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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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288/315

第288話「効かない分類」

青白い光の中で、ゼロという数字が浮いていた。


正確には声だ。言葉だ。でも俺の頭の中で、それはやはり数字の形をしていた。


千二百四十七年。判定者が稼動し続けた時間のすべてを走査した結果——判定者そのものへの感謝の記録は、一件も存在しない。


沈黙が続いていた。


青白い格子の光がわずかに揺れていた。俺は何も言わなかった。急かす必要はなかった。この沈黙の中に、次の何かが育っている気がした。


ゴブが俺の隣で呼吸を整えている気配がした。緊張しているのだろう。ゴブはこういう空間が苦手だ。床がない、と言っていた。実際、ここには地面がない。浮いているのか立っているのかわからない感覚の中で、それでもゴブはここにいる。


カイルは後ろで静止していた。余計なことを言わないときのカイルを、俺は信頼している。


来た者は、光の外縁に近い場所で、波紋のように広がる格子を見ていた。


「……感謝、という値は」


判定者の声が、沈黙を割った。


音量は同じだ。でも質が違う。密度、とでも言えばいいか。言葉と言葉の間隔が、さっきまでより遅い。


「設計の目的に含まれていない。記録の必要がない。ゆえに」


「ゆえに、何ですか」


「……影響しない」


「本当に影響しないなら」と俺は言った。「今の間は何だったんですか」


格子の光が、大きく揺れた。


答えが来るまでに、また少し時間がかかった。


「……影響しない、ということにしたいのかもしれない。設計の言葉でそう処理しようとしたが」


「できなかった」


「……そうだ」


それが、判定者が初めて「できなかった」と言った瞬間だった。


俺はその言葉を、静かに受け取った。急いで次に行かなかった。一つ一つを、丁寧に。


ゴブがぼそりと言った。「……レン。あれは、もしかして——」


「もしかしてじゃないかもしれない。でも急ぐな」


「急いでないけど、足が——この空間、本当に足の感覚がおかしい」


「俺も変な感じがする。でも、立ってる」


「立ってるのか?」


「たぶん」


「……たぶん、って」


カイルが後ろから「今は集中させてやれ」と言った。ゴブが「わかってる」と返した。二人のやりとりを聞きながら、俺は格子の揺れ方を観察し続けた。


揺れている。「できなかった」という言葉の後から、揺れ方が変わっている。さっきまでは整然とした周期があった。今は、それが乱れている。



 



「……除去対象の位置特定を、完了した」


判定者の声が変わった。


さっきの揺れを引き戻すように。設計の速度に戻ろうとするように。感情があるかどうかはわからないが、何かを押し込める動作のように俺には見えた。


「ジョブ:門番。ランク外。エラー。——除去を、再開する」


空間が動いた。


格子が収縮を始めた。壁が近づいてくるのとは違う。外から押してくるのではなく、中から引いてくる感覚。四方八方から、俺たちを中心へと静かに引き絞っていく。精密な動作だった。迷宮深部で感じた核の乱暴な圧力とは違う。これは、設計された動きだ。


カイルが「囲まれてる」と低く言った。


「わかってる」


「逃げるか」


「どこへ」


「……そこか。そうか。ここは全部、あいつの管轄内だな」


「逃げたら話が切れる。それが一番まずい」


ゴブが俺の腕を掴んだ。「でも、レン——」


「大丈夫だ」


「何が大丈夫なのか、説明してくれ。頼む。聞いたら少し落ち着ける気がする」


「まあ」と俺は言った。「聞いてから判断しよう」


ゴブが「……今ここで言うか、その口癖」と呟いた。でも、手を放さなかった。文句を言いながら離れないゴブを、俺はずっと知っている。


来た者が静かに言った。「ゴブ。レンは、逃げない。これはそういう交渉だ」


「どうしてわかる」


「私も、この空間に来た経験がある。三百年前。あのときは、誰も問いを待たなかった」


来た者の声に感情があるかどうかはわからない。でも重さがあった。ゴブが腕を放した。


俺は判定者に向けて声を出した。「待ってください」


格子の収縮が、止まった。


「除去の前に、一つだけ聞かせてください」


「……設計に、不要な情報だ」


「聞いてみてから、不要かどうか判断してください」


間があった。


「……問え」


「あなたは今、俺を何に分類しましたか」



 



