11-45 望まぬ知らせ
三階へと戻ると、部屋の外で養父がサリニャック侯やフィリック、クルシュ卿らと廊下で立ち話をしていた。そんなところでどうしたのかと思って近づいてみると、その途中、フィリックが書斎の方から顔を出した。
「あぁ、お戻りでしたか。急ぎ、こちらにお願いします」
そう声をかけられてしまったものだから、一瞬目の合った養父に一つ手を振ってから、マクシミリアンと共に書斎に立ち入った。
入ってすぐ、その机という机に積み上がった書類の山には、思わずぎょっと飛び上がって後ずさってしまった。これは一体何事だろうか。
「えーっと……フィリック。何? これ」
「先程、大公様の留守中に書斎に侵入者があったらしい形跡が見つかりました」
「なんですって」
「姫様のお部屋の方の封鎖している隠し扉で強く叩く音があり、クルシュ卿と共に確認をしに集まっていたのですが、その隙に大公様の部屋に入った者がいたようです。外のホールに警備の者もいたはずですが、『公女殿下のお部屋に公女殿下がお入りになるのであれば見た』と」
「……」
思わず一度首を傾げ、それからマクシミリアンと揃って「あぁ」と声をあげた。
「そういえばお養父様のお部屋、私の名前の札が入っている部屋だったわね」
「でもリディに扮した誰かが入ったとして……え、誰? この禁事棟にいる女性は侍女やメイドを除けば、ごくわずかだよね?」
「そうよね。コランティーヌ夫人と侍女は食堂で見かけたし、パラメア妃はフランカがお世話していて、カーシアン女伯は食堂を出る時にすれ違ったわよね」
「ヘイケネン子爵やハーパイユ卿と共に、中央棟の方から来たようだったし、先に中で机を整えていた侍女は女伯の所の近侍だろうね。そもそも小柄な女伯やその侍女とリディを見間違えるという事もないだろうし」
「だったら侵入したのは使用人の類かしら?」
「女装した男性の可能性も十分にあります」
フィリックの言葉に、妙なものを想像して口を曲げてしまった。
うぅむ……だが確かに。有り得なくはないか。
「それで、フィリック。被害は?」
「幸い、大公様のところには重要な書類は置いておりませんでした。一通り確認に当たりましたが、ダミー用に置いていた手紙が三束ほど無くなっていたようですが、それ以外は特に問題ありません。ただ一応、サリニャック侯や兄上の部屋に置いてあった重要書類含め、書類関連はすべてこの部屋に集めました」
「それでこの大変な山が出来上がっているのね……一体どこからこんな量が出てきたのかと思ったら」
「ところでダミー用の手紙三束って何? 結構な分量だと思うんだけど」
「大公様いわく、侍女長のお小言集が一束、ランデル卿秘伝の侍従の心得集が一束、そして大公様がいかに娘が可愛いかについて書き綴った詩文集が一束だそうです」
「フィリック、エリオットに何が何でも絶対に犯人を捕まえてその手紙の束とやらを回収し燃やし尽くすよう厳命しなさい。行方不明、ましてや内容の漏洩など絶対に許さないわよ」
「そんなものを探すのはただの手間では?」
「私は同じことは二度命令しないわよ」
ちっとも穏やかさなどない目で微笑んで見せたリディアーヌに、フィリックもさすがに肩をすくめて、「分かりました」と首肯した。
リディアーヌの名誉にかけて、絶対に持ち出させてなるものか。しかも犯人はそこをリディアーヌの部屋だと思って侵入し、盗んでいったのだろう? なのにそこからリディアーヌをほめそやす手紙が大量に出て来るとか……どんな羞恥プレイだって話だ。
だが取りあえず、無作為に部屋を代わっていたことは功を奏したのかもしれない。リディアーヌも書斎などに不用意に大事な書類を置いておくなどしないよう気を付けているが、それでも持ち出されたら困るものはある。養父と違って愛用しているインクも少し珍しい物であるし、それを盗まれただけでも損失だ。まだあまり知られてはいないだろう筆跡を盗まれるのも、何か問題が起きかねない。そういう意味では養父の部屋が狙われたことは、むしろ幸いだった。
