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ザマァ後のこの国をどうしてくれる―亡き王女の悔恨―  作者: 灯月 更夜
第十一章 <帝暦732年春-後半>
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11-37 夜話し

 時は第二回目の仮投票から少しさかのぼり、半日前。

 リディアーヌは昼までとは打って変わった見慣れない雰囲気の書斎を、まるでただの廊下の(ごと)くそそくさと通り過ぎ、クラウス卿が気を利かせマクシミリアンが譲ってくれた寝室へと入ったところで、すでに若干の後悔を感じ始めていた。


 部屋の形が違う? 気にならない。

 窓が小さい? どうせ元の部屋だって大して光は入らなかった。少しでも明るいだけで十分だ。

 クローゼットが小さい? 微塵も問題ない。もとよりたったの五日間のために、大して荷物は持ち込んでいない。

 なのに何が問題かって……このベッドは、昨夜マクシミリアンが寝ていたベッドで、そして今、あの壁の向こうでわずかに聞こえる誰かの生活音は、その人がいる音なのだ。


 どうしたものだろうか。カレッジ時代には、悪友達と互いの寮を行き来することなんてちっとも珍しくなかった。

 勝手にマクシミリアンのベッドに寝転がって、勝手に本棚から取った本を広げながら読書にいそしんだこともある。マクシミリアンだって、部屋に帰ったらなぜかいて、ソファーにごろごろと転がりながら課題にいそしんでいたことがある。アルトゥールがリディアーヌのベッドに『疲れたから仮眠させろ』などといって転がろうとした時には何やらマクシミリアンがシーツをひっくり返して阻止していたけれど、逆に二人がわちゃわちゃとシーツにくるまって暴れたせいでマーサさんのお怒りを(こうむ)ったこともあった。

 ふむ。懐かしすぎて少し気が逸れたが、つまり、別に意識しないといけないようなことではなくて、こんなの、昔なら何も気にしていなかったことなのだ。

 なのにどうして今更、気恥ずかしさなんて感じているのだろうか。


 おそるおそる触れてみたシーツの感触は、先程まで使っていた自分の部屋と何ら変わりない。枕はフランカが持って来てくれたリディアーヌの枕で、薄い毛布はこの時期にリディアーヌが好んで使っている見慣れたものだ。なのにベッドに触れると、彼のあの甘いような苦いような、リディアーヌの好きな匂いがする。

 いや、そんなのは気のせいだ。きっと気のせいだけれど。


「そうよ。眠ってしまえば同じよ」


 そう思い切ってベッドに飛び込んでみると、キシリとベッドが鳴った。さすがに勢いをつけすぎただろうか。しかしそのせいもあってか、ふわりとベッドに沈んだ体が今度こそ勘違いでも何でもないその人の香りに包まれて、たちまちブワッッとリディアーヌの頬を赤くさせることになった。


 何をやっているんだろう……自分は。

 あぁ、今すぐフランカの顔を見て、笑い飛ばしてもらいたい。そうしたらすぐにでも平常心になれるだろうに。ただフランカを長椅子で寝かせるわけにはいかないので、フランカには相変わらずパラメア妃に譲った部屋の隣の近侍の部屋にいてもらっているのだ。無論、武術をも嗜んでいて気配に敏感なフランカに、パラメア妃が勝手に部屋を抜け出て勝手な行動をとらせたりしないことを期待しての事でもある。


 だがしかし……しかし。


 そうバタバタと布団の上で(もだ)えていると、お隣からドン、ゴトンッという鈍い音と共に、小さな「いたっ」という可愛らしい叫び声が聞こえた。

 思わず飛び跳ねるように身を起こし、『どうしたの?』と声をかけそうになった言葉を慌てて喉の奥に閉じ込める。

 先程、リディアーヌの夜の仕度を手伝ったフランカが去って以来、リディアーヌの恰好は人前に出るには忍びない格好だ。自分で上着を羽織るくらいは出来るけれど、無駄に意識してしまっている今では何枚羽織ろうともマクシミリアンの顔を見られる気はしない。なのに声なんてかけてしまったところで、扉越しに会話をするのか? なんだ、その恥ずかしいシチュエーションは。無理だ。

 だから無駄に気を使って音を出さずに息をひそめていたのだけれど、黙っていればいるほどに、先程の『いたっ』の後が気になって仕方がない。まったく生活音がしなくなったが、どうなっているのだろうか。


