁ、それとも下りたいんで?」

「……」


 色々と突っ込みたい。突っ込みたいが……ククがあえてそう言ったという事は、下ではいけない理由があるのだろう。だが上がる……上がるのか? 屋根に? 上がって、そしてどうしないといけないのか? その先を想像しただけでもぞっとするのだが。


「ちなみにクク、上がる以外の選択肢は……」


 尋ねようとした瞬間、ガチャガチャと隣で鍵をいじる音がしたものだから、ひゅっと背筋が跳ね上がり、思わずククが差し出していたロープを受け取ってしまった。

 仕方がない。これしかないのである。確かに、ロープにはわっかが作ってあって、手足が固定しやすい。下手に落ちる心配はなさそうだ。だがそれでも怖いものは怖い。特に窓の外へ、最初の一歩を踏み出すのにはかなりの勇気が必要だった。

 ククは()かすことなく待ってくれたが、しかしさすがに隣でブリス卿が扉を開けたであろう音がすると、もはや恐怖も躊躇もなく、リディアーヌも思い切って窓の外に飛び出した。


 びゅうと吹いた風に体が煽られてぐらりとバランスが崩れる。けれどその縄をつかんで引き止めたククのおかげで、身をすくめてじっとしている間にも揺れが落ち着いた。

 パクパクと動いたククの口元が、『その調子で』と言う。ついでにリディアーヌの大きな荷物を見たククがそれを引き取ってくれたので、身軽になったところで意を決し、一つ、一つと慎重にロープに作られているわっかを頼りにしながら上に上り始める。

 ククはそんなリディアーヌのロープを押さえて揺れないように誘導してくれながら、自分はすいすいと隣をよじ上って行く。そうしてなんとか三階の辺りまで至ったところで、下の階でわっとブリス卿が声を荒げるのが聞こえてきた。おそらく隠し部屋の異変に気が付いたのだろう。

 急いで上り切ってしまわなければと気が急いたけれど、ククが『ゆっくりと』という合図を送ってくるものだから、焦らずに手を動かすことができた。

 だがさすがに、上りやすくしてあるといっても(なわ)(ばし)()を上った経験なんてないものだから、ロープでこすれた掌や、足に食い込む縄の感触が痛い。

 そんな中、あと少しという所で気が緩んでしまったのか、最後のわっかにうまく足が通せなかったらしく、ずるりと体に落ちそうになり、悲鳴を飲み込んだ。


「ッっ……」


 縄でこすった掌が痛い。じんと熱を持っているようで、ひりひりとする。だがそのリディアーヌの体は上から伸びてきた大きな手に支えられていて、驚いて目をつむり、息をのんでいる間にも、ひょいっと屋根の上へと引き上げられた。

 同時にバンと下の方で窓を開け放つ音がする。それにひやりとしたのも束の間、あっという間にリディアーヌの体は屋根の奥へと連れ込まれ、隣でひょいひょい上ってきていたククがあっという間にロープを回収した。


「……寿命が五年は縮みましたよっ、姫様」


 リディアーヌを屋根の上に引き上げたのは、どうやらケーリックだったらしい。出会いがしらからそんなことをいったうちの文官に、ゆるゆると力を抜いて目を開いたリディアーヌは、思わずほぅと吐息をこぼした。

 なんでケーリックまで屋根の上にいるのかだとか、文官だったはずなのに勘違いだったのかとか、色々と言いたいことはあったはずなのに、全部頭からすっぽ抜けた。今日一番の緊張が過ぎ去った心地である。


「助かったわ、ケーリック」

「ええ、私の首も!」


 さらにそういらないことを言ったケーリックだったが、そんな二人にククが人差し指を立てて、静かに、と合図を送る。同時に、「誰か! 誰かいないか!」というブリス卿の声が響いた。どうやらまだ気を抜くわけにはいかないらしい。

 ただその声もバタバタドタンとすぐに遠ざかって行くから、この隙に、と、ケーリックの手を借りながら立ち上がり、ククが指さした方向に向かって歩き出した。


 勾配のきつい屋根の上なんて到底歩けないと思っていたが、なるほど、この禁事棟の屋根には(あま)(どい)を兼ねてせり出した装飾部分がある。ここがあるおかげで、かろうじて屋根の上を歩くことを可能としているのだ。

