11-38 面会
選帝議会三日目――寝不足気味で迎えた朝、何事もなかったかを確認するかのように、フィリックにパトリック、ケーリックにフランカにクラウスにと、朝からぞろぞろとやって来た。おかげであっという間に表の書斎が狭苦しくなる中、目くじらを立てたフィリックに『何故そんなに眠そうな顔をしているんですか?』とお小言を頂戴しながら、『何しろリディが寝かせてくれなくって』などと説明しているマクシミリアンの背中を一つどつき、食堂で朝食を取った。
部屋に閉じこもっていては、お小言が止まないせいだ。
さらにいそいそと中央棟へと逃げ込んで、二度目の仮投票に挑む。明らかに動いたダグナブリク公の三票にざわついたのは想定内のことである。
議会が終わるなり『一体何があったのだ』と辺境公に詰め寄った選議卿らに、公はニヤニヤと含みのある顔で笑いながら、『さぁ、何の事だろう』などとのらりくらりしていらっしゃったが、有耶無耶にさせておくつもりのないリディアーヌは満面の笑みで辺境公閣下の元に出向き、『閣下のご支持に心より感謝いたしますわ』などと繕うことなく明言し、ダグナブリク公を引き込んだことを周知した。
明日や明後日、公がまたも意見を翻さない保証はないのだ。しかしこうして周知しておけば、いざ裏切った時のダグナブリク公に対する周囲からの信頼という問題にも直結する。より一層裏切り難いよう外堀を埋めたのである。
これにはダグナブリク公も『念を押すことなんてないじゃないか』と苦言をこぼしつつ、大層楽し気にお笑いになっていた。
さて、問題はこのダグナブリク票により周りがどう動くのかだが……さすがにあと一票まで追い詰めた様子に、クロイツェン陣営の面差しが厳しい。まだまだ票の奪い合いは続くだろう。
そんな慌ただしい朝を経て、昼には面会の許可を取り北棟に出向いた。
皇帝候補らとは接触する時間帯に対する制限と面会時間の長さにも規定があって、いつでもどこでも好きに行き来ができるわけではない。本来選帝議会は選議卿達だけによって行われるべきものだからである。しかし昼時などはこうしてご機嫌伺いとして多少は行き来できるのだ。
すでに昨日も出入りをしていた人達はいたようで、今日も今日とて、せかせかとした足取りで北棟に入って行くカーシアン女伯の背中を見ながら、フィリックを連れて北棟一階のこじんまりとした応接間に向かった。
選議卿らは二階や三階の彼らの私室空間に上がることは許されておらず、また皇帝候補達も選議卿らがいる東棟一階の食堂より奥には立ち入れない。なので面会は誰でも出入りできる両棟の食堂か、かろうじて三つほど存在する応接間の類を使うかであり、あまり密談には向かない部屋しかなく、個室が取れなければ顔を合わせたところで碌な会話もできない。今日この時間に部屋が取れたことは幸いであった。
扉を開けたところで、近侍として連れてきているらしいダリエルと話し込んでいたリュシアンが顔をあげる。いささか疲れは見えるが変わりのない姿には、思わずホッとしてしまった。
「変わりないようで何よりですわ、陛下」
「君も……いや。顔色が悪くないか?」
「ちょっと訳合って寝不足なのよ」
思わず口調を崩し口を曲げたところで、「自業自得でございます」とすかさずフィリックに突っ込まれた。もうその話題は忘れてくれてもいい頃だと思うのだが。
「こほんっ。時間もないことだし、急いで必要なことを済ませてしまいましょう」
「それはいいが、ディー、昼食は? 用意させているが」
「……いただくわ」
いかに気心の知れた相手とはいえ、昼食に招かれたという表向きの理由を蔑ろにしすぎたのはさすがに無作法だったかもしれない。そんなリディアーヌの様子に一つ苦笑を浮かべたリュシアンは、「昔と変わらず気を許してもらっていることは、私にとって何よりの安心だ」などと言い、控えていた侍従のレアンドロ卿に話しながらでも食べやすいものを指示してくれた。今日は一応、昼食のお招きに預かったという体なのだ。
選議卿がこの禁事棟に伴える側近は一人だが、皇帝候補らは二人、侍従と側近を連れて入ることが出来る。本来は正妃と一人の侍女も連れて入れるのだが、実に珍しいことに、今期の皇帝候補には正妃を連れている人が一人もいない。一応アルトゥールが既婚者だが、ヴィオレットはすでにその座を退けられたも同然な上、フォンクラーク離宮に家出中である。リュシアンから届いた報告でもヴィオレットは禁事棟に入っていないと聞いている。