だが犯人も、何故リディアーヌの名札の部屋を狙ったのか……その部屋を大公が使っていたわけではないことは、出入りしたのが女性であったという話から否定できる。だからリディアーヌの部屋だと勘違いしたことは間違いないのだが、狙うのであれば、養父の名前の入っている部屋を狙うべきではないのか。そうすれば、部屋にはパトリックがいただろうに。少々この議会中、リディアーヌがヴァレンティンを率いているかのごとく目立ち過ぎたせいか。
ひとまずこの書類だらけの机を避けて、応接用のテーブルの方に向かう。折よく、お茶の準備に行っていたクラウスが戻って来て、約束通りの蜂蜜付きのミルクティーと、食後のおやつの林檎の砂糖漬けを持って来てくれたので、そのままマクシミリアンとフィリックにも座ってもらい、情報交換の場とした。
「生憎と、ウィクトル公子の勧誘、ついでに誘導も失敗よ。取り付く島もなかったわ」
「そうですか」
「そのかわり、コランティーヌ夫人との距離がぐっと近づいたみたいで、セトーナ派からクレメンテ司教を取り込めそうだわ」
「クレメンテ司教ですか? また急な話ですね」
「実際、聖職者は揺さぶりやすい所だと思って目は付けていたけれど、私もクレメンテ司教が動くとは思っていなかったよ」
マクシミリアンも言うように、てっきりクレメンテ司教はラモーディオ枢機卿同様、堅固なセトーナ派だと思っていた。なので先程は随分と驚いた。
ついでにフィリックにはヘイツブルグ家の内情や夫人の発言のことなども情報共有し、ついでにフィリックからも、リディーアヌの留守中にシュルトからの鳥文があり、外で現コランティーヌ公エドガールとその夫人が随分とヘイツブルグ大公の意とは異なるのではないかと思われるような様子で、ギュスターブ王関連の出来事に対処をしている様子が目立っているとの情報があったことを聞いた。シュルトも、ヘイツブルグ大公家内の違和感を察したようだ。
「しかしヘイツブルグ票を割けないとなると、不安要素が残りますね」
「ええ。だからちょっと、考え方を転換することにしたわ」
「考え方?」
小首を傾げたマクシミリアンに、ニコリと微笑んで見せる。
「大量に票がクロイツェンに流れてしまっては困るのだから、だったら流れる前に、その票を失くしてしまえばいいと思うのよ」
「えーっと。うん?」
それってつまり……と苦笑いになったマクシミリアンと違い、フィリックの方はニヤリといい顔になった。やはりリディアーヌの思考回路は先生達譲りなのだろう。
「無くすって……まさか」
「三票は大きいと思わない?」
「そりゃあ思うけど」
「というわけだからフィル、すぐにケーリックを呼んで、シュルトに鳥文を送ってちょうだい。今夜までに禁事棟に侵入して持って来てもらいたい書類について指示を出すわ」
「……さすがにシュルトが哀れになりましたが……まぁ、いいでしょう。やらせます」
うん、自分で言っておいてなんだが、やはり鬼なのはフィリックの方だ。選帝議会が終わったら、シュルトにはたっぷりと休暇をあげねばなるまい。
「つまりリディ、ギュスターブ王が皇帝資格剥奪となることを見越して、その上で、剥奪になるような皇帝候補を立てたヘイツブルグ大公に真正面から喧嘩を売るつもり?」
「そんなに荒唐無稽でもないと思うのよ。実際、大公の責任問題はあるし、そもそも大公だってそれは分かっていないわけではないでしょう?」
「まぁ実際、ヘイツブルグ大公の意図は今もよく分からないんだよね」
その通りだ。本気でギュスターブに投じるつもりがあるのか。それとも残り一日を切る中、まだ何か計画でも立てているのか。
だが何をするつもりか分からない以上、こちらもそれ相応に備えをしておかねばならない。
「姫様、大公閣下はそれでいいとして、他のギュスターブ派の選議卿らはどうですか?」
「正直、ウィクトル公子については投げ出すわ」
「そこまでですか?」
「ええ。そこまでとしか言いようがないわ」
「私も同意見だな。あれはもうどうしようもない。正直、どうにかしたいとも思わない」
マクシミリアンも賛同すると、フィリックも、「そうですか。かしこまりました」と頷いた。痛い二票ではあるが、ここまで言うのだから仕方がないと思ってくれたのだろう。
