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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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300/315

第300話「聞いてから」

判定者が「したかったことは——」と言いかけて止まってから、どれくらい経ったのか、もう俺には分からなかった。


空間には重力があるのかないのか。歩けているのか浮いているのか。時間の流れ方がおかしくなっていた。青白い光が静かに揺れ続けていて、それだけが変わらなかった。


足の裏がじんじんしていた。


ずっと立っているせいだ。いや、座れる場所があるのかどうかも分からない。足の裏の鈍い痛みだけが、俺をここに繋ぎ止めていた。


「……まだ待つのか」


カイルが低い声で言った。


「待つ」


「どれくらい」


「分からない」


カイルが息を吐いた。長い、細い息だった。疲れているのが声で分かった。俺も疲れている。それでも、ここで動けなかった。


ゴブが「……寒くないですか」と聞いてきた。


「寒い」


「俺も」


来た者は何も言わなかった。感情を声に出すことに、まだ慣れていないのかもしれない。三百年間、封印の中では声を出す相手もいなかった。それでも、俺の横で微動だにせずいてくれていた。


判定者の光は波打っていた。複数の場所から同時に波紋が広がって、ぶつかって、また新しい波が生まれる。その繰り返しが続いていた。


「したかったことは——」という言葉が出てから、判定者は止まっていない。見えない内側で、何かを探し続けていた。


千二百年以上、分類し続けてきた存在が、自分自身のことを分類しようとしている。


それには時間がかかる。当然だ。


俺は待った。門番の仕事は、ずっとそうだった。扉の前で待つ。来る者があれば通す。来ない者を無理に引っ張り込まない。



 



「……したかったこと」


判定者の声が、空間に滲んだ。


音というより、意味が直接届く感じがした。エコーではなく、内側から来るわけでもなく、ただ「在る」というような伝わり方だった。


「設計には、なかった。その値は——記録に、ない」


「それが、答えです」と俺は言った。


「答え?」


「設計にないものを探していた。それが、あなたのしたかったことじゃないですか」


判定者は答えなかった。


でも光の波紋が、一瞬だけ大きく乱れた。


乱れ、というのは悪い意味じゃない。川の流れに石を投げたときみたいに、ある一点から新しいリズムが生まれる。俺には判定者の感情を読む術がない。でも、あの揺れが「当たり」を意味しているということは、なんとなく分かった。


「設計にないものを……探す」


「ずっとしてたんじゃないですか。分類するたびに、分類できないものと出会って。それを「エラー」として退けてきた」


長い間があった。


「でも退けても退けても、また出てきた」と俺は続けた。「俺みたいなのが」


カイルが横で小さく笑った。緊張を逃がすような、細い笑いだった。


「お前がエラーの代表みたいに言うな」


「代表なんだが」


「……そうだな」


ゴブが「俺もエラーですよ、たぶん」と言った。「ゴブリンが人語を話して交渉するなんて、設計にないはずです」


来た者が、ほんの少しだけ声を出した。


「封印されていたものが名前を持った。それも、設計にない」


三人が揃って言うと、判定者の光が大きく揺れた。


「……設計外の事例が、多い」


「多いですよ」と俺は言った。「で、それを全部エラーとして除去しようとしてきた。でも俺たちはここにいる」


「なぜ、在れる」


「あなたが、まだ動かしていないからです」


今度の沈黙は長くなかった。


「……動かせなかった」


その言葉が、静かに落ちた。強がりでも謙遜でもなく、ただ事実として。千二百年以上機能してきた設計が、初めて「できなかった」と言った。


俺の胸の中で、何かが動いた。感動なのか安堵なのか、名前を付けられないまま、ただそこにあった。



 