「……あの……ミリム? 大丈夫?」


 ついに(こん)負けした。大丈夫だと一言聞けば、落ち着くだろうと。

 だというのに。


「っ、リディ、声は不味いッ。色々と不味い気分になる!」

「えー……」


 随分と静かだと思っていたら、どうやらリディアーヌよりも大変な心情に陥っていたようである。まず、昨夜クラウス卿が使ったベッドにドキドキしている、だなんて話ではないだろう。でもあちらも同じなのだと思えば、なんだか少し気が抜けた。


「おかしな話ね。私達、学生時代は特に気にせず、お互いの部屋を自分の部屋のように使っていたのに」

「侍女や侍従がいて、夕方には強制的に寮監に追い出されるカレッジの寮と一緒にしないでよ。それにあの頃だって、私のベッドでゴロゴロしている君をみて、まったく、どうしてやろうかと一晩中悶えたものだよ」

「私は貴方達がいつも私の部屋を勝手に物色するたびに机に色々なお土産を置いていくのをひそかな楽しみにしていたわ。ミリムは菓子が多かったわね」

「自分の痕跡を主張したかったんだよ。可愛い事してたよね」

「痕跡……」


 そんな意図だったとは思ってもみなかった。でも確かに、懸命に何を置いていくのか迷いながらポケットをひっくり返しているあの頃の幼いマクシミリアンを思い浮かべると、なんだか可愛いかもしれない。


「だからいつもお菓子の箱を複雑に積んだり、人形と並べて家の形にしたり、妙にこだわった並べ方で置いて行ったのかしら」

「あれは……なんか一度やったら止められなくなっちゃって」

「ミリムは時々、妙なところで凝り性を発揮するわよね」

「そういうリディこそ、変な自分ルールあるよね。そうやって並べた菓子は、まず絶対に左上から手にするんだ。好き嫌いに関係なく」

「え? 私、そんな癖があった?」

「自覚してなかったの?」


 話している内に、少し妙な緊張は収まって来た。声が遠いのが少しもどかしく、気持ちばかり肩のショールをかきよせながら、扉の前まで足を進める。


「それはおかしいわ。私、むしろいつも違う場所から物を取るよう心掛けているもの」

「うん。食堂で食事を選ぶ時。食べる順番。グラスを手に取る場所。複数あるものを選ぶ時、君にそういう規則性を見たことは無い。でも私達が何かを出した時は、必ず左上から取る」


 思ったよりも近い場所から声が帰ってくる。扉の向こう側はクラウス卿ががっちりとキャビネットか何かでふさいだはずだけれど、勘違いだっただろうか。


「それってつまり、私が貴方には昔から気を抜いていたって言いたいのかしら?」

「いや……そうだと嬉しいけれど。でも逆かな」

「……」


 少し物悲し気な声色に、言葉を無くしてしまった。くしくも、自分で自分に思い当たることがあったせいだ。

 王侯は他人に選択肢の習慣なんてものは悟らせたりしないよう教育される。それが毒や混ぜ物に対する一番最初の自衛だからだ。

 なのに彼らが何かを差し出した時は、いつも同じ場所から取っていたって? それはもはや、ただの無言の脅しだ。いつも必ず同じ場所から、同じ順番で物を取る。もしそれで何かが起きた時、一番最初に彼らを疑えるように。ここに何かあれば、私達はそれまでなのだという、友人を疑うが故の警戒心。


「あぁ……自分で自分が情けないわ。自ら友人と呼んでいた相手にそんな試すようなことをずっとしていただなんて。しかもほとんど無意識に。私、それほど(ゆが)んだ子供だったかしら?」


 さすがに幼い頃の自分の警戒心の強さにため息を吐いたが、マクシミリアンはそれを少しも茶化しはせず、怒りも、呆れも、慰めもせず、ただ、「どうして? 君はやるべき自衛をしただけだ」という肯定の言葉だけをくれた。

 確かに、本当にそんな慣習があったのだとしたら、最初は意図的だったはずだ。何しろ相手は実の父を死に追い詰めたクロイツェン七世の期待の孫と、クロイツェン推戴家門の後継者。警戒しないはずがない。

