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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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310/315

第310話「私も、あなたと同じでした」

フォルの声が消えた。


「その言葉はあなたの設計にあるか」——問いだけが、空間に漂っていた。


判定者は答えない。光が揺れている。さっきからずっと、落ち着かなく、だが確実に揺れていた。


俺は壁に背中を押しつけたまま、床に座り込んでいた。


足の感覚が薄い。十七時間以上、この場所にいる。水は八時間前に尽きた。喉の渇きは考えないようにすれば乗り越えられる——そう思ってから四時間が経った。


「世界判定エラー、37.2%」


カイルが端末を見て、静かに読み上げた。


「下がってる」


「ゴブとフォルの声が届いたせいだと思う。でも——止まってもいる。37台でしばらく動いてない」


来た者が俺の隣で光を揺らした。封印から来た知性体。待つ者と名づけた存在。今日は誰より長い時間、ここに一緒にいた。


「……判定者が、処理している」


「何を」


「聞いたことを」


俺はそれを聞いて、少し息を吐いた。


焦らなくていい。処理しているなら、それでいい。


カイルの端末が鳴った。


「——来た」


「誰から」


カイルが画面を確認して、目を細めた。


「ガレス殿です」



 



俺は立ち上がった。足がしびれていたが、それより優先することがあった。


「繋いでくれ」


接続が確立したとき、最初に届いたのは空気の音だった。


外だと思った。風が吹いている。農地の匂いがするような気がした。


「——聞こえるか」


ガレスの声は記憶より少し老けていた。当然だ。三年近く経つ。


「ガレスだ。連合の元・討伐隊長。今は引退して、小さな農地を耕してる。カイルに「一言だけでいい」と言われて、こうして話している」


判定者の光が揺れた。


「俺が何者かを、まず言うべきだと思う。俺はかつて、剣を持ってあの門番の小屋に向かった男だ。殺すためではない——厳密には。だが、排除しに行った。それは変わらない事実だ」


「そして、剣を収めた」


短い沈黙があった。喋るのが得意ではない。でも今日は、ちゃんと考えてきた声だった。


「俺はな、魔物を憎んでいた。正確に言うと——怖かった。溢出で仲間を何人も失った。部下を埋めた。だから刃を向けるしかなかった。そうするしかないと思ってた」


「分けることで、楽になろうとしてた。敵と味方。人間と魔物。上と下。分けてしまえば、迷わないから。考えなくていいから」


ゴブが俺の隣で足を崩した。聞いている。


「でも聞いたら——わかった。分けていたのは世界じゃなくて、俺自身だった。聞く前と後で、魔物が変わったわけじゃない。ただ、俺の目が変わった」


「そういうことだ。それだけだ」


咳払い。


「あんたが何者かは俺にはわからない。千年分類してきたっていうのも、正直ピンとこない。ただ——分類することで楽になろうとした気持ちは、わかる気がする」


「俺も、同じだったから」


一拍おいて、ガレスが言葉を足した。


「それと——まあ、聞いてから判断した結果、俺は剣を収めた。今でも間違いじゃなかったと思ってる。以上だ。農作業の時間だ。じゃあな」


接続が切れた。


風の音が消えた。


俺はゆっくりと息を吐いた。


ガレス。かつて刃を向けてきた男が、今は農地で土を耕しながら、判定者に向けて言葉を送ってきた。


「【世界判定エラー:34.6%】」


カイルが静かに読み上げた。



 



次が来るまで、少し間があった。


ゴブが俺を横目で見た。


「ガレスさん、変わりましたね」


「そうか」


「三年前、あの人の目は違いました。俺を見るとき——値踏みするような目でした。今は、声の中に聞こうとする何かがある」


「聞いた、ということだ」


ゴブが「うん」と言って、膝を抱えた。


来た者が動いた。


「彼は判定者について話したのではなく、自分について話した」


「ああ」


「なぜそれが届くのか」


「自分と同じだと感じるから、じゃないか」


来た者が光を揺らした。考えているようだった。


「……そういうものか」


「俺もよくわかってない。でも——そうだと思う」


カイルの端末がまた鳴った。


「次です。セルウィン殿、連合の元査問官から」



 



