第30話「扉の前で」
第一部・完
ミアが来た。
通路を使って、向こうの世界からこちらに来た。
今度は一人ではなかった。
光の体が二つ。ミアと、もう一人。形が少し違う。
「ミア」
『——来た——約束通り——』
「向こうは誰だ」
『——弟——一緒に来たいと言った——ダメだったか——』
「構わない。歓迎する」
ミアの弟——名前はアオ——は初めての異世界に戸惑っていた。
形が安定しない。出たり消えたりする。
『——姉さん——ここ——なんか重い——』
『——慣れる——少しずつ——』
「重いというのは、この世界の重力か」
『——なんか全体的に——濃い——』
「霧の世界は薄いのか」
『——そうだ——ここは——情報が多い——』
情報が多い。
植物、風、土の匂い、人間の声、迷宮民の声。全部が初めてのものだ。
ゴブがアオを見た。
「……霧は弟もいるのか」
「今日初めて知った」
「家族がいるんだな」
「いるみたいだ」
ゴブが少し考えてから、アオに近づいた。
「こんにちは」
『——?——』
「ゴブリン、というもの。迷宮に住んでいた」
ミアが通訳した。アオが揺れた。
『——迷宮民——聞いたことある——姉さんから——』
「会ったことは?」
『——ない——怖い——と思っていた——』
「怖くないか?」
ゴブが腕を広げた。
『——……小さい——』
「失礼だな」
ミアが笑った——揺れ方で、笑っていることがわかった。
全員が施設の前の広場に集まった。
グレン、ドルグ、カイル、エリア、じいさん。ゴブ、ヴァル、シル、迷宮民の子供たち。ミアとアオ。
それと俺。
前哨基地に来た最初の夜とは、全然違う場所になっていた。
ゴブが言っていた——変わらないと思っていた場所が、気づいたら変わっている。
エリアがアオに話しかけ始めた。学者の目をしていた。
「向こうの世界について教えてもらえますか。言語はありますか。文化は——」
アオが圧倒されていた。
ドルグがカイルに言った。
「エリアは止まらないな」
「いつもこうだ」
「次の迷宮攻略の情報、そろそろ聞いてもいいか」
「今日じゃなくていいか。記念日っぽい日だから」
「それもそうか」
グレンが俺の横に来た。
「……本当に終わったな」
「第一部が終わった、という感じです」
「第二部があるのか」
「ミアの世界と正式に交流が始まれば、次の問題が出てきます。霧の世界の規則、こちらの世界への影響、経済的な関係——」
「止まれないな」
「止まらなくていいと思っています」
グレンが俺を見た。
「お前は、いつかここを出るつもりはないのか」
「ここが俺の場所です」
「門番として?」
「外交官として。ただ——扉の前に立っているという意味では、最初から変わっていない」
夕方になった。
ミアとアオが帰る時間だ。
「また来るか」
『——来る——定期的に——向こうで、こちらの話をするつもりだ——来たい者が増えるかもしれない——』
「歓迎する。扉は開けておく」
『——レン——』
「なんだ」
『——お前は——良い調停者だ——』
「ありがとう。お前も——良い最初のゲストだった」
ミアが揺れた。
アオが『また来る』と言った。ゴブに向かって。
ゴブが「また来い」と返した。
扉が閉じた。
二つの光が消えた。
全員が少し静かになった。
シルが古語で何か言った。ヴァルが訳した。
「『次はいつ来るのか』と聞いている」
「来月には来ると言っていた」
「そうか」
シルが少し笑った。
「楽しみ、と言っています」
夜になった。
全員が帰って、ゴブと俺だけが残った。
例によって。
「今日は大勢来たな」
「大勢来た」
「お前の最初の夜は、俺一人だった」
「そうだな」
「あの時、俺はお前のことを信用していなかった」
「当然だろ」
「今は信用している」
「俺もだ」
ゴブが空を見た。
「……扉が開けられた。霧の世界とも繋がった。子供たちは学校に行っている。迷宮の民が外にいる」
「全部、起きた」
「信じられないな」
「俺も最初は信じていなかった」
「でもやった」
「やった」
ゴブが俺を見た。
「調停者」
「なんだ」
「お前は、ここに来て——良かったか」
俺は少し考えた。
「良かった」
「なぜ」
「話を聞く仕事をしている。前世も今世も変わらない。ただここでは——もっと大きな話を聞ける」
「もっと大きな話?」
「四百年分の話。霧の話。お前の話。全部が繋がっている話」
「それは——面白いか」
「面白い。この世界に来て一番良かったことだ」
ゴブが少し間を置いた。
「……俺も、面白かった。最初の夜からずっと」
扉の前に、灯りが一つある。
前哨基地の、正門の前。
最初に来た時から、俺が毎晩灯している。
ゴブが来た夜も、シルが来た夜も、グレンが来た朝も、全部ここから始まった。
調停者の仕事は——扉の前で待つことだ。
話しかけてくる誰かを待つ。
そして言う。
「まあ、聞いてから判断しよう」
それだけで、世界は少しずつ変わる。
俺はそれを知っている。
【第一部 完】
第二部「霧の世界の使者たち」予告:
ミアが伝えたこの世界の話が向こうに広まり、霧の世界からの訪問者が増え始める。一方、王国内部では条約批准を巡って反対勢力が台頭。レンは新たな交渉の舞台——王都——に初めて足を踏み入れることになる。




