第59話「反論」
立ち上がったのは、ウォリック議員だった。
後でカーラから聞いた名前だが、その場ではとにかく「目が笑っていない四十代の男」という認識しかなかった。
「感動的な話でした」
声は平静だった。感情を抑えているのではなく、最初から感情を持ち込む気がない、という種類の平静だ。
「しかし、感情論と事実は別です」
ゴブが俺の方を見た。俺は小さく頷いた。聞いていろ、という意味だ。
「今日ここに来た魔物が、流暢に話すことは確認できました。知性があることも。ただし——それが、安全保障上の脅威でないという根拠にはなりません」
カーラが「発言をお聞きします」と応じた。
「溢出は、毎年起きています。境界を越えて人間の生活圏を侵した事例は、この十年で四十七件。死者総数は七百を超える。その事実は変わりません」
「それは」とカーラが言いかけた。
「一体が「私たちは脅威ではない」と言ったことで、それらの事実が消えるわけではない。北部村落への補償は——魔物との「共存」を認めることを前提にしますか。それが、私の懸念です」
議場がまた少しざわめいた。
俺は「まあ」と思った。想定範囲内の反論だ。
「発言していいですか」
カーラが俺を見た。俺は議長の方に向き直った。
議長が少し目を細めて、頷いた。
「アシダ・レンです。第七迷宮の管理担当です」
ウォリック議員が「その肩書は正式なものですか」と言った。
「正式ではありません。ランク外の門番です」
議場がわずかにざわめいた。
「ウォリック議員の懸念は正しい部分があります。溢出の事実は消えません。魔物が境界を越えた記録も消えません」
俺はそこで一度止めた。
「ただ——聞いてから判断してください。俺が持っているデータがあります」
ウォリック議員が腕を組んだ。
「データ」
「はい。スキル「迷宮管理」による第七迷宮の観測データです。過去三年分の出力変動、知性体の行動記録、溢出の原因分析が含まれます」
「魔法スキルのデータを、議会の証拠として」
「信用しないなら、ギルドの公式記録と照合できます。数字が一致します」
ウォリック議員が少し黙った。
「第七迷宮の溢出は——過去三年、ゼロです」
俺は議場を見回した。
「カーラ副司令が北部村落の管理を改善した年と、俺が第七迷宮に配属された年が重なります。溢出ゼロの理由は交渉です。魔物と戦ったのではなく、なぜ境界に近づくのかを聞いた。なぜ溢出が起きるかを聞いた。その原因を、交渉で除去しました」
ウォリック議員が言った。
「その根拠は何か」
俺はスキルのデータを展開した。
【迷宮管理Lv.7:第七迷宮三ヶ年データ——溢出件数0/知性体境界接触件数0/交渉成立件数47】
「これが根拠です」
ウォリック議員は、しばらく俺を見ていた。
「……一つ、聞いてもいいか」
「どうぞ」
「お前は、なぜそれができた」
俺は少し考えた。
「聞いたからです」
「聞いた?」
「魔物に話を聞きに行きました。なぜここに近づくのか、なぜ境界を越えようとするのか。聞いたら、理由がありました。理由があるなら、対処できます」
ウォリック議員が黙った。
「感情論ではなく、手順の話です」
その後、採決が行われた。
俺は演台の横から、ゴブを見た。
ゴブは緊張したまま、じっと議長を見ていた。
議長が鎚を持ち上げた。
「採決を取ります」




