↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ザマァ後のこの国をどうしてくれる―亡き王女の悔恨―  作者: 灯月 更夜
第十二章 <帝暦732年春―後半Ⅱ>
495/512

12-2 脱出(2)

「……えっと、お取込み中で?」

「……」


 見間違い? うん。うん……そう、きっとリゼットのせいだ。幻覚を見ているのだ。いくら何でも、床から人が生えてくるはずは……。


「ひとまずご主人様、その手のやつ、どうするんで? 窓からそれで降りる、とかは無しにしてくだせぇよ。お姫様に危ないことをさせたと知られりゃ、あっしが怒られますから」

「……」

「というか、普通にソレ、危ないですぜ?」

「っっっ、なんでいるのよっっ、クク!!」


 うなだれる、という言葉を知っている。だがそれがどういうものなのかについては、今この瞬間、初めて理解した気がする。

 ドンと膝を吐き、喉の奥底から絞り出した声は、悲痛とも驚嘆とも言えない深い感情がこもっていて、同時に体中を廻った呆気とも安堵とも言えない安心感と、この自分の今までの頑張りをどうしてくれるんだとでも言いたい絶望と悔しさが複雑に入り混じった。

 なんかもう、何もかも投げ出したくなる心地である。


「いやぁ、何でって、今日中に大事な書類を届けろって、ご主人様が仰ったんじゃないですかい。しかも何やら外まで騒がしくなってきやして、さすがに苦労しましたぜ」

「っ、あーっッ……」


 言った。確かに言った。だが“届けるように”と言っただけで、まさかその大事な書類を“鳥”ではなく“郭公鳥(クク)”が直接届けに来るだなんて思うはずがないじゃないか。

 一体この厳重に封鎖された禁事棟へ、キリアンがどうやって忍び込んだのか……だなんて考えていたのが馬鹿らしくなる。こんなに月明かりの眩しい夜に、この鳥男はひょっこりと床下から現れたのだから。

 しかも、床下。そう、床下だ。これは盲点だった。


 確かにこの禁事棟には、突然奇妙な場所に隠し扉があったり、抜け道があったりする。そのことは分かっていたはずなのに、この部屋でそれを探そうとしなかった。そこまで頭が回っていなかった。いや、回っていたとしても床を調べようだなんて考えつかなかっただろう。何しろリディアーヌは床なんて這いずり回ったことのないお姫様なのである。

 そしてそんな床下から、ひょいっとククが飛び出してきた。まったく、雛鳥が巣から顔を突き出すかのように。


「それで、ご主人様。書類をお渡ししやすか? それともまずは怪我の手当てでもした方がいいですかい?」


 そうパッパッとどこからともなく様々な治療道具を取り出して見せたククに呆れつつ、とりあえず痛む全身とひりひりとする手、べったりと血濡れた自分の体を見下ろし、言いかけた言葉を噤んで、息を吐いた。確かに、まずはこの諸々をどうにかするのが先決か。


「クク、何か小瓶のようなものはない? 清潔で、何も入っていないものがいいわ」

「空の小瓶は持ち歩いてません。ただこっちは消毒液、こっちはベルブラウの花が入っておりやす」


 そう見せた二つの試験管に、「それでいいわ」と受け取った。消毒液の方は治療にも使える。引き裂いて放置していたシーツの出来るだけ綺麗なものを選んで沁み込ませ、あちらこちらの傷口やべっとりと肌に張り付いていた血糊も気になる場所も重点的に拭っておいた。そうして空になった瓶と、ベルブラウの入った方はそのままに、二つに分けて聖水を注ぐ。余った分は飲み干しておいた。

 本当は血を吸って重たくなったドレスもどうにかしたかったが、さすがにククも着替えは持っていなかった。代わりに上衣の裾を裂いて軽くしてもらった。裂いた裾の隙間からチラチラと足が見えてしまうのは本意ではなかったが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。

 そうして一通り自分でどうにかしたところで、見ていたククが「ちょいと失礼しますよ」と、一番気になったらしい右の手と腕の辺り、それに首元にも包帯を巻いてくれた。首の方は気が付かなかった。多分、ギュスターブに捕まっていた時についたのだろう。道理で、マクシミリアンがらしくもない形相をしていたはずである。


「他に酷い怪我はありませんで?」

「ないけれど、打ち身が痛んで動きづらいわ。あとは足かしら」


 素直に告白したところ、「湿布薬がありますぜ」と、ククが布にたっぷりと緑色の薬を垂らした物を用意した。見た目はどうかと思うが、清涼感のある香りがしている。今更ククに遠慮をするなんてこともないものだから、「ドレスを持ち上げるから、一番酷そうなところに貼っておいてちょうだい」と、自らドレスを腰までたくし上げた。

 これにはククも「きゃっ!」と、なんかむかつく乙女みたいな声をあげたけれど、さっさとしろと睨んでいたら、「はいはい、そういうのはお呼びじゃありやせんね」と表情を失して、左寄りの腰に張って包帯を巻きつけてくれた。さらにもう一つ薬を作り、ドレスをたくし上げていた左肩の方にも貼られた。どうやら一目でわかるほどに変色をしていたようだ。