レアンドロ卿の指示の元、この禁事棟付の使用人らの手を借りて昼食が並べられてゆく間、その辺りの、すでに交換していた情報の確認を行った。幸いケーリックの情報伝達はうまく機能していたようで、互いの認識に大きなずれが生じているという事もなく安心した。
「アブラーン殿下の件以来、こちらで毒物や混入物の類の事件は起きてない?」
「ああ、ない。一応毒味の類は徹底させているが、多少嫌がらせのように苦い葉物野菜が混入していたぐらいだな」
「苦い野菜って……」
「馬鹿馬鹿しいほど可愛い悪意だろう? 禁事棟付の者同士のささやかな勢力争いだったようだ。そっちは?」
「幸いうちもそういうものには遭遇していないわね。色々と、こっちはそれどころではなかったというのもあるかしら」
テーブルに並べ置かれた料理に、配膳を行った禁事棟の侍従が丁寧に毒味をし、レアンドロ卿もそれに続く。二人も毒味をしているのだから、危機管理能力の乏しいリュシアンにしてはちゃんと警戒しているようだ。おそらくレアンドロ卿かダリエル卿の差配だろうが。
昼食のメニューは東棟とほとんど変わらない。ただ何かと盛り付けが上品で華やかさにこだわっているあたり、こちらの食堂の担当者は随分と皇帝候補達に気を使っているようだ。味付けも少し軽めだろうか。
「何か起こるとしたら、今日あたりからでしょうね。今日の仮投票の情報はもうこちらに?」
「ああ、聞いた。クロイツェンの皇太子は一体どこから情報を得ているのか知らないが、随分と耳ざといな。そちらから漏れ聞こえてきた」
「ちょっと気にかかる情報ね……でも聞いたならわかると思うけれど」
「クロイツェン側の慌ただしさを見ればなおさらだな。それで、ディー。実際の所はどうなんだ?」
「貴方が票を気にするとは思わなかったわ」
「一応、そのくらいの責任感はある」
そうは言うが、表情を見たって本気で気にしているようには思えない。別に皇帝戦に真剣ではないというわけではないのだろうが、やはり人生をかけるほどの切羽詰まった立場ではないことが理由か。それとも単にリディアーヌ達ヴァレンティンを信じ切って達観しているだけか。
ここでしくじれば家門内での立場としても深刻な問題が生じかねないアルトゥールと比べると、随分と余裕なものである。そのことには少しばかり、ざわざわとした複雑な感情を抱かないわけではない。
だがそんなことは致し方のないことで、リュシアンを責める事でもない。それは分かっている。
とはいえリュシアンの感情如何と関係なく、それでも彼を推戴せねばならないのがヴァレンティンである。リュシアンとてそれ相応に、ちゃんと向き合ってはくれているはずだ。
勿論情報は最初から共有するつもりであったから、今のうちに小さな鳥文では伝えきれないダグナブリク公の件と、他にも獲得見込み票があることなどは伝えておいた。
「ただセトーナ票やフォンクラーク票の動きがまだ分からない以上、まったく油断は出来ないわ。今のうちにセトーナ票は揺さぶりたいのだけれど」
「それなら今は狙い目だろう。昨日の昼にはセトーナ派の選議卿達、特に聖職者達が集まって面会に来ていたが、レアンドロが耳に入れてきた限り、穏やかな話し合いといった様子ではなかったようだ」
「なんですって」
もっと詳しく、と情報を求めたところで、発言を許可されたレアンドロ卿が詳しく説明してくれた。
どうやらセトーナ派の四人の聖職者達が面会に来てちょうどこの部屋で会っていたが、帰りしな、東棟に向かうホールの辺りで随分と不満そうな顔をしながら不安や不満をぶつぶつとこぼし合う所を耳にしたらしい。
「この棟のホールは一見、何も余計なものがなく開けているように見えるのですが、地階にある家事室から食堂に上がってくる使用人用階段が下にあり、そこにいると、上のホールの声が若干漏れて聞こえてくるんです。おそらく最初から声を拾うことを目的に、そのための配管か何かがあるのではないかと。こちらの建物にはあまり妙な隠し部屋や隠し通路はありませんが、こうした声を拾うためのものはいくつかあるようです」
