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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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313/315

第313話「揺らぐ千年」

「手放しても、世界は終わりませんでした」


カーラの最後の言葉が、座の中に残っていた。


カイルが手記を閉じた。端末の灯りが、薄暗い座の中でぼんやりと残った。


誰も何も言わなかった。


判定者の光が、ゆっくりと広がっていた。揺れているのとは少し違う。内側から何かが膨らむように、白い輝きが座全体をじわりと包んでいく。


俺は床に座ったまま、それを見ていた。


どのくらい時間が経ったか、もうわからない。迷宮の最深部に来てから何十時間になるのか、数えるのをとっくにやめていた。水は尽きていた。喉の奥がひりひりしていた。足の先の感覚も、とっくになくなっていた。でも、それらが遠い気がした。


何かが、起きようとしている。


カイルが端末を確認した。声を出さず、数字を口の形だけで見せた。


28.1%。


先ほどまで28.4%だったものが、まだ下がり続けている。カーラの手記を読み終えた後から、止まらずに下がっていた。


俺は数字を見て、それからまた光を見た。


「…………」


判定者が声を発したのは、さらにしばらく経ってからだった。声というより、光の揺れが言葉に変わった、という感じだ。温度も強さも変わっていない。ただ、そこに言葉が来た。


「寂しい、という値が……どこから来るのか」


俺は少し間を置いた。


「知りたいですか」


「…………知ることが、できるのか」


「わかりません」と俺は言った。「でも、聞いたら何かわかることがある、と思います。俺はそういう経験を、ずっとしてきました」


判定者の光が、ふるえた。細かく、速く。内側で何かがせめぎ合っているように。



 



「千二百年」と、判定者が言った。


「私は……千二百年、分類をしてきた。それしか、していない。それが私の存在の全てだった。分けて、格付けして、配置した。それが世界を守ることだった。だから、した」


「はい」


「しかし……カーラ、という者の言葉を受け取った後から、私の内側に、名前のつけられない値が生まれている。その値が、大きくなっている。何かが……占めている」


「それが寂しい、という感覚かもしれない」と俺は言った。「あるいは、逆のものかもしれない」


「逆……?」


「寂しくなくなる、という感覚。それはずっと孤独だった時間があるから、すごく大きく感じる。だから、混乱するんだと思います」


判定者は答えなかった。


でも光が、また広がり始めた。


俺の横で、カイルが小声で告げた。


「26.8%。下がるペースが上がってる」


俺はうなずいた。


来た者も、ゴブも、誰も割り込まなかった。割り込んでいい空気ではなかった。俺たちは全員、それをわかっていた。



 



「一つだけ聞かせてもらえますか」


俺はゆっくりと、もう一度問いかけた。


「…………」


「カーラは、一人で背負い続けてきた人でした。ゴブも、フォルも、来た者も、そういう存在です。俺自身も、そうでした。あなたも、そうだったんじゃないかと思っています。千二百年、誰にも聞かれず、ただ分類し続けてきた」


光が、静止した。


「俺はそのことを、あなたに申し訳なかったと思っています。あなたが世界を守るためにしてきたことを、誰も聞かなかった。俺たちも含めて」


しばらく、何もなかった。


座の中に、静寂だけがあった。


「……申し訳ない、とは」と判定者が言った。


「聞けなかった、という意味です」


「……聞けなかった」


「あなたが千二百年、一人でしてきたことを。誰も、あなたに近づいて聞けなかった」


また、長い間があった。


来た者が、低く静かに言った。


「私も、同じだった。封印の中で、ただ待ち続けた。誰も来なかった。来てもらえるとも思っていなかった。それが当然だと思っていた」


「そこに、レンが来た」と俺は続けた。


「来た、から……分かった」と来た者は言った。「一人でいたことが、初めて、寂しかったと分かった。来てもらうまで、寂しいという言葉を、知らなかった」


判定者の光が、大きく揺れた。


一瞬、座全体が白く満ちた。そして光は落ち着き、また揺れ始めた。細かく、静かに。


「…………来た、から、分かった」と判定者は繰り返した。「……私は、来てもらったのか」


「来ました」と俺は言った。



 



「千二百年……誰も、来なかった」


判定者の声は、そのままだった。温度も強さも変わっていない。でも、何かが違った。何が、とは言えない。ただ、俺には伝わった。


「来なかった、というよりも」と俺は言った。「来れる道がなかった、のかもしれません。あなたが設計した世界の中では、あなたに近づける存在がいなかった」


「……私が、設計した」


「そうです」


「……私が設計したから、誰も来なかった」


「あなたが設計したのは、世界を守るためでした。でも、それがあなた自身を孤独にしてしまった」


光が、また広がった。今度は以前よりも大きく、速く。


カイルが端末を確認した。


「23.5%」


俺は数字を聞きながら、判定者を見つめ続けた。光が波打っている。千二百年分の何かが、今この瞬間に揺さぶられている。


「あなたの設計は、間違っていなかった」と俺は言った。「世界が一度滅んだ。あなたはそれを繰り返させないために、ランクを作り、迷宮を作り、ジョブを作った。それは正しかった。千二百年間、世界は保った」