 なのに今やそんなこともすっかり忘れているのだから、一体三年間の学生生活で、私はどれほど彼らに(ほだ)されてしまったのだろうか。自分で自分に呆れてしまいそうだ。

 だが……そう。それだけ楽しかったのだ。どうしようもなく、その時間が愛おしかった。


「ねぇ、ミリム……それを聞いて、今ふと思い出したのだけれど。貴方が複雑に箱を組み合わせていると、大抵トゥーリがそれを叩いて崩したり、一つ二つ持って行ったり、したわよね?」

「……」

「それでなぜかふと私が手に取ったものが、私の一番好きなものだったりした気がするの」

「……はぁぁ。話題をしくじった。どうしてそこに気づいてしまうのかな」

「やっぱり。気のせいじゃないのね」


 ゴンと背中に触れる扉に振動が伝わった。そこにいるんだ。


「今更トゥーリに惚れ直されたりしたら困るんだけど」

「あら? 私はてっきり、トゥーリが一つ二つ持っていくのを想定して、一番いい場所に貴方が私の好きなものを置いてくれているのだと思ったのだけれど」

「うん、そう。それでいいよ。そうしよう」

「ふふっ」


 茶化すようなことを言っているけれど、その穏やかで揺らぎのない声を聞いていると、きっとこっちも間違いではないのだと思った。二人とも気が付いていて、二人して勝手に、いくつ余分なものを積むか、いくつ余分なものを持って行くかと遊んでいたのだろう。まったく、他人を使って勝手なことを。

 一体どれほど、常日頃からリディアーヌを気にかけてくれていたというのだろうか。


「あの頃の私達は、何ら君の事情は知らなかったけど。でもね……トゥーリはさ。なんか、察しがいいんだよ。そういうの。ぬくぬく育ったおぼっちゃまなはずなのにね。悔しいくらいに」

「……それは、貴方の経験談?」

「そう。初対面からなんか突然パーティーを抜け出す手伝いをさせられるという皇子様の横暴に付き合わされた上に、姉上の悪口を聞かされて久しぶりに声をあげて笑ってしまった私の、経験談だ」

「……」


 二人の出会いは七歳。クロイツェンで第二皇子テオブレーズの生誕祝いが行われ、その祝いという名目でザクセオン大公が長女を引率として送り込んだのだと聞いている。七王家と選帝侯家という関係にあって、同い年の同性の子供である。最初から両家の思惑の絡んだ“引き合わせ”であった。

 けれどその時の詳しい話を聞いたことは無かった。ただ何度かマクシミリアンが、『出会った頃は僕よりよほどトゥーリの方が奔放だったよ』などと言っていたのを聞いたことがあるくらいだろうか。


「トゥーリは……貴方を、救った?」

「ははっ。そんな大げさなものじゃないよ。救うというのなら君の方がよっぽど、それはもう、女神さまと拝みたいくらいに」

「そういう持ち上げ方は必要なくってよ」

「ただの本心だ」


 こ、こほんっ。本気だろうか?


「でも……まぁ、そうだなぁ。あの時、『まぁ仕方がないから友達ごっこくらいしてやるか』だなんてことくらいは思ったかな」

「なんでいきなり上から目線なのよ」


 あまりにも今のマクシミリアンからは想像できない(すさ)みっぷりに思わず突っ込んだけれど、しかしまぁ、そういうことなのだろう。

 そして今、どうして彼がそんな話をしているのかも分かっている。

 そしてどうして自分がこんな話に乗っているのかも。

 私達はちゃんと、分かっている。

 分厚い扉に温度は無い。けれどそこに背中を付けていれば、彼の体温が伝わってくるような気がした。

 少し暖かくて、少し甘く、少し苦い。しっかりと背中を預けたってきっとビクともしないだろうけれど、それでいて少し切ない……どうしようもない、行き場を失った虚しさ。それは今、私達の間に共通して存在しているものである。

 そして多分、少しの罪悪感も。


「……ミリム」

「ん」

「……私は、トゥーリが好きよ」

「……うん」

「きっと貴方も、そうよね」

「……あぁ」


 目を閉じると、デルフィン離宮で“見て見ぬふり”をしたその光景が頭をよぎって仕方がない。


「トゥーリは、皇帝になる事だけを期待されて、それで当たり前だと思われて、育てられたような皇子様よね」

「そうだね。きっと君と先帝の真実を知るまで、それを疑ったこともなかっただろうね」

「……皇帝になるのなら……国内の王位は、当然次男のテオブレーズ皇子が継ぐものとして、そういう育て方をされているはずよね」

「うん。でもリディ、それはいい。それは考えなくていい」

「……」

「何しろあのトゥーリだよ。そのくらいの事、自分であっけなくどうにでもするよ」


 そうだろうか。いや、そうだな。そうだろう。そんなことまで心配するのはお門違いだし、そんなことを言えば彼はひどく不機嫌な顔で、『お前は俺をそこまで見くびっているのか?』と怒るだろう。いや、それを言うなら、『最初から俺が負ける前提で妄想をするな』と怒る方が先だろうか。

