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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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309/315

第309話「あんたの線を、俺たちは越えた」

---


ゴブの言葉が、空間に残っていた。


「まあ、聞いてから判断しようと思って」


判定者の光が揺れている。乱れたリズムが止まらない。


俺は息を整えた。


水が尽きてどのくらい経つか、もうわからなかった。足の裏は感覚が薄れ始めている。十七時間以上、この場所にいる。体が限界を教えているのに、離れる気にはなれなかった。


「判定者」


俺は静かに呼びかけた。


「ゴブの言葉が、あなたを揺らした」


「……」


「揺らした、ということは——何かが、届いた」


光はまだ揺れていた。返事はない。でも、沈黙は否定ではなかった。


「あなたは証明を求めた。俺は見せると言った」


俺はゆっくりと続けた。


「外に、声を届けたい。分けられた側の声を——あなたに、直接届けたい」


「……」


「そのために、あなたのネットワークを使わせてほしい」


全迷宮の底を流れる回路。判定者が千二百年かけて構築した、世界の設計の基盤。それを通じて外へ声を届けること——俺が提案したのは、そういうことだった。


「設計外だ」


判定者の声が滲んだ。低く、かすれるように。


「わかってます」


「設計外の処理は——」


「証拠を出すためです」


俺は続けた。


「設計の中だけを見ていたら、設計外の証拠は出てこない。あなたが見たいと言っているのは——そういうことですよね」


沈黙。


俺の隣で、ゴブが静かに座り込んだまま光を見ていた。カイルは端末を構えて待っている。来た者は、暗闇の向こうで静かに存在していた。


「失敗したとき、どうする」


判定者が問うた。


「また聞きます」


俺は答えた。


「失敗したら、何がいけなかったか聞いて、また試みます。一回でうまくいかなくても——それは、最初からそういうものです」


「……」


「俺もゴブも、最初から全部うまくいったわけじゃない。間違えて、怒らせて、それでも聞き続けた」


光の揺れが、少し変わった気がした。


「……開放する」


声が滲んだ。


「これは、設計外だ」


「はい」


「責任は、どこが取る」


俺は少し考えた。


「俺が取ります」


「お前は——ただの人間だ」


「そうです」


「ただの人間が、設計の責任を取れるか」


「取れないかもしれない」


俺は正直に言った。


「でも、責任を取ると言える人間は今ここに俺しかいない。だから、俺が言います」


判定者の光が、広がった。


ゆっくりと、網の目のように空間を走る。全迷宮の底を流れる回路が、開き始めた。



 



変化は、音もなく来た。


「繋がった」


カイルが端末を見て言った。


「フォルから信号が届いてます。ゴブ——声、通ってます」


ゴブが立ち上がった。


小柄な体で、まっすぐ前を向く。光の向こうに話しかけるように、ゴブは深く息を吸った。


「判定者」


ゴブは呼びかけた。


「名前があるかどうか知らないけど——俺はゴブって呼ばれてる。ゴブリン。あんたが分類した種族の、一番下のあたりにいる者だ」


光がわずかに揺れた。


「あんたに分けられたのは知ってる」


ゴブの声は低くて静かだった。怒りはなかった。それより、もっと静かな何かが滲んでいた。


「ゴブリンは最下層。人間の脅威。迷宮の中に押し込められた存在——そういう設計だったんだろ」


「……そうだ」


「俺はずっと、第七迷宮の四層にいた。上からは人間が来る。もっと強い魔物に追われて、下からは第23層の脅威が来る。俺みたいな弱いゴブリンは、挟まれて震えてるしかなかった」