 ククは平然と勾配のきつい屋根の斜面を歩いていたけれど、あれは見ているだけでもひやっとしたので見なかったことにしておいて、リディアーヌは後ろからケーリックに見守られつつ、ビラビラしたドレスの裾をつかんで慎重に歩を進めた。

 そんな屋根の上を建物の真ん中の辺りまで行くと、ククが『ココ、ココ』と指さした尖塔の窓枠に飛びついた。

 ふぅ……大した距離ではないとはいえ、さすがに慣れない。


「ご主人様、こちらの向かいの棟の尖塔の窓はあっしらが開けて来たんですけどね。こっちは当然鍵がかかっているわけでして。窓を壊してここから入るのと、向かいの棟まで屋根伝いに回るのと。どっちにいたしやす?」

「……許すわ。窓を壊してしまいなさい」

「へへっ。承知」


 背に腹は代えられない……後で適当に、誰かに責任を取ってもらおう。

 ただククは力づくだったリディアーヌと違い、器用に腰のポーチから抜き出した工具で窓枠をガタガタと浮かせ、格子の隙間の一部だけを綺麗に壊すと、そこから手を入れ鍵を開け、窓を壊すというには見事すぎる手腕で窓を開けた。まるで盗人か何かになった気分である。

 先に窓の中に滑り込んだククが中を確認し、すぐにリディアーヌに入るよう促す。もう体はくたくただったけれど、なんとか持ち上げて窓枠を越える。すぐにケーリックも入って来たが、この尖塔はただメンテナンス用に屋根上に出るためだけの尖塔だったようで、非常に狭く、三人もいると窮屈だった。ただククはすぐに奥の扉を開けて、リディアーヌ達をそちらに促す。

 数段の細くて狭い危険な階段を下りると、窮屈というわけではない広さのガランとした物置のような場所に出た。まだ高さ的には屋根裏階だろうか。場所としては、ヴァレンティンの区域、今はマクシミリアンが使っている部屋のすぐ近く、パラメア妃らとお茶会をした応接間の隣辺りになるのではないかと思う。

 だがリディアーヌの部屋のクローゼットから通じていた裏道からも、件の応接間からも、この場所に当たる部分への出入口は無かったように記憶している。これはどういう事だろうか。


「ここは何処に通じているの?」

「ここは屋根裏と、この通り、屋根のメンテナンス用の通用路でしょうね。お貴族様方のお目に留まってはならねぇような工人が出入りするところですから、このとおり、下の地階までひたすら階段があるばかりですぜ。どうしやす? ほかの尖塔に向かえば、ヴァレンティンの区域の方にも出られる場所はありやすけど」


 なるほど。だから三階でもこの部屋に出入りする場所が無かったのか。確かに、尖塔へ上る小さな階段とは逆に、下に向かう幅の狭い階段がある。ここはただ工人が行き来するためだけの工具置き場であり移動用の場所なのだ。道理で、少し埃っぽいと思った。

 もしも時間に余裕があり、もう何も心配なんてないのであれば、自分の部屋でゆっくりと湯につかって着替えたい気分である。だがこれ以上屋根の上を歩くのは御免であるし、今はうかうかと着替えている時間も無かろう。すっぱりと諦めて、「地階でいいわ」と答えた。

 ただ階段に向かおうとしたリディアーヌを、「少しお待ちを」とケーリックが引き止める。


「急いでおりましたので十分にとは行きませんが、フランカに急ぎ、靴を預かっております。それから傷薬、包帯、薬草……」

「後半のそれは、果たして本当に“急ぎ”だったのかしら?」


 それにしては随分と準備が周到すぎないか? と呆れつつ、しかし靴は有難かった。換えのストッキングはないので、少し窮屈ではあるが、足の靴代わりの布のまま、フランカが選んでくれたのであろう楽な布の靴に足を突っ込んだ。お気に入りの部屋履きだったが、致し方ない。

 薬草の類はすでにククが応急手当をしてくれていたので遠慮しておいた。まだ役に立つかもしれないので、しっかりと持たせておく。

 それから揃って階段をぞろぞろと降り始めたが、何しろ明かりもなく幅も狭いものだから、ひょいひょいと飛び降りて行くククとは裏腹に、リディアーヌは慎重にならざるを得なかった。後ろから、ケーリックが何時でも転がり落ちないよう支えられるようにと付いて来てくれているが、体の大きなケーリックに後ろから転がり落ちられた方が怖い。