「こりゃ酷いですね。どこかから落ちたんで?」

「まだ窓からの大脱出は試みる前よ……」

「足の方も大分打ってますぜ。ありゃ? 靴はどこに?」

「……」


 ええ、ないわよ。ないのよ。まったく……キリアンめ。治療もしてくれずにとっとと消えておいて、周到に靴だけは持って行ってくれたのよ。

 何も言わないリディアーヌに苦笑で答えたククは、「ではまぁ、即席に」と、リディアーヌが大量にこさえていた切り裂いたシーツで器用に足を包んで靴代わりにしてくれた。こうするだけで、地面を歩くたびにざりざりとして傷ついていた足が楽になる。


「クク、ここから出る手はずはちゃんとあるのよね?」

「ええ。ちょいと狭くて汚れてやすけれど、床下経由で宜しければ」

「髪も適当にまとめてちょうだい」

「ご主人様の髪に触れただなんて知られたらこの手、切り落とされませんかね?」


 そんなことを言いながらも、意外とこういうことは好きなのか、バラバラになっていた髪をテキパキと手櫛で解いたククは、こちらもリディアーヌの量産していたシーツを使って器用に編み込み、邪魔にならないようまとめてくれた。

 そうこうしている内にも、先程の聖水も大分効いてきた。


「そろそろまともに動けそうよ。それで、クク、どうしたらいい?」

「まずこの場所がどこなのか、ご主人様はお分かりで?」

「大体察しがついているわ。東棟二階の南西の角にある家事部屋の周りに付属している小さな部屋のどれかではないかしら?」

「ええ、そうで。あっしはその下の家事室の通風孔から入ってまいりやして、内階段を上って家事室に。そしたらどうしたことか、お隣でドンガラ壁を叩く音がするわ、窓が落ちるわ、一体どんなかいぶつ……いえ、どんなお姫様が暴れているのかと思いきや」

「……」


 なんか妙にいらっとした。

 はぁ、何か? つまりククは、禁事棟に侵入してきて、まさかのよりにもよってこのすぐ隣の部屋を通過中だったのか?


「窓から覗き見てみれば、なんとうちのご主人様が顔を出しているではありませんか。あれやこれやと試行錯誤して、扉はすぐには壊せそうもなかったもので、こっちを使いやした。お隣の部屋の床にちょいと穴を開けてしまいやしたが……まぁ、ご主人様が窓を壊したことに比べれば、可愛いもんですよね?」

「貴方、床を壊したの?」


 どんびいた顔をしたのだが、まぁリディアーヌも今はうるさく言えない立場である。確かに……窓を一つ壊した。無残なまでに。


「こっちの部屋には最初から床に抜け穴があったの?」

「ええ。この部屋、何やら妙に生活感がありやすし、誰かが元々出入りに使っていたんじゃありやせんかね。床下も綺麗なもんでしたぜ。行き来していたのはここから隣の家事室ではなくて、あっしが使ったところの階段裏のようで。覗いてみたら分かりやすよ。ぽっかり穴が開いておりやした」


 どうせこの部屋から出るには、ククがやって来たその床下を使うしかない。ひとまず「下りましょう」といって床下を覗き込むと、「結構高さがありやすからお気をつけて」と、先にククが飛び降り、足場が安全であることを見せてくれた。

 確かに、思ったよりも高さがある。ただそれはせいぜい屈んでぎりぎり歩ける程度の高さで、何しろ暗くて底が見えないせいで恐怖心を呼び込むものの、実際に下りてみると大した高さではなかった。

 そこからククが歩くままに後を追うと、すぐそこにナイフか何かで切り抜かれたらしい(いびつ)な四角い穴に遭遇した。これが、うちのククさんのオイタの痕跡か……。

 ここから出ても良かったのだが、多少動きやすくしたとはいえビラビラとした恰好のリディアーヌには色々と引っかかりそうなサイズである。それはククも分かっていたようで、「こっちの方が大きくてよさそうですぜ」と、そこからもう少し進んだ先の、随分と綺麗な穴に案内し、ひょっこりと立ち上がった。

 なるほど、何かにふさがれているというわけでもなく、階段下と思われる斜めの天井の下の床が綺麗に切り取られているのだ。立ち上がったところで扉らしきものがあるわけではなかったけれど、ペタペタと壁面を手当たり次第に触っていたククがやがて、「ここなようで」と壁を押すと、何もないと思っていた壁が開いた。

 大きな部屋ではないが、物置か、それとも家事室か。そういう類の小部屋のようだ。


「おそらく、もとは階段下の収納かなんかあったんでしょうぜ。いやぁ、図面を送ってもらった時にも思いましたけど、なんて探索しがいのある建物なんでしょう。ご主人様、大事なお仕事が終わったら、一度じっくりあっしにここを探索する許可をくれませんかね? アセルマンの若旦那様が喜ぶ詳細な図面を提供いたしやすぜ」