 だがそれでも、考えないわけにはいかない。

 これはそういう、戦いなのだから。


「ミリム……」

「うん」

「……辛いわね」

「……」


 返事は無い。だが返事が無くても、伝わってきた。

 彼はすべてを捨てて、ここを選んでくれた。リディアーヌを、そしてヴァレンティンを選んでくれた。その覚悟はもう十分に分かったつもりでいたけれど、あるいはそれでもまだちっとも足りていなかったかもしれない。

 今、この扉の向こうで、彼はどんな顔をしているのだろうか。

 リディアーヌよりももずっと長い時間、彼のことを友人だと呼び、一緒にいた存在だ。その長い時間を裏切って、彼がカードにアルトゥール以外の名前を書く。その一文字一文字の重さは、一体どれほど重たくその背中にのしかかっていることだろうか。


 あぁ。少し気を紛らわせるだけだったはずなのに。

 思わず(よぎ)ぎった懐かしさという郷愁が、終わるまで考えないようにと必死に蓋をしていたところに隙間風となって吹き込んでしまった。

 私達が皆等しく、あの頃を愛おしく思っているがゆえに。


「扉を開けて、ミリム」

「……」

「……お願いよ、ミリム。今この瞬間、貴方の背を抱きしめてあげられない私が、私は情けなくて仕方がないわ」

「……」


 この分厚い扉がもどかしい。

 この手が届かないことがもどかしい。

 さっきまであれほど緊張していたのに、もうそんなものは微塵もない。

 中々開いてくれない扉の前に(たたず)みながら、やはり駄目なのだろうかと、扉に額を預けた。

 もしも今になって、マクシミリアンが郷愁に心を揺らし、やはりヴァレンティンに票は渡せないだなんて言ったとして……きっと私は咎めることは出来ないだろう。

 これがどんなに大事な選挙で、どれほど貴重な二票であるかわかっているけれど。でももしそう言われたとしても、怒りは微塵も浮かばない。


 そんな少しの諦めを抱いていたら、思いがけず、内扉ではない書斎側の扉がガチャリと開いた。

 びっくりとして顔を跳ね上げたリディアーヌが何かを言うよりも早く、長い足であっという間に距離を詰めてきたその人が、ぎゅうとリディアーヌを抱きすくめた。

 そんなにきつく抱きしめられたら、閉じ込められた腕が抜け出せない。抱きしめてあげられないじゃないか。


「……ミリム」

「クラウスめ。本当に、ビクともしないくらい扉を固めてくれたせいで、リディの元に駆けつけるのに余計な時間がかかったじゃないか」

「……」


 どうやら思っていた以上に、あの扉は頑丈だったようだ。でも書斎側から回ってくれば、問題は無かったようである。


「貴方に抱きしめられたくて名前を呼んだのではないわ。私が貴方を抱きしめたかったの。なのにこんなに強くされたら、腕も伸ばせないじゃない」

「うん。でもこれでいい。これでもう、十分なくらいに伝わってるから。あと、さすがにリディに抱き返されたら色々と不味いから、出来ればこのまま動かないで」

「……」


 ちょっと感傷的になった私が馬鹿みたいではないか?

 いや……でもきっと、そんなことはない。


「ミリム」

「……ん」

「トゥーリは、あの皇帝の孫だってことを差し引けば、結構いい男よね」

「……」

「ミリム?」

「……はぁぁ。悩む。すごく悩むけど……はぁ。まぁ、そうだね。色々と、“ワル”だけど」

「そういう所も含めて。私達、結構気が合っていたわよね」

「……それは否定できない」


 そう。そのせいで、あっというまに警戒心を無意識のレベルにまでとかされてしまうくらい。沢山の恨みも複雑な心もあったはずなのに、こんなにも(ほだ)されてしまうくらい。

 当たり前のように互いの部屋を行き来して、当たり前のように好みを知っていて、当たり前のように同じ旧懐を抱えている。そして当たり前のように……私達は、どちらからかが勝ち、どちらかが負ける関係である。


