第35話「結晶が語る名前」
朝の委員会まであと二時間。
俺は宿の小テーブルに未分類の結晶体を置いて、スキルのログを眺めていた。
【迷宮管理Lv.4:対象物解析継続中/知性体残滓検出強度:上昇傾向】
昨日より数値が上がっている。
結晶そのものが変化しているのか、俺のスキルレベルが上がったことで見えるものが増えたのか、どちらかはわからない。たぶん両方だろう。
「外の調停者、またその石をじっと見ている」
窓際でゴブが毛布にくるまったまま、ちらりとこちらを見た。
「昨夜から何度も見ているが、石はしゃべらないぞ」
「しゃべらないな」
「だろう」
「でも、何かを記録している」
ゴブが毛布から半身を起こした。
「記録?」
「この結晶、第23層から来たものだとお前は言った。だとしたら、あの層で起きたことが刻まれているかもしれない。俺のスキルはそれを少しずつ読んでいる」
【迷宮管理Lv.4:記録層断片取得中/解読率:14%】
十四パーセント。
遅い。時間が足りない。
「外の調停者」
ゴブの声が少し低くなった。
「ドランという名前。お前は昨日、商人から聞いたと言っていた」
「ああ」
「俺たちの間でも、その名前は出る。第23層の……なんと呼ぶべきか。指導者、ではない。案内人、でもない」
「どういう意味だ」
ゴブはしばらく黙っていた。毛布の縫い目を指でなぞりながら、言葉を探している様子だった。
「俺たちゴブリンには、古い言い伝えがある。迷宮が生まれたとき、一番深い場所に何かが宿ったと。それが迷宮を守るものだと」
「守る、な」
「人間が迷宮に入ってくるずっと前から、そこにいる。アレが怒ったから、第23層が荒れている、という話をする古老もいる。だが俺は……」
「信じてないのか」
「信じたいが、確かめたことがない」
俺は結晶を手に取った。わずかに温かい。常温の石のはずなのに、体温に近い感触がある。
「まあ、聞いてから判断しよう」
「だれに聞くんだ。ドランに、か」
「まず委員会。そのあと、なんとかする」
ゴブは呆れたような顔をした。が、何も言わなかった。それが信頼の形なのだと、最近わかってきた。
委員会の会議室は三日前と同じ配置だった。
上席にドレイク審議官。左手にセルディン伯爵と二人の側近。右手に経済委員が三名。中央寄りに軍務代理人が一名、記録係が二名。
俺は持参した文書三十二枚を机の上に置いた。
「今日は三本の柱について説明します。調停区の設置、双方管理者の配置、スキルログによる記録管理です。合わせて、新しい情報を一つ」
ドレイク審議官が顎をわずかに動かした。続けろ、というサインだ。
「まず文書から」
俺は淡々と説明した。調停区の境界線、管理者の権限範囲、記録の開示条件、違反時の対応手順。三日間で書いたものだが、抜けは少ないはずだ。
セルディン伯爵は腕を組んで聞いていた。口を挟まない。三日前より静かだ。
経済委員の一人、ファリス委員がページをめくりながら言った。
「素材の取引ルートについて、第六迷宮との競合はないとあるが、根拠は」
「スキルログです。第七迷宮産の素材は地層系統が異なります。希少性の源泉が別なので、価格の食い合いは起きない。むしろ補完関係になる可能性が高い」
「補完、か」
隣のもう一人の経済委員、チェスタ委員が口を開いた。
「第六迷宮産が精製向け、第七迷宮産が干渉系、ということか。なるほど」
エドゥスが動いた、ということだろう。二人の表情は三日前より明らかにこちら寄りだ。
俺は結晶を取り出した。
会議室の空気が少し変わった。セルディン伯爵の眉がわずかに動く。
「これが第七迷宮第20層付近から回収された未分類の結晶体です。魔法道具師の間では干渉系素材として注目されていると聞いています。スキルログには、これが第23層に関連している可能性が示されています」
【迷宮管理Lv.4:記録層断片取得中/解読率:19%】
あがった。
会議室の、この圧縮した空気の中で、スキルが動いている。
「関連、とは具体的に」
ドレイク審議官の声。
「この結晶には知性体の残滓が記録されています。名前が一つ、断片的に読み取れています」
間。
「ドラン、と呼ばれる存在です」
チェスタ委員が書記に何かを囁いた。ファリス委員はペンを置いた。軍務代理人が初めて前のめりになった。
セルディン伯爵が言った。
「ドラン、というのは」
「第23層に存在する何者か、です。魔物側からも同じ名前が出ています。詳細は確認中ですが、第23層の異常と関連している可能性が高い」
「それは……」
伯爵の言葉が止まった。
珍しい。三日前は澱みなく反論してきた人間が、言葉を探している。
ドレイク審議官が静かに言った。
「ドランという名前に、心当たりがおありか、セルディン殿」
「……いや」
短すぎる否定だった。
俺はそれ以上突っ込まなかった。聞き出せないものを無理に引っ張っても、場は壊れるだけだ。
