↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
304/315

第304話「怖いのだ」

「——初めて、語る」


判定者がそう言いかけて、止まった。


あの言葉から、また時間が過ぎた。


判定者の座——迷宮の最深部よりさらに深い、ランクも判定も存在しない空間——で、俺は時間の感覚を失いかけていた。ここに降りてきてからどれくらい経つか。カイルが「十二時間を越えた」と言っていたのは、さっきだったか、もっと前だったか。


足の裏に意識を向けた。固い地面が冷たい。体温を奪われているわけではないが、質感がひんやりしていた。喉が渇いていた。水はほとんど残っていなかった。


ゴブが膝を抱えて座り直した。一度立って、また座る。体が固まってきているのかもしれない。


「眠いか」と俺は聞いた。


「起きてます」


「別に眠くていい」


「……はい。眠いです」


来た者は光の傍に立ったまま動かなかった。あの存在がいつ疲れるのか、俺にはわからない。封印の中で三百年を過ごした存在に、十数時間は何でもないのかもしれなかった。


カイルが端末に目を落とした。「エラー率、変わらず。四十七・九」


「そうか」


「上がっていない、というのは評価していいのか」


「うん」と俺は言った。「下がりきってなくても、止まってるなら——中で何かが動いてる証拠だと思う」


カイルが少し考えた。「……そういうものか」


「どうかわからないけど」


正直なところ、確信があるわけじゃない。判定者の内側で何が起きているか、スキルのない今の俺には読みようがない。ただ、光の揺れ方を見ている限り——止まっているのではなく、迷っているという感覚があった。


ゴブが「レン」と声をかけてきた。


「なんだ」


「水、あとどのくらいありますか」


「俺の分はほぼない」


「……やっぱりそうですか」


「来た者に頼めば出口は作れる」と俺は言った。「でも、もう少し待ちたい」


「わかりました」とゴブは言って、また膝に顎を乗せた。それだけだった。文句も言わなかった。


七年近い付き合いだ。ゴブが「わかりました」と言うとき、本当に了解している。


俺は再び光を見た。複数の起点から波紋が広がり、干渉し合っている。さっき来た者が「中心が変わっている」と言っていた。何かを考えている——という言い方が正確かどうかはわからないが、それに近い何かが、あの光の中で動いている気がした。



 



「——語ろう」


判定者の声が、改めて空間に響いた。


俺は動かなかった。「聞いています」とだけ言った。


「……前回も、話した。だが、まだ話していないことがある」


「聞かせてください」


光の揺れが、少し落ち着いた。


「等しい世界だった」と判定者は言った。「格差のない。ランクのない。誰もが同じ権利を持ち、同じ土地に立っていた。それが——美しいと、思われていた時代だ」


「そうだったんですね」


「人間も魔物も、区別されていなかった。迷宮は存在しなかった。ジョブという概念もなかった。ただ——生きる者が、同じ地平に立っていた」


「うん」


「だが」と判定者は続けた。「平等な世界であっても——力の差は消えなかった」


「……はい」


「格差を撤廃しても、能力の差は残る。体力の差。知恵の差。生まれながらの差。それを調整する制度がなければ——強い者は自然と多くを得た。弱い者は端に追いやられた」


「意図せず」と俺は言った。


「意図せず。悪意がなければ——問題だと気づかない。ただ、力の引力に従って、世界は静かに二極化していった。差別の意図はない。ただ、力のある者が集まり、力のない者は集まれなくなった。隔離、と言ったほうが正確かもしれない」


「隔離か」とゴブが小さく言った。


「そうだ」と判定者は言った。「意図せずとも、隔離が生まれた。隔離が進むにつれ、弱い者の子孫は生存条件が悪化していった。次の世代を育てる資源が足りなくなった。三代目、四代目と経るうちに——子の数が減った。五代目は、極端に少なかった。六代目は——」


「生まれなかった」


「生まれなかった。滅んだ、というのは戦争でも天災でもない。ただ——世代が続かなかった、ということだ」


来た者が一歩前に出た。「私たちも——その時代を、知っている」


「そうか」と判定者は言った。


「封印される前の、断片的な記憶として。声がなくなっていく感覚を、持っている者がいる」


「そうだ」と判定者は続けた。「声がなくなった。一世代目は五割。二世代目は三割。三世代目は一割を切った。四百年を経て——五世代目が、生まれなかった。世界の総数が臨界を割り込み——」


「滅んだ」


「そうだ。派手ではない。ただ——静かに、音がなくなった。それが、世界の終わりだった」


俺はその言葉の重さをゆっくりと受け取っていた。


静かになって、音がなくなる。


戦争でも天災でもなく。誰も悪くなく、誰の意図もなく、ただ世界が静かになっていく。それが終わりだとしたら——気づかないまま終わる。そのほうが怖いと思った。


「俺は——私は、その後に生まれた」と判定者は言った。「四百年分の記録の残滓として。誰にも意図されず、ただ残ったものとして。その記録から学んだ。なぜ世界が滅んだか。何を変えれば——二度と繰り返さないか」


「だから設計した」と俺は言った。「ランクを作り、ジョブで役割を分け、迷宮という場所に力を集め、人間と魔物を分けた」


「全部だ」と判定者は言った。「全部が——世界を守るための設計だった」


「……わかります」と俺は言った。「あなたの出発点は、世界を守ることだった」


「……なぜ、それを言う」


「誰も言わなかったと思うので」


長い間があった。


「そうかもしれない」と判定者は、静かに言った。「誰も——聞かなかった。私が何のために設計したか。ただ——従うか、逃げるか、それだけだった」


「今日は聞けました」と俺は言った。


「……そうだな」



 



