11-46 夕の鐘
突如として禁事棟内にざわめきと動揺が広まり、緊急の選帝侯議会が中央棟議場で開かれる運びとなったのは、最終選挙まで十九時間を切った頃だった。
外に出ていたマクシミリアンも急ぎヴァレンティンの区域へと戻って来て、うちの大公様も珍しく自発的にザクセオン大公に呼ばれるまま部屋を出た。
マクシミリアンが持ち帰ってきた話は、トレファーノ司教経由でクレメンテ司教が派閥を変えてベルテセーヌに投じる心づもりがあることと、その上で派閥の長になるラモーディオ枢機卿に取り成してもらえるかといった喫緊の相談であったらしい。だがそこに飛んできたフィレンツィオから情報を得て、急ぎ切り上げることになったという。
禁事棟内は外との連絡が遮断されているはずなのにものの小一時間ほどで広く知れ渡る話になったのだから、やはり誰も彼も、外から情報を得る手段は持っているようである。
一体これを耳にしたヘイツブルグ大公がどんな反応をしているのか是非とも見てみたいところだが、禁事棟付の侍従らが探し回ってもその姿は見えなかったらしく、大公達の集まりにもその人は不在であったらしい。そのことを、戻って来た養父は大層訝しそうに眉をしかめながら報告してくれた。
「すでに知れ渡っているようだからな。夕餐時、ギュスターブ王廃立と皇帝資格剥奪の要請が王国議会ならびに内皇庁議会を通過した旨は報告されることになった」
「改めて言葉にして聞いても、馬鹿らしくてため息が出ますわね……」
「禁事棟の扉を開け放てないばかりに。今すぐにでもあの頑丈な扉を蹴破ってやりたい気分だ」
思わずリディアーヌもマクシミリアンも深いため息を吐いたところで、「話し合いにミリム君を連れていくべきだったな」などとお養父様も深く頷いた。どうやら報告のことは、ギュスターブ派から票をもぎ取る算段のあるザクセオン大公が強く推して決まった内容であるようだ。
もとより、ダグナブリク公は会議の場での発言に関心なんて持っていないであろうから、同じクロイツェン派のドレンツィン大司教がザクセオン大公に迎合すれば、こちらが不利なのは間違いない。むしろそうと分かっていて、ザクセオン大公もすべての選議卿を集めるのではなく、選帝侯だけを集めて話し合いの場としたのだろう。
「ヘイツブルグ大公は見つかりました?」
「ああ。聖堂で祈りを捧げていたらしい。本当かどうかは知らないがな」
うぅん。いかにも取って付けたような怪しい理由だ。だが聖堂にいるとなるとこちらから人を寄越して監視させるのも難しいか。
「ひとまず、下手に噂だけが巡って備えを怠るよりは情報を共有した方がマシかと同意したが、リディ、問題はなさそうか?」
「ええ、そうですね……悩ましいことに違いはありませんけれど、私もお養父様の仰る通りだと思います。けれどこうなると、票が読めなくなりましたわね」
「閣下、私が聞くのもなんですが、ザクセオン側はギュスターブ派を取り込む算段がありそうに見えましたか?」
「実際のところどうだろうな。ギャロワ侯に近づいているのは間違いないが」
まぁ、一二票流れる覚悟はするとして、問題はヘイツブルグ大公の三票の行方だ。さすがにそれがクロイツェンに流れるのは不味い。
「ミリム、クレメンテ司教票はどうかしら?」
「先程は切り上げたけど、算段は付けられると思う。ただ私はラモーディオ猊下とは接点がないから、リディの口添えが欲しいかな」
「分かったわ。話を聞いていただけないということは無いでしょう。それからコランティーヌ夫人を通じてヘイツブルグ大公家内の揺さぶりもかけたいところね」
「そっちは任せてもよさそうだな。こっちはひとまずリュシアンを借りていいか?」
お養父様の物言いには、「別に私の許可を取らなくても」と呆れた顔をしてしまった。
「選帝議会終了後のオランジェル侯に対する糾弾と、諸々の根回しの件ですよね? お願いいたします」
「はぁ……本当ならこのクソ面倒臭そうな方こそリディに押し付け……頼みたいんだが」
「心の声が言葉に漏れていますわよ」
その大層面倒臭い仕事であることは百も承知なので、そこは大公様に頑張ってもらいたい所である。
すでにバルティーニュ公に関してはしっかりと詫びの品を要求してあるが、もしもそれが間に合わないなどという事があるようなら、そちらにもきっちりと対価を求めよう。ただあちらの言い分が察せないわけでもない。悩ましいところではあるが、責任は一手にオランジェル侯に引き受けてもらう所存である。
だがそのためにも、やはりこの皇帝戦は勝たねばならない。何としてでも。
「さすがにそろそろ、クロイツェン産のバターが憎いほどおいしい、だなんて悠長なことは言っていられなくなってきたわね」
「うん、何というか……今更だね」