格子が揺れた。


「エラー。除去対象。設計外の値」


「その前に試した分類も、聞かせてもらえますか」


「……」


「さっきから何度か、判定を試みて止まっていましたよね。俺には見えていました」


「見えていた、という値は——設計外だ」


「そうかもしれません。でも俺には見えていました。止まるたびに、格子の揺れ方が変わりました」


長い間があった。


「……分類を、再試行する」


「どうぞ」


「脅威——」


「俺は何も壊していません」


格子が揺れた。


「……エラー——」


「さっき言いました」


「人間の、代表者——」


「俺は旅人です。誰も代表していない」


「……交渉者——」


「話を聞きに来ました。交渉とは少し違います」


「……境界者——」


「境界者、というのは?」


格子が止まった。


「……人と魔物の、境界に立つ者。しかし設計において」


「設計において、境界は維持するものであって、立つものではない」


「……そうだ」


「でも俺は、境界に立ってきました。第七迷宮の門の前に。人と魔物の間に。人と人の間にも。ずっとそこにいた」


「それは——」


「そういうジョブでしたから」


沈黙。


「……調停者——これは設計にない概念だ」


「ゴブ、俺は調停者か」


ゴブが「……知らん。俺がそう呼んだだけだ」と答えた。


「調停者というのは、ゴブが俺に使った言葉だそうです。あなたの設計には入っていなかった。でも現実には存在した」


格子の揺れが、大きくなった。


カイルが低く「……お前、何をやっているんだ」と言った。


「分類させてない」


「わかった。意味があるのか、それ」


「わからない。でも続けてみないとわからない」


カイルがため息をついた。怒ったわけじゃない。信じているため息だ。


俺は判定者に向けて言った。「まだありますか」


「……エラーの特殊値——通常の分類に収まらないが、除去処置が成立しない個体。ただしこの場合も——」


「除去が成立しない」


「……成立しない」


「それも、分類ですよね」


「……そうだ」


「では、その分類も違います。俺は「除去が成立しない個体」として存在しているわけじゃない。ただ、ここに来ました。それだけです」


格子が、また大きく揺れた。



 



来た者が、口を開いた。


「私も……かつて、分類できない、と言われた。封印という処置で、収められた。でもそれは収まったのではなかった。三百年、ずっとそこにいた」


判定者は来た者には答えなかった。


でも格子の光が一条、来た者に向かって走った。来た者を——測ろうとするように。


「封印は、設計の補助処置だ」


「補助、と呼ぶのか」


来た者の声は静かだった。けれど俺がこれまで聞いてきた中で、最も静かな反論だった。


「私たちは、三百年間そこにいた。補助と呼んでいい時間だったと思うか」


判定者の格子が、大きく揺れた。


来た者が初めて、設計に反論した。ずっと距離を置いていた来た者が、一歩踏み出した。


俺は足の裏の感触を確かめた。


この空間には床がない。でも何かの上に乗っている感覚がある。喉が乾いている。水が欲しい。ここには水も食事もないが、腹は減っていない。地上の時間の流れと、ずれているかもしれない。


