第34話「利害の地図」
エドゥスが茶を注ぎ直しながら言った。
「セルディン伯爵の権益を整理すると、三つある」
指を折る。
「第六迷宮の採掘独占権。王都の素材卸問屋との癒着関係。そして迷宮管理局への資金提供ルート。この三つが、緩衝地帯の成立で全部揺らぐ」
俺は手元の紙に書き留めた。
「揺らぐというのは、消えるということか」
「消えはしない。ただし、相対的に価値が下がる」
エドゥスは商人らしく正確だった。感情を交えない。数字と構造だけで話す。
「第六迷宮の採掘独占権は、現状では素材の流通量をコントロールできる強みがある。第七迷宮の北口が人間側に開放されれば、素材の供給量が増える。独占の価値が薄れる」
「つまり、緩衝地帯に反対するのは感情じゃなくて計算だ」
「そう。あの伯爵は頭がいい。感情で動く人間じゃない」
俺は少し考えた。
感情で動かない相手には、感情で押すのは無意味だ。同じく計算で対応する必要がある。
「じゃあ、計算が変わる材料を出せばいい」
エドゥスが眉を上げた。
「たとえば?」
「第七迷宮の素材は、第六迷宮とは品質が違う。競合じゃなく棲み分けられる素材なら、独占権の価値は下がらない」
俺はスキルのログを思い出した。
【迷宮管理Lv.4:素材分布確認 第七迷宮産出物の特性索引を参照中】
数値が流れていく。俺の目にしか見えない情報だが、確認はできる。
「第七迷宮の素材は深層に行くほど特殊だ。第六迷宮が主に採掘している金属系素材とは別系統のものが多い。魔法触媒に向く植物系の素材や、第23層方向から押し出されてきた未分類の結晶体がある」
エドゥスが前のめりになった。
「未分類の結晶体? それ、俺は初耳だが」
「ゴブから聞いた。魔物たちは素材として使っていなかったらしい。ただそこにあるものとして扱っていた」
「……その結晶体、俺に見せられるか?」
「明日、宿に来れば、ゴブに頼んで現物を出せるかもしれない」
エドゥスはしばらく黙った。商人が計算している沈黙だと、もう俺にはわかる。
「アシダ。俺が動くとしたら、条件がある」
「聞かせてくれ」
「第七迷宮の素材取引に、うちが優先的に関わる権利。独占じゃない。ただし最初の取引相手として、正式に記録に残る形で」
俺は少し考えた。
これはのんでいい条件だと思った。エドゥスが利益を取れる構造にしなければ、そもそも動いてもらえない。
「わかった。ただし俺一人では確約できない。委員会で認められた後、迷宮管理局との正式な取り決めの中に入れる形になる」
「それで構わない。口頭でいい。アシダが約束するという事実が重要なんだ」
「約束する」
エドゥスが笑った。久しぶりに見る、気持ちの良い笑い方だった。
「じゃあ俺は、委員会内で動ける二人に声をかける。経済系の委員だ。セルディン派じゃない。ただし説得には、その結晶体の話が材料になる」
「わかった。明日の朝、宿に来てくれ」
宿に戻ると、ゴブが荷物の陰から顔を出した。
「遅かったな」
「話が長くなった」
「商人と?」
「そう」
俺は椅子に座って、今日の整理をした。
エドゥスが経済委員二人を動かせれば、委員会の構成は変わる。セルディン伯爵の反対が孤立化する可能性が出てくる。ただし、それだけで可決されるかどうかは別問題だ。
「ゴブ、聞いていいか」
「なんだ」
「未分類の結晶体、現物を出せるか。明日の朝、商人に見せたい」
ゴブが少し黙った。
「……あれを、外に出すのか」
「嫌なら断ってくれ」
「嫌ってわけじゃない。ただ、あれは迷宮の奥から押し出されてきたものだ。アレ——第23層から、な」
俺は手を止めた。
「第23層由来の素材なのか」
「はっきりとはわからない。ただ、アレが動き始めた後から、下層に散らばるようになったものだ。俺たちは触れないようにしていた」
「毒性は?」
「ない。普通に触れる。ただ……気持ちが悪い」
気持ちが悪い、というのはゴブの感覚的な表現だろう。俺にはスキルのログを見る手がある。
【迷宮管理Lv.4:特殊素材検知 当該結晶体に記録あり 分類:未知 属性:干渉系 詳細不明 交渉モードとの親和性:高】
親和性が高い。
俺は少し考えた。
「交渉モードとの親和性が高い、ってどういうことだ」
スキルは答えない。スキルはそういうものだ。情報を出すが、解釈は自分でしろ、という仕様らしい。
「ゴブ、一つだけ俺に持たせてみてくれないか」
「……触るだけか?」
「触るだけだ」
ゴブが荷物の奥から小さな布袋を取り出した。中身を床に転がす。
親指の先くらいの大きさの、半透明な結晶だった。色は淡い紫と言えばいいのか、灰色と言えばいいのか、見る角度で変わる。
俺は手に取った。
特に何かが起きるわけではなかった。重さは軽い。表面はなめらか。
ただ。
【迷宮管理Lv.4:交渉モード反応 付近に知性体の残滓を検知 通信不可 ただし記録あり】
残滓。
誰かが、何かが、ここに情報を残していった、ということか。
俺は結晶をそっと置いた。
「ゴブ、これが出てくるようになったのはいつ頃からだ」
「半年前、くらいか。アレが動き始めたのと、ほぼ同時期だな」