「我が娘ながら今更すぎるな。一体誰に似たのか」
それはきっとお養父様譲りに違いない。
◇◇◇
それからもことさら細かく警戒すべき箇所や立ち回り、そしてこの四日間ちっとも音信が無く、ラモーディオ猊下やらアンジェッロ司教やらの辺りをうろうろしていたらしいうちのカラマーイ司教についてもどうしたものかと唸り声をあげつつ、夕二つの鐘と共に席を立った。夕餐会は夕三つからの予定だったが、何処もここも騒がしい今の禁事棟を早く鎮めるため、大公達の決定により早めの招集がかけられたからだ。
食堂にはすでにほかの選議卿や、北棟から皇帝候補達も集まってきており、そればかりか禁事棟付の中でも役職付の者の多くが集まっていた。選議卿と皇帝候補が一堂に会するとあって、厳重に警備をするための騎士は勿論、夕餐会の配膳のための侍従や侍女も集まっているせいだろう。だがそれにしても人が多すぎる気がするのは、すでに大公達から報告がある旨のお触れが出ているからだろう。彼らも外の状況は気になっているのだ。
ほどなく、滅多に姿を見かけないヘイツブルグ大公が何故かうちのカラマーイ司教と共にやってきたところで、選議卿も全員揃った。そのヘイツブルグ大公との情報共有は済んでいるようで、すぐに周囲からの注目を集めたザクセオン大公により、状況の説明があった。
先程養父から詳しくどんな話し合いの内容だったのかは聞かなかったが、どうやらザクセオン大公らが得ていた情報とこちらが得ていた情報はまったく齟齬もなかったようで、まずは内皇庁で王国議会を通過したギュスターブ王の王籍簿からの除籍という決議が通り、自動的に皇帝候補としての資格が喪失されることになった旨が通達された。
ただこれには当然、方々から疑問の声も飛んだ。
まずそもそも、王国議会とはいうものの、ここにはその一員であるベルテセーヌ王がいる。そのことはどうなのかと問われたところで、リュシアンは当然、「あまりにも侮蔑的であり、看過する気はない」と明言した。当然である。
どうやらこの内皇庁に加担し王国議会の開催を承認したのはクロイツェン皇王であるようだから、アルトゥールはあえてこの問題には口を挟まず、沈黙を貫いたようだった。だが禁事棟内をこんな時期にこねくり回されたことについては思うところもないわけではないようで、表情としてはあまり喜ばしそうではなかった。
また、王籍簿からの除籍といっても皇帝不在の今、それは実現不可能なことである。そもそも禁書庫の管理人であるマリジット・ゼーレマン卿が、今ここにいるのだ。王籍簿の管理をする禁書庫番すらいないのに、一体誰がどうして禁書庫を開け、王籍簿に改編を加えられるというのか。
有り得ない話であるし、それはマリジット卿にとっても到底許せない話であったようで、「ですが誰かしらのゼーレマンの仕業ではあるのでしょう。後ほど、しっかりと精査する必要があります」と、なんとも言い難い据わった目と低い声色で告げていた。
つまりこの件にはゼーレマン家内での暗雲も関わっているようだ。
結局のところ、外の議会で何が決まったとしても、選帝侯議会も通過せず皇帝も不在で王籍簿すら開くことができるない以上、本当の意味でギュスターブ王が皇帝資格を失ったことにはならない。今は禁事棟の中と外で、まったく異なる状況が併存してしまっているわけだ。
「ただ、フォンクラーク国内での廃立が成立したことは事実であって、それについては帝国として口を挟む権限の内ではない。実質、ギュスターブ王の皇帝擁立は無効票として判断して良いと結論付けたが、如何か、ヘイツブルグ大公」
「無効票? たとえ廃立になろうが、王籍簿がすべてであろう。どうせ棄却されるような決定に、なぜこちらが振り回されねばならない。そなたらはギュスターブ王の皇帝即位をはなからないものとして判断しているが、もし皇帝となったならば、フォンクラーク王としての廃立など何の意味もなさない。資格の喪失とて撤回し得ることではないか」
はなからギュスターブ擁立が本気かどうかも分からないヘイツブルグ大公の反論には、リディアーヌも思わずうんざりとした顔になってしまった。その言い分が決して間違っているわけではないのだが、一体どの面を下げてそんなことを言っているのか。
ただ、今この場でヘイツブルグ大公があからさまにギュスターブ王擁立を取り下げない意思を示してくれたことは、リディアーヌにとって悪い事でもない。バルティーニュ公に求めている書類を生かすには、ヘイツブルグ大公には変わらずギュスターブ王擁立派であってくれた方が効果も大きいのだ。
それにギュスターブ派が崩れずにいてくれた方が、そこからクロイツェン派などに票が流れる心配をしなくていいので助かるというのも本音である。