「繋いでくれ」


「セルウィン・ロカーです」


整然とした声だった。感情を制御している声。でも今日は、その制御の下に何かが滲んでいた。


「元・連合査問会主任査問官。現在は記録部門の顧問をしています。伝えることを、三日考えました」


三日間。言葉を選んでから来る。そういう人だった。


「私が理解していることから始めます」


「分類というのは——恐怖への答えです」


判定者の光が静かに動いた。


「私は若い頃、言葉が国を動かすのを目の当たりにした。一人の演説家が民衆を変え、王が退位した。そのとき私は思った——言葉は制御できない。だから怖い。怖いものには、定義が必要だ」


「以来、私は論理を使った。分類を使った。定義できないものを、私は怖がっていた」


「分類すれば予測できる。予測できれば制御できる。制御できれば——怖くない」


俺は目を閉じた。


カーラも、オルディーンも、ガレスも——みんな怖かった。怖かったから、どこかに答えを求めた。セルウィンの場合、その答えが「分類」だった。判定者と——構造が同じだ。


「あなたが世界を格付けしてきた動機を、私は正確には知りません。でも——分類に逃げ込んだということは、分類しなければ怖かったということだと、私は思います」


「私と、同じように」


「査問会のとき——私は一度、言いかけました」


俺は目を開けた。


「「まあ、聞いて——」と。あの門番と同じ言葉を」


ゴブが、ほんの少し口元を動かした。


「呑み込みました。あの言葉を言ったら、自分が変わると思った。変わることが、嫌だった。変わることは——それまでの自分を否定することだと思っていたから」


「でも、変わりました。時間がかかりましたが。査問会が終わってから、記録を整理するうちに——気づいたら変わっていました」


一拍。


「変わったとき、世界が変わったわけではありませんでした。ただ私の中の何かが変わっただけです」


「それでも——十分でした。変わることは、終わりではありませんでした」


「あなたが千年維持してきた設計を、私が否定する権限はありません。ただ——変わることは、終わりではない。私はそれを経験した者として、言えます」


接続が切れた。


判定者の光が、ゆっくりと安定していった。


「【世界判定エラー:31.0%】」


来た者が、俺を見た。


「彼は、恐れを認めた」


「ああ」


「自分の恐れを、まず」


「そうしないと、判定者の恐れには届かないから」


来た者がわずかに光った。



 



次の接続が来たとき、俺は少し驚いた。


「連合議長——オルディーン閣下から、です」


「議長自身が?」


「はい」


カイルが確かめるように言った。俺も少し間を置いた。


「繋いでくれ」


「オルディーンだ」


かつての連合議長の声は、記憶より柔らかくなっていた。


「三ヶ月前に退任した。後任に引き継いだ。若い者だが——まあ、俺より聞ける人間だといいが、それは保証できない」


軽く笑う気配があった。あのオルディーンが。


「……俺がお前に話したいことは、一つだけだ」


端末の向こうで、少しの間があった。公的な「議長」の声ではない。もっと個人的な何かを探している気配があった。


「俺はずっと、人類を代表して怖がっていた」


「人類が怖がっているから、その恐怖を正しく処理しなければならない。だから処分という結論を先に出した。聞く前に」


来た者が俺の隣で静かに光った。


「あんたも——そうじゃないかと、思ってな」


オルディーンの声が続く。


「あんたは世界を代表して、世界を守ってきた。設計が何を求めているかを優先した。俺が議長として、個人の意見を持つことを許さなかったように——あんたも「判定者としての自分」に縛られてきたんじゃないかと、俺は思った」


「だから——自分がどうしたいかを、聞かれたことがなかったんじゃないかと」


俺は壁から少し体を離した。


議事堂の中で、俺が「あなた自身は、どう思いますか」と聞いたとき——オルディーンは長い間、答えられなかった。議長として、その問いを受け取る訓練を、誰も受けていなかったのだと後で気づいた。


「あのとき、一人の門番に「あなた自身は、どうしたいですか」と聞かれた。生まれて初めてだったかもしれない、あの問いを受けたのは」


判定者の光が、大きく輝いた。


「あんたにも——千年の間に、誰かが「あなた自身は、どうしたいですか」と聞いたことがあったか」


俺はゴブと目を合わせた。


ゴブが静かに、首を横に振った。ないだろう、という意味だった。


「なかったとしたら——俺は、それを言いに来た」


「判定者よ」


「あんた自身は——どう、したい」


接続が切れた。



 



