第271話「座への道」
「全迷宮の最深部は、繋がっている」
フォルの声は石柱の振動として届く。言葉の意味を確かめるように、俺は石の表面に手を当てたままにした。冷たい。第十七層の空気はいつもこうだ。岩盤が体温を奪い、気づかないうちに指先から感覚が遠くなる。
「繋がっている、とは——」
「文字通りです。各迷宮の最深部が、一点で接続している。第七迷宮も、第四迷宮も、バルタの新迷宮も——全て同じ一点に向かっている」
スキルが、静かに反応した。
【迷宮管理Lv.7:複数迷宮との同期接続——試行中】
「試行中」。成功でも失敗でもない。昨日から何かを求めて信号を送り続けているのは、この繋がりのせいだったのかもしれない。求めている先が、どこにあるのかをスキルは知っていた。俺が知らないだけで。
「その一点が——判定者の座か」
「そうです」
簡潔な答えだった。フォルが無駄な言葉を省くとき、それは軽いからじゃなく、重すぎるからだと俺は知っている。ドランが消えた後のこの第十七層で、三年かけて覚えた読み方だ。
石柱から少し離れて、第十七層の天井を見上げた。青白い光が岩盤のひびを照らしている。ドランがいた頃と同じ色。でも今は、その光が俺にとって当たり前になっている。慣れが積み重なると、気づかなければよかったものを気づかなくなる。そういう場所だ。ここは。
「到達した者は」
「いません。私も近づけた試しがない」
「お前が近づけない?」
意外だったのが声に出た。フォルは第七迷宮の核だ。この迷宮全体を知覚する存在が、自分の迷宮の最深部に近づけない。
「迷宮知性体をも分類する場所です。私たちも、あの座から見れば分けられた側に過ぎない。近づけば、そこに留められる」
「どんな感覚だった?」
「"ここから先は、お前の分ではない"という圧力です。声ではない。感覚として、そう伝わってくる」
お前の分ではない。
分類、区分、格付け。バルタで「除去対象」と呼ばれた声と、同じ匂いがする。
「いつ近づいた?」
「ドランが消えた後、すぐに。あれが何者かを知りたかった。五十メートルほどで——止まりました。正確には、足がないので「止まった」とは言えませんが」
珍しく言い直した。どこかに苦さがある。
「五十メートル。そこで止められて——どうした?」
「戻りました。強引に進もうとしましたが、戻されました。選んで戻ったのではなく、そうなりました。違いが、あります」
「ああ」
「翻訳が難しいのですが——分類不能と判定されて弾かれるのとは違う。判定されることすら、できなかった」
石柱の前に戻って、手を当て直した。冷たさが指先から肘まで伝ってくる。
「フォル、率直に聞く。俺が座へ向かって、到達できると思うか」
一番長い沈黙だった。
「……思いません」
「でも」
「でも——あなたを「分類不能」として七年間保留してきた何かが、そこにいる。あなたが来ることを、七年間「処理できない事象」として保留してきた何かが。それが何を意味するかは私には分かりません。でも——」
「でも?」
「あなたを「ここから先はお前の分ではない」と弾くかどうか、私には分かりません。私は弾かれました。でも、あなたが私と同じだという根拠もない」
それで充分だった。
「まあ、聞いてから判断しよう」
「……今から聞きに行く、という意味ですか」
「そういうことになるな」
しばらく間があった。フォルが声を整えている。
「準備が必要です。各迷宮の最深部への経路と、座への入口の位置を整理する時間をください。あなたが「試行中」のまま進めば、接続が外れる可能性がある。半日あれば——七つの迷宮全てを確認して、最短の経路を探せます」
「頼む」
「レン」
名前で呼ばれた。それだけで、足が止まる。
「私が弾かれた五十メートルの先に、何があったかは分かりません。でも——その先にあるのは、私たちが分類された結果ではなく、分類を決めた「意志」そのものです。その意志と、言葉だけで向き合うことになる」
「それが心配か?」
「心配ではありません。ただ——事実として伝えておきたかった」
石柱の振動が、静かになった。
第十七層から上に戻ると、ゴブが入口で待っていた。
腕を組んで、壁に寄りかかって、目を細めている。その顔には問いがない。答えを待っている顔だ。
「どうして分かる」
「分かりません。でも——フォルとあなたが長く話すとき、だいたいその後に何かが動く。七年の経験です」
ゴブが壁から背を離した。
七年。気づけばそうなっている。
「全迷宮の最深部の先に、判定者の座がある。フォルが経路を調べている。半日で出る」
「行くんですね」
断定だった。質問じゃない。
「そのつもりだ」
「一人で?」
廊下を少し歩いた。石の冷たさが靴底越しに伝わってくる。あの頃は慣れない靴で、足の裏が痛んでいた。今は感じない。慣れた。慣れとは気づかないうちに積み重なるもので、だからこそ手放すのが難しい。
「お前は迷宮を離れられない。カイルは連合との調整がある」
「それはレンが決めることではなく、俺やカイルが決めることでは?」
鋭い。
ゴブはいつの間にこんなに鋭くなったんだろうと思ってから、最初からそうだったかもしれないと思い直した。俺が気づいていなかっただけで。
「……そうだな」
