第279話「なぜ、分けた」
「お前は、除去対象だ。なぜ、来た」
声は、まだそこにあった。
空間の中心から響いてくる、感情を持たない声。怒りでも困惑でもなく、ただ処理の結果として言葉が出てくる——電文が走るような、冷たい正確さだった。
俺は息を整えた。
周囲には何もない。壁も床も天井もなく、あるのは青白い光の粒が無数に散らばった暗がりだけだ。足の裏に、何も感じない。踏ん張ろうとしても地面がなく、立っているのか浮かんでいるのかすら曖昧だ。体の輪郭がどこまでなのか、だんだん分からなくなってくる。
空気の温度が感じられない。冷たいとも暖かいとも言えない。ただ「ある」だけの空間。
でも肺だけは動いていた。自分の呼吸音が、静寂の中でやけにはっきり聞こえる。
横でゴブの呼吸音もある。カイルのそれもある。来た者はというと——呼吸するのかどうかすら分からないが、何か、気配はある。
「話を聞きに来た」
俺は答えた。
一秒の沈黙。
「解析済み。『話を聞く』——定義:会話の音声受容行為。交渉目的と判定。除去対象への交渉適用は、設計に含まれない」
横でゴブが小さく息を吸った。カイルが低い声で「処理対象外、ってことか」と繰り返した。
来た者は静かだった。この空間に入った瞬間から、来た者だけは何も言っていない。ただそこにある、という感じで立っている。三百年前に分類された経験が、この声を知っているからかもしれない。
俺はゴブをちらりと見た。ゴブはこちらを見ていた。七年の付き合いで、その目の意味は分かる。「外の調停者がどうするか、俺は見てる」というやつだ。
「わかった」と俺は言った。「じゃあ、もう少しだけ聞かせてほしい」
「問答の受付は——」
「まあ、聞いてから判断しよう」
俺がそう言った瞬間、沈黙が来た。
今度の沈黙は、少しだけ質が違った。青白い光の粒が一瞬だけ動きを止めたように見えた。気のせいかもしれない。でも俺の隣で、来た者が微かに反応した。何かを感じ取ったような、小さな動きだった。
「前回と同様の処理パターン。分類不能継続中」
そう来たか。俺はそれを確認して、少し落ち着いた。
分類不能は、足場になる。ゴブが最初に扉を叩いた夜から、俺は何度もそこを出発点にしてきた。相手が「分からない」と思った瞬間、話を聞いてもらえる余地が生まれる。この世界で、それだけが俺の武器だった。
「除去は、何のためにやってるんですか」
俺は問いを変えた。
「設計の維持のため」
即答だった。
「設計の維持は、何のためですか」
「秩序の保全のため」
「秩序は、何のためですか」
「世界の存続のため」
カイルが小声で「問答ゲームか」と言った。ゴブが「静かにしろ」と囁いた。俺は続けた。
「世界が存続することで、誰が何を得ますか」
沈黙。
これまでと違う沈黙だった。即答でなく、何かが引っかかって処理が止まっているような重さがある。カイルが俺の袖をそっと引いた。「……レン」という声に、不安がにじんでいる。
俺は首を振った。大丈夫だ、とは言えない。でも、止まるつもりもない。
「世界の存続は——」判定者の声が戻ってきた。「目的の自己完結的充足として処理される。受益者の特定は、設計に含まれない」
つまり——誰も、得ない。
世界を守るために世界を守る。それが千二百四十七年間、この仕組みが動き続けてきた理由だった。
来た者が、俺の隣で微かに音を出した。言葉ではない。ただの音。でもその音の中に、何かを共鳴させているものがあった。三百年間、分類されたまま封印されていた者の音だと思った。
スキルを確認しようとした。
【迷宮管理Lv.9:——接続停止中。この空間では判定値を読み取れません】
機能しない。でも「停止中」と表示できているということは、消えたわけじゃない。そういうことにしておく。
「もう一つ聞かせてください」と俺は言った。
「……処理継続。問答入力を受信」
俺は一度だけ深呼吸した。
このやりとりは、過去に何度もやってきた。相手が変わるだけで、構造は同じだ。ゴブも、ヴォルトも、ガレスも、レイラも、オルディーンも——全員、「なぜそうするのか」の手前で詰まっていた。そこに「正当な理由があるから」という答えを持っていた。でも「なぜその正当性を選んだのか」は、誰も答えられなかった。
それは、聞かれたことがなかったからだ。
俺はそう信じていた。今もそう思う。