「できなかった理由を、聞いてもいいですか」


俺は声を穏やかに保った。急いでいない。ここで急いだら全部台無しになる感覚があった。


「……計算が、合わない」


「計算?」


「除去すべき対象を除去すれば、設計は正常に回帰するはずだった。だが——回帰しなかった。むしろ、エラーと接触するたびに——」


言葉が途切れた。


「接触するたびに、なんですか」


「……処理に時間がかかるようになった。何かが、残る」


ゴブが「残る、ってどういう意味ですか」と聞いた。ゴブの聞き方はいつも正直だ。知ったふりをしない。それがよかった。


判定者の声が、また変わった。論理の言葉ではなく、何か別のものを探すような、不安定な抑揚が混じり始めた。


「……分類できないものと接触するたびに、設計とは別の何かが生まれる。それを除去してきた。だが除去するたびに——設計が、軽くなる」


「軽くなる」と来た者が低く繰り返した。「それは——失う、ということですか」


「失う。その定義では——近い」


来た者が俺の方を見た。目があった。俺はうなずいた。


「判定者」と俺は言った。「あなたは今、何かを失うことを怖がっていますか」


また、沈黙。


でもこの沈黙は違った。今まで何度も経験してきた「処理中の停止」ではなく、もっと内側から来る、人間的な間に近かった。


「……怖い、という値が——ある」


「その怖い、という値を聞かせてもらえますか」


「失えば——設計が、完全になる。完全に回帰する。だが——」


「だが?」


「……それが、正しいのかどうか。判定できない」


正しいかどうかが判定できない。千二百年以上「正しい」を定義してきた存在が、今、正しさを判定できないと言っている。


俺は何も言わなかった。


「千二百年以上、「正しい」ことしかしてこなかった。正しいとは、設計通りであることだ。だが——今この瞬間、設計通りにすることが、正しいのか——判定できない」


【世界判定エラー:51%】


カイルが集計を確認して、小さく息を吐いた。まだ高い。でも、下がり続けている。


「一つだけ聞いていいですか」


俺は静かに言った。


「……処理する」


「あなたは今まで、誰かの話を聞いたことがありますか。聞こうとしたことが」


長い沈黙だった。


波紋が止まった。光が、一瞬、消えかけた。


「……ない」


「設計に、なかったから?」


「設計に——なかった。分類する。判定する。除去する。それが機能だ。「聞く」という処理は、設計に——存在しない」


「でも今、俺の話を聞いてる」


「……」


「設計にない処理を、今、してる」


言い切って、俺は黙った。それ以上言葉を重ねなかった。


来た者が、ほんの少し動いた。


「私も——最初は、聞けなかった」と来た者は言った。「三百年、封印の中にいた。誰とも話さなかった。話し方を知らなかった。最初に声をかけてくれた者がいた。それが、怖かった」


判定者の光が揺れた。


「怖かった」と来た者は続けた。「聞かれることが怖かった。答えが出せないから。でも——聞いてもらったとき、何かが残った。あなたが言う「残る」もの——それと、同じかもしれない」


静寂。


カイルが腕を組んで下を向いた。ゴブは何も言わなかった。ただ判定者の光をじっと見ていた。


俺も、待った。


体の感覚が薄れていた。腹が減っているのか疲れているのか、境界がなくなっていた。でも今は関係ない。今は、ここだ。



 



「……設計にない処理を、している」


判定者が、自分で確認するように言った。


「そうですね」と俺は言った。


「設計外の処理を——止められない」


「止めなくていいと思います」


「止めなければ——設計が、崩れる」


「崩れていいんですよ」


その言葉を言ったとき、判定者の光が大きく揺れた。


「設計が——崩れていい?」


「崩れた後で、考えればいい」


俺は少し息を整えてから、続けた。


「聞いてから、判断すればいい」


「……」


「あなたが千二百年守ってきたものを、俺は否定しない。それは本当に大事なことだった。でも今は、設計を守ることより——」


一瞬止まった。


「あなた自身が、どうしたいかを、聞きたい」



 



沈黙が来た。


今度の沈黙は、それまでの全てと違った。


処理が止まったのではなく、判定者が——考えているのだと感じた。設計のための計算ではなく、自分自身のために考えている。


カイルがゆっくり顔を上げた。ゴブが俺の袖を少しだけ引いた。来た者は微動だにしなかった。


俺たちは全員、待った。


光の波紋が止まり、また生まれ、また止まった。その繰り返しが、何度も、何度も続いた。


ep1の夜を思い出した。


あの夜も、扉の向こうで誰かが迷っていた。叩くべきか叩かざるべきか。俺は扉の内側で、ただ待っていた。ゴブが叩いたとき、俺は驚かなかった。来るだろうと思っていたわけじゃない。ただ、待っていた。それだけだった。


