表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青燐荘の十三人目 ―海上の追悼施設で、生者が順番に裁かれる―  作者: 二条理|アコンプリス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/12

第十章 救助する側の死

 汐崎瑚子の映像は、止めても止まらなかった。

 配信自体は遮断された。二階堂壮也が汐崎のスマートフォンを証拠品として保全し、今西琴葉が施設側の回線状況を確認し、職員が青ざめた顔で通信管理室へ走った。

 けれど、いったん外へ流れた映像は、もう青燐荘の中だけのものではない。

 視聴者数は多くなかった。だが、録画された可能性がある。画面保存された可能性もある。誰かが短く切り取って、別の場所へ投稿するかもしれない。

 金色の影。

 倒れる汐崎。

 血のように見える赤。

 そして、二階堂に似た輪郭。

 映像のトリックは、その場である程度解けた。時計の反転。非常灯の位置。ガラスの反射。実際の殺害現場は食堂棟客席ではなく、配膳通路だったこと。影の金色は髪ではなく、非常用反射シートの光だったこと。

 それでも、外の人間は解説込みでは見ない。

 映像だけを見る。

 そして、人は分かりやすいものを信じる。

 真壁彰はラウンジの窓際に立ち、食堂棟のガラスに映る青燐荘の灯りを見ていた。

 あのガラスは、夜には鏡になる。

 映像は嘘をつかない。

 だが、人間は簡単に見間違える。

 汐崎は、その見間違いを利用されて殺された。

 いや、殺されたうえで、見せられた。

 彼女は事件を外へ見せようとしていた。犯人はそれを逆手に取り、彼女自身を見世物にした。

 谷本は設備点検の動作で死んだ。

 吉住は報告書の資料を追って死んだ。

 黒崎はボート架台を確認して死んだ。

 生見は無線と記録を追って死んだ。

 白川は低温保管庫で父の資料を追って死んだ。

 汐崎は配信で死んだ。

 死者は、それぞれの役割の中で殺されている。

 犯人は人間を見ていない。

 役を見ている。

 真壁は、そのことに強い嫌悪を覚えていた。

「外、どうなると思う?」

 二階堂が隣に来た。

 いつもなら少し整えすぎなくらいの髪が、今は風と湿気で乱れている。だが、服の襟だけは直してあった。二階堂は弱った時ほど、見た目を整える。崩れないための方法なのだろう。

「映像のことか」

「うん」

「お前がやったと思う奴は出る」

「だろうな」

「でも、ここでは違うと分かってる」

「ここではね」

 二階堂は窓に映った自分の顔を見た。

 食堂棟のガラスとは違う。ラウンジの窓は、室内の灯りを淡く返す。そこに映る二階堂の顔は、いつもより少し疲れていた。

「映像って、本当に厄介だな」

「お前の専門だろ」

「専門だから言ってる。人は文章なら疑うんだよ。誰が書いたんだ、何を隠したんだ、どう言い換えたんだって。でも映像は、一瞬で“見た”になる。見たものは、人の中で事実になる」

「今回もそれを狙った」

「俺を犯人に見せるために?」

「それもある」

「それだけじゃない?」

 真壁は頷いた。

「犯人は、順番を外へ取られたくなかった。汐崎さんが配信しようとしたから殺した。だが、ただ止めるだけならスマホを壊せばいい」

 二階堂が目を細める。

「殺して、映像を残した」

「ああ」

「事件の見え方を取り戻したかった」

「そういうことだ」

 二階堂は短く息を吐いた。

「記録の主導権か」

 真壁は、ラウンジの奥にいる安西実結を見た。

 安西は記録係の席で、汐崎事件後の記録を整理している。ペンの動きは静かで、姿勢も崩れない。だが、時折、記録用紙の上に視線を落としたまま動かなくなる。

 そのたびに、二階堂の目が彼女へ向く。

「安西さんを見てるな」

「そりゃ見るよ」

 二階堂は軽く言った。

「汐崎さんの配信前動画に、記録係の腕章が映ってた。しかも“あなた、十三人目の関係者なんですね”って言われてる。本人か、誰かが安西さんに見せかけたか。どっちにしても、見ない理由がない」

「本人なら分かりやすすぎる」

「分かりやすく見せるために腕章を映した、とも言える」

「犯人が安西さんを嵌めようとしてる可能性もある」

「あるね」

 二階堂は頷いた。

「でも、安西さんは記録しすぎる。で、記録しなさすぎる」

 真壁は彼を見る。

「どういう意味だ」

「谷本さんの無線応答記録は細かい。吉住さんの資料室へ向かった時刻も細かい。汐崎さんが席を離れた時刻も細かい。なのに、資料室の復旧時刻や、自分が落とした紙のことや、名札が見つかった前後の動きになると、急に“見ていない”が増える」