票の分散のためにも、ギュスターブには皇帝候補で有り続けて欲しい。だがその反面、やはりギュスターブなどが王籍簿に名前を残し続けて廃立とだけ書かれるよりは、いっそ王籍簿から名前を削ってしまってほしいという願いもないわけではない。
推すべきは前者と分かっているものの、実に複雑な心境である。
とはいえ、そんな複雑な心境など関係ない。すでに先の臨時の選帝侯議会にて、ザクセオン大公主導のもと、後者であることが決している。今更ヘイツブルグ大公が何を言ったところで、ザクセオン大公がそれを良しとはしないだろう。
案の定、すでにクロイツェン派に勧誘を受けているらしいギャロワ侯が熱心に大公に対して「しかし無効票と分かっていて投じるのも如何なものかといわれますし」と説得の言葉を囁いており、これにはアルトゥールも「どうせ本心でもない票を無駄に投じる貴殿の意図がいまだによく分からない」などとヘイツブルグ大公を突く。
もっとも、アルトゥールのその言葉には同意するところである。
本当に、どういうつもりなのだろうか。
さらにこの状況に、小さくなって口を噤んでいたウィクトル公子も父大公に対してヒソヒソと、「皆様こう言っておられますし……」と囁いたようだった。
ただ公子の方は相変わらず、父親に無視されたと知るとすぐにしゅんと小さく、大人しくなった。
もはやコランティーヌ夫人もこの様子に、イライラと腹を立てる表情を隠す気すらないようだ。
次第に話し合いがヘイツブルグ大公とザクセオン大公の個人的な言葉の応酬のようなものへとなって行くと、いち早くこの状況に飽きたらしいお養父様が「ちょっと面貸せ」とリュシアンを引きずって行き、それを見たダグナブリク公もフラフラとリディアーヌ達の方へとやって来た。
「やぁ、公女。今宵は大事な夕餐会なのに、うちの奥さんは返してくれないのか?」
「閣下……今この状況で、わざわざそんなことをお聞きになるんですか?」
「私にとってはこちらの方が重大事だ」
「妃殿下には一応、お出でになるかどうかお聞きしましたよ。ですがうちのお酒とつまみの方が気に入っているから、出席は遠慮したい、とのお返事をいただいております」
「……本格的にうちから出ていきそうな勢いだな。さすがに心配になって来たぞ」
「明日が済めばきちんと送り届けさせていただきますよ。これ以上我が国のセラーを空にされても困りますもの。ただ閣下にはその分、今少し票という形で見返りをいただいてもいいのではないかという気もしておりましてよ」
「私の手元には三票以上の票は無いぞ」
暗に、貴方の腹心からもこちらに票を寄越してくれていいんですよという意味だが、さすがに享楽的な閣下と違い、閣下の周りの方達は身の回りが固そうだ。望みすぎであることは分かっているので、あくまでも聞いてみただけの事である。
そんなことよりもヘイツブルグ大公の方が気になっているのだが、ちっとも解放してくれる気などないらしいダグナブリク公はさらに、妻はどんなつまみを好んでいるのか、どうやってそこまで気を許させたのかとあれもこれも聞きたがり、話が止むことが無かった。
いっそのことあちらから意識を逸らすためにわざとそうされているのかとすら疑ったくらいなのだが、「お前は何故うちの娘を見るとすぐに絡むんだ」と振り返ったお養父様がわざわざ苦言をこぼすと、「あの輪の中に入りたくないのだよ。その点、貴殿のところのお姫様は防波堤とするのに最適だ」などと評されてしまった。
いい年をした大人、それも選帝侯閣下の壁扱いとは、一体どう反応すればいいのか。
ひとまずお養父様が逆毛を立てた猫みたいに荒ぶったところで、さすがに看過できなくなったらしいザクセオン大公に、「お前達は何をしているんだ」と声をかけてきた。さもありなん。
「まったく……貴殿らを大人しく席に座らせるには、やはり議会という形式を整えた方が良いようだな」
「ちっ」
すかさず舌打ちをしたお養父様のことなどお構いなく、ザクセオン大公はひらひらと手を振ってあしらうと、「夕餐会の後、再び中央棟にて招集をかけよう」と仰った。
案の定、お養父様とダグナブリク公の顔がみるみる歪んだのだけれど、ヘイツブルグ大公の様子を監視し、かつ大公達の目をここから逸らしておいてもらえるのであれば望む所である。そんな期待の目をしたリディアーヌに、養父も仕方なさそうにため息を吐き、「いいだろう」と頷いた。
うむ。お養父様とてやってくれる時にはやってくれるのである。後でたっぷりと、さすがお養父様、素敵、と褒めておかねばなるまい。
「これ以上この場で話すこともないようだ。少し早いが、夕餐会を始めようではないか」
さらにザクセオン大公がそう呼びかけると、予定より早い開始に慌ただしく準備をして回っていた禁事棟の侍従達もピッと背筋を伸ばし、食事を運び込み始めた。