「あなたは」と俺は言った。「なぜ、世界を分けたんですか」
空間が変わった。
今度は錯覚じゃなかった。
光の粒が、一斉に止まった。
止まった、というより——息を止めた、という感じだった。無数に散らばっていた粒が、全部、俺の問いに向かって固まるような感覚。空間そのものが、その言葉を処理しようとしているような。
ゴブが短く声を上げた。カイルが一歩後退った。来た者が、身を固くした。
俺は動かなかった。
沈黙が続く。
一秒、二秒、五秒——体感で十秒を超えた。
これまでの沈黙と違う。電文のような処理の間でなく、何かが根本から止まっているような重さがある。七年間、話を聞いてきた。相手が詰まる瞬間がどんな感触かを、体で知っている。
これは「答えを持っていない」間じゃない。
「答えに、初めてたどり着こうとしている」間だ。
ゴブが俺の腕を掴んだ。握る力が強かった。「外の調停者」と小声で呼んだ。
俺は返事をしなかった。今は、待つときだ。
カイルが「……なあ、レン。時間が」と言いかけた。
「わかってる」と俺は言った。「でも今は待つ」
「……なぜ、と問う入力は」
判定者の声が戻ってきた。
変わっていた。
電文のような正確さがなかった。一語一語、引っかかりながら出てくる。搾り出すような質感があった。
「……なぜ、と問う入力は。一千二百四十七年間の稼動記録において——対応した例が、ない」
ゴブが息を吐いた。長い、深い息だった。
カイルが「ない、って……」と掠れた声で言った。
「そうか」と俺は言った。声が静かすぎると自分でも思った。でも震えてはいなかった。「じゃあ、初めて聞かれたんですね」
「……正確には、そうなる」
俺は続けた。
「一千二百四十七年間。誰もあなたに聞かなかった。あなたが世界を分けた理由を」
「接触した十七件は、全件除去処理している。問答の記録は——」
「ない」と俺は言った。「除去するだけで、話を聞かなかった。でも、こうして俺たちは来ています。あなたが分類不能のまま置いておいてくれているから」
長い沈黙。
来た者が、俺の隣に並んだ。
「私たちも」と来た者は言った。言葉を選ぶような、ゆっくりとした速度で。「三百年前、ここに来たとき。なぜ来たのかと——誰も聞かなかった。外の瘴気から逃げていたのに。ただ封印されて、それだけだった」
判定者が応じるまで、また間があった。
「……接触記録三十一件目。分類:外来知性体。対応:封印処理。問答記録——」
「ない」と来た者が静かに言った。「ない。ただ、分けられた。それだけだ」
俺はその言葉を聞きながら、その重さを改めて受け取った。三百年。誰にも「なぜ来たのか」を聞かれないまま封印の向こうにいた。それが「ただ、それだけだった」という言葉に収まっている。
空間が、変わっていく。
ゆっくりと、だが確かに。青白い光の粒が、脈打つように揺れ始めた。さっきまでの静止とは違う。内側から何かが動こうとしている。
ゴブが「外の調停者」と呼んだ。声が少し震えていた。
「大丈夫だ」と俺は言った。「もう一度だけ、聞く」
もう一度、問いを投げた。さっきより少しだけ静かな声で。
「あなたは、なぜ世界を分けたんですか」
返答がない。
「その問いに答える義務はない」と俺は続けた。「でも——一つだけ聞かせてください。あなたは、その答えを、持っていますか」
光の粒が揺れている。揺れながら、密度が変わっていく。
判定者の声が、引き出されるように戻ってきた。
「分けたのは——」
止まった。
俺は待った。ゴブも、カイルも、来た者も、誰も口を開かない。
「分けたのは——」
また、止まった。
今度の沈黙は長かった。でも俺には分かった。
これは「答えがない」間じゃない。千二百四十七年間、この問いを一度も問われなかった。だから答えは眠っている——どこかに、ずっと眠ったままで。問われたことで、初めて目を覚まそうとしている。
光が揺れる。
「分けたのは——分けたのは……」
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
毎日昼・夜の2回更新中です。続きが気になったら、ブックマークで追いかけてもらえると嬉しいです。
もしこの話が面白かったら、☆評価をいただけると本当に助かります。
なろうの評価は日間・週間ランキングに直結するので、1クリックが「次の100話」を書く燃料になります。