「記録係は、記録しないものを選べる」

「そう。記録係は、いちばん目立たずに順番を支配できる」

 その言葉は、真壁の中に残った。

 記録する順番。

 発見する順番。

 発表する順番。

 救助する順番。

 殺す順番。

 青燐荘では、すべてが順番でできている。

 そして順番を握る者は、事件を握る。

 だが、真壁の中にはもう一つ、別の違和感があった。

「生見さんの死だけ、違う」

 二階堂がこちらを見る。

「やっぱり?」

「ああ」

「俺も思ってた」

 真壁はラウンジの端にいる笠木浩明を見た。

 元海上保安官の男は、窓際の椅子に座っていた。背筋は伸びているが、肩に疲労が滲んでいる。浜島莉子から視線を向けられても、反応しない。高柳真治と目が合うことも避けている。

 生見彩音が死ぬ前、彼女は笠木に問いかけていた。

 無線が届かなかったのではなく、届かない場所を知っていたのではないか、と。

 その直後、生見は無線室で死んだ。

 声の届かない部屋で。

 それは見立てとしては成立している。だが、他の事件より少しだけ荒い。

 谷本、吉住、黒崎、白川、汐崎。

 それらの死は、犯人が長く準備し、青燐荘そのものを使い、見せ方まで整えていた。

 しかし生見の死は、どこか急いでいる。

 彼女が何かに近づいたから、口を塞がれた。

 そんな温度があった。

「笠木さんは生見さんを殺した可能性がある」

 二階堂は言った。

「ただし、それが全体の犯人とは限らない」

「便乗か」

「うん」

 二階堂は、汐崎の映像記録を閉じた。

「連続殺人に便乗して、自分に不利な相手だけ消した。もしそうなら、犯人はそれをどうすると思う?」

 真壁は窓の外を見た。

 黒い海。

 揺れる橋。

 青燐荘の灯り。

「許さないだろうな」

「だよね」

「順番を乱されたから」

 二階堂は頷いた。

 犯人は順番に執着している。

 なら、便乗犯は最も許しがたい存在かもしれない。

 自分が作った見立てに、別の殺意を混ぜられたのだから。

 その時、九条雅紀が近づいてきた。

「生見さんの爪の金属粉、少し分かった」

「何だ」

「発電機室の旧式切替弁に使われている合金の粉と似ている。まだ断定はできない。でも、無線室の一般的な壁金具とは違う」

「切替弁に触った?」

「触ろうとしたか、触った人間と接触したか」

「笠木さんは切替弁の場所を知っていた」

「たぶん」

 九条は笠木の方を見た。

「旧設備を知る人間じゃないと、あの短時間では難しい」

 鳳恭介も合流した。

 手には、発電機室と無線室の換気系統図がある。

「切替弁を確認しました。操作痕があります」

「誰の指紋だ」

「簡易確認では、笠木さんのものらしき指紋が残っています。ただ、彼は現場確認で触れた可能性を主張できるでしょう」

「いつ触ったと言うか」

「そこが問題です」

 鳳は図面をテーブルに置いた。

「この切替弁は、現職員でもあまり触りません。自動制御のバックアップで、旧設備を知っている人間でなければ、場所も操作法も分かりにくい。笠木さんは、海上保安官時代に類似設備を扱ったと言っていました」

「笠木さん以外は?」

「谷本さんなら分かったでしょう。しかし亡くなっています。今西さんは図面上の位置は知っていても、実操作には不慣れなはずです。高柳さんは資料で知っていた可能性はありますが、実際に操作できたかは疑問です」

 二階堂が言う。

「安西さんは?」

 鳳は少し考えた。

「記録係として施設内を回っていたなら、位置を知る機会はあるかもしれません。ただ、短時間で排気を逆流させる操作は、慣れが必要です」

「じゃあ、生見事件だけは笠木さんが濃い」

 真壁は頷いた。

「話を聞く」

 笠木浩明は、呼ばれても驚かなかった。

 むしろ、待っていたように見えた。

 彼はラウンジの隅の椅子から立ち上がり、真壁たちのいるテーブルへ来た。元海上保安官らしい無駄のない動きだった。年齢は重ねているが、姿勢は崩れない。海で働いてきた人間の身体には、陸とは違う芯が残るのだろう。