「俺は——ここを誰かに頼めるか、考えてみます。最近、下の層の知性体で話を聞きたがっているのが三体います。俺が教えています」
「教えている?」
「調停の、基本です。「まあ聞いてから判断しよう」と言うだけでは最初は通じないので、順番に教えています。半日あれば、ここを一時的に任せられるか確認できます」
知らなかった。ゴブが「教える」立場になっていた。
それを俺は知らなかった。知ろうとしていなかったわけじゃないが——ゴブが教えていた。それだけで、何かが違って見えてくる。
「……そうか」
「だから半日、待ってください。それから——一緒に行けるかどうか、俺が決めます」
「決めなくていい。俺が——」
「レン」
ゴブが静かに遮った。
「前に議会に行ったとき、俺が証人でいた。あのとき、あなたは「一人で行く」と言わなかった。俺が「俺も行く」と言ったとき、あなたは断らなかった」
「あれは状況が違う」
「今回も——あなた一人が行くより、分けられた側の者が一緒にいた方が、判定者に伝わることが増えるかもしれません。俺は調停の素人ですが——そのくらいは分かります」
ゴブの言葉は、ゆっくりで、でも確かだった。
「フォルの答えを聞いてから、決める」
「それでいいです」
ゴブが、口の端を少し上げた。七年前のゴブは、笑い方が下手だった。今はうまい。いつの間にそうなったのか、俺には分からない。
宿舎に戻って、カイルへ通信を入れた。
連合の首都ヴァリスとの接続は、カイルが二代目調停者になってから整備されたものだ。迷宮管理スキルとは別の、人間が作った技術。音が少しかさかさと崩れながら届く。俺が話すのに慣れた頃には、会話の温度が先に変わっていることが多い。
「……レン? 今いい時間か」
「一応」
「一応って言ってる時点で忙しいんだろうな。こっちも一応だ」
雑音の向こうで何かを動かす音がした。書類か、道具か。カイルは今日も折衝で動き回っていたはずだ。ガレスが連合軍内で孤立してから、調整の負担がカイルに集中している。
「フォルから聞いた。全迷宮の最深部が一点で繋がって、その先に判定者の座がある」
少し間があった。
「……俺も昨日、フォルから連絡を受けた」
「なぜ先に言わなかった」
「フォルが「レンが先に聞いてくれると思う」と言った。俺が言っても、どうせお前に伝える流れになる。フォルもそれを分かってた」
「……まあ、そうだな」
「で、行くのか」
今日、何度同じことを聞かれているだろうと思った。でもカイルの「行くのか」は、ゴブのそれとは少し違う重さがある。
「フォルが経路を調べている。半日後に出る」
「待て」
「なんだ」
「待て、と言った」
珍しく力のある声だった。折衝の調停者の声じゃない。もっと個人的な——カイル・ベルグという人間そのものの声。
「聞いてくれ」
「聞いてる」
「俺が連合のアーカイブで調べた。過去三十年、迷宮の最深部へ到達しようとした記録——三十七件。王国、連合、自由都市、全部含めて。冒険者、調査隊、軍の特殊部隊」
「全員が失敗したのか」
「最深部に辿り着けなかった者は、全員そうだ。深度にばらつきはある。でも——帰ってこなかった者も、いる」
手が止まった。通信石を握る指が、じわりと汗をかいていた。気づかなかった。
「何人だ」
「七件。帰ってこなかった。他の三十件は——深度が一定を超えたところで引き返した。本人の意思で、じゃない。「足が動かなくなった」「進めなかった」——フォルが言ったのと同じ理由だ。弾かれた」
「それは知ってる」
「でも、七件は——引き返しもできなかった。最深部の近くで消えた。記録がそこで途切れてる。同行者もいなかった。全員、一人で行った連中だ」
一人で行った連中。
俺は壁に背中を預けた。宿舎の石の冷たさが、じわりと背中に広がる。第十七層の冷気とは違う冷たさだ。ここには人間の温もりが混じっているから、底冷えしない。
「座に到達したのか、それとも——」
「分からない。その先の記録がない。到達したとしても、何が起きたか、戻る術があったのか——何も残っていない」
七件。三十年間の、七件。
「カイル」
「なんだ」
「今、何の顔で話してる?」
間があった。
「……どういう意味だ」
「調停者として言ってるのか、それとも——」
「そういう二択を迫るな」
珍しく声に棘があった。でも棘というより、照れ隠しに近い。カイルが感情を前に出すときの声の形を、俺は七年で覚えた。
「お前が行くのを止められないのは、分かってる」
「うん」
「止められないから——言う」
カイルが一度、言葉を切った。雑音だけが続いた。
「そこは……人が、行ける場所じゃない」
通信石の向こうで、カイルが息を整える音がした。
それ以上、言葉は来なかった。
【世界判定エラー:15%】
スキルの表示は、まだ下がっていない。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
毎日昼・夜の2回更新中です。続きが気になったら、ブックマークで追いかけてもらえると嬉しいです。
もしこの話が面白かったら、☆評価をいただけると本当に助かります。
なろうの評価は日間・週間ランキングに直結するので、1クリックが「次の100話」を書く燃料になります。