「しかしそうであればなおさらギャロワ侯とシンブラン伯、せめて一人でもクロイツェン派には靡かないよう、抑制していただきたい所ですが」
「それについても少し考えがあるの。とりあえず狙うのはシンブラン伯ね」
「おや。苦手と仰っていた方ではありませんか」
「ええ、だから私がどうこうするわけではなく……ええ、まぁとりあえず、外の様子が早く知りたいわ。そういう手を取るのかは、結局ギュスターブの資格がどうなるのか次第だもの」
「そうですね。決まらずに終わっていただくのが一番ですが、決まるなら決まるで、とっとと判断していただきたいものです」
そう深くため息を吐いていたところに、扉を叩いたパトリックが顔を出した。その視線を見るに、どうやらマクシミリアンに用があるらしい。
「公子様、少々宜しいですか? 外に、教会修道士と思われる方がお会いしたいといっていらしているのですが」
「修道士? 私に?」
「見覚えのない顔ですが、お会いすればわかると言っているので、おそらくザクセオンの、トレファーノ司教の近侍だと思うのですが」
そうと聞いたクラウスがすぐに扉から外に顔を出すと、振り返って、「確かにモンチェ修道士です」と言う。見知った顔だったようだ。
「何事だろう。今更面倒な話でないといいのだけれど」
「ミリムはすっかりと聖職者達の顔つなぎ役になってしまったわね」
「なんでだろうね。とりあえず行ってくるよ。リディ、こっちは空けても平気?」
「ええ、大丈夫よ。ただ晩餐会の前にはお養父様も交えて今夜の確認をしたいから、夕二つの鐘より前までには戻ってもらいたいわ」
「分かった。出来るだけ早く戻るようにするよ」
そう言いながら、こんな時でも欠かすことなくきちんとリディアーヌの手を取ってキスをして去って行くマクシミリアンに、フィリックがポツリと「公子様はよもやあの習慣をヴァレンティンでも広める気でしょうか?」と呟くものだから、つい苦笑してしまった。
広めるつもりはないだろうし、あれを真似できる男性が堅物の多いヴァレンティンにいるかどうかは分からない。だがもしかしたらフレデリクあたりは学んでしまいかねない気がする。それを良しとするのか発狂してお叱りになるのかはマドリック先生次第だろうか。
正直、リディアーヌも昔は気恥ずかしく思っていたものの、今となっては悪い気はしていない。誰も彼もにそんな態度になられては困るが、たった一人にこうであることに関しては止める気はない。
「三年もすれば慣れるわよ」
「三年は長すぎます」
そんな軽口を叩いたところで、こんな挨拶をする相手も予定もないフィリックには関係のない話だろう。案の定、フィリックもすぐにそちらからは意識が逸れたようで、代わりに入室してきたパトリックともこれまでの情報を交換し、養父の部屋に侵入した事件の方も多少その進捗を伺った。フィリックの言っていた通り、女装した男性である可能性の方が高いそうだ。
「いずれにしてもこの後どうするのかは外の結果次第だわ」
「入っている情報によれば、今まさに議事棟でギュスターブ王の資格に関する審議が開かれているはずですが」
「フィリック、パトリック、部屋を鳥小屋に移しましょう。あそこの方が早く情報も入るわ。シュルトへの指示も急ぎたいことだし」
「分かりました」
すぐにスクリと立ち上がったフィリックに対し、パトリックは、「鳥小屋?」と目を瞬かせ、首を傾げた。
そういえばあそこは鳥小屋ではなく、エリオットの部屋なのだった。申し訳のない言い間違えに、おっと、とは思ったが、しかし言い直しはしなかった。やはりどう考えてもあの部屋は、もはや臨時の鳥小屋なのである。
そんなことを思いつつ前触れもなくエリオットの部屋を尋ねたところで、扉を開けるエリオットの顔にももう驚きの欠片もない。分かっていましたと言わんばかりである。
今日も今日とて、窓際ではケーリックがせっせと鳥の世話をしており、エリオットも廊下の監視という役目をこなす傍ら、廊下側の机でせっせと何かをすりつぶしていたようだ。香りからして、鳥寄せのための香木だろう。いつもククからほのかに漂っているその香りが、やはりこの部屋の鳥小屋感を倍増させている。