「引き続き解読を進めます。何か判明した段階で、委員会に報告します」
ドレイク審議官が手を組んだ。
「文書案について、各委員から意見を聞こう」
議論は一時間続いた。
細かい修正が三か所入った。管理者の選定基準、記録の保管年数、緊急時の指揮系統。どれも本質を変えるものではなかった。
セルディン伯爵は意見を出さなかった。
それが一番気になった。
採決の声がかかる前に、伯爵が立ち上がった。
「採決の前に、一点確認したい」
ドレイク審議官が促す。
「調停区の管理者として、魔物側から誰を想定している」
俺を見る目が三日前と違う。値踏みではなく、探るような目だ。
「現時点では、第七迷宮第4層の小隊長を候補として考えています。人間語が話せ、情報伝達の実績があります」
「ゴブリンが、か」
「はい」
「…そうか」
伯爵は座った。それだけだった。
採決は行われた。
賛成五、反対一、保留一。
反対はセルディン伯爵。保留は軍務代理人だった。
ドレイク審議官が宣言した。
「調停区設置案、承認。詳細の実施要項については管理局で精査のうえ、アシダ門番を実施責任者として試験運用を開始する」
俺は一礼した。
特に何も感じなかった。通ったな、とは思った。でも終わったわけじゃない。
廊下に出ると、足音が追いかけてきた。
振り返ると、セルディン伯爵だった。
側近は連れていない。一人だ。
「少し時間をもらえるか」
「まあ、聞いてから判断しましょう」
伯爵は廊下の窓際に歩いた。俺もついた。
外は午後の光が強くなっていた。王都の建物の屋根が並んでいる。
「ドランという名前」
伯爵が言った。低い声で、周囲に聞こえないよう絞っている。
「知っているのか、と審議官に聞かれた。嘘をついた」
「そうですか」
「怒らないのか」
「今の話を最後まで聞いてから判断します」
伯爵は少しの間、屋根を見ていた。
「四十年前、俺の父親が第七迷宮に入った。当時は探索区域が浅くて、第12層までが限界だったが、父は第15層まで踏み込んだ。そこで出会ったという、ある存在について書き残している」
「どんな存在だと」
「人間ではない。魔物でもない。光の中にいて、言葉を話した。お前たちの来る場所ではない、と」
「ドランという名前を使ったか」
「父の記録には——『自分はドランと呼ばれている』とある」
俺は結晶を上着のポケットの中で握った。
【迷宮管理Lv.4:記録層断片取得/解読率:27%】
また上がった。
セルディン伯爵の言葉が、何かを動かしている。
「なぜ今まで黙っていた」
「父の記録は家の恥として処理された。深部に踏み込んだことが規則違反だったからだ。さらに言えば、魔物に似た何かと話したという記録は、家名を守るために燃やされるところだった。俺が隠し持っていた」
「…それで、緩衝地帯に反対していたのか」
伯爵は俺を見た。
「深部に何かがいることが証明されれば、父の記録が掘り返される。そう思っていた。だが」
「だが?」
「お前は既に知っている。ドランという名前を、迷宮側から入手した。父の記録がなくても、証拠は揃う」
俺は何も言わなかった。
「家名の問題は……もう関係ない、ということか」
「俺にはわかりません。ただ、四十年前から何かがいたとすれば、それは今の第23層の異常に関係があるかもしれない」
「そうだろうな」
伯爵は窓から視線を切った。
「父の記録を、提供しよう。使い方はお前に任せる」
「ありがとうございます」
「礼はいい。俺は反対票を入れた。それは変わらない」
「承知しています」
伯爵は踵を返して歩いていった。
俺は廊下に一人残って、スキルのログを確認した。
【迷宮管理Lv.4:記録層断片取得/解読率:31%】
ゆっくりだが、進んでいる。
宿に戻ると、ゴブが荷物の陰から顔を出した。
「どうだった」
「通った」
「おお」
「あと、セルディン伯爵から情報が入る。四十年前の記録だ」
ゴブが目を丸くした。
「あの反対した人間が、か?」
「そうだ」
「外の調停者は……何をしたんだ」
「何もしていない。話を聞いただけだ」
ゴブは何かを言いかけて、やめた。
俺は結晶を机に置いた。
「ゴブ、一つ聞く」
「なんだ」
「お前の古老たちが言う、迷宮を守るものという話。それはドランが疲弊したり、傷ついたりする可能性についても、何か言っているか」
ゴブの表情が固まった。
しばらく沈黙が続いた。
「……一つだけ、ある」
「聞かせてくれ」
「守るものが壊れかけているとき、迷宮は荒れる、と」
静かな声だった。
俺は結晶を見た。
【迷宮管理Lv.4:記録層断片取得中/解読率:33%/緊急フラグ検出:ドラン存在の弱体化を示す記録確認】
ドランは誰かと戦っているんじゃない。
消えかけているんだ。
第23層の異常の正体が、少しだけ輪郭を持ち始めた。そしてそれは、想像していたよりずっと、切実な問題だった。
今度は交渉相手が人間や魔物じゃない。
消えていく何かに、間に合わなければならない。