沈黙の中で、俺は少し古いことを思い出していた。


第23層のことだ。


ヴォルト——第23層の知性体、封印の番人——が初めて「怖い」と言ったとき。


あの存在は、下から来る瘴気から逃げていた。逃げた先が上層だった。人間の目には「脅威が迫ってくる」に見えていたが、実際は怖くて逃げていただけだった。


「怖かっただけだ」と、ヴォルトは言った。


その一言を聞いたとき、何かが動いた。交渉が前に進んだ。


今、判定者の前に立ちながら——俺は同じ入り口の気配を感じていた。


「一つ聞いてもいいですか」と俺は言った。


「……うん」


「あなたが今、一番怖いのは——何ですか」


光が揺れた。大きく。


「急ぎません。ただ、聞きたい」


沈黙が続いた。


カイルが端末を脇に置いた。ゴブが座ったまま光を見ていた。来た者が目を閉じた。


「分類を——やめれば」と判定者が言った。「世界が、また混沌に還るかもしれない」


「それが怖い」


「そうだ。千二百年間、それだけを防ぐために設計してきた。今、その設計を崩すことは——壁を、俺自身が壊すことだ。滅んだ世界が生んだ俺が、また世界を滅ばせるかもしれない」


「それは本物の怖さだと思います」と俺は言った。「千二百年かけて積み上げてきたものが崩れるかもしれない。その怖さは——間違いなく本物だ」


「そうだ」


「でも」と俺は続けた。「それだけじゃないと思って」


判定者が止まった。


光の揺れが変わった。


「世界が滅ぶことへの恐れ。それは本当にある」と俺は言った。「でも——あなたが分類をやめたとき、あなた自身が何者になるのかが、わからないことも——怖いんじゃないですか」


沈黙が伸びた。


ゴブが息をのんだのが聞こえた。カイルは動かなかった。来た者が目を閉じた。


「千二百年間、分類し続けてきた」と俺は続けた。「それがあなたの存在理由だった。全員を格付けして、秩序を維持して、世界を守ってきた。それをやめたとき——あなたは、自分が何者かを知っていますか」


「……」


「言いにくければ言わなくていい」と俺は言った。「ただ、聞いてるので」


ゴブがそっと俺の隣に来た。何も言わなかった。ただ立った。


来た者が口を開いた。「私も——分けられていた。封印されていた。それが終わったとき、最初は何者かわからなかった」


「……そうか」と判定者が言った。


「でも——誰かに聞いてもらって、名前を決めた。「待つ者」と決めた。分けられる前でも後でもなく、今の自分の名前を」


光が揺れた。


ゆっくりと、深いところから。


「……私は」と判定者が言った。


俺は黙っていた。


「分類をやめれば——千二百年の記録が、意味を失う。私がずっと正しいとしてきたことが——誤りだったということになる。だとしたら」


「だとしたら」と俺は静かに繰り返した。


「私は——何だったのだ」


その問いが、空間に落ちた。


誰も答えなかった。


この問いは、俺が答えるものじゃない。判定者が自分で向き合うべき問いだ。俺は待った。



 



しばらくして。


光が、一度大きく揺れた。今まで見た中で、最も大きな揺れだった。


「私は」と判定者が言った。


今まで聞いた中で、一番小さな声だった。


「——怖いのだ」


分類する声ではなかった。


判定する声でも、記録する声でもなかった。


千二百年間、誰に言うこともできなかった言葉を、初めて言っている声だった。


「世界が滅ぶことも。千二百年の記録が意味を失うことも。そして——分類をやめた私が、何者であるかを知らないことも」


「全部」とゴブが、小さく言った。


「全部、怖い」と判定者は続けた。「そしてそれを——今まで、言えなかった。言うべき言葉が何かも、わからなかった」


「でも今日、言えた」と俺は言った。


「……そうだ」


「怖いと言えた者は——次に、じゃあどうするかを考えられます。俺が見てきた人たちはそうだった」


光が揺れた。


波紋が広がり、干渉して、それでも消えずに——静かに、重なり合っていた。


「……本当か」と判定者が言った。


「全員がそうじゃないかもしれない」と俺は言った。「でも——怖いと言えなければ、絶対に次に進めない。それは確かだと思ってます」


沈黙があった。


【世界判定エラー:45.1%】


カイルの端末が、静かに数字を示した。


「下がった」とカイルが小声で言った。


ゴブが俺の隣で静かに息を吐いた。


「怖い、を言えたか」とゴブはつぶやいた。「よかった」


俺も同じことを思っていた。


「今日はここまでにしましょう」と俺は言った。「ゆっくり考えてください。次に来るとき——また、聞きます」


「……また、来るのか」


「まあ、来ます」と俺は言った。


光が一度、静かに輝いた。


それが答えなのかどうか、わからなかった。


「……私は、怖いのだ」と判定者がもう一度、小さく言った。まるで自分の中に留めておくような、確かめるような言い方だった。「だが——それだけでは、ない」


その言葉が空間に漂うのを、俺は静かに聞いていた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


毎日昼・夜の2回更新中です。続きが気になったら、ブックマークで追いかけてもらえると嬉しいです。


もしこの話が面白かったら、☆評価をいただけると本当に助かります。

なろうの評価は日間・週間ランキングに直結するので、1クリックが「次の100話」を書く燃料になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。