「笠木さん」

 真壁は言った。

「生見彩音さんの死について聞きたい」

「何度も話した」

「まだ足りない」

「何を聞く」

「生見さんは、あなたが無線の届かない場所を知っていたと言った。その直後に死んだ」

 笠木は真壁を見た。

「俺が殺したと言いたいのか」

「可能性を聞いている」

「殺していない」

「発電機室の切替弁に、あなたの指紋が残っている可能性がある」

 笠木の顔は変わらなかった。

「現場確認で触った」

「いつ」

「生見さんが倒れた後だ。換気系統を確認した」

「その前には」

「触っていない」

 九条が静かに言った。

「生見さんの爪に、同じ系統の金属粉があった」

「俺とは関係ない」

「彼女は死ぬ前に切替弁に触ろうとした可能性がある。そこにあなたがいたなら、説明が必要だ」

 笠木は九条を見た。

「法医学者は、何でも分かるんだな」

「何でもは分からない。死体に残ったことだけだ」

「じゃあ、生きている人間のことは分からない」

「生きている人間のほうが、死体より雑に証拠を残す」

 九条の言葉に、笠木はわずかに顔をしかめた。

 二階堂が録音機を出した。

「生見さんの録音です。もう一度聞きますか」

 笠木は答えない。

 二階堂は再生した。

「笠木さん。あなたは、無線が届かなかったんじゃなく、届かない場所を知っていたんですね」

 そこでノイズ。

 ラウンジは静かだった。

 浜島莉子も、高柳真治も、今西琴葉も、安西実結も、江口も、皆が耳を澄ませている。

 笠木は目を伏せた。

「知っていたのは、後からだ」

「いつ後からですか」

 二階堂が聞く。

「事故の夜が終わった後だ。報告をまとめる時に、無線ログの食い違いが出た。ここの構造に問題があったんじゃないかという話は出た」

「報告書には?」

「載らなかった」

「なぜ」

「分からない」

 二階堂の目が冷える。

「また“分からない”ですか」

 笠木の声が低くなる。

「俺は報告書を書く側じゃない」

「でも現場にいた」

「ああ」

「現場にいた人間が、届かない場所があった可能性を知って、それを残さなかった」

「残せる立場じゃなかった」

「便利ですね、立場って」

 笠木の拳が強く握られた。

「若いな」

 二階堂は笑った。

「便利な言い返しですね」

 笠木は二階堂を睨んだ。

「現場にいた人間には、現場にいた人間の限界がある」

「それは分かります」

 二階堂は即答した。

「でも、その限界を十八年後まで言い訳として使うなら、もう現場の話じゃない」

 笠木は黙った。

 その沈黙に、浜島莉子が耐えられなくなった。

「兄は、声を出しましたか」

 笠木が彼女を見る。

「何?」

「兄は、助けを呼びましたか。届かなかったんですか。誰か聞いていたんですか」

「分からない」

「あなたは、何なら分かるんですか」

 莉子の声は震えていた。

 怒りだけではない。

 ずっと聞きたかったことを、ようやく言葉にしている声だった。

「十八年、ずっと“現場は混乱していた”と聞かされてきました。でも、その混乱の中で、兄はただ黙って死んだんですか。声もなく、名前もなく、順番だけ変えられて」

 笠木は答えなかった。

 江口が扉のそばで、静かに言った。

「答えられないなら、答えられないって言った方がいいですよ」

 笠木は江口を見る。

「部外者が」

「はい。部外者です。教師です。死んだ人のことも、海のことも、事故のことも、あなたほど知りません」

 江口は、珍しく自虐を入れなかった。

「でも、生徒には言います。分からないことを、分かるふりするな。間違えたなら、隠す前に言えって」

 笠木は顔を背けた。

 その瞬間だった。

 館内放送に、短いノイズが入った。