「……こんなものがそこら中にあるってことよね?」

「ええ。ひひっ、きっと楽しいですぜ」

「……」


 最近、どこにも視線なんてないはずなのに妙に誰かから見られている気がしてぞっとすることがあった。マクシミリアン達が裏道探索なんてしていたものだから、ちょっと過敏に意識してしまっているだけなのだと思っていたが、これはもしかすると、本当にどこかで誰かがひっそり見ていた可能性もあるのではないだろうか。

 そしてそれはあるいは、キリアンだったのではないか……それを思うと、“ぞっと”どころではない。

 ぞわぞわと背中を震えさせながら、リディアーヌは密かに、次期皇帝には絶対にこの危険極まりない禁事棟の解体と再建を願い出ようと心に誓った。こんな場所では一瞬たりとも気が抜けない。


「それでご主人様、これからどうしやす?」

「そうね。まずは……」


 少し考えて、ぱっと頭の中でまとめた計画を口にしようとしたのだけれど、「おっと」と言葉を遮ったククが、静かにするように、という合図を送って来た。咄嗟に口を噤んでいると、ほどなく一人か二人か、慌ただしく何かを話しながらこの小部屋のすぐ近くを駆けて行く音がした。

 はっきりとどこから聞こえたのか分からなかったが、物音が遠ざかると、ククが「外の廊下でしょうぜ」と言う。


「というかあっしが見つかるのは不味いですけど、ご主人様は問題ないんでしたね。とりあえずここを出やすか? 多分そこらの壁面に扉があるはずですけれど」


 確かに、ククの言う通り。ククと一緒になってコソコソと裏道を通り続けねばならない立場ではない。だがそれにすぐに即答できなかったのは、今この禁事棟にいる“敵”と“味方”がはっきりとしなかったせいだ。

 先程はあまりにも慌ただしくことが進んだせいで意識が逸れていたが、リディアーヌを二度目に突き飛ばしたのはテッサーリ修道士だった。一度目はラルカンジュ侯だ。侯の方はわざとというよりも思わずといった様子だったようにも思うが、その“思わず”が一度でもあった以上、安易に味方認定は出来ない。

 そしてテッサーリ修道士の方は、どこまで主人であるアンジェッロ司教と通じているのか分からない。ただ単にテッサーリを捉えたのがマクシミリアンでありヴァレンティンの個室であったせいで、恨まれただけかもしれない。だがあるいは、アンジェッロ司教がギュスターブと通じている可能性も考えねばならない。

 そしてギュスターブがヘイツブルグ大公とも通じているのだとしたら、ヘイツブルグ家門内と、それに関係する禁事棟内の職員がどれだけいるか。はたまた禁事棟職員の多くを占めるクロイツェン派がどこまで信頼できるのか。


「……あまり、堂々と出歩く気にはなれないわね」


 とにかく、マクシミリアンか父に合流したい。大公達は未だに中央棟に籠っているのだろうか。


「クク、ここからケーリックの所へは行ける? 三階の北にいるはずだけれど」

「ええ、()(やす)いことで」

「では貴方が今からする仕事は三つよ。第一に、ケーリックに重要書類の類をまとめさせて速やかにそれを貴方しか見つけられないような場所に安置すること。第二に、ケーリックと一緒にいるはずのとある夫人とフランカに、ヴァレンティン区域は危険だから、ダグナブリク公の部屋に逃げ込んで、フランカはその護衛をしておくようにと伝えること。そして第三に、外の現状を把握した上で速やかにケーリックを私の所に連れてくること。時間は今から三分の一刻以内よ」

「ひぇっ。書類を隠すのも含めてですかい?」

「ええ、含めて。貴方の懐の中が一番安全というならそれでもいいけれど」

「ひぇっっ。急いで行ってきやす」


 そう言いながらあっという間に先程の階段下の開口部から床下に飛び込んだククを見送ると、リディアーヌはククが置いて行ったランプを片手にさっとこの小さな物置部屋を見渡した。

 分かりにくいが、確かに二つ、向かい合うように扉がある。一つは使用人用の階段や通路となっている外面。もう一つはヘイツブルグの区域になっている廊下へ出る内面の扉だろう。この部屋はそうした使用人達の通用路にもなっているようだ。道理で、埃っぽさもなく人の気配のある場所だと思った。


 もしもここが使用人が日常的に使っている場所なら、基本的に主人の目に触れずに移動せねばならない使用人のために、外の人通りを確認するための覘き窓があるはずだ。内面側の扉の辺りをペタペタと触って確認していると、指先が妙な場所に引っかかった。おそらくこれだ。

 長方形型の小さな摘まみを手に上、右、左と動かしてみると、左にスライドした。動かしてみると、廊下からぱっと灯りが飛び込んできた。この禁事棟の建物は表の廊下であっても薄暗いのだけれど、もっと薄暗いいた場所にいたせいか、随分と明るく感じる。

 その小さな開口部は覗き口は狭いものの末広がりに彫刻が施されているようで、目を近づけて覗き込めば、多少視野は狭いものの廊下の様子が見えた。幸い、先程のような人の声もなければ、人通りもない。


「まぁククにも、別に私がじっとここで待っている、とは言っていないものね」


 故意に伝えなかったわけではない。

 ちょっとうっかりしていただけである。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。