「この部屋は?」
「ええ、この部屋も奥の家事室には声は筒抜けに。ただ今はこちらの息のかかった者を配置させ、人払いさせています。このほか、上下左右、声が洩れる場所はありません」
おかげさまでほっと息が抜けた。やはりこの北棟も油断はならない場所であったようだ。もっとも、普通に情報交換をしながらフィリックが声量や内容を注意しなかった時点で安全性は確認済みなのだろうと信頼していたが。
しかしセトーナ派閥の動揺という情報はいい情報だ。元々揺さぶりをかけたいと思っていた辺りであるし、これを元に、セトーナ派の聖職者に接触を試みているマクシミリアンと本格的な揺さぶりの計画を立てたい。
そのためにもレアンドロ卿が耳にした会話の内容はより丁寧に報告させた。生憎とどの声が誰のものなのかまでは判別できなかったというが、リディアーヌが持っている知識と照らし合わせればおおよそ想像は出来る。
トレファーノ司教やクレメンテ司教を諫める物言いをしていた人もいたというが、それはおそらく堅固なセトーナ派であるラモーディオ枢機卿猊下であろう。猊下はアブラーン王子支持派というより、教会内のセトーナ派の重鎮である。個人的感情で票を移すという事は考えにくいが、それ以外は狙い目だ。
「テスティーノ司教に続けてトレファーノ司教やクレメンテ司教に対しての方針も要相談ね」
「この後、エティエンヌ猊下とサンチェーリ司教を招いておりますから、すぐに情報を共有して計画立てましょう」
おかげさまでうちのフィリックさんも大層いい顔である。
「他に、こちらでの懸念事項は無い?」
「表立ったものは無いが、騒ぎのあったアブラーン王子が何度かクロイツェン皇太子に接触している。皇太子側からの働きかけだとは思うが、さすがに何を話しているのかは掴ませてくれなかった。こちらは今後も気にかけておくが、指示はあるか?」
「あの皇子様が何か企んでいるとして、下手に突いても逆効果よ。可能な限りの情報収集にだけ努めていただきたいけれど、あまり危険を冒すことは無いわ。禁事棟に配属されている者にはクロイツェン派も多いから、あまり禁事棟の者を信用もできないし」
「わかった。他には?」
「可能なら、リヴァイアン殿下とは親しくしておいていただきたいわ。あちらからダグナブリク公の票をいただくから、それを恨みに思われないよう、カクトゥーラとその王位については全面的にリヴァイアン殿下の助けになるつもりであることを強調しておきたいの。殿下がダグナブリク公の票を取り戻そうと思う必要が無いように」
「承知した。幸い、ベルテセーヌとしても以前君から提案されたリンテンを介した交易の活性には利点が大きい。その旨味をカクトゥーラではなくリヴァイアン王子に還元するという体で親しんでおこう」
うむ。よく分かってくれている。これなら何の問題もない。
あとは何かあっただろうか。
「そういえばディー、そちらに何か、時間を潰すのにいい本か玩具の類はないだろうか。こっちは意外とすることがなく、人と会っても互いに手持無沙汰が多い」
「本だったらいくつかあるけれど、人と会って時間を潰すのに用いるならチェスやカードの類かしら。フランカ?」
クルリと振り返ると、持ち込んだ備品の一切をきちんと把握しているフランカが、「どちらもございますよ」と即答した。
「ランデル侍従長が大公様の社交用にと一応用意していましたが、案の定ご使用になる予定は皆無のようでございますから」
「すぐに寄越しましょう。うちにあってもどうせ使わないわ」
「助かる」
ふむ。それを聞いたせいで、ふとこちらも一つ頼みたいことができてしまった。
「リュス、そのかわりといっては何だけれど、そちらにお酒は持ち込んでいないかしら?」
「酒? いや……私はそんなに嗜まないからな……」
ただ、とダリエルを見たリュシアンに、ダリエルが「交渉用にと持ち込んだものでしたらいくつかございます」と言う。
「強い種類のものも?」
「……あります、が。あの……公女殿下がお飲みに?」
「違うわよ」
どうして皆そういう誤解をするのだろう。別に強いお酒に頼ってストレスを発散したいだなんて思うほど溜まってはいないのだが。
