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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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282/315

第282話「守るための格差」

沈黙が、積もっていた。


底にいる者は、何のために生きるのか。


その問いを投げてから、どれくらい経ったのかわからない。この空間に時間の感覚はない。太陽も星もなく、ただ青白い光だけが静かに揺れている。


足の裏が床に触れている感覚が薄い。重力が通常の半分ほどしかない気がして、立っているのか浮いているのかが曖昧なままだった。靴の底から伝わってくるはずの硬さが、どこかぼやけている。冷たい空気は確かにあって、それだけがここに自分がいることを教えてくれた。


カイルが俺の隣で、小さく息を整える音がした。


来た者は黙って待っていた。ゴブは腕を組み、判定者の「声」が降ってきた方向を向いたまま、動かなかった。


「……処理に、時間がかかっている」


判定者の声が、静けさの中に落ちた。


「急かしていない」と俺は言った。「返事があるなら聞く」


「返事を生成する枠が、存在しない」


「枠が存在しない?」


「底にいる者が、底について問う——その事象が、一千二百四十七年の記録に存在しない。想定外の入力だ」


「そうか」と俺は言った。「じゃあ、今から初めて考えてくれ。千年以上生きてきて、初めて考える価値のある問いだ」


沈黙がもう一度落ちた。今度は、それほど長くはなかった。


「……底の者は、秩序のために在る」


俺は返事をしなかった。続きを待った。


「格差とは、秩序の構造だ。上があれば、下がある。指示する者があれば、従う者がある。勇者がいれば、農夫がいる。強者がいれば、弱者がいる。そして底がなければ——上も、中も、成立しない」


「底がなければ、上も成立しない」と俺は繰り返した。


「その通りだ。底は欠陥ではない。設計上、必要な位置だ。ランク外とは、その最下位の位置に割り当てられたジョブ群を指す」


「必要な位置」


「そうだ」


俺はしばらく、その言葉の重さを量った。


失敗ではなく、必要な位置。欠陥ではなく、設計の一部。その言い方は——「お前は失敗作だ」と言われるよりも、どこか重かった。失敗なら、直せる。直せないとしても、誤りだと言える。でも「必要な位置」は違う。最初からそこにいなければならなかった、という話になる。



 



「聞いていいか」と俺は言った。


「処理する」


「その底に置かれる者が、同意していたか」


「同意の概念が、設計に含まれていなかった」


「含まれていなかった」


「秩序とは、構造として機能するものだ。石が自分の位置に同意を求めることを、建築は想定しない」


石。


その言い方は正確だった。だから余計に、返す言葉が見つからなかった。


俺は少し考えてから言った。「ではお前は、石に意志があるとは思っていなかった」


「石に、意志は設計していない」


「でも意志があった」


「……それが、エラーの発生原因だ」


ゴブが静かに口を開いた。


「判定者」


「処理する」


「魔物も——低位種族というのも、そういう設計か」


「種族ランク体系も、同一の原理による。上位種族が存在するために、下位種族が設計上、必要だった」


ゴブは黙った。


長い沈黙だった。俺はゴブのことが心配だったが、何も言わなかった。言葉をかけるより、ゴブがそれを自分で受け止める時間を作る方が大事だと思った。


来た者が低い声で言った。


「私たちも同じだ。設計の外から来たものは、即座に分類不能として封印された。設計の外は——存在してはいけなかった」


しばらくして、ゴブが言った。


「……そうか」


「ゴブ」と俺は言った。


「いい」とゴブは言った。短く、でもはっきりと。「わかっていたことだ。なんとなく、ずっと。俺がゴブリンで生まれた日から、強い奴に従え、上には逆らうな、そういう声が頭の中にあった。それが外から仕組まれていたものだとしたら——怒るより、理由がわかった、という気持ちの方が大きい」


「納得できるか」


「できるとは言っていない」とゴブは言った。「ただ、知った。それだけだ」


カイルが口を開いた。


「一つだけ確認させてくれ」


「処理する」


「レンは設計の失敗だったわけじゃない。最初から底に置くつもりで判定した——そういう理解で合っているか」


「その通りだ。レン・アシダに割り当てられたジョブは、底になるよう設計されたジョブ群の一つだ。設計の意図通りの判定だ」


カイルは黙った。


俺はカイルの横顔を見た。七年前。ギルドの判定室。「生きてはいけるんじゃないか」と言ったカイル。悪意はなかった。ただ、世界の秩序通りに物を見ていただけだった。その秩序が今、自分の論理を俺たちの前で淡々と語っている。


「カイル」と俺は言った。


「……わかってる」とカイルは言った。「怒鳴り込もうとは思っていない。ただ——腹の底に何かが積もる」


「まあ、聞いてから判断しよう」と俺は言った。「全部聞いてから、何をするかを決めても遅くはない」


カイルは俺を見て、短く「そうだな」と言った。



 



