第84話「ヴォルトの事情」
主が、名前を教えてくれた。
「呼ぶなら——ヴォルト、と呼べ。この世界の言語に変換すると、そうなる」
「ヴォルト」
「そうだ」
「では俺のことはレンと呼んでくれ」
「レン——「聞く者」か」
「俺の名前はアシダ・レンだが、「レン」という音に「聞く者」という意味があるのか」
「この世界の言語では違う。ただ——俺の言語では、近い音が「聞く者」を意味する」
「偶然か」
「偶然だ。だが——偶然ではない気もする」
ヴォルトが話し始めた。
翻訳精度は五十三パーセント。言葉として届く部分と、概念として届く部分が混在した。俺は受け取ったものを、できるだけ正確に理解しようとした。
「私が来た世界は——ここと違う。法則が違う。時間の流れ方も違う。ここで言う「石」は、あちらでは違う意味を持つ。だから「帰れる場所」と言うのも、正確ではない」
「どういう意味か」
「「場所」という概念が——あちらでは違う。あちらには「場所」がない。存在が重なっている。何もかもが——共にある」
「何もかもが共にある、というのは」
「一人ではない。孤独がない、と言えば近いかもしれない」
「それが——なくなったのか」
「なくなった、というより——ここに来たことで、私は「一人」になった。あちらにいたときは「一人」という概念がなかった。ここに来て初めて、一人という状態を知った」
俺はその言葉を受け取った。
「一人というのが、こんなに重いとは——知らなかった」
「上に行こうとしたのは」と俺は聞いた。
「上に行こうとしていた、というのは——違う」
「どういう意味だ。迷宮の知性体たちが「アレが上に来た」と言っていた」
「動いたのは事実だ。ただ——上に行こうとしたのではない。あなたたちを探していた」
「俺たちを、というのは人間のことか」
「人間ではない。「聞ける者」を探していた。ここの知性体たちと話せたが——俺のことを怖れた。「外から来た」というだけで」
「そして封印された」
「そうだ。封印された後も、探していた。「聞ける者」が来ないかどうか」
「三百年以上」
「この世界の時間で言えば、そうだ」
「じゃあ本当の脅威は、ヴォルトではないのか」
俺はその問いを、慎重に出した。
「俺たちは「アレ」が脅威だと思っていた。でも、ヴォルトが脅威ではないとすると——」
「封印が弱まって困るのは——封印を守っていた者たちの方だ」
「封印を守っていた知性体たちが——ヴォルトから逃げていたのではなく」
「俺が移動するたびに、封印を維持する手が足りなくなった。俺は「聞ける者」を探して動き回っていた。それが——結果として、封印を弱めていた」
俺は「なるほど」と思った。
「ヴォルトが移動するほど、封印が弱まる」
「そうだ。私は——何もわかっていなかった。自分が何をしているかが」
「今は、わかっているのか」
「あなたが聞いてくれて——初めてわかった」