 全員が顔を上げる。

 青燐荘では、これまで館内放送は今西や職員が使っていた。だが、その音は違った。電源が不安定なのか、古い機器のように音が割れている。

 ざらついた無音。

 次に、低い機械音のような声。

「救助訓練区画を確認してください」

 それだけだった。

 誰も動かなかった。

 今西が青ざめる。

「誰が放送を」

 職員が機器室へ走ろうとする。

 真壁が止めた。

「待て。全員、動くな」

 だが、笠木が動いた。

 反射的だった。

 放送の内容を聞いた瞬間、彼の身体は救助訓練区画の方向へ向いた。考える前に足が出た。

 真壁はそれを見た。

「笠木さん!」

 笠木は止まらなかった。

「そこは職員でも詳しくない。俺が見る」

「一人で行くな!」

 笠木はラウンジを出た。

 真壁が追う。

 九条、鳳、二階堂も続いた。

 江口は生徒の部屋の扉を押さえたまま叫ぶ。

「僕は残ります!」

「ああ!」

 真壁は走りながら、嫌な感覚を覚えていた。

 笠木は逃げているのか。

 誘い出されたのか。

 それとも、救助する側の人間として、身体が勝手に動いたのか。

 どれでも危ない。

 救助訓練区画は、管理棟から少し離れた設備棟寄りにあった。

 防災学習用の施設の一部で、海難救助の基礎を学ぶための訓練スペースだという。普段は来館者向けに、ロープワーク、救命胴衣、簡易担架、ハーネスを使った避難補助の説明などを行う。

 青燐荘らしい場所だった。

 事故を教訓にした施設。

 助ける方法を学ぶ場所。

 その場所へ、笠木は走っている。

 真壁は追いつこうとしたが、途中の可動橋で足を止められた。

 橋のロックが作動している。

 普段なら開いているはずの小さな連絡橋が、赤いランプを点けて閉まっていた。潮位上昇時に自動封鎖される構造だろう。だが、このタイミングで閉まるのは不自然だった。

「鳳さん!」

 鳳が制御盤を見る。

「手動解除できます。ただ、少し時間が」

「どれくらい」

「一分」

「長い」

 二階堂が周囲を見る。

「迂回路は?」

「機械設備棟側から回れます。ただし遠い」

「真壁、俺は迂回する」

「一人で行くな」

「九条と行く」

 九条が頷いた。

「行く」

 真壁は一瞬迷った。

 だが、時間がない。

「分かれろ。鳳さんは解除。俺はここから。二階堂、九条、迂回」

 二階堂と九条が走る。

 真壁は橋の前で鳳の作業を見守った。

 金属音。

 制御盤の蓋が開く。

 鳳の指が動く。

 赤いランプが点滅する。

 一分。

 本当に一分だったのだろう。

 だが、真壁には異様に長く感じた。

 ようやくロックが外れた。

 橋が通行可能になる。

 真壁は走った。

 救助訓練区画の扉は開いていた。

 中は薄暗い。

 非常灯だけがついている。

 壁には救命胴衣、ロープ、カラビナ、ハーネス、滑車、簡易担架が整然と掛けられていた。中央には訓練用の支柱と、天井から吊られたロープ設備がある。

 その中央で、笠木浩明が宙に浮いていた。

 最初、真壁は理解できなかった。

 笠木は救助用ハーネスを装着している。身体は宙に吊られている。足先は床からわずかに離れている。首にはロープがかかっている。

 本来なら身体を支えるはずのハーネスが、彼を助けていない。

 逆に、体重が首へかかっている。

「笠木さん!」

 真壁は駆け寄る。

 笠木の顔は鬱血していた。

 まだ完全に力が抜けていない。

 真壁はロープに手をかける。

 だが、構造が複雑だった。救助訓練用の滑車と支点、ハーネスのベルト、首にかかったロープが絡むように組まれている。単純に切れば、笠木の身体が落ちる。首や脊椎をさらに損傷する可能性がある。