「一つ聞かせてくれ」と俺は判定者に向かって言った。


「処理する」


「俺が底に置かれた。設計通りだった。でも俺は底から動いた。和解が起きた。今、判定が狂っている」


「その通りだ」


「もし俺が動かなかったなら——ランク外の門番のまま、生涯その場にいたなら——世界は安定していたか」


短い間があった。


「シミュレーション結果:推計89%の確率で、現在の判定エラーは発生していなかった」


「つまり、俺が動いたことで世界が不安定になった」


「エラーの発生原因は、設計外の動きだ。その起点はレン・アシダの行動にある」


俺はしばらく、それを噛み砕いた。


来た者がかすかな声で問いかけてきた。「傷ついているか」


正直に言えば、少しは傷ついていた。


設計の失敗ではなかった。設計の成功だった。俺は正しく、正確に、底に置かれた。その底から動いた俺が、世界の設計をエラーにした。


悪意はない。怒りをぶつける相手もいない。ただ、知らなかったということの重さだけが、今になって積もってくる。七年分の積み重ねが「正しく機能した設計の中での小さなエラー」として記録されているという事実が、静かに、腹の底に沈んでいく。


「怒っていないのか」と判定者が言った。


俺は少し驚いた。判定者がこちらに感情を問うのは、初めてだった。


「そういうことを、お前が聞くのか」


「感情の評価ができない。怒りが発生するはずの状況を提示した。にもかかわらず、レン・アシダは静止している——理由が処理できない」


「怒る元気がないかもしれない」と俺は言った。「怒ってもどうにもならないとわかっているかもしれない。たぶん両方だ」


「両方が共存している」


「感情ってのはそういうものだ」と俺は言った。「一つだけで成り立つことは少ない」


「処理が、難しい」


「処理しなくていい」と俺は言った。「ただ聞いてくれればいい」


沈黙があった。


それから俺は続けた。「一つだけ言わせてくれ。俺が制度の失敗じゃなかった——制度の設計の一部だったと知って、怒る気にはなれないが、受け入れる気にもなれない。どちらの感情も本当だ。でもどちらも、今ここでお前にぶつけるものじゃない」


「なぜか」


「お前もお前で、一千年以上誰にも聞いてもらえずに動いてきた側だからだ」


判定者は答えなかった。



 



「一つだけ聞いていいか」とカイルが言った。


「処理する」


「お前は——千年以上動いてきて——誰かに「お前の設計は間違っている」と言われたことがあったか」


「ない」と、すぐに答えが来た。


「「お前の設計は正しかった」と言われたことは?」


少し間があった。


「……ない」


「誰にも、どちらも言われたことがなかった」


「……設計の評価を行う存在が、想定されていなかった」


カイルは俺を見た。俺はうなずいた。


正しいとも間違っているとも言われないまま、千年以上動き続けた。従う者たちは設計を疑わず、設計を知らなかった。知る必要もなかった。ただ分類して、記録して、秩序を保ち続けた。その孤独は——俺にはなんとなく、想像できた気がした。


「最後に一つ」と俺は言った。


「処理する」


「俺の行動記録——ランク外の門番として動いてきた記録——お前の中で、どういう分類になっているか」


「……未分類だ」


「未分類」


「功績記録として見れば、条約成立、七十三件の対話解決、百二十七件の交渉成立——数値上、設計の安定に寄与する側面を持つ。しかし同時に、設計の根幹を揺るがすエラーの起点でもある。功績として記録するには設計外の存在であり、エラーとして記録するには安定への寄与が大きすぎる」


「一千二百四十七年の記録の中で、初めてか」


「初めてだ」


俺は何も言わなかった。


来た者が「そうか」と呟いた。ゴブが、視線を静かに床に落とした。


青白い光の中で、俺たちは少しの間そのまま立っていた。足の裏がどこにも触れていない感覚は変わらない。冷たい空気がある。重力は薄い。ここは判定が届かない空間で、それでも俺は今、千年の判定を下してきた存在の前に立っている。


【迷宮管理Lv.9:待機状態——外部接続:不可。内部記録:継続中】


スキルの表示だけが、変わらず視界の端に浮かんでいた。


「世界判定エラーを教えてくれ」と俺は言った。


「現在——39.8%。切り上げて40%だ」


「増えているな」


「この対話中も、継続して増加している。私の処理に、通常の判定が割り込んでいるためだ」


「俺と話していると、処理が重くなる」


「設計に想定されていない対話の処理コストが、高い」


「でも止めていない」と俺は言った。


判定者は答えなかった。止める判断ができない理由を、判定者自身が言葉にできていない——そういうことなのかもしれない。俺はそれ以上は聞かなかった。


「お前は」と判定者が言った。


俺は顔を上げた。


「お前は——正しく最下層だった」


静かな声だった。責めているわけではない。ただ記録を読み上げているわけでもない。その言葉の裏に何かがある気がしたが、判定者の声からは、それが何かはわからなかった。


「設計通りに底に割り当てられた。設計は正しく機能した。しかし——」


声が、止まった。


「しかし?」と俺は問い返した。


「……処理中だ」


判定者の声が、ほんのわずか——本当にわずかだが——揺れていた。


気のせいかもしれない。でもこの空間に入ってから初めて、俺には「揺れた」と感じられる何かがあった。


【世界判定エラー:40%】

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