第9話「封印に、触れる」
女性の名前はエリア・ゾン。王国の魔導師。専門は「封印解析」だった。
皮肉な話だ。
「封印を調べに第七迷宮に来たんです。グレン査察官の依頼で」
「グレンの依頼?」
「はい。あなたが送った報告書を見て、封印の専門家を派遣したいと言っていました。ただ連絡が遅れて——私が先に動いてしまいました」
エリアが少し恥ずかしそうに言った。
「一人で調査しようとしたのか」
「上司に止められていたんですが」
「なぜ一人で」
「早い方がいいと思って」
俺は何も言わなかった。判断を責める気はない。ただ——
「次は言ってくれ。事前に言えば、ゴブに案内を頼めた」
「魔物に案内を頼む門番が、どこにいますか」
「ここにいる」
エリアがじっと俺を見た。それから小さく笑った。
「確かに」
エリアには帰ってもらう前に、一つ頼んだ。
「23層の封印について、あなたが知っていることを全部教えてほしい。代わりに——」
「代わりに?」
「前室から封印の状態を観察させる。私のスキルのログも共有する」
エリアが目を輝かせた。
「見せてもらえるんですか、内部のデータ」
「ただし前室から出ない。ヴァルの案内は付ける」
「ヴァルというのは、さっきの——」
「シャーマンのゴブリンだ。信頼できる」
エリアから聞いた内容は、ヴァルの話と重なる部分と、違う部分があった。
「『支配の霧』は古代魔法の一種です。自律拡散型の精神支配魔法。封印したのは建国前——四百年以上前の話です」
「なぜ封印したのか」
「記録が断片的です。ただ一つわかるのは——封印を維持するには、定期的に外部から魔力を補給する必要があった」
「補給を止めたから弱まっているのか」
「おそらくは。補給の担い手がいなくなった。あるいは、誰かが意図的に止めた」
誰かが意図的に。
「それがわかれば——」
「わかりません。記録が消えています」
エリアが続けた。
「ただ、補給の方法は資料に残っていました。『外からの意思の力』が必要だと」
「意思の力」
「魔力ではなく、意思。具体的には——交渉の成立した記録が、封印への補給になる、と」
俺はスキルを見た。
【迷宮管理 Lv.2(経験値:89/100)】
「……交渉の成立が、経験値になっている」
「何か思い当たることがあるんですか」
「スキルの経験値が交渉成立で上がる。ずっと疑問だったがそういう設計か」
エリアが俺を見た。
「あなたのスキルは、封印の補給システムと連動している可能性があります」
「俺が交渉するたびに、封印が強くなる?」
「単純にそうとは言えません。ただ、Lv.3になれば封印に直接アクセスできるかもしれない」
夜、俺は考えた。
つまり——この前哨基地に「調停者」がいた古い時代、封印は維持されていた。
調停者がいなくなった三ヶ月で、封印が急激に弱まった。
俺が来てからの一ヶ月、低下速度がわずかに緩んでいる。スキルのログを見ると、明らかだ。
俺が交渉を重ねるごとに、封印に力が入っている。
ならば。
「もっと大きな交渉が必要だ」
俺は呟いた。
今まで小さな交渉を積み重ねてきた。でも封印の低下速度を見ると、それだけでは間に合わない。
Lv.3を解放する。そのために最大の交渉を一つ成立させる。
相手は——
翌朝、俺はゴブとヴァルを呼んだ。エリアも同席させた。
「提案がある」
三人が俺を見た。
「王国と、迷宮の民の間で、正式な協定を結びたい」
沈黙。
「協定、とは」
「相互不侵略。迷宮の民は外に出ない。王国は迷宮内に軍を送らない。素材の交易は正式なルートで行う。そして23層の封印を共同で維持する」
「……そんなことが可能か」
「グレンがいる。エリアがいる。ヴァルとゴブがいる。俺がいる。今この瞬間だけが、これを成立させられる条件が揃っている」
「王国全体が承認するか」
「しないかもしれない。だが代表者が署名すれば、それが土台になる。上に積み上げていける」
ヴァルが長い沈黙の後、言った。
「……下層の代表として、俺が署名できる。上層は別だ」
「今は下層だけでいい。上層は次の段階だ」
「グレン査察官は」
「説得する。それが俺の仕事だ」
三日後、グレンが来た。
事情を全て話した。封印のこと。エリアのこと。スキルのLv.3のこと。そして提案。
グレンは一時間黙っていた。
それから言った。
「……私の権限で署名できる限界がある。王国軍の不侵略は約束できない。ただ」
「ただ?」
「この前哨基地の防衛を、正式に王国の任務として認定する。調停者として、お前を公式に任命する。それなら私の権限でできる」
俺は少し考えた。
「十分です」
「本当にいいのか。王国の公式任命なら報酬も出るが、縛りも増える」
「縛りが増えても、できることが増える方が重要です」
グレンがため息をついた。
「……お前、本当に十七歳か」
「多分そうです」
「多分、とはなんだ」
夕方、グレンとヴァルが同じテーブルに座った。
人間の査察官と、ゴブリンのシャーマン。
俺が文書を読み上げた。
「第七迷宮前哨基地における、王国代表と迷宮民代表の相互確認書——」
読み終えて、グレンが署名した。ヴァルが迷宮語で署名した。
俺が調停者として証人署名した。
それだけだった。大げさな儀式もない。拍手もない。
でもスキルが、静かに光った。
【迷宮管理 Lv.2→Lv.3 解放】
【新機能:封印接続 ——「23層封印への直接アクセス」が可能になりました】
俺は画面を閉じた。
ゴブが隣で言った。
「……何かあったか」
「スキルが上がった」
「何ができるようになった」
「封印に触れられる」
ゴブが少し間を置いてから、言った。
「……それで、霧を止められるのか」
「試す。ただし」
「ただし?」
「一人ではやらない。みんなに見ていてほしい」
◆ 次話「第10話:調停者の仕事」(第一章クライマックス)