「ケーリック、大急ぎ、今すぐにシュルト宛に文を出してもらいたいわ。可能かしら?」
「少々空は明るいですが、飛ばすことに問題はありませんよ。この後、少し空が陰りそうですから、早めが良いかと」
「問題ないわ」
すぐに奥の机について、ケーリックが揃えてくれた筆記具を手に取り指示を書き綴る。シュルトに頼む内容はバルティーニュ公に対して格段の無理を要求するものなので、手紙の最後にはフィリックが用意してくれた封蝋で印章を捺した。その様子には、さすがにケーリックも「本当に鳥文で?」と冷や冷やした顔をしたが、これしか外への連絡手段がない以上、仕方がないのだ。
「何ならケーリック、貴方がこれを持って禁事棟を抜け出してくれてもいいのよ?」
「余計なことを言ってすみません。鳥に括りつけて、速やかに飛ばさせていただきます」
ええ、それでよろしい。
そんなケーリックの手で早々と窓から鳥が放たれたところで、もう何度も飛ばしているおかげか、少し迷いもなく一度上空を旋回して、選帝侯議会棟方面へと飛んでゆくのを見送る。しばらく虚空となった空を眺めていたが、おかしな音や気配はない。無事に飛んで行ってくれたのだと思うが、やはり少々心配である。
それから少しの間、養父の部屋の事件もあったことだからと、この鳥小屋の棚に集まっている鳥文の管理のことなどを話し合っていたのだが、ここは常にエリオットかケーリックのどちらかが部屋にいることと、鳥文を治めている棚はククが準備したもので、ケーリックの持っている鍵といくつかの仕掛けを解除しないと開かない仕様になっているということで、その安全性に安堵した。
それを確認している内にも、エリオットが「終わったぞ」と言ってケーリックにすりつぶした香木を渡す。それを受け取ったケーリックは、待っていましたとばかりにすぐに窓辺に持って行き、所定の鳥台の白い丸皿に香を入れて火をつけた。そうすればすぐ傍の薄く開いた窓から、目に見えないほどの香りの束がゆらゆらと外へ流れ出て行く。
「それが鳥寄せの香なのね?」
「はい。この数日ですでに鳥もこの場所を覚えましたが、これがある方が間違えずに真っ直ぐ下りてくることができるので。特に今は姫様もお待ちの情報をすぐにでも受け取りたいですから、香木を使い尽くす勢いで絶やすことなく焚いています」
なるほど。それでエリオットまで、香木を燃えやすく砕く作業をやらされていたわけか。それでも『そこまでしなくても』と言えないのは、実際、外での議会が終わり次第、すぐにでもその情報を寄越してほしいからだ。
実際、それからまだしばらくはじれったい思いをしながらそわそわと香木の香りだけを嗅ぎながら無為な時間を過ごすことになったが、半時ほどした昼三つ前、ついにばさりと翼で風を切る先程とは別の鳥が窓の外に現れた。
それを見てすぐに窓を開けたケーリックに、鳥はまっすぐ香木のすぐ上の止まり木に止まり、ケーリックもすぐに窓を閉める。ハシバミ色の羽に、小さな体躯ながら精悍な顔立ちをしたその鳥は、リディアーヌも見知っている竜種混じりのククの愛鳥だ。そのふかふかと羽毛に覆われたお腹に括られた革の文箱を取り外したケーリックに、さっさと寄越せとばかりに視線を送る。勿論、ケーリックが急いでいるのは分かっているが、それでも腰が浮くほどに急いてしまうのは仕方がない。
そしてようやく文を取り出し、封を切り、ケーリックがそれを机の上に広げると、リディアーヌばかりかフィリックもパトリックも、後ろからそれを覗き込んだ。
そして……。
「……ギュスターブ王……廃立。皇帝資格は……」
誰からともなく、ごくりと息をのむ。
このまま、資格残留となってくれればいっそ簡単だったのだが……そうはいかなかった。
「皇帝資格は、剥奪を決定。ギュスターブ票を無効票と認める……」
本来であれば、すでに選帝議会が始まっている時分に、外で勝手なことをして、と憤慨していい内容だ。だが選議卿らが外に出ることが出来ない以上、今この瞬間、それに異を唱えることはできない。
最終選挙まで、残り二十時間――今宵は随分と騒がしくなりそうである。