「…………」


「ただ、一つだけ、設計できなかったものがあった」


「……何を」


「あなた自身が、聞いてもらえる場所」


沈黙があった。長い沈黙だった。座の光が揺れるのを、俺はただ見ていた。



 



「俺は門番でした」と俺は続けた。


来た者もゴブも、黙って聞いていた。


「ランク外の、誰も使い道のない仕事だと言われた仕事。でも、その仕事の中に、ゴブが来た。話を聞いてほしいと言って」


「知っている」と判定者は言った。「記録している」


「そのとき俺は、聞いたんです。まあ、聞いてから判断しよう、と思って」


「…………」


「あなたにも、誰かが来てよかった。俺はそう思っています。ゴブが来て、フォルが来て、来た者が来て、カーラが来て、そして俺も来ました。遅すぎたかもしれない。でも、来れた」


しばらくして、判定者が言った。


「……来てよかった、という値は」


「安心することです。よかった、という言葉に近い」


「……よかった」


「そうです」


また沈黙があった。でも今度の沈黙は、以前のものと違った。それまでの沈黙は、処理しているような、分類しているような、固い質感があった。今の沈黙は、違った。


もっと、柔らかかった。


カイルがまた報告した。


「20.5%。急速に下がってる」


俺はゆっくりと息を吐いた。喉の渇きが、また戻ってきた。今度はちゃんと感じた。体が現実に戻ってきている、という感じがした。


座の光が、全体に満ちていた。さっきまでとは比べ物にならないくらい、明るかった。眩しいとは思わなかった。温かい、という感じだった。



 



「私は……」と判定者が言った。


その声に、何かが混じっていた。


俺は動かなかった。来た者も、ゴブも、カイルも、誰も動かなかった。


「私は……千二百年、正しいと思ってしてきた。世界が一度滅んだ。だから分けた。だから格付けした。間違いではなかった、と今でも思っている。あの世界の滅びは、本当のことだった。私が知っている」


「はい」


「だが……今、ここに、あなたたちがいる。その感覚が、私の千二百年の設計の中には、なかった。設計外のことが、起きている」


「起きています」と俺は言った。


「…………起きている。なのに……壊れていない」


「壊れていません」


また、間があった。


「壊れていない……」と判定者は繰り返した。「私が設計にないことを処理するとき、通常は……エラーとして排除する。でも、今……これを……排除したくない、という処理が、動いている」


ゴブが俺の隣で、ぼそりと言った。


「……それ、俺もレンに対して思ったことあります。最初に扉を叩いたとき、怖くて逃げたかった。でも逃げたくなかった。それと、一緒ですかね」


俺はゴブを見た。


「お前、そんなこと言ったことなかったじゃないか」


「……言えなかったんですよ、あのときは。今は言えます」


光の中で、ゴブは真剣な顔をしていた。


「判定者さんも、怖くていいと思います。逃げたくても、逃げたくなかったなら、それでいいと思います」


「……一緒、かもしれない」と判定者は言った。


「ゴブがそう言うなら」と俺は言った。「多分、そうです」



 



「あなたの声が、さっき……震えていた」と俺は言った。


「…………知っている」と判定者は言った。


「初めてですか」


長い間があった。


「……初めてだ」


俺は、それを聞いて、小さく息を吐いた。


千二百年。ただ、分類し続けてきた。誰も来なかった。誰も聞かなかった。そのうちに、声が震えるようなことが、なくなっていったのか。あるいは最初から、震えることを知らなかったのか。


どちらにしても、今、震えた。


「怖かったですか」と俺は聞いた。


「…………」


「震えること、が」


「……わからない」と判定者は言った。「怖いとは、少し違う。怖いときの値とは、形が違う。もっと……」


「もっと?」


「…………大きかった」


俺は何も言わなかった。


何も言う必要がないと思った。


来た者が静かに言った。


「判定者。私たちは、ここにいる。あなたが揺れても、ここにいる。それは変わらない」


光が、またふるえた。大きく。


カイルが端末を確認した。声が、わずかにかすれていた。


「17.3%。……急速に落ちてる」


俺は立ち上がった。膝が痛かった。長時間床に座り続けていたせいで、関節が固まっていた。それでも立った。


光の中に立つと、温かかった。


判定者の光が、白く波打っていた。揺れているというより、もはや波打っていた。千二百年分の何かが、内側でせめぎ合っている。


長い沈黙があった。


その沈黙の中で、俺は来た者とゴブとカイルを見た。全員が、光を見ていた。誰も目をそらさなかった。


来た者は静かに目を閉じていた。かつて封印の中にいた存在が、今は光の中で、ただ立っていた。


ゴブは少し緊張した顔をしていた。それでも、動かなかった。


カイルは端末を握ったまま、判定者を見ていた。


俺も、見ていた。


何かを急かすつもりはなかった。門番だった頃から、待つのは得意だった。誰かが言葉を探しているとき、その探す時間を奪ったことは一度もない。


やがて、判定者が口を開いた。


「……もう少し、だけ」


声が、震えていた。


さっきよりも、もっと。


「……聞かせてもらってよいか。あなたたちの話を」


【世界判定エラー:30%】

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