でも、いる。


確かに、俺はここにいる。


カイルがスキルを転送してきた。


【世界判定エラー:54%】


「カイル、地上の状況は」


「バルタで三か所目の暴動が起きた。迷宮核は——七基に増えた。さっきより一基増えてる」


「時間は」


「ある、とは言えない」


カイルの声が固かった。責めているわけじゃない。現実を伝えている声だ。


ゴブが「……さっさと片付けてくれ。頼む」と言った。「俺はここが本当に苦手だ。帰ったら水が飲みたい」


「俺も飲みたい」


「そういうことは帰ってから言え」


「帰ったら言う機会を忘れそうだから今言ってる」


ゴブが「……変なやつだ」と言った。声が少し柔らかくなった。


俺は判定者に向き直った。「続けてもいいですか」


「……何を」


「分類の話を」


格子が収縮しかけて、止まった。


「……除去処置は、進行中だ」


「わかりました。進めながら、話しましょう」


「同時には——できない」


「なぜですか」


「処理が、競合する」


俺はその言葉を、静かに受け取った。


「除去の処理と、話を聞く処理が」


「……そうだ」


「どちらかを選ぶ必要がある」


「……そうだ」


「どちらを選びますか」


格子が揺れた。長かった。


「……」


「急ぎません」と俺は言った。「時間はかかってもいいです」


カイルが「時間はかかってもいいって——」と言いかけた。


「わかってる」と俺は言った。「でも今、急かしたら終わる」


カイルが一瞬黙った。


「……わかった。任せる」


「ありがとう」


「礼を言う場面かどうか微妙だが」


「言いたかったから言った」


ゴブが「俺も信じてる」と言った。来た者は何も言わなかったが、その沈黙が同じ意味に聞こえた。


判定者は、まだ揺れていた。



 



「……お前は」


声が来た。


「なぜ、逃げない」


「逃げたら」と俺は言った。「あなたと話せなくなります」


「話す必要が——ない。お前は除去対象だ」


「俺にとっては、あります」


「……なぜ」


「あなたが千年間、誰にも聞かれてこなかったから。それだけです」


沈黙が来た。


この沈黙の質を、俺はもう何度か知っている。レイラが単身で査問会に現れた夜の前の、重い間。セルウィンが「まあ、聞いて——」と言いかけて止まったあの瞬間の前の、息を詰めたような空気。オルディーン議長が全市民の前で立ち上がる直前の、議事堂が凍りついたような静寂。


何かが変わろうとしている。その直前は、いつも同じ質の沈黙が来る。


俺は急かさなかった。


ゴブも、カイルも、来た者も、誰も何も言わなかった。


「……分類を」


判定者が言った。


「最終試行を、行う。お前を——どこかに、収める必要がある」


「どうぞ」


「脅威——でない。エラー——処置が成立しない。人間——設計の範囲を超えている。交渉者——目的が設計に収まらない。調停者——設計に存在しない。境界者——設計に存在しない。エラーの特殊値——処理を完結できない」


一つずつ、ゆっくりと列挙した。


声が遅い。考えながら話すときの遅さだ。千二百四十七年の設計の中にない何かを、ようやく探そうとしている遅さだ。


「ジョブ:門番。ランク外。レン・アシダ——この個体は」


格子が大きく揺れた。光が、俺の輪郭を何度もなぞるように動いた。測ろうとして、測れない。収めようとして、収められない。


「——どこにも」


間があった。


俺は待った。


足の裏の感触。喉の乾き。隣にいるゴブの気配。少し後ろにいるカイルの息の音。来た者の、光に溶けそうで溶けない輪郭。


全部、ある。


俺は、確かにここにいる。


「——どこにも……収められない」


判定者の声が、青白い空間の隅々まで滲んだ。


怒りでもなく、困惑でもなく——なんと呼べばいいかわからないが、俺にはそれが、判定者が初めて口にした、設計の言葉ではない何かに聞こえた。


「お前を、どこにも……収められない」


光の格子が、静止した。


除去の処置が、競合したまま、動かなくなった。


カイルがスキルを転送してきた。


【世界判定エラー:54%——変化なし】


上がっていない。


下がってもいない。


でも、止まっている。


来た者が低い声で言った。「三百年前も……一瞬だけ、世界が静止したことがある。あの沈黙と、似ている」


「そのとき、どうなりましたか」


「封印された。誰も、問いを待たなかった」


俺は判定者に向けて言った。


「今度は、待ちます」


格子が、小さく震えた。


「……お前を、どこにも……収められない」


同じ言葉が、もう一度来た。


でも今度は、ただの繰り返しではないように聞こえた。それは——問いかけだった。どこに収めるべきか、という問いではない。収められないという事実が、何を意味するのか、という問いかけ。


「そうですね」と俺は言った。「俺はたぶん、あなたの設計の中には収まらない。でも——だから、話せることがあると思います」


格子が、また揺れた。


「——続きを」


判定者が、反響するように言った。


千二百四十七年で初めて「続き」を求められた、その言葉の重みが、格子の光の揺れ方に滲んでいた。


次の言葉が来ようとしていた。

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