第72話「カイルが行く」
カイルは翌朝出発した。
荷物は少なかった。武器は剣が一本。それと、俺が渡した手書きのメモが一枚。
「何これ」とカイルは言った。
「ナハトと話すときに使えそうなことだ」
「交渉マニュアルか」
「違う。「入ってから言ってはいけないこと」のリストだ」
カイルがメモを読んだ。
「「怒鳴らない」「逃げない」「答えを急かさない」「黙っていることを怖がらない」」
「そうだ」
「これだけか」
「それだけだ。あとは聞けばわかる」
「何を聞くんだ」
「ナハトが何を求めているかを聞く。最初は「なぜ人間に来てほしいと言ったか」だけ聞けばいい」
「それだけ?」
「それだけでいい。最初の一問を正確に聞けた人間が、交渉をうまくやった人間だ」
カイルがメモをポケットに入れた。
「失敗したら笑えって言ってたよな」
「言った」
「笑いには来ない」
「そうだな。通信を入れてくれ」
「わかった」
カイルが馬で去った後、ゴブが隣に来た。
「大丈夫か、あいつ」
「わからない」
「わからないのに行かせたのか」
「行くかどうかは、カイルが決めた」
「そうだな」とゴブは言った。「俺が扉をノックしたのも、俺が決めたし」
「そうだ」
「アシダには、どう見える」
「カイルが?」
「うん」
「聞く準備ができ始めている、という感じだ。まだ途中だが」
「途中、か」
「途中でいい。途中の状態でナハトと話したことが、次につながる」
ゴブが少し考えてから言った。
「俺も、最初はそうだったのか」
「お前は最初から、ちゃんと聞いていた」
「そうか?」
「お前が俺の扉をノックしてきたとき、「助けてほしい」と言った。言った後、黙って俺の顔を見た。返事を待った。それは、聞く態度だ」
「……そうか」
「ゴブが話してきたから、俺も聞けた。どちらかが一方的に話しているだけでは、交渉にならない」
ゴブが「なるほどな」と言った。
第十七層の核から、九十秒ごとの振動が続いていた。
今日は変動幅が±二・七パーセントまで下がっていた。
俺はスキルを見ながら、核の前に座っていた。
「見えるか」
概念が来た。
「外——人間の声。遠い」
「カイルが行った。別の迷宮だが、そこにも話しかけたい知性体がいる」
「遠い。届かない」
「そうだ。届かないが、俺が橋渡しをする」
「橋渡し——調停者」
「そうだ」
しばらく間があった。
「お前は——ドランが話したやつか」
俺は少し止まった。
「そうだ。ドランと話した」
「ドランが——言っていた。聞く者が来た、と」
「ドランが話したことを、お前も聞いていたのか」
「聞いていた。聞こえた。ただし——意味がわからなかった」
「今はわかるか」
長い間があった。
「……少しだけ」
スキルが変化した。
【迷宮管理Lv.7:第七迷宮第十七層——残存パターン識別完了。呼称:ドランの記憶】
「ドランの記憶」。
俺は少しの間、その表示を見ていた。
「ドランが消えた後も、何かが残った」——そういうことか。
「第七迷宮・第十七層から光が見えます」
突然、バインの声が回線に入ってきた。
俺は立ち上がった。
「光?」
「外からです。北崖窪地の方向から、青白い光が出ています」
それは——第十七層の中からではなく、外から来ていた。