ゴブの目が、遠い場所を見ているようだった。


「外なんて、夢みたいな話だった。出られるとも思ってなかった」


「……」


「ある夜、変な奴が来た」


ゴブが俺を一瞥した。「変な奴」という視線が来て、俺は少し居心地が悪くなった。


「夜中に門番の小屋に行って、扉を叩いた。何をされるかわからなかった。叩いたら斬られるかもしれないと思った。でも——叩かなかったら、何も変わらなかった」


ゴブは続けた。


「そいつは話を聞いてくれた。外に出てきていいって言ってくれた。脅威かどうかは後で判断するって——まずは聞いてくれた」


「……」


「あんたの設計の中じゃ、俺はゴブリン。最下層の魔物だ」


ゴブはまっすぐ、光に向かって言った。


「でも今の俺は——第七迷宮の門番だ。王国から正式に認められた、門番だ。人間から「おめでとう」を言われた日のことを、俺は今でも覚えてる」


判定者の光が大きく揺れた。


「……それは」


「設計の外にあることだ。わかってる」


ゴブは静かに言った。


「設計の外で——俺は、会えた」


「会えた」


「あんたに分けられても。俺たちは、会えた」


沈黙が落ちた。


長い沈黙だった。


光は揺れたまま、止まらない。俺の喉が、ひりついた。足の感覚がない。何かを飲みたかった。でも——この空間から、離れることができなかった。



 



「フォルから接続確認」


カイルが端末を操作しながら言った。


「繋ぎます」


声の質が変わった。カイルのスキルを経由して届く、迷宮知性体の声。それは空間に溶け込むように滲んできた。


「判定者」


フォルの声は古く、深かった。迷宮の核にいる知性体の声は、ゴブとも来た者とも違う。もっと根元に近い、設計に近い場所から来る声だった。


「私はフォル。第七迷宮の核として在る者だ。迷宮という構造物の中に、長い年月を存在してきた」


「……知っている」


「ならば、私が何であるかも知っているだろう」


「……分類装置の核。秩序を維持するための機構」


「そうだ」


フォルは静かに言った。


「私はあなたの設計の内側にいた。迷宮という装置の中で、人間を選別し、強い者を上層へ導き、弱い者を弾く——それが私の役割だった。あなたと私は、同じ役割を担わされていた存在だ」


「……そうだ」


「だから——私には、少しわかる」


「……何が」


「あなたが、なぜ分けたのかが」


俺は黙って聞いていた。


フォルが判定者に直接語りかけるのは、初めてのことだった。この空間でその言葉を聞くのは、俺にも重さがあった。


「設計の中にいると、分けることが正しいと思う。それしかないと思う。分けなければ秩序がないと信じて疑わなかった」


「それは、正しい」


「正しかった」


フォルは続けた。


「だが——私は間違えたことがある」


「……」


「ドランという知性体がいた」


俺の胸が、少し痛くなった。


ドランの名を聞くと、いつもそうなる。


「彼は第七迷宮を三百年、管理していた。誰とも話さずに。設計の外の声を拒んで——それが正しいと信じて」


「……それは、正しい」


「正しかった」


フォルの声が少し沈んだ。


「だが——彼は最後に、一人の人間に話しかけた。その人間が、彼の話を聞いた。三百年で、初めて」


「……」


「ドランは、最後に言った。「よかった」と」


光が揺れた。


「よかった」


「あなたの設計に、その言葉はあるか」


沈黙。


「……「よかった」は——感情の値だ。設計の測定項目には入っていない」


「そうだろうと思っていた」


フォルは静かに言った。


「でも——それは、確かにあった。私は見た。ドランが消える直前、彼の声が変わるのを、私は感じた」


「……」


「設計で測れないものが、あった。私はそれを証言できる」


判定者の光が、またゆっくりと揺れた。


今度は大きく、長く。まるで何かを受け取ろうとするような揺れ方だった。



 