「九条!」

 別の入口から二階堂と九条が飛び込んできた。

 九条が瞬時に状況を見た。

「体を支えて。首の荷重を抜く」

 二階堂がロープを持つ。

 真壁は笠木の腰を支え、体重を持ち上げる。

 鳳が遅れて入ってきて、ロープの支点を見た。

「ここを緩めます。真壁さん、そのまま」

「早く」

 鳳が滑車のロックを外す。

 ロープが少し緩む。

 九条が笠木の首元へ手を入れ、気道を確保しようとする。

「下ろす」

 ゆっくり。

 慎重に。

 笠木の身体を床へ下ろす。

 九条がすぐに確認した。

 呼吸。

 脈。

 瞳孔。

 その手が止まる。

「心停止」

「やれ」

 真壁が言う。

 九条はすでに胸骨圧迫を始めていた。

 二階堂が救急バッグを開ける。

 真壁は笠木の頭を支えながら、床に膝をつく。

 救助訓練区画。

 助けるための道具に囲まれた場所。

 その中央で、元海上保安官が死にかけている。

 いや、もう死んでいるのかもしれない。

 九条の手は止まらなかった。

 一分。

 二分。

 三分。

 時間が削られていく。

 やがて、九条は静かに手を止めた。

「死亡確認」

 誰もすぐには喋らなかった。

 救助する側だった男が、救助装置で死んだ。

 あまりにも明確な見立てだった。

 真壁は床に座り込んだまま、笠木の顔を見た。

 さっきまで問い詰めていた男が、もう答えない。

 また一人、証言できる人間が死んだ。

 九条が首の圧痕を確認する。

「自殺には見えない」

「そうだろうな」

 真壁はロープを見た。

「何が起きた」

 鳳が設備を調べる。

「ロープの通し方が、一箇所だけ逆です」

「逆?」

「本来、このハーネスは体重を腰と腿に分散します。落下時、首に荷重がかからない。ですが、ここでロープが首側へ導かれている。支点も一つずらされている」

「つまり」

 二階堂が言う。

「助けるための装置が、助けない向きに組まれていた」

 鳳は頷く。

「はい。知っている人間ほど騙される組み方です」

「笠木さんは知っていた」

「ええ。だから、自分で装着した可能性があります。逃走のためか、確認のためか、あるいは誰かを助けるつもりだったのか。彼は自分の知識を信じて、この装置に身を預けた」

「そして首を絞められた」

「そうです」

 真壁は笠木の手元を見た。

 右手に紙が握られている。

 濡れてはいない。だが、強く握られて皺になっていた。

 真壁は慎重に取り出した。

 救助順表のコピーだった。

 十二人分の名前が並んでいる。

 その欄外に、手書きの文字。

 十三 対象外。

 さらに別の筆跡で、短くこう書かれていた。

 ――助ける側も、選んだ。

 二階堂がその文字を見て、顔をしかめた。

「犯人からのメッセージか」

「かもしれない」

 真壁は紙を見つめた。

 笠木は助ける側だった。

 だが、十八年前、誰かを助けない選択に従った。

 それを犯人は裁いた。

 あるいは。

「笠木さんは、生見さんを殺した」

 真壁が言うと、二階堂も九条も鳳も顔を上げた。

「断定ですか」

 鳳が問う。

「まだ仮だ」

 真壁は笠木の遺体を見た。

「だが、生見さんの死だけ温度が違う。無線室の切替弁、笠木さんの知識、録音、金属粉。笠木さんは生見さんに追い詰められていた。連続殺人に紛れ込ませれば、自分の犯行を隠せる」

