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ザマァ後のこの国をどうしてくれる―亡き王女の悔恨―  作者: 灯月 更夜
第十一章 <帝暦732年春-後半Ⅰ>
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11-44 ヘイツブルグ家

「あの……夫人、申し訳ありませんわ。なにやら公子を困らせてしまったみたいです」

「謝罪の必要はまったくありませんわ、公女様。お話は聞こえておりました」


 あれ。そうですか。なんてお耳が宜しいのか。


「まったく、あの子には困ったこと」


 どうやらちょっと立ち話をという雰囲気ではないのを見て取ると、「どうぞおかけになって」と席を促した。さらに後ろからやってきたノヴェール伯と、ご一緒していたらしいヘイツブルグの聖職者枠であるクレメンテ司教にも席をお勧めする。

 こういう風に二人と同じ席に着くのは初めてかもしれない。夫人とは派閥を同じくしている同士であるとの認識だが、どうやらどちらも自国の公子に対する文句も遠慮なく聞かせられる相手のようだ。


「私はこの議会で、甥が少しでも成長してくれることを期待しておりました。しかしそれが今なおあの物言い、あの態度。まったく……すぐ近くでお二人を見ていたこともあってか、私は私の家門と後継者が恥ずかしくてたまりません」

「夫人……」

「あぁ、慰めの言葉は結構でしてよ。公女様にそのような義理など必要ないことは分かっております。これはただの老婆の愚痴ですわ」


 老婆……コランティーヌ夫人には全く似つかわしくない単語である。

 自分を卑下することで、この会話が本当にただの雑談であるのだと印象付けるものなのだろうが、そこには同時に、やるせない思いを抱えつつもヘイツブルグ家という自分の出身家門へのまだどうにかできるのではという淡い期待と矜持を感じさせる。

 これまでの大公達の良く糸のつかめない行動に真正面から対峙するわけでもなく距離を置いて接してきたことを見ても、夫人としては、まだ何かしら彼らにちゃんと意図があることを信じていたいという願いがあるのだろう。


「外の様子……アンナベル妃殿下のことも心配ですわね」

「あれもまた、どうしたものかしら……」


 おや、アンナベル妃に対しての反応も随分と(かんば)しくない。

 そう思っていると、代わりにノヴェール伯が「ご心配はいりませんよ」と和らいだ声色でフォローした。


「今頃、オリアンヌ様のご長男、現コランティーヌ公がお見えになっておられます。閣下がいらっしゃれば、何の心配もありません」

「あぁそうね。そういえばエドガーがいたわね」


 ほっと息をついて頷く夫人に、どうやらヘイツブルグ家には他に頼る術があるらしいと分かった。会話から察するに、現コランティーヌ公爵エドガール卿が皇宮に来ているようだ。


「夫人のご子息が皇宮に?」


 ふむ。しかし筆頭格の分家筋が(くに)(もと)を空けるというのは帝国議会の時期にあっては珍しい事である。むしろ留守居役など務めるべき立場の方なのではなかろうかと思ったが、それにはノヴェール伯が、「閣下のご長男、つまり夫人のお孫君が成人式なのですよ」と教えてくれた。

 なるほど、皇宮成人式に息子が参加するため、両親もこちらに来ているわけだ。


「それはおめでとうございます、夫人。何かと懸念が多いこの数日、久しぶりのいいニュースを伺えましたわ」

「有難う、公女。私も孫が成人して、ようやく安心して隠居できそうですわ」


 思えば、すでにヘイツブルグ家を出て嫁に行き、夫を亡くし家督を息子に引き継がせ、とうに引退していてもおかしくないのがコランティーヌ夫人だ。なのに選議卿として引っ張り出されたほどなのだから、彼女が国許で持っている知名度と存在感の大きさというものをひしひしと感じる。