「来た者から接続が来てます」


カイルが端末を見ながら言った。声が少し上ずっていた。


「繋ぎます」


声の質が変わった。


外から来たものの声は、フォルよりもさらに古い質感があった。世界の外から来た知性体の言葉は、わずかに温度が違う。


「——判定者」


来た者の声が届いた。


「私たちは、あなたの設計の外から来た」


「……知っている。分類不能。除去対象」


「そうだ」


来た者は静かに言った。


「あなたは私たちを会わずに決めた。分類不能と判定し、除去対象と定めた。設計の維持のために、それは正しかっただろう」


「……そうだ」


「では——」


来た者は続けた。


「あなたは私たちに、会ったことがあるか」


沈黙。


「……設計上、その必要はなかった」


「そうか」


来た者の声は、怒りを含んでいなかった。静かな、確認だった。


「あなたは会わずに決めた。話さずに分類した。それが正しい設計だった」


「……そうだ」


「もし、あなたが会っていたなら——どうなっていたか。考えたことはあるか」


「……設計に、その仮定項目はない」


「私たちは三百年、封印の内側にいた」


来た者は続けた。


「外に出られず、話す相手もなく——ただ、待っていた。あなたに「除去対象」と決められた存在として、ただ、そこにいた」


「……」


「レンという者が来た」


俺の胸の底が、揺れた。


「除去しようとせず、分類しようとせず——ただ、聞きに来た。「まあ、聞いてから判断しよう」と言って」


「……」


「私たちは初めて、話すことができた。名前を得た」


「名前は——分類の手段だ」


「この名前は違う」


来た者は静かに言った。


「ただの人間が、私たちを見て、自分でつけてくれた名前だ。分けるためでなく——繋がるために」


判定者の光が大きく揺れた。


「エラー率、動いてる」


カイルが端末を見ながら言った。


「下だ。ゆっくりだけど——」


「判定者」


ゴブが、また口を開いた。


小柄な体で、暗闘の底に座り込んだまま、ゴブは光に向かって言った。


「俺はゴブリン。あんたの設計では最下層だ。今は門番で、人間と話して、一緒に食事して——たまに口喧嘩もする」


ゴブの声に、笑みが混じった。


「フォルは迷宮の核で、長い間ここにいた。来た者は外から来て、三百年待った」


「……」


「俺たちはみんな、あんたに分けられた側だ」


ゴブは静かに言った。


「でも——」


一拍の間。


「あんたの線を、俺たちは越えた」


光が止まった。


揺れが——止まった。


違う。止まったんじゃない。じっと、何かを確認するように静止した。


「越えた」


判定者の声が滲んだ。


ゆっくりと、意味を確かめるように。


「……あなたたちは、その後——どうなったか」


「会えた」


ゴブが答えた。


「俺はレンに会えた。聞いてもらえた。それだけで——俺の世界が、変わった」


「変わった」


「それが答えかどうかは知らない」


ゴブは素直に言った。


「でも——変わったのは、本当だ。あんたに言えるのも、本当だ」


長い沈黙が落ちた。


光は静止していた。


俺は喉の渇きを感じながら、その光を見ていた。足元の感覚はほとんどなかった。何かを飲みたかった。でも、動く気にはなれなかった。


光が、ゆっくりと動き始めた。


揺れではなかった。変化だった。


「……エラー率」


カイルが静かに言った。


端末を見て、息を吐いた。


「四十パーセント。ちょうど四十」


俺は光を見た。


「判定者」


俺は声をかけた。


「どうですか」


判定者は、しばらく沈黙していた。


やがて、声が滲んだ。


「……わからない」


「わからない、か」


「これは——設計上、処理できない」


「処理できなくていい」


俺は言った。


「わからなくても——聞けた。それで、十分です」


「……」


「次は」


判定者の声が、問いかけた。


「次は、誰が来るか」


俺は少し考えた。


次——ガレス、セルウィン、レイラ、オルディーン。かつて敵対した者たちが、次に声を届ける番だった。


「次は——あなたの設計の中で、人間同士で戦っていた者たちです」


「……人間同士で、戦っていた者」


「はい。でも、彼らも変わりました」


「変わった」


「聞いたから、変わりました」


光が揺れた。今度はゆっくりと、問いを持つような揺れ方だった。


「……分けた側が」


「そうです」


「分けていた側が——聞いて、変わった」


「次の声を待っていてください」


俺は言った。


「聞いてから、判断しても遅くない」


「……」


光が、広がった。穏やかに。


【世界判定エラー:40.0%——外部証言受信継続中】


カイルの端末に、その数字が浮かんだ。


「次の接続、準備します」


カイルが静かに告げた。


「ガレスに連絡を入れます——かつての敵が来ます」

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