「先程、ククが突然屋根の上にひょっこりと飛び出した時には驚きましたけれど……ふぅ。まさか階段裏で大人しく待ってくださっているはずの姫様がこんなとんでもないことをしているとは思いませんでしたよ。私を殺す気ですか?!」

「し、仕方が無かったのよ……というか、どうしてケーリックが死を覚悟するの?」

「姫様に何かあったとして、たとえ私に責任が無かろうとも、フィリック様の八つ当たりだけで一生の責め苦を味わわされた上で嬲り殺されるのは間違いありませんから」

「……なんというか……ごめんなさいね、ケーリック」


 貴方の上司をアレにして、本当に申し訳ない。


「それで、外の状況はどうなっているの? 説明してちょうだい」

「私も、まだ姫様の方に何があったのか把握しきれていないのですが、ギュスターブ王が危篤であるとのことは間違いありませんか?」

「危篤……そう。そこは私も把握していなかったけれど、でも状況的にはおそらくそうね。まだ私も敵味方がよく分からずにいるわ。私はこの通り……近くにいたせいでべっとりと血糊を浴びて、ついでにその犯人に上の階の部屋に閉じ込められていたわ」

「ふぅ……ご無事で……本当に、本当に良かった……」


 階段を一つ降り終えて、足場のある階に出る。この場所は随分と工具が多くて狭苦しい。先に下を覗き込んだククが、「大丈夫そうで」と言って、さらに下へと促す。


「まずこちらの東棟は混乱が酷く、また一階の北側は香炉の回収に問題が生じて薬が広がり……病人らは選議卿や皇帝候補方と北棟にお移りになったようです」

「北棟? 換気は済んだという事かしら?」

「少なくともこちらよりは幾分かマシで、またこちらより新しい建物なので、危険な裏道や隠し部屋の類も少ないだろうからと。あとは建物の規模が小さいので守りも少なくて良いのではと、フィリック様も仰っておいででした」

「その割に、こちらにも人は残っているようね」

「あちらは手狭なので、北棟に移ったのは一部の方々のみです。差配は……一応、公子様が、その……えっと」


 うん、まぁ。うん。何となく想像は付くが、とりあえずちゃんと報告してもらいたい。


「聞くところによると、ザクセオン陣営の方と何か随分と強い口論になったようで」


 あぁ……まぁ、そうなるか。


「ギュスターブ王については、薬師様方がひとまず応急処置は施すべきだと、治療に当たったそうです。私が最後に聞いた情報では、北棟の、本来フォンクラークが入るべきであった部屋の方に安置されているとか」


 あの重傷で、北棟の三階まで移したと……一体どの薬師様の差配か知らないが、それなりの葛藤が彼らの中にもあったような気がする。それでも今は治療に当たってくれたことに安堵しておこう。

 少なくとも今ギュスターブに死なれては困る。明日の最終投票が終わるまではどんな形であれ生きておいてもらわねばならない。皇帝候補のままに崩御したなどという名前の残し方をされるのが一番不愉快であり、何よりもキリアンの凶行にもしヘイツブルグ大公が関わっていたのだとしたら、大公の意図のままになることが最も気分が悪い。


「テッサーリ修道士については何かない?」

「ひっっ」


 ……何よ、その反応。


「あ、あー……その。はい。北棟の方で、捕らえてあるかと……」


 到底それだけとは思えない反応なのだが。ちゃんと五体満足なままなのだろうか。


「それで、この静けさはどういうことなの? 大公達やミリム達は一体どこで何をしているの?」

「そこからは私もまだ状況を把握しきれておりません。ひとまずフィリック様は……その、別件で席を外されたままでして。私は色々と指示を受け、部屋に残っておりました。その後、人伝えに多少事情を聞いただけなのです」

「ではそこからはあっしが報告しやす」


 すると下の階の踊り場で待ち構えていたククがそう口を挟んだ。

 はて、ククとてつい先程こちらに来たばかりであるはずなのだが、何を知っているというのだろう。






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