「私が言うと身贔屓になってしまいますけれどね。夫に似て、息子も孫も、とてもよくできておりますのよ。嫁のマルレーヌは私の姪でもあるのですけれど、ウィクトル公子とは似ても似つかぬ才女で。まったく……今の大公家に男子さえいなければ、私がマルレーヌを女大公にも推して差し上げたものを」


 夫人の嫡男の嫁はヘイツブルグ大公の長女で、ウィクトル公子の姉ということ。つまりイトコ同士の結婚だったわけだが、それを聞くと、考えるよりも早く背中がそわっとした。

 夫人はなにかと公子の事を気にかけ律しているようだが、そんな夫人の嫁入り先に、ウィクトル公子の姉の血筋が入っている……これはウィクトル公子にとって、かなりのプレッシャーなのではあるまいか。

 そしてそれは思っていた通り、「いっそ我が家門でもお家騒動など起きてみるのも悪くはないのではないかしら」などと呟いた夫人の言葉に、もれなく“そわっと”が“ぞわっと”に変わった。


 この明け透けな言葉にはさすがにクレメンテ司教が「それ以上はいけませんよ、オリアンヌ様」と窘める。リディアーヌ達がそんなとんでもない内心を聞かせてもらえるほどの信任を得ているというのは幸いなところなのだが、さすがに聞いてはならないことを聞いてしまった心地である。

 だが正直、期待をしないでもない。リディアーヌはその夫人の子や孫のことは知らないけれど、夫人が『よくできている』などと言うくらいなのだ。あの扱いにひたすら困るばかりの現大公や現公子よりもよほど付き合いやすいのではなどという気がするのだ。

 窘める言葉をかけたその司教様も、今のヘイツブルグ大公の奇妙な行動とそれに迎合している者達には思う所があるようで、「お気持ちが理解できないという事もないのですけれど」と続けた。政治には関わっていないいち司教すらもがそんなことを口にするのだから、案外、ヘイツブルグ国内ではすでにそういう傾向が目に見えて存在している状況なのかもしれない。


 これはなるほど、しくじった。リディアーヌはコランティーヌ夫人とことさら親しくしている自覚がある。そんなリディアーヌがウィクトル公子に棘を孕んだ物言いで意思を問うたところで、過敏になるのは無理もない。

 てっきりコランティーヌ夫人は父親よりも公子の事を気にかけてあげている伯母なのだと認識していたが、そうではなかったらしい。夫人が日頃から『リディアーヌ公女やマクシミリアン公子を見習いなさい』という類の言葉を発しているらしいことと併せて考えても、ウィクトル公子にはリディアーヌ達を警戒する理由がある。

 公子たるもの、それでもいっそこちらを味方につけるくらいの気概でいい顔をして見せるくらいのことはしろよと思わなくもないのだが、どうやらこちらに警戒心を抱かせた理由が、夫人との関係にあることは確かなようだ。

 だがもしも許されるなら、大声で叫びたい。こちとらギュスターブ王も関与していたかもしれない案件で両親を殺されているのだ。そんな王を擁立するお前に気を使ってやる必要がどこにある……と。

 えぇ、えぇ、それでもそれをぐっとこらえて票を獲り合うのが皇帝戦ですけれど。だが正直、今更ウィクトル公子の二票が欲しいなどとは露とも感じなくなっている。いいや、むしろ私達は最初からそう思っていたのかもしれない。それが態度にも出ていた可能性はある。


「どうしたことかしら。ちっとも庇う気もフォローする気も起きないわ」

「同感だね」


 リディアーヌは自分で自分の言葉があるべきではない言葉である自覚をしていたけれど、よもや誰にでも人当たりのいいマクシミリアンからすかさずそんな言葉が返ってくるとは思わなかったから、驚いて隣を振り仰いだ。


「珍しいわね、ミリム。貴方がそんな風に言うだなんて」

「私にだって人の得手不得手はあるよ。正直、彼は苦手だ」

「……」


 これは益々珍しい。どんな相手でもコロリと転がして気分良くさせる人だと思っていたが、どうやらそんな気にならないこともあるのか。

 いや……マクシミリアンがリディアーヌの前だけならまだしも、他人がいるところでそんな風に言うのはやはり珍しいことだ。あるいはリディアーヌの様子を見て、マクシミリアンもまたウィクトル公子よりもコランティーヌ夫人との結びつきを固めておく方を優先すべきと判断したのかもしれない。