 二階堂が低く言う。

「でも、真犯人はそれを許さなかった」

「そうだ」

「順番を乱されたから」

 九条が笠木の首元を見ていた。

「笠木さんの死は、他の見立てに戻ってる。整いすぎてる」

「生見さんの死は、急いでいた」

「うん」

 九条は短く頷いた。

「殺し方に違う温度が残る。生見さんは、秘密を塞ぐ殺し方。笠木さんは、意味を見せる殺し方」

 真壁はその言葉を聞き、笠木の遺体から目を離した。

 意味を見せる殺し方。

 犯人は、笠木をただ殺したのではない。

 便乗犯として処刑した。

 助ける側だった者として、救助装置で殺した。

 そして、紙を握らせた。

 助ける側も、選んだ。

 そこには、犯人の怒りがあった。

 救助する側への怒り。

 選んだ側への怒り。

 順番を乱した者への怒り。

 ラウンジへ笠木の死が伝えられると、浜島莉子は崩れるように椅子へ座った。

 泣かなかった。

 怒鳴りもしなかった。

 ただ、唇を震わせていた。

「笠木さんは……兄を助けなかったんですか」

 誰も答えられなかった。

 笠木が生きていれば、答えたかもしれない。

 だが、もう答えない。

 高柳真治は、救助順表のコピーを見て青ざめた。

「父の資料には、こんな文字はありませんでした」

「どの文字だ」

 真壁が訊く。

「“助ける側も、選んだ”……これは、僕の知らない筆跡です。十三対象外の欄外は見たことがあります。でも、この言葉はない」

「つまり、誰かが後から書き足した」

「はい」

 今西琴葉は、両手を膝の上で握っていた。

「笠木さんは、十八年前の現場を知っていました。でも、すべてを話す前に」

 二階堂が言った。

「話す前に死ぬ人間が多すぎる」

 その声は冷たかった。

「犯人は、証言を消しているようで、実は死体で証言させている」

 江口が生徒の部屋の前から言った。

「ひどい授業ですね」

 全員が彼を見る。

 江口は疲れた顔で続けた。

「先生が質問する前に、生徒を立たせて、答えを貼りつけてるみたいです。君はこういう役です。君はこういう間違いをしました。だからみんなの前で罰を受けなさいって」

 彼の声には、嫌悪が滲んでいた。

「そんなものは教育じゃない。公開処刑です」

 誰も言い返せなかった。

 真壁は、江口の言葉を聞きながら、犯人の姿を少しずつ掴みかけていた。

 犯人は、罰している。

 だが、ただの復讐ではない。

 役を与え、順番に並べ、全員に見せている。

 それは、追悼会ではなく、授業でもなく、裁判でもない。

 死者を使った展示だ。

 青燐荘が十八年間やってきたことと、よく似ている。

 十二人の死を、美しく整えた展示。

 その裏から、十三人目の名前が出てきた。

 犯人は、そのやり方をなぞっている。

 表へ出されなかった名前のために、今度は他人の死を表へ並べている。

 真壁は、安西実結を見た。

 彼女は笠木の死を記録している。

 ペンは止まらない。

 しかし、笠木の名前を書いた後、少しだけ間があった。

 そして、その下に何かを書いた。

 真壁は近づいた。

「何を書いた」

 安西は顔を上げる。

「事件記録です」

「見せろ」

 彼女は記録用紙を差し出した。

 そこには、こう書かれていた。

 笠木浩明 救助訓練区画にて死亡。

 その下に、小さく。

 助ける側だった者。

 真壁は、その文字を見た。

「なぜそう書いた」

 安西は静かに答えた。

「皆さんが、そう話していましたので」

「まだ誰も正式にはそう言っていない」

「すみません。消します」

「消すな」

 二階堂が言った。

 安西の手が止まる。

 二階堂は、安西を見ていた。

「そのまま残してください。あなたが、そう読んだという記録です」

 安西は二階堂を見返す。

 目が静かだった。

 その静けさの奥に、何かがある。

 怒りか。

 悲しみか。

 あるいは、もっと深い空洞か。

 真壁はまだ断定しない。

 だが、二階堂はもう、安西の言葉の置き方を読んでいる。

 九条が、真壁のそばに来た。

「笠木さんの手首に、古い傷があった」

「傷?」

「十八年以上前のものかもしれない。ロープか金具で擦った痕。救助作業の時のものだろうな」

「それが?」

「人を助けようとした身体の痕はある」

 真壁は九条を見る。

「庇ってるのか」

「違う」

 九条は笠木の遺体が運ばれた方向を見た。

「人は、助けた痕と、助けなかった痕を同じ身体に残す」

 その言葉は、青燐荘の空気に重く落ちた。

 笠木は、救助する側だった。

 誰かを助けたこともあるだろう。

 誰かを助けられなかったこともあるだろう。

 そして十八年前、彼は何かを選んだ。

 あるいは、選ばされた。

 その選択のすべてを聞く前に、彼は死んだ。

 外では、海がまだ荒れている。

 管理棟の灯りが、窓に映る。

 ラウンジの中には、残された者たちがいる。

 浜島莉子。

 高柳真治。

 今西琴葉。

 安西実結。

 江口桜次郎と生徒たち。

 真壁、二階堂、九条、鳳。

 死者は増えた。

 谷本。

 吉住。

 黒崎。

 生見。

 白川。

 汐崎。

 笠木。

 七人。

 浜島莉子の未遂を含めれば、八つの標的。

 犯人が求める数字へ、近づいている。

 真壁は、救助順表のコピーを見た。

 十三 対象外。

 助ける側も、選んだ。

 その文字の向こうに、まだ名前のない誰かがいる。

 安西瑠衣。

 死者ではない者。

 死者として扱われなかった者。

 そして、その名を取り戻そうとしている誰か。

 真壁は窓の外を見た。

 青燐荘の連絡橋が、海の上に白く伸びている。

 橋は、人を渡すためにある。

 ボートは、人を逃がすためにある。

 無線は、声を届けるためにある。

 ハーネスは、人を助けるためにある。

 そのすべてが、この場所では人を殺す道具に変わっていた。

 なら次は、何が変えられる。

 真壁はまだ、その答えを知らなかった。

 ただ、犯人が最後に狙うのは、もう一人の「選んだ側」だと感じていた。

 今西琴葉。

 青燐荘の現在の責任者。

 そして、十八年前に何かを隠した父の娘。

 彼女はまだ、十三人目の椅子に座らされていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