「ミリム……貴方が苦しまねばならないようなら、私は……」

「駄目、リディ。それ以上は言わないで」

「……」

「それ以上は望んでいないし、願ってもいない。そんなつもりは微塵もないし、すでに私は私の人生を選んだあとだから。そんな風に気を使われたくもないし、君にそんなことを言わせたくもない」

「……ええ」

「でも分かってる。君にそう言わせているのは、私なんだろうね」

「……」

「リディ、君は優しすぎるよ。他人を掌に転がして遊びたい女王様を気取っているけれど、でもそれでも私にとって君は、高笑いの下でいつもじっと何かに責められ、苦しんでいるように見えてならない。もしも私が揺らいでいるように見えたのなら、それは自分にじゃない。君への不安にだ」

「……私、は……」

「うん。君がトゥーリに票を投じることは無い。絶対に。でもリディ……」


 ゆるりと解けた腕に、その少しの隙間が、これまで見えなかったその人の表情を教えてくれた。少し悲しそうで、不安気で、でも痛ましそうな色の濃い、そんな顔だ。この暗闇の中にあって、色あせないその緑の瞳がいっそう深く感情を飲み込んでくるようだった。


「何もかも捨てて、心のままに楽になることがどれほど素晴らしいものなのか。私はもう、それを知ってしまったんだ」

「っ……」

「だから怖い。本当なら、全部忘れて捨ててしまって、自由になればいいと言うべきなんだ。でもその瞬間、君がトゥーリに取られてしまうんじゃないかって、(いま)だに怖い」

「……」


 クロイツェン七世に抱く恨みは深い。何もかもを壊してしまった、十五年前のすべてが憎い。だから考えたこともなかった。いや、考えなかった。考えてしまったら、取り返しがつかなくなる気がして、考えられなかった。

 もしも本当に、心からこの恨みを捨てられたのだとしたら。そしたら私は一体、何を選んでいただろうか。


「私は君が思ってくれているほど、優しい人間ではないよ」

「……ええ」

「だから私の友人への情を思ってくれている君に、酷い呪いをかけようと思うんだ」

「……」

「リディ、どうかその恨みを忘れないで。君の大切な人達を奪い、君の人生を狂わせたその人と、その国を。かつてクロイツェン七世に従った皆を許すことは私も許すから、そのかわり、トゥーリは許さないで」

「……トゥーリが悪いわけではないのに」

「うん。でも、お願い」


 これは嫉妬ではなく、恐怖というべきなのだろうか。確約が欲しいのだ。ともに罪を犯し、互いへの罪悪感を得ることで、絶対に裏切らないのだという保証が欲しい。

 それは少し残酷で、少し胸を(えぐ)ることで。なのにそんなことで安堵を感じてしまうのだから、やはり私達はよほど(ゆが)んだ育ち方をしたらしい。ひたすらに真っ直ぐ無遠慮に、私達の孤独を消し去ってくれた彼とは違って。


「トゥーリがとても気の毒だわ」

「いい気味だね。何しろトゥーリときたら二年前の夏に……」


 その夜、私達は沢山の昔話をした。

 大切な悪友の、傍若無人で大胆不敵なエピソードを片っ端から掘り返しながら、あれが酷かった、あっちの方が最低だったと、ひたすら悪口を囁き合った。

 途中、何故だか頬が湿(しめ)ることがあった気がしたけれど、それはシトシトと振り出した雨が窓から注ぎ込んでいるせいだろう。小さな窓は固く閉ざされていたけれど……でもきっとそうに違いない。だって私達は今、彼がどれほど酷い奴なのかについて話しているのだから。雨以外に頬が濡れる理由は無い。

 悪友の悪いエピソードは、どんなに語っても語りつくせないくらい大量なものだから、眠っている暇すらなかった。


「なんてこと。また私達の悪いトゥーリの悪いところが一つ増えたわよ」

「私達を寝かせてくれないなんて。相変わらず悪い皇子様だ」


 私達は沢山の言葉を尽くして、悪友がいかに悪友なのかを語り合った。

 愛おしさを、固く、固く、深い場所に封じ込めるために。

 夜が明け、日が射し、暗闇という郷愁が消え去るその時間まで。

 だからもう大丈夫。私は悪友の不幸に、ちゃんと微笑んで見せることができるはず。


 あぁ。早く……早くこの三日間が、終わってしまえばいいのに。






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