沈黙が、下りた。


今度は、誰も何も言わなかった。


俺も、ゴブも、カイルも、来た者も——ただ、判定者の光を見ていた。


揺れていない。


震えてもいない。


ただ——そこに、ある。


だが明らかに、さっきまでとは違う何かだった。内側で何かを、処理している。


「【世界判定エラー:27.3%】」


カイルが静かに読み上げた。


「大きく下がった」


来た者が言った。


「判定者が、自分に問いかけている」


「何を」


「「したいこと」を」


俺は息を吸った。


喉が渇いていたが、今はどうでもよかった。



 



どれくらい経っただろう。


判定者の光が静かに揺れていた。外からの声に揺れるのではなく、内側から揺れる感じがした。


カイルの端末が振動した。


「……レイラ殿から、接続要求が来ています」


俺は少し息を整えた。


ep290で、彼女はすでに判定者へ記録を送っていた。戦争の全記録、失った者の名前、和解の経緯——全部をデータとして。


だが今回は声だ。


「繋いでくれ」


接続が成立したとき、最初に聞こえたのは沈黙だった。


「……レイラです」


低い声だった。安定している。でも今日は記録官の声ではなかった。もっと個人的な、誰かに話しかける声だった。


「以前、記録を送りました。全部、送りました」


「でも——声で言わなければと思ったことが、一つだけ残っていたので」


判定者の光が動いた。


「あなたが千年、世界を分類してきた理由——今回、関わった方々の話を聞いて、少し理解したと思っています」


「というより——見覚えがあった、と言う方が正確です」


来た者が俺を見た。俺は小さく頷いた。


「私も、していたんです」


レイラの声が続いた。


「あの戦争で全てを失った後——私は、和解を進めた者を憎みました。その感情を、世論工作に変えた。憎まなければ、失ったことに意味がなくなる気がした」


「だから分類したんです。あの男が悪い、交渉が悪い、聞くことが悪い——そう分けることで、私は失った者たちを守ろうとした」


「分類すれば、誰かが悪いことになる。誰かが悪ければ、意味のない死などない——そう思えた」


「でも本当は誰も悪くなかった。戦争があって、人が死んだ。それだけだった」


「悪者を作りたかったのは、私自身だった」


判定者の光が大きく揺れた。ゴブが膝に置いた手を少し強く握った。


「あなたが世界を分類した理由も——どこかに「意味のない出来事を、意味のないままにしておきたくなかった」があったのではないかと、私は思っています」


「違うかもしれない。でも——もし少しでも重なるなら」


「私は分かります」


一拍。


「私がそうだったから」


判定者の光が——震えた。


揺れるのとは違う。震えている。内側から何かが動いている。


「あのとき、査問会で——レン・アシダに聞いてもらいました。誰にも聞いてもらえなかったことを」


「聞いてもらってから——少しだけ、変わりました。分類しなくても、失った者たちに意味はある、と思えるようになった」


「あなたにも——もし千年間、誰にも聞いてもらえなかったなら」


「私が聞きます。今から」


来た者が俺の隣で、静かに言った。


「彼女が——泣いている」


声には出ていない。でも来た者には分かるのかもしれない。


「そうかもな」と俺は思った。声には出さなかった。


レイラの声が、最後に言った。


「私も——」


短い間。


「私も……あなたと、同じでした」


接続が切れた。



 



沈黙が下りた。


今度は、誰も何も言わなかった。


俺も、ゴブも、カイルも、来た者も——ただ、判定者の光が震えるのを見ていた。


それは長い震えだった。


かつての討伐隊長が、かつての査問官が、かつての連合議長が、かつての黒幕が——それぞれの変わり方で、それぞれの言葉で、判定者に語りかけた。


共通していたのは一つだった。


「自分も、同じだった」


「……数値」


カイルが端末を見た。


「【世界判定エラー:23.1%】」


ゴブが、静かに息を吐いた。


「判定者は——今、どうしてますか」


来た者が答えた。


「聞いている。受け取ったものを」


「それ、でいいんですかね」


「……わからない」


来た者が珍しく、不確かな答えを返した。


「だが——届いた。それは確かだ」


ゴブが俺を見た。


「レン」


「なんだ」


「次は——誰が来るんですか」


俺にはわからなかった。


判定者の震えは、まだ続いていた。光が揺れるたびに、俺には何かを言いかけているように見えた。でも——まだ言葉にはなっていない。


焦らない。急かさない。


それは最初からずっと変わらない、俺のやり方だった。


「まあ——聞いてから判断しよう」


俺はそう呟いた。誰に言うわけでもなく。


ゴブが「そうですね」と言った。


来た者が静かに光った。


カイルが端末を握り直した。


判定者の震えが、続いている。

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