「この結晶が増えると、第23層は何か変わるか」
「わからない。ただ、俺たちの中に賢い奴がいてな。こいつが広がっていく前に逃げろって言った。それが外に出た理由の一つでもある」
賢い奴。ゴブの口から初めて聞く話だった。
「その賢い奴の名前は?」
「ドランという。第七層の集落の長だ。今は中層にいる」
「いつかその人と話せるか」
「……たぶん、な。アシダが来いと言えば来ると思う」
俺は頷いた。それは後で考える。今は明日の委員会だ。
翌朝、エドゥスが宿に来た。
結晶を見た瞬間、エドゥスの目が変わった。商人の目だ。光の加減で色が変わる半透明の石を手に取り、あらゆる角度から確認する。
「これは……見たことがない」
「第七迷宮産。分類未確認」
「属性は?」
「干渉系、らしい。詳細はまだわからない」
エドゥスは結晶をそっと置いて、俺を見た。
「この石一つで、経済委員の二人は動く。断言できる」
「説明してくれ」
「干渉系の未知素材というのは、魔法道具師の間では夢の素材だ。既存の素材で作れないものが作れる可能性がある。市場価値は底が見えない。セルディン伯爵の第六迷宮の素材とは完全に別カテゴリだ」
「競合しないということか」
「む しろ補完関係にすらなれる。伯爵にとっても、これは悪い話じゃない——うまく伝えれば」
俺は少し考えた。
「セルディン伯爵に、直接これを見せる機会は作れるか」
エドゥスが首を振った。
「正式な席以外で伯爵と会うのは難しい。あの人は私的な接触を嫌う」
「委員会の場で見せる、ということか」
「そういうことになる」
俺は頷いた。
「了解した。委員会の場で、この結晶を提示する。その前に、エドゥスは経済委員の二人に話を通しておいてくれ」
「わかった。今日中に動く」
その日の午後、ドレイク上席審議官から呼び出しがあった。
委員会の詰め所に通されると、ドレイクは一枚の紙を俺に差し出した。
「読め」
俺は受け取った。
セルディン伯爵からの正式な反対意見書だった。緩衝地帯設置案に対して、七項目の問題点を列挙し、三日間の保留期間では不十分として、さらに三十日の延長を求める内容だった。
「……三十日」
「そうだ。委員会の過半数が賛成すれば延長は成立する。現状、五人中三人がセルディン寄りだ」
「過半数、取られますか」
「取られる可能性が高い。ただし——」
ドレイクが俺を見た。
「今日の夕方に、経済委員のランツとヴォゥから連絡があった。アシダと話したいと言ってきた」
エドゥスが動いた、ということだ。
「明日の朝、正式な委員会の前に、ランツとヴォゥと話す時間を取ってもらえますか」
「それについては、すでに段取りをした。明朝の第一刻、委員会室の隣の小会議室だ」
ドレイクは淡々としていた。余計な感情を見せない。ただ、確実に道を作ってくれている。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、委員会が通ってからにしろ」
宿に戻る道で、俺は地図を作った。
頭の中の地図だ。
セルディン伯爵は計算で動いている。だから計算が変われば、動く余地がある。
ランツとヴォゥは経済委員だ。素材の市場価値に関心がある。
ドレイクは中立だが、動かせる道は作ってくれている。
残りは一つだ。
俺が持っている情報の中で、まだ出していないものがある。
第23層から来た結晶体。知性体の残滓が記録されているという、スキルのログ。
これが何を意味するのか、俺にはまだわからない。
ただ、委員会の場でこれを出せば、話の構造が変わる。
緩衝地帯の話が「経済問題」から「安全保障問題」に移る。
セルディン伯爵が経済的利害から反対している以上、論点を経済以外に移すことで、反対の根拠を薄められる。
ただ、そのためには一つ確認が必要だった。
「ゴブ」
宿の部屋に戻ると、ゴブがいた。
「なんだ」
「明日の委員会に、お前も来てくれるか」
ゴブが固まった。
「……俺が、人間の会議に?」
「そう。荷物の中じゃなく、正式に出席者として。魔物の側の当事者として、話を聞いてもらいたい」
しばらく沈黙があった。
ゴブが口を開く。
「……俺が出たら、会議が止まるんじゃないか」
「止まるかもしれない。でも、それでいいと思ってる」
「なんで?」
「止まった瞬間に、全員が気づく。緩衝地帯の話は、もう机上の空論じゃないって」
ゴブは俺をじっと見た。臆病だが義理堅い。それがゴブだ。
「……わかった。行く」
「ありがとう」
「礼を言うな。気持ち悪い」
俺は少し笑った。
夜、スキルのログが一行更新された。
【迷宮管理Lv.4:第23層異常指数 前回計測比+17 増加ペース加速中 推定:通常収束の見込みなし】
+17。
三日前が+11だった。加速している。
委員会がどんな結論を出すにしろ、時間はこちらの味方ではない。
俺は結晶を手の中で転がした。紫がかった灰色が、薄暗い部屋の中でわずかに光って見えた。
明日、全部を卓上に並べる。
計算も、証拠も、ゴブも、この石も。
あとは、向こうが判断するだけだ。