「こちらで三票を維持するために突如必須になったのだけれど、あまりの消費の速さにうちが持ち込んだ分だけではまったく心もとなくなってしまったのよ。他にももらう宛てはあるけれど、可能な限り欲しいわ。特に強いものを。強ければ強いほどいいわ」
「は、はぁ……分かりました。五本ほどありますので、お届けしましょう」
「五本!」
思わず歓喜の声をあげたのはフランカである。某お客様にお出しするたびに水のように消費されてゆく強いお酒に、在庫の乏しさに冷や汗をかいていたのはフランカである。まさか五本も補充できるとは思っていなかったので、思わず歓喜の声が洩れてしまったのだろう。その気持ちは分かるので、咎めはしなかった。
「その……ディー。本当に君が飲むわけでは……」
「ないわよ」
何故また疑われたのか。心外である。
「フィリック、瓶は重たいでしょうから、あとでフランカを手伝って運び入れてちょうだい。残り一日半分の在庫管理も手伝ってあげて」
「かしこまりました」
ふぅ。これでパラメア妃という不測の事態に対する備えができて、少し安心した。ダグナブリク公からも多少はパラメア妃用の備えを回収できるはずなので、これで何とかもってもらいたいところである。
さて、これで必要な情報の交換は終わったか。
「では慌ただしくて申し訳ないけれど、そろそろ失礼させていただきますわね、陛下」
「ああ。何かと苦労をかけるが、自分を優先して欲しい」
「ええ、分かっているわ。この寝不足は本当にただの自業自得だから気にしないで」
「嘘ではありません。本当に本当の自業自得です」
さらにフィリックがくどくどと言うものだから、リュシアンも苦笑を浮かべて「わかった、心配はしないでおく」と頷いた。
どうやらこの応接間の外、東棟と北棟を繋ぐホールの声は外に筒抜けらしいので、東棟への渡り廊下の前まで送ってくれたリュシアンには、何の当たり障りもない会話をしていましたとばかりに、「つつがないご様子に安心いたしました」「そちらも」というどうでもいい立ち話をした。聞いている人がいるのかどうかは知らないが、一応だ。
だがそんなことを思っていると、食堂側からアルトゥールがやって来て遭遇してしまった。これは少々、予定外である。
「リディじゃないか」
「ごきげんよう、皇太子殿下」
「ユリウス陛下への面会か? ミリムは?」
「ミリムなら、今頃ダグナブリク公に捕まっているんじゃないかしら?」
嘘はつかない。どうせ先程アルトゥールのもとに駆けていったのであろうカーシアン女伯が、議会場でザクセオン大公への盾にマクシミリアンをとっ捕まえて引きずっていったダグナブリク公の様子を見ている。その情報は伝わっているはずだ。
「ソッチにもあいつは関わっているのか?」
いつもの、冷たそうなのに馴染みのある友人の顔ではなく、少しばかり棘を感じているのは気のせいではないだろう。そんなことを感じてツキンと胸が痛んでしまうのだから、まったく、昨夜無駄に郷愁に浸ったりするんじゃなかった。譲る気のない事としての覚悟はあっても、やはりマクシミリアンを裏切らせることについては胸が苦しい。
「ミリムはそちらにはまったく無関係よ。嘘ではないわ」
「甘いな、リディは。中途半端に気を使ったりするなよ」
「本当に嘘ではないのだもの。それに気なんて使っていないわ。必要ないでしょう?」
「ああ、必要ない。その方がマシだ」
「ええ、そうでしょうね」
言葉とは裏腹に、いつもの悪友同士の親しみも覇気もない。まるでお互いに無理して言葉を引きずり出しているかのようだ。やはりこんな時期、こんな場所で会うものではない。
それはリュシアンがすぐに察してくれたようで、さっと二人の間に割って入ると、「そろそろ戻った方がいいな」と別れの言葉を切り出した。おかげで踵を返しやすくなった。
「ええ、そうね。ではまた連絡を寄越しますわね、陛下。殿下も、失礼いたしますわ」
「ああ。次に顔を合わせるのがいつかは分からないが、また」
確かに。次に顔を合わせるのは、すべての結果が出た後かもしれないのだ。
最後の最後にどっさりと背中に重たいものを乗せられたような心地だ。それでも余裕ぶって見せながら踵を返し、堂々と廊下の真ん中を闊歩してみせるのが仕事である。
一体私達は、どれほどの業を背負って生まれてきたというのだろうか。難儀なものである。