「……」


判定者の声が、出かかって、止まった。


また出かかった。


俺は息を呑んだ。


ゴブの手が、俺の袖をもう少し強く握った。


「……まず」


判定者が言った。


声が、これまでとは違った。論理の声ではなく、もっと不安定で、もっと不確かで——でも確かに内側から出てきているような声だった。


「まず——」


もう一度、繰り返した。


カイルが小さく「……」と声をもらした。言葉にならない、息の音だった。


「まず、聞いて」


静寂。


判定者が止まった。


出した言葉を、自分で反芻しているようだった。一つの言葉を口にした後で、それが自分の言葉だと確かめるように、長い間があった。


「聞いて——それから」


また止まった。


光が、ゆっくりと、広がった。波紋ではなく、ただ、広がった。


「……判断、する」


その言葉が落ちたとき、俺は何も言えなかった。


セリフが出てこなかったわけじゃない。言葉を出す必要がなかった。


来た者が、かつて俺の言葉を初めて繰り返したとき。ゴブが「聞く」を自分の言葉にしていったとき。カイルが「聞いてから判断した」と初めて言ったとき。カーラが笑いながら言ったとき。レイラが慟哭の末に絞り出したとき。オルディーンが全市民の前で立ち上がったとき。


その全部が、今ここに繋がっていた。


世界の仕組みが、聞くことを、選んだ。


「……おい」


カイルの声が、かすれていた。


「カイル」


「聞こえたよな。今、聞こえたよな」


「聞こえた」


「夢じゃないよな」


「夢じゃない」


ゴブが俺の袖を放した。そして判定者の光を見上げて、小声で言った。


「……よかった」


その三文字が、静かに、空間に溶けた。


【世界判定エラー:48%——初めての低下】


カイルが集計を転送してきた。数字を見て、俺は息を吐いた。長い息だった。どれくらい溜めていたのか、吐き切るまで時間がかかった。


「下がった」とカイルが言った。


「下がった」


「……でも、まだ48だ」


「うん」


「止まってない。完全には」


「わかってる」


カイルが俺を見た。


「これで終わりじゃないな」


「終わりじゃない」と俺は言った。「始まりだ」



 



俺たちが判定者の座を後にするとき、ゴブが一度振り返った。


「「戻ってきてくれますか」と言わなかったですね」と言った。


「言わなかった」と俺は言った。


「ドランは言ってた。「戻ってこい」って」


「覚えてる」


「なぜ、言わなかったんですか」


俺は少し考えた。


「ドランは、一人になることが怖かった。だから「戻ってこい」と言った」


「判定者は——怖くないんですか」


「怖いと思う。でも——」


俺は立ち止まって、判定者の光の残滓が薄れていく方向を見た。


「言わなくていい相手になった気がした。次に来たとき、ちゃんとそこにいてくれると思ったから」


ゴブが「……そうですか」と小さく言った。「俺も、そう思います」


カイルが「お前たちはいつからそんなに達観してるんだ」と半ば呆れたように言った。「こっちはまだ動悸が収まらないのに」


「俺も動悸してる」


「してないように見える」


「慣れた」


「何に慣れてるんだ。世界の仕組みと話すことにか」


「そこに慣れてどうする」


ゴブが「二人とも笑ってますよ」と言った。


そうか、と俺は思った。笑っていたのか。気づかなかった。


来た者が「戻ろう」と言った。「カイルが腹を鳴らしている」


「鳴ってない」とカイルが即答した。


「鳴っていた」


「……気のせいだ」


「私の耳は正確だ」


ゴブが「俺も鳴ってます」と正直に言った。


俺も鳴っていた。たぶん。


「まあ」と俺は言った。「帰ってから食べよう」


「それは当たり前のことだ」とカイルが言った。「当たり前のことを「まあ」で包むな」


「聞いてから判断するより先に腹を満たす方が先だというのは、正論だ」


「そうだ。珍しく正論を言った」


ゴブが先に歩き出した。来た者がその後に続いた。カイルが歩き出した。


俺は一歩踏み出す前に、もう一度だけ振り返った。


判定者の光は、まだあそこにあった。波紋が続いていた。


「……まず、聞いて。それから——判断、する」


その言葉は、完全じゃない。


「まあ」がない。一度止まった。続きを探した。


でも、確かに出た。


完全な発語は、まだ先にある。でも——始まった。


俺は前を向いて、歩いた。


背後で、判定者の光が静かに揺れ続けていた。


【世界判定エラー:48%——初めての低下。完全な発語は、まだ——】

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