 確かに、その方がいい。ウィクトル公子とアンナベル妃には申し訳ないけれど……しかしそんな竜と(じゃ)がうごめくのが、皇帝戦なのである。


「良いお顔になられましたわね、公女様」

「まぁ、夫人。どうして誰も彼も“悪い顔”を“いい顔”というのでしょう。心外ですわ」

「ほほほっ! まったく、貴女は私を飽きさせませんこと」


 いや、その物言いはなんだかダグナブリク公みたいでどうかと思いますけれど。


「公女様は、何でも竜の飛び交う山の向こうでも、そのようにご暗躍なさっておいでなのでしょう? その竜の爪のひとかけらでも、舞い込んでこないものかと思っておりますのよ」


 本当に……今日はどうしたのだろう。よもや夫人がこれほどまでに突っ込んだことを言うとは。

 あるいは外でのギュスターブ廃立の聞こえもあり、弟大公の失脚と、もはやそれを取りなすすべもないという諦めが夫人をふんぎらせたのだろうか。あぁ、有り得る。この件は後ほど、しっかりと養父とも情報共有しておかねばならない案件だ。

 だから今すぐにここでリディアーヌがヴァレンティン家の一員として方向性を口にしてしまうには問題があるのだけれど、期待を持たせておくくらいは悪くないだろう。


「竜の爪は固くて頑丈ですが、せいぜい工芸品くらいにしか価値がありません。どうせなら鱗の一枚と仰るくらいが宜しいのではありませんか?」

「公女様は、飛竜のいない南部の国で、それがどれほど貴重なものなのかご存じなくって?」

「ヴァレンティンにとっては、決して容易くないということもないものですから」


 通じたかな。あぁ、通じたな。

 とても良い顔でお笑いになった夫人に、リディアーヌもニコリと笑みを象って見せる。

 こんな話をして、果たしてノヴェール伯やクレメンテ司教は問題ないのかと心配ではあったが、見たところどうやら少しも気にした様子はない。きっとこの二人は完全にコランティーヌ公爵家派閥なのだ。


「ただそれにもこれにも、まずは目の前の皇帝戦ですわ。ここでその貴重な鱗を失くしてしまっては意味がありませんから」

「ええ、そうですこと。ただ私には義理というものがございますから。アブラーン殿下を失望させるつもりはありませんわ。ただノヴェール伯、貴方まで私の義理に付き合ってくださる必要はないのよ」

「いいえ、オリアンヌ様。もしこの愚臣をお気遣いいただけるというのであれば、どうか私が貴女様と同じ道を歩むことをお許しください、我が君」

「まったく、貴方も相当の頑固者ね、セルジャン」


 ん? うん? んんんっ?

 なんかこの二人。うーん。んん?

 何となく感じる妙な違和感に小首をかしげる。はっきりとは分からない違和感の答えを知りたくてチラリと隣のマクシミリアンを伺ってみれば、何やら意味ありげに妙な顔で苦笑をしている。その顔の意味は分からないが、もしかして、この違和感はそういうことなのだろうか。

 う、うん……まぁ、うん。夫人はもう随分と昔に夫を亡くされた未亡人。ノヴェール伯は夫人より八つほど年下なはずだが、しかしこちらも夫人のいない独身男性。これはまさか、まさかであったりするのだろうか。

 はぁ。さすがは情熱的な南部の人間である。


 そんなことを思っている内に、さすがに二人の雰囲気が伝わりすぎていることを懸念したのか、こほんっ、とわざとらしい咳払いでクレメンテ司教が場の空気を払拭した。

 決して驚いている様子はないから、これも案外、ヘイツブルグでは知られた関係なのかもしれない。


「コランティーヌ夫人、義理は必要ないというそれは、私には言ってくださらないのですか?」

「まぁ、ほほほっ。さすがに聖職者を口説いては角が立ちますわ」

「こほんっ!」


 そういう意味じゃないと言わんばかりに再び咳払いした司教様に、さすがにノヴェール伯も肩をすくめた。夫人のこの歯に物着せぬ冗談は、相変わらず心臓に悪い。

 くすくすと笑いながらおもむろに席を立つ夫人に、すぐにノヴェール伯も席を立ち、丁寧にエスコートの手を伸ばす。いざそういう目で二人を見てみると、いったい今までどうして気が付かなかったのかと思うばかりである。

 夫人はそんな鈍感なリディアーヌに一つクスと笑って見せてから、遅れて席を立つクレメンテ司教の肩をポンと叩いた。


「貴方も、どうぞ思うがままになさいませ、クレメンテ司教。すでに今朝、お二人に心揺るがされた一人の聖職者が心に沿う選択を致しました。貴方も後悔はしない選択をなさるべきですわ」

「……なるほど。ではそのように致しましょう、夫人」


 去って行く夫人を追いかけるわけでもなく、その場にとどまって一礼して見送ったクレメンテ司教は、ほどなくチラリとリディアーヌ達に視線を寄越すと眉尻を垂らした。


「うちの元公女殿下は、中々癖があって、飽きさせてはくれない御方です」

「ええ、まったく。私も、夫人をとても敬愛しておりますわ」

「我々の気持ちを代弁する嬉しいお言葉です」

「ウィクトル公子とは生憎の別れ際になってしまいましたけれど、俄然、現コランティーヌ公への興味がわきました。司教様、夫人には是非、後日ご家族を紹介してくださいと“ヴァレンティン”が申していたとお伝えくださいませ」

「ええ、そういたしましょう」


 ニコリと微笑んで丁寧に礼を尽くし、席を離れる聖職者の背を見送る。

 ちゃんとした退席の挨拶をせずに去るのもヘイツブルグ流だろうか、とか思うほど、皆が皆、自由な去り際だった。だがまぁ……悪くない。


「二票は無理ね」

「あぁ。でも一票は得られそうだ」

「思いのほか、何処の家門もきな臭いものね。ヘイツブルグまでもだなんて……ちょっと想像していなかったわ」

「私もさすがに、夫人のことは警戒していなかったよ。やられたね」


 そう息を吐いたところで、しばらく離れていたクラウス卿が食後のお茶を持って来てくれた。マクシミリアン好みの、たっぷりのミルクと蜂蜜があいそうな濃い紅色の紅茶だ。

 あぁ、蜂蜜の甘い香りが疲弊した頭と心に沁み渡る。


「クラウス卿……」


 あぁ、いや。いい加減、この呼び方も他人行儀だな。


「いえ、クラウス。二杯目は上で淹れてくれるかしら? フランカが持ち込んでいるはずの砂糖漬けの林檎と一緒に」

「ええ、かしこまりました、公女様。併せて、蜂蜜も公子様のとっておきの林檎の蜂蜜にいたしましょう」

「いいわね」

「こらこら君達、その蜂蜜の持ち主に一言くらい許可を取ったらどうかね?」


 まぁ喜んで提供するけれど、と笑うマクシミリアンの差し伸べた手に、甘やかなお茶を飲み干して立ち上がる。

 さて、思いがけないところで思いがけない話と一票を得た。

 だがまだまだここから。気は抜けない。


「もうひと頑張りね」

「今日が過ぎれば、明日には最高の解放感を味わっているはずだ」

「ではそれまで、貴方の秘蔵の蜂蜜で乗り切りましょう」

「リディもついに蜂蜜の良さに気が付いたんだね。いいことだ」


 もうまったくと苦笑し、頬で肩を小突きながら食堂を出る。

 皇帝戦最終選挙まで、あと二十二時間――“今日”という日はまだまだ